次の日、生徒会室。
「それじゃあ実行委員長を選出したいと思いまぁす」
気の抜けた、というよりも、女子力の高い喋り方をする生徒会長が宣言する。同時に、教室内にいた実行委員達は顔をそらした。やりたくねぇならなんで実行委員なんかやんだこいつらは。
城廻会長はそんな生徒達を見て困ったような笑みを浮かべる。かく言う俺も、そっと視線を逸らして注目を浴びないようにした。
「あー……誰もいない、かな?」
気の毒だが、こういう決め事ってのは日本人は嫌いなものだ。
俺はそんな中で、少し離れた場所に座る人物を見る。雪ノ下、そういやあいつも実行委員なんだった。相変わらず無愛想に、澄ました顔で座っている。てっきり会長に立候補すると思ってたけど。
そしてもう一人。俺の斜め後ろ。相模だ。時折こちらを見ては、目が合うと逸らす。思春期のガキじゃねぇんだぞ。いや思春期だけども。
「……あれ?雪ノ下さん?雪ノ下さんだよね?」
不意に、城廻会長が雪ノ下の存在に気づいた。どうやら矛先は雪ノ下に完全に向いたようで、会長はやれハルさんは凄かっただのと彼女の姉を褒める。でもやはり、雪ノ下雪乃としてはそれは面白くないらしい。表情こそ変わらないが、どこか不満気な感じを醸し出しているように見えるのだ。
極め付けは、雪ノ下に委員長をしてみないか、という誘い文句。
「失礼ですが、あくまで私は実行委員です。委員長をするつもりはありません」
きっぱりと、雪ノ下らしく断る。だが、そこにはいつもは見られないような、何か意地のような物も見て取れた。会長は残念そうに、素直に下がった。
「えーっと、誰か推薦とかは……あるかな?」
重い空気の中、更に重くなるような事を言い出す。まぁ仕方ないだろう。誰も立候補がない以上、そのまま推薦方式での選定になるだろう。特に会長なんてやりたくない俺は、あくまで無干渉を貫く。
だからだろうか。運命の悪戯というのはどこまでも残酷で、小町並みに変な気を利かすものだ。
後ろで、相模が立ち上がる。一瞬何を言い出すのかと思案してみれば、次に言うであろう言葉が容易に想像できてしまった。そして、止めに入ろうとした時には既に手遅れ。
「ウチ……は、比企谷くんを推薦します」
鳩が豆鉄砲食らった顔というのはこういう事を言うんだろうな、と納得する。主に自分と、雪ノ下の顔を見て。
とにかく、驚いた顔で相模を睨む。相模は少しばかり萎縮していたが、すぐに胸を張って俺を見つめ返した。こうなったら、あの娘は意地でも貫き通すだろう。
だが、苦難は終わらなかった。
「私も、比企谷くんを推薦します」
雪ノ下まで、便乗するかのようにそう言い放った。もう驚く気力もない。俺はぼけっと空いた口と呆けた顔で雪ノ下の顔を眺めた。知り合い以外の生徒が誰?とか言っている。そりゃそうだろ、一部の奴らは俺のこと知ってるかもしれねぇけど基本的に俺ボッチだからな。会長も首を傾げている。かわいい。
「えっと、じゃあ、委員長は比企谷……?くんに決まりました〜」
会長が愛想笑いと拍手をどこかに向けてする。俺が比企谷って事分かってねぇなこの人は。
「えっと、じゃあ比企谷くん。立って、ちょっとだけ挨拶してもらってもいいかなぁ?」
キョロキョロと、目線だけを移動させながら会長が言う。仕方ない、ちょっとだけだぞ。俺はゆったりとした動きで立ち上がった。教室内の視線が俺に集まる。何人か、俺の面の極悪さに萎縮している奴がいた。
あの、会長、あぁこの人か〜って納得しないでもらえますかね。
こほん、と咳払いし、最大限表情を柔和にして口を開く。
「えー、どうも、この度は女子高生を部屋に呼び出し、顔を舐めまくった挙句、テレビではメンバー呼びされてしまいどうもすみませんでした」
「ひ、比企谷くん、それは某開拓系アイドルのメンバーでしょ!」
すかさず会長がツッコミに入る。同時に、少しばかり場の空気が和んだ。こんなしょうもない時事ネタとわずかな羞恥心で場が和めば安いものだ……と思いたい。
「えー、本題に入りますと、雪女系自称完璧美少女と、外面のみ女子力アピール筆頭に嵌められ委員長に選出されてしまいました比企谷八幡メンバーです」
ちらりと雪ノ下と相模を見ると、二人とも噴火しそうに真っ赤になってこちらを睨んでいる。でもな、お前らにそんな権利ねぇんだぞこの野郎。人の平和を乱しやがって。
「もう!メンバーはいいから!」
そろそろ会長が激おこぷんぷん丸なので冗談はこの辺りにしておこう。
「この度確かな二人の推薦を受けて文化祭実行委員長に就任しました。若輩者ですが、是非とも皆さんにお力添えしていただき、文化祭を盛り上げて完遂していく所存でありますので、ご協力よろしくお願いします」
ようやく真面目な挨拶を終える。その頃には、他の実行委員達の警戒心やら何やらは解けていたようだった。前置きが効いたのだろう、大きめの拍手が起こる。
挨拶を終えて座ると、雪ノ下と目が合った。先ほどの一文に関して責めているような目ではない。なにかを決意したような目だった。それは、相模も同じ。この二人、何企んでやがるんだ。
「それでは、副委員長を選出したいと思います!誰かやりたい人は」
会長がまだ話している途中にもかかわらず、手が上がった。それも二つ。
雪ノ下と、相模だった。
「え、えーと」
会長が困惑する。そりゃそうだ。雪ノ下はさっき実行委員としてやっていくと宣言したばかりなのだから。それがいきなりNo.2になりますなんて、筋が通らないだろう。それに、二人も副委員長に立候補しているのだ。ここからまた波乱の推薦合戦が始まるか……いや。
俺はまた立ち上がり、会長に意見具申する。
「会長、副委員長なんですが、二人貰えませんかね」
「え?えーと、いいけど……」
「こっちとしても、これだけ大きい文化祭だから補佐が色々必要なんで。ね、いいでしょ?」
有無を言わさず、決める。会長も俺の頼みは至極真っ当な上にこれ以上拗れることを望んでいないから認めざるを得なかった。ちょっと困った顔をしつつも、会長は頷いた。
「うん。先生には私から伝えておくね比企谷くん」
俺は会長に頭を下げて感謝しつつ、また座る。しかし、まぁ、なんだ。雪ノ下と俺だけでトップになるよりも、外面はマシな相模が居た方がまだうまく行くだろう。
俺はそんな安直な考えをしつつも、これから起こるであろう何かしらの波乱を予想し、疲れた。
「聞きましたよ兄貴、実行委員長になったって」
昼休み、いつもの場所で飯を食っていると材木座がやって来てそんな事を言い出した。俺は不機嫌そうに材木座を睨み、飯を食う。
「好きでなったんじゃねぇよ」
無理矢理推薦されたんだ馬鹿野郎、と付け加える。
「またまたぁ、あれでしょ。文化祭で実績作ってからこの学校で比企谷組立ち上げようって魂胆でしょ。なら一言下さいよ〜、俺だって兄貴と兄弟分なんだから」
「うるせぇ野郎だなぁ、人の事ヤクザみてぇに言うなよな。なんだよ比企谷組って、ボッチサークルみてぇじゃねぇか」
相変わらず変にそっち寄りな材木座。と、そんな事象兄弟分が何かを窓から見つけた。
「あれ、由比ヶ浜の姉さんと相模じゃないっすかね」
ちょっと意外な組み合わせに、俺も興味を持って窓の外を覗く。見てみれば、校舎の裏で、由比ヶ浜と相模が二人きりで何かを話していた。
「百合……ですかね」
「なんでだよ。一年の時、由比ヶ浜と相模は同じグループだったから、その繋がりじゃねぇのか」
前に少し由比ヶ浜から聞いたことがあった。だが、今年に入ってからは二人の仲はさほど無かったはずだが。
それに、最初は由比ヶ浜が葉山のグループに入ってたせいで相模が嫉妬してたって話だ。もしかしたらその関係で良からぬ呼び出しでも由比ヶ浜がされたのか……とも思ったが、あれは違うようだ。どことなく、由比ヶ浜が詰め寄ってるようにも見えた。
「何を考えてるの、さがみん」
呼び出されて開幕、結衣が真顔でそう言った。よく意図が分からないその質問に、私は首をかしげる。
「ちょっと、何急に」
「ヒッキーの事。実行委員長に推薦したんだよね」
あぁ、と納得した。結衣があの人相の悪い少年の事を気にかけていたことは知っていた。その少年を委員長に推薦したせいで、彼に苦労をかけさせたくない結衣はウチに詰め寄ってきたんだろう。この子は優しいから。
「別に、ウチは比企谷が適任だと思ったから」
「違うよ。そう言うことを聞いてるんじゃないよバカ野郎」
突然、結衣の口調が荒くなる。まるであの少年のように。
「なんで副委員長にさがみんがいるの?ヒッキーをどうしたいの?ねぇ、答えてよ」
一歩、また一歩と結衣が詰め寄ってくる。ウチはたまらず後ろに下がった。
こんな結衣は見たことがなかった。それどころか、こんな人間見たことない。こんな、危ない目をしている奴なんて。
「結衣には関係無いじゃん!」
「あ る よ」
ガシッと、両肩を掴まれる。ウチの体が震えた。
「ヒッキーはね、優しいんだよ。きっと文化祭で上手くいかないことが出てきたら、自分を犠牲にしてまで解決しようとする。そうなれば、ヒッキーはまた独りぼっち。許さないよ。そうなったら、さがみんぶち殺すからね」
狂気というのはこういうものなのだろう。でも、言い返さずにはいられなかった。
「そうならないようにウチがサポートするんだよ!」
「無理だね!さがみんには!無理!ねぇさがみん、昨日ヒッキーとファミレスにいたよね?何を話してたのかな?教えてよ、ねぇ」
話が通じなかった。だから、素直に言うことに従う。
「ぁ……前に、コンビニのバイト一緒だったから……その時に助けてもらって……そのせいで比企谷クビになって、それで、あの、謝って、お礼言ってただけ……」
「ふぅ〜ん、それは知らなかったよ。ヒッキーがバイトすぐやめたらしいってのは知ってたけどさ。それで?結局さ、さがみんは何がしたいのかな?ヒッキーにどうなってほしいわけ?」
殺される、と、心底思ったことは今までなかった。だから、口から本心が漏れてしまう。
「う、ウチは……比企谷に委員長やってもらって、それで成功して……みんなに認めてもらいたいだけ。う、ウチ、まだ借りを返せてないし、それに……」
「そ れ に ?」
「比企谷、いい奴なのに……クラスの奴ら、ゆっことか含めて、みんな馬鹿にするから」
結衣から何も返事がない。恐る恐る顔を見てみれば、結衣は驚いたような顔でこちらをじっと見ていた。そして、急に笑顔になったかと思えば、ウチの両肩をバンバンと嬉しそうに叩いてくる。痛い。
「ちょ、結衣!?」
「うんうん!うんうんうん!そうだよね!ヒッキー凄いよね!さがみんも知ってたんだね!嬉しい!えへへへ!」
まるで自分の事のように喜ぶ結衣は、純粋に乙女な顔をしていた。あぁ、この子はあいつの事が……
だが、またすぐに両肩をガシッと固定してくる。そしてその笑顔をぐいっと、お互いの鼻がくっつくくらいまで近付けてきた。そのせいで、ひっ、と声が漏れる。
「でもねさがみん、それだけじゃないでしょ?聞きたいな、さがみんの気持ち」
ぎくり、と心が動揺した。ウチは目をそらしたけど、結衣が顔を両側から掴んで無理矢理正対させた。逃げられない。
「逃げないでよ、逃げないでよねぇ。私聞きたいだけなの。それだけなの。なんで逃げるのかな、違うよねそれ、違うだろコラァ‼︎‼︎‼︎」
耳鳴りするほど大きな声に、とうとう涙だけでなく少し失禁した。
「好きッ!比企谷好きッ!助けてもらってから、惚れちゃいましたァ!だから助けてぇ!」
パッと、顔から手が離れる。ウチはそのまま地面にへたり込んだ。顔を腕で庇いつつ結衣を見上げれば、とてもいい笑顔、まるで恋する乙女のような顔で嬉しそうにこちらを眺めていた。
「そっか〜、さがみんやっぱりヒッキー好きなんだぁ〜、だよねだよね!ヒッキーカッコいいもん!うぇへへ〜」
「ハイそうれす」
もうなんでもいい、早く解放してくれ。
「じゃあさじゃあさ、さがみんは私の恋敵だね!」
笑顔なのに、目が笑っていない。あんなに純粋そうな笑顔なのに、こんなことできるもんなのか。
とうとう、敵対宣言された。死を覚悟する、なんてできない。まだ死にたくない。
「諦める?私、ヒッキーの事になったらちょっと熱くなっちゃうからさ〜、てへへ」
一人照れる結衣。でも、こんな惨めな姿を晒しても、ウチには言わなきゃならない事が確かにあった。
「ひっく、う、うちも、えぐ、引きたくない」
それが、今言える精一杯。結衣はやはり、嬉しそうに笑った。
「うん!そうだよね!ここで諦めますなんて言わないよね!だってヒッキー好きなんだもん!ここで諦めたら私が殺っちゃうよ!うーん、でもそっかぁ、さがみんがねぇ、うーん、ゆきのんももうちょっと素直ならなぁ」
一人で悩む結衣。すると、急にしゃがんでぐいっとまた顔を近づけて来る。そこに先程までの純粋な凶悪さは無い。
「ありがとさがみん。ごめんね、泣かせちゃって。でも良かったよ、素直な気持ちが聞けて。さがみん強いね、私尊敬しちゃうよ」
ちゅ、と鼻に結衣の唇が触れる。恐怖しか湧かない。
結衣はまた立ち上がると、大きく背伸びして小さく手を振る。
「じゃあ、これで終わりね!ごめんね昼休みに呼び出しちゃって。授業遅れないようにね!」
軽快に走り去る結衣。ウチはようやく解放された安堵から、一人壊れたように空を仰いだ。
「……」
なんかとんでも無いものを見てしまった。材木座と互いに顔を合わせる。
詰め寄ったり肩掴んだり顔をロックしたり、チューしたり。最近の若者は〜なんてよく聞くが、これじゃあ言われても仕方ないんだろうか。
「兄貴、俺、教室戻ります」
「ん?うん」
何も見なかった。俺と材木座の間で、暗黙の了解が通る。そう、あれはなんて事ない、女子のイチャつきだ。たまに由比ヶ浜と雪ノ下が部室でやるような、あれなんだ。そう自分に納得させ、残りの飯を食う。
予鈴が鳴る。結局小町手作りの弁当は、半分程残ってしまった。
「村川、お前何しやがった」
室内で一人本を読む村川に、大友が言った。村川は手を止め、飄々としたいつもの顔で大分不機嫌な大友を見る。
「何が?」
「とぼけんなよ、あの子だよ。お前なんかしただろ」
テレビで由比ヶ浜の奇行を見ていた大友は核心を突く。きっと、不機嫌なのは由比ヶ浜の件だけではない。だが村川は表情を変えずにただ言った。
「何もしてないよ」
あくまで村川は知らんぷり。だが、大友は村川が自身の知らない何かを行なったと、確信していた。こんな事するのはこいつくらいだ。
何もしないようで、遊んでばかりいるようで、本当は一番危険な奴。八幡には特に何も特別な感情は抱いていないように見せながら、本当は一番干渉したがる奴。
「バレてねぇとでも思ったか。あ?なんか言えこの野郎!」
凄む大友に、とうとう村川も少しだけ驚くような、それでいて不機嫌そうな、そんな感じで口を尖らせた。
「そっちこそちょっと過保護なんじゃねぇのか」
「あぁ?」
「何でもかんでも親みてぇにあーだこーだやってんのはそっちだろ」
「テメェこの野郎ァ!」
ボクシングで培った一撃が村川の鼻っ面に突き刺さる。垂れる鼻血を、村川は触って確認し、目を見開いて大友を睨んだ。
一触即発だった。今度は殴るだけじゃ済まない可能性だってあった。そんな空気をぶち壊したのは、バット片手に部屋へと入ってきた上原と、グローブとボールを持つ我妻だった。
「もうちょっとな、振るの早いといいんだよな、芯に当たらないっていうかさ」
「もう歳だから。あんまバット強く振ると腰やっちゃうよ」
この面子の中でもマイペースな二人が遊びから帰ってきた。二人は大友と村川の異様な光景を見ると、笑顔を引攣らせる。
「なにやってんの」
「なんもやってねぇよ」
我妻の問いに村川が強めに答える。我妻も状況を察し、あぁそう、と奥の部屋へと消えていく。
「会話」はここまでだと判断した大友も、そばのソファに腰掛けてまたテレビを見だした。
「村川さん、野球やろう野球。あともうちょいでスリーベースヒットくらいいけそうだからさ」
そんな上原のマイペースすぎる提案に、村川はケタケタと笑った。