その日の夜。
相変わらず葉山たちとはギクシャクしたまま就寝を迎える。
ギクシャクしているのは俺と葉山の間だけで、楽天的な材木座と戸部はなんだかんだUNOしたり何なりと、前までの間柄が嘘のように遊んでいた。
戸塚は俺を気にしてやたらと気を遣ってくれていたが、それが何だか申し訳ない。
布団につき、寝ようと努力するもなかなか眠れない。
目の前にすやすやと寝息を立てる戸塚の寝顔があるという事も原因ではあるが、一番の理由は留美の事だ。
果たして、あの子の人生に俺たちは干渉してしまっていいのだろうか。
俺みたいなヤクザもんが、可哀想だからという理由で、影響を与えてしまっていいのだろうか。
子供は素直で純粋だ。故に、周囲に大きく影響される。
俺だって、こんな記憶と人格が無かったならもうちょっとマシな人生になっていたかもしれない……いや、多分今と変わらずボッチだったろうなぁ。
雪ノ下が留美にこだわる理由も分からなくもない。
まるでかつての自分を見ているようで放っておけないのかもしれない。
それでも。いや、だからこそ、この問題は第三者が勝手に介入して掻き乱していい問題ではない。これは、自分自身で解決しなければならない。留美のためにならない。
「……」
起き上がり、戸塚を起こさないようにそっと退室する。
ポケットにタバコとライターがあることを確認し、俺は建物の外へと出ることにした。
外に出て、くしゃくしゃになったタバコに火をつける。
直後、煙が肺を満たした。
少し吸って吐いて、今度は大きく吸う。
このイライラがちょっとでも和らぐようにと、なんだか必死に煙を吸った。
これもある種、現実逃避のようなものに違いは無かった。
俺は何がしたいのだろう。
俺は留美をどう思っているのだろう。
考えれば考えるほど、悩み事というものは増えていく。
人生経験たっぷりの記憶があっても、俺はまだ未熟な高校生なのだからそれは仕方ないのかもしれない。
考えているうちに、一本目を吸い終わってしまった。
答えがまとまらないまま、二本目に手をかけようとする。
が、不意にあることに気が付いた。
森の中から、歌のようなものが聞こえてきたのだ。
こんな夜中に、しかも森の中で歌が聞こえてくるのだからちょっと怖いが、知っている声なので見に行くことにする。
しばし森を進むと、そこには案の定見知った姿があった。
雪ノ下だ。
夜空を見上げるその少女と、静かな森の中で紡がれる歌というのはどうにもマッチしている。
きらきら星というのもまぁ何というか良いものだ。
絵画にしてそのまま飾っておきたくもある。
タバコを吸うのは無粋だろうか。俺は何もせず、ただその光景と音を堪能する。
その美しさの中に、少しの儚さを残す姿は、一言でいえば美しい。
しばらくして、心のモヤモヤがちょっと和らぐ。
タバコよりもよっぽど良い気分転換になるなこりゃ、なんて考えつつ、俺はその場を立ち去ろうとした。
「……誰?」
そのわずかな物音に気が付いた雪ノ下が、こちらを振り向く。
歌が途切れてしまった事を少し残念がりながら、俺は再び雪ノ下を見据えた。
「よう」
「……あらやだ、犯罪者だわ」
「事あるごとに喧嘩売るの流行ってんのか、なぁ」
いつものように挨拶を交わす。
これが挨拶というのもちょっと変わっているかもしれないが、むしろ俺としてはこの感じが気に入っていたりもする。
ふふ、とわずかに笑う雪ノ下。
雪ノ下の近くまで歩み寄る。
会話をするにはさっきの距離じゃちょっと遠かった。
「あなた、タバコ吸ったでしょ」
露骨に鼻を塞ぐ雪ノ下。
「ん?吸ってねぇよ馬鹿野郎」
「でも臭いするわよ」
「材木座か葉山だよ」
咄嗟に人のせいにする。
もちろん材木座がタバコを吸わないのは知っているだろうし、葉山の性格からしてそんな犯罪行為に手を染めるなんて事も無いというのは分かっている。
だから、雪ノ下は、そう、とだけ言ってまた空を見上げた。
「寝れねぇのか」
尋ねると、雪ノ下はただ語る。
「ちょっと三浦さんが突っ掛ってきてね」
なるほど、と俺は頷いて笑った。
コイツの事だから、きっと反論した挙句論破して泣かせでもしたんだろう。
ざまぁみろ、なんて思いつつ懐からタバコを取り出して咥える。
「やっぱりあなたじゃない」
「ん?そうだよ?」
「なにそれ、仕返しのつもり?」
その問いに笑って誤魔化す。
火をつけると、煙がまた肺を満たした。
リラックスして空を見上げる。都会では見れないような星空。
雪ノ下のいる方が風上なので、副流煙が彼女に流れてしまう事はあまりないが、それでもタバコの臭いは消せない。
「タバコ、身体に悪いわよ」
思ったよりも優しめの忠告だった。
「ん?うん」
至極真っ当なアドバイスに、生返事で頷く。
その様子が気に入らなかったのか、雪ノ下の視線は星空から俺へと移った。
「……正直、驚いたわ」
「何が」
「あの子の事、随分気にしてるのね」
俺は答えず、ただ煙を吸っては吐く。
「お前だってそうじゃねえか」
「別に、あの子が特別な訳じゃないわ。誰であっても私は手を差し伸べるもの」
そこで一度、会話が途切れた。
必要以上の事は言わない。それでも、お互いが言わんとしていることは簡単に理解できていると思う。
また、雪ノ下から口を開く。
「でも、そうね。強いて言うならば、由比ヶ浜さんに似ているから……かしら」
「うーん、あいつもあいつで同じような事体験してそうだしなぁ」
由比ヶ浜は、はっきり言って八方美人だ。
それは満遍なく仲良しこよしを演じるという事で、敵も少なそうに見えるが実際はそうはいかない。
ふとしたことで、その八方美人は標的にされる事もある。
小町にだって、そう言う事があった。
その時の俺は自分を抑えられなかった。
「それと」
雪ノ下が小石を蹴る。
彼女らしくないその行為は、俺の注目を引くに値した。
「葉山君もずっと気にしている」
どういう意味なのか、こればかりは分かりかねた。
俺は葉山という人物を良く知らない。
「お前葉山となんかあんのか」
「別に。小学校が同じなだけよ。それと親同士が知り合い。彼の父親がうちの会社の顧問弁護士をしているの」
「らしいなぁ、よくわかんねぇけど。家ぐるみの付き合いってのも、まぁ面倒だろうな」
「……そうね。最も、そういう外向けの事は姉の仕事よ」
「お前は代役か。お前はいいのかそれで」
雪ノ下は答えない。
代わりに、星空を見上げるだけだ。
今まで分かっていた彼女の心が、途端に分からなくなる。
タバコの火が消える。
携帯灰皿を取り出し、タバコを捨てた。
「でも、今日は来れてよかったわ。無理だと思っていたから」
「……そうか」
問いはしない。
今までの流れで、これだけは分かってしまったから。
「……そろそろ帰りましょう」
「……うん、じゃあな」
それだけ告げると、雪ノ下はおやすみなさい、と言って先に戻る。
対して俺はまだその場に残る。
まだ星空を見上げるために。
それぞれが、各々の悩みと思惑を胸に秘める。
それがとてつもなく怖いことだと思いながらも、当たり前だと自分に言い聞かせ。