放課後。
比企谷は雪ノ下と共にラグビー部の練習場へと向かう。
向かうと言っても、練習場の側まで来てしまうと姿を見られてしまうので、そこから少し離れた場所のベンチから、眺めるだけにする。
この調査をやる意味は、まったくない。
傍から見れば、今回の調査はただのデートに見える事だろう。
はっきり言って仲がいいとは言えない雪ノ下と二人きりになることは、彼の精神衛生上良くないが、それでも二人きりになって、どこか落ち着いた場所で確認しなくてはならない事があった。
二人でベンチに座り、ラグビー部の練習を眺める。
会話は無い。座席も、一人分離れて座っている。
耳に入ってくるのは、運動部の連中の掛け声と風の音。
ボーっと、少年はせっせと練習している大和を見た。
何ら変わった事は無い。
先輩風吹かして、後輩に厳しく指導しているようだった。
つい先日三年生は引退したと聞いたし、おかしい事は無いだろう。
「それで比企谷君」
不意に、雪ノ下が口を開く。
隣りを見てみれば、ラグビー部の練習を眺めている美人の横顔が。
晴れた空となびく風が、雪ノ下という少女の美しさを引き立てていた。
「このままラグビー部の練習を眺めていても、調査になるとは思えないのだけれど」
「そりゃそうだよ、だってもう犯人分かってんだもん」
笑ってそう言う。
そして練習場を見直した。
「どういう意味かしら?」
「お前もそうだろ雪ノ下。最初から目星付いてたくせに」
笑いながら言うと、雪ノ下は黙った。
少しして、雪ノ下がまた口を開く。
「いつから気付いてたの?」
「何が?」
「犯人よ」
「最初から」
「……そう。そうだと思ったわ」
「確信持ったのは昨日だけどね、たまたまだよ」
ちょっと謙遜したように、彼は言った。
雪ノ下がクールに笑う。
「そう。……そんな風にも話せるのね、あなた」
少年が不思議そうに少女を見た。
そこでようやく、二人が顔を合わせた。
笑って、すぐにお互い正面を向く。
「話してもらえるかしら。あなたの推測を」
少年は頷く。
その眼には、いつしか存在していた凶暴な刑事と同じ炎を宿していた。
それに応えるように、少女も今日ばかりは嫌味を言わない。
いつか沖縄で見たように空は青く、部活をしている高校生の声が響く。
今日も、一日は変わらず過ぎていく。
次の日の放課後、奉仕部。
俺と雪ノ下、そして由比ヶ浜の奉仕部メンバーの他に、材木座と葉山も部屋にいる。
材木座には大岡の調査報告をさせるため、そして葉山には今回の件の犯人を告げるため。
材木座の調査報告は、葉山が来る前に終わってしまった。
なんてことはない、大岡は普通の野球部員で、試合でも大した活躍はないし、ラフプレーなんてことをするような度胸も無い……それと童貞。
分かってはいたが、こいつはチェーンメールの犯人ではないだろう。
「……それで、何かわかったのかい?」
いつものように笑顔の葉山が、言った。
「その前に。貴方は犯人が見つかればどうするつもり?」
雪ノ下の突き刺すような言葉が、葉山を襲った。
「え、それはもちろん、穏便に……」
そこまで言って、雪ノ下が呆れたようにため息をつく。
「そう。なら、私達が関わるのはここまでよ。犯人は引き渡すけど、そこからは貴方の問題。当初想定していた目標とは違うけれど、貴方にとって私達がかき乱すよりはよっぽどマシでしょう?」
そう言われ、葉山は笑顔を崩して黙り込む。
そして渋々、頷いて了承した。
今回の種明かしについては、雪ノ下に一任しているため、俺は椅子に座って葉山を睨むだけだ。
同じように材木座も隣に座り、眼鏡越しに葉山を睨む。
由比ヶ浜だけは雪ノ下の傍で、事の成り行きを不安そうに見守っていた。
あいつからすれば、どう転んでも良い結果とは言えないだろう。
「チェーンメールの犯人は大和君よ」
単刀直入に、雪ノ下は告げる。
「……理由や証拠は?」
「明確な証拠はないわ。ただ、状況証拠としては十分ね」
「聞こうじゃないか」
葉山が言うと、雪ノ下はゆっくりと話し始めた。
「まず、あのチェーンメールには犯人にとって重大な過失があるわ」
葉山は首を傾げる。
なんだかそれもわざとらしい。
「戸部は稲毛のヤンキーで、ゲーセンで西高狩りをしている。大和は三股、最低の屑野郎。大岡はラフプレーで相手高校のエース潰し。メールの内容よ」
「それは分かっている」
「あらそう。なら、この中で仲間外れな内容が混ざっている事もかしら?」
葉山は黙った。
驚いたように、ではない。改めて事実を突き付けられたように、表情は暗くなる。
「戸部君と大岡君の両名は、主に暴力行為。それに対し、大和君だけ女性問題に対する物。これっておかしいわよね?」
葉山は何も言わない。
雪ノ下は続ける。
「暴力行為をでっち上げられるということは、どの年代や社会においても名誉を傷つけられるわ。でも、女性問題はどうかしら?社会人にとっては響くこともあるけれども、学生間、それに男子同士なら?」
男というのは女が考えるよりも単純だ。
付き合った人数が多ければ、それだけで称賛することもあり得る。
ましてや三股など出来る奴は羨ましがられるかもしれない。
それが高校生の間柄ならば特に。
まぁ良い印象はどちらにしても無いが、暴力で有名になるよりはマシだ。
「……だがそれだけで」
「もちろん。そこまで甘い考えはしていないわ」
黙れと言うように、雪ノ下は葉山の言葉を遮った。
「比企谷君と材も……材なんとか君に色々と人柄についても調べて貰った」
「あの、名前……姉貴……」
雪ノ下に名前を忘れられてしょげる材木座。
俺は由比ヶ浜とこっそり笑う。
そんな捨てられた犬みたいな顔すんなよ。
「フッ」
どうやら葉山も笑ったようだ。
「何笑ってんだこの野郎」
「いや、笑ってない」
材木座が噛みつくが、葉山はシレっと受け流した。
雪ノ下が咳払いをして話しを続ける。
「戸部君はまったく問題が無かった。むしろよく友達に手を差し伸べてバカを見るタイプね。大岡君も、人の顔を窺う所はあれどチェーンメールなんてことをするような度胸は無い」
でもね、と。
「大和君だけは違う。彼はああ見えて嫉妬深く、他人を蹴落とすことも辞さない。それはラグビー部においての行動で証明されているわ」
一年生の時。
奴はレギュラー入りの為に、他のライバルたちを物理的、そして社会的に潰した。
裏も取れている。なんと、由比ヶ浜が海老名さんにリークしてもらったらしい。
葉山はもう何も言わなかった。
ただ諦めたように俯く。
もう潮時だ。
この辺でこいつも認めるべきだろう。
「諦めろよ。いい加減認めろ」
葉山を見据えて俺は促す。
そんな葉山は、俺を少し悔しそうに睨む。
……そう言う事かい。
この野郎、ハナっから俺が目当てだった訳か。
立ち上がり、葉山の前へと赴く。
「…………」
「…………」
お互い、間近で睨みあう。
それを雪ノ下と由比ヶ浜、そして材木座が見守った。
「お前何考えてんだ」
そう尋ねると、葉山は、
「何の事だ」
すっとぼける。
俺はニヤッと笑った後、構える。
その構えを見て、即座に葉山が動いた。
「ッ!」
葉山のストレートが迫る。
咄嗟に横へかわして回避すると、ボディブローを極める。
「ぐあっ!」
葉山がのけぞる。
続けざまに反対側のボディを殴る。
顔歪める葉山。
その顔へジャブを一発浴びせるも、葉山はフックで応戦してきた。
それをガードすると、そのまま腕を取って密接し、数発腹を殴って膝蹴りを打ち込んだ。
由比ヶ浜の短い悲鳴と、材木座の興奮した声が響く。
「弱ぇなぁお前。いいよなぁ、弱くてもちやほやされんだからよ」
腹を押さえて倒れる葉山に投げかける。
珍しく、雪ノ下は止めなかった。
部屋には静寂が木魂する。
葉山は、もうこの部屋にはいられない。