聖櫃に抱かれた子どもたち   作:佐伯寿和2

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悪夢たちは彼の後ろ髪を引く その八

――――自分のケツに火の付く瞬間が、ハッキリとわかった。

 

(あか)い悪魔の言葉を口火に、少年は自分が犯した()()誤魔化(ごまか)すように、ありったけの『炎』を悪魔に叩き付けた。

ところが、二匹の(しもべ)が悪魔の「盾」となっていとも容易(たやす)くこれを(ふせ)いでしまう。それがまた、少年の身体(からだ)を熱くさせた。

押し切ろうと止めどなく『炎』を叩き込むが、それでも「盾」はビクともしない。

『炎』がダメなら……

『エルク、ダメ!』

腰の剣に手をかけた少年が身を沈めると、狼が彼の行く手を(さえぎ)った。彼の腕を(つか)む少女の瞳が少年の心に()い願った。

 

少女はプロディアスの炎を見ていた。

銀の魚と首のない女神、そして暴走する少年の姿。

「……もう、あんな想いはしたくないの。」

()せられ、()()す少年を掴み(そこ)ねた瞬間、少女は彼との死別(しべつ)さえも覚悟した。

「お願いだから、落ち着いて。」

あれ以来、少女は神に祈ることを止めた。

あの時、少年は少女に「見捨てない」と(ちか)った。少女にはそれが全てに感じられた。

「……悪い。」

 

けれど、少女には分かっていた。出会った当初、初めて彼の『炎』に触れた時、()ぜる『炎』は燃やすモノを選ばなかった。近寄るものを(こば)んだ。

少年の目は、少女を見ていない。彼はずっと、ずっと『炎』を見続けている。今も、昔も。

嵐に(さら)われないように、闇に()まれないように。

 

「素晴らしいっ。」

スタンディングオベーションさながら、紅い悪魔は満足げに二人へ()しみない賛辞(さんじ)を送った。

悪魔の手を叩く音は講堂に響き、少年たちを取り囲む。

(おだ)てるように。(はや)()てるように。

「……バカにしてんのか?」

「フン、ワシの言葉をどう(とら)えようとお前の勝手だが、そんな確執(かくしつ)さえバカバカしく思えるほどワシは今、まったく久しい感動を覚えておるのよ。」

「……」

「人の心を(もてあそ)ぶ魔女を、『首輪』もなしにこうも真摯(しんし)に受け入れられるのは世界広しといえどお前くらいのものよ、エルク。キサマはどうしようもなく軟弱(なんじゃく)なガキだが、どうして中々、魔女とは違った”魅力”を持っているらしい。『魔女』をこんなにも饒舌(じょうぜつ)にさせるのだからな。」

悪魔は心の底から喜んでいた。子どもたちの()()()

「ともすれば、これが本当の”純愛(じゅんあい)”と呼ぶのかもしれんな。そう思えばこそ、この感動を(きん)()ないのだよ。」

少女は少年の手を放さなかった。放せば今度こそ二度と会えなくなる。少女は少年の燃えるような(いきどお)りを(おさ)え、(なだ)め続けた。

 

それでも、悪魔の賛美(さんび)は子どもたちを揶揄(からか)うかのように続いた。

「この『壁』を突破したこともまた、流石(さすが)と言うべきだな。そこいらの有象無象(うぞうむぞう)とは『力』の(かく)が違うということだ。」

スーツの(そで)()がしたことを(のぞ)けば「盾」は二人とも無傷。悪魔に(いた)っては『()()』すら届いていない。

「あの人たちが、私たちの『力』を(おさ)()んでるの。」

少年の疑問に少女が悪魔の後ろに(ひか)える十余人(じゅうよにん)(しもべ)たちを指して言った。

 

 

――――その瞬間、

焦点(しょうてん)を悪魔の奥へと合わせたその瞬間、視界の(はし)に狼の青い(たてがみ)が映ったような気がした。目で追うと、鬣の(かげ)にギラリと光る牙が見えた。

狼の動きは素早く、俺の目が見極(みきわ)めるよりも先に、ソレは俺の(ふところ)に突っ込んできた。

……だけど、それが本物の狼でないことは初めから分かっていた。

 

「……ほう。」

悪魔もまたこうなることを予見(よけん)していたらしい。それでも終始―――俺たちを試すように―――、傍観(ぼうかん)を決め込んでいた。

襲ってきた得物(えもの)を打ち払い()()せると、ソレは(せき)を切ったかのように(わめ)き始める。

「死ねぇぇぇ!!死ねぇぇぇぇっ!!!」

経験してきた苦痛の数だけ修羅場(しゅらば)(くぐ)ってきたのかもしれない。得物を持った突進の姿勢には無駄がなく、狙うタイミングも申し分なかった。

だけど、俺だって色んな荒事(あらごと)を相手に5年間、()()()()()()()()()()()()()()()。例えそれが完全な不意打ちであったとしても、俺が彼女の牙で命を落とすようなことはなかっただろう。

「クソォッ、クソォォォオオオ!!」

ナイフを(かわ)され、(おさ)え込まれた彼女はまさに獣のようにデタラメに暴れた。

(にら)む瞳は充血(じゅうけつ)し、()える牙は血に(まみ)れ、(いく)つもの(しわ)(ゆが)んだ顔は吸血鬼のようにさえも映った。

 

どうしてだかは知らない。それでもあの悪魔は彼女が憎くて憎くて仕方がなかったらしい。

積りに積もった不満を晴らすように、悪魔は同類の苦悶(くもん)()き込むように笑い始める。

「ハハハッ、幾万(いくまん)幾億(いくおく)あろうとキサマの命にはゴミのような値打ちしかないということよ。出来損(できそこ)ないの弟と同じようにな。」

「アアァァ!アアアァァッ、アアァァァァッッッ!!」

もはや言葉にすることも叶わず、彼女は(のど)()()かんばかりに叫び散らすばかり。

最愛の名を口にしたいだけなのに。彼と幸せに()らしたいだけなのに。

声にならない叫びが彼に届くことはなく、その瞳からは宝石のような涙が次から次へと(あふ)()した。

 

――――歌は彼女を護らなかった。無限の命はたった一つの愛すら護ってはくれなかった。

 

――――今はただ、この世界の理不尽(りふじん)を憎み、音階のない怨歌(えんか)観衆(かんしゅう)に聞かせることしか。

 

何者も、彼女を楽にしてやることはできない。

涙や血、汗や(よだれ)で顔をグシャグシャにし、(かたき)に首を()められ、ドブネズミのように(みにく)く眠らせることしか。

 

 

大人しくなったネズミを放し、少年は少女の手を借りて静かに立ち上がる。

なおも咳き込む悪魔が、共感を求めるように少年の名を呼ぶ。

「どうだ、エルクよ。この世界がどういうものか少しは理解できたんじゃないのか?」

 

バァンッッ!!

 

悪魔の呼び掛けと同時に「盾」の首が(ちゅう)を舞った。

「……クククッ」

 

バァンッッ!!

 

バァンッッ!!

 

バァンッッ!!

 

(しもべ)の首が、少年の『炎』によって問答無用に、まるでビックリ箱のピエロのように天高く舞い上がる。

「ハハハハッ……!そうよ、エルク。それがキサマの本当の姿よ!」

「ガルアーノ……。」

そこには女と同じ顔があった。

猟奇的(りょうきてき)な沼を泳ぎ続け、それでも手の届かない幸せに憤るドブネズミの顔が。

「だが、まだよ!もっとだ。キサマならもっと(みにく)くなれるはずだ!」

『黙りなさい!!』

少年の体を支える金髪の魔女は(たま)らず紅い悪魔に『命令する』。……がしかし、悪魔がそれに耳を貸す様子はない。

「ところで、さっきキサマが燃やしたあのゴミ。ジーンはな、正真正銘(しょうしんしょうめい)キサマの友人よ。」

『聞こえないの?黙りなさい!!』

『…黙るのはお前の方よ。』

「……え?」

少女は初めての経験をした。他人の言葉を『聞き』、『(こた)える』ことはあっても、『話しかけてくる』ものは今までに一人としていなかった。

 

「どうしてもキサマに()()()()と言いうのでな。仕方なくキサマに見合うよう手術してやったが――――、」

「どうして……?」

少女は困惑し、悪魔の『(ささや)き』を許してしまう。

「無理が(たた)ってな。醜悪(しゅうあく)なゲテモノになってしまいおった。」

『……アイツが、俺のせいで?』

『いやだ。それ以上、エルクに聞かせないで!』

震える少年の『声』が、少女の困惑に拍車(はくしゃ)をかける。

「それでもなお、キサマに会いたいと言い張りおる。健気(けなげ)じゃないか。」

『…ジーン……』

最後まで、思い出されることもなく炭となった男は、悪魔に命も運命も差し出し、殺人鬼になってまで少年との再会を望んだ。

思い出してやることのできない少年には、そこまで追い詰めた彼の心境(しんきょう)が理解できない。

ただ、自分が「悪」であることは理解できた。自分の『悪夢』が他人の『悪夢』を生んでいることに気が付いた。

 

そして今、悪魔に(ついば)まれる少年が、少女にとっての新たな『悪夢』になろうとしていた。

「お願い、黙って!!」

悪魔は背徳(はいとく)の味を知っていた。赤い赤い果実に(かじ)()くように、その瑞々(みずみず)しい(うった)えを耳に染み渡らせる(よろこ)びに、笑みを(こぼ)さずにはいられなかった。

「キサマはそんな男を殺したのさ。」

「やめてよ!!」

少年は、悪魔の『言葉』に酩酊(めいてい)する。

善と『悪』が混ざり合い、『過去』と現在(いま)が溶け合っていく。目に見える全てが赤く、(あか)く染まっていく。

「ゴミはよく燃えただろう?……なあ、()()()()()()()()()()。」

 

パァァンッッ!!

 

少年に、『化身(けしん)』が()りる。独善(どくぜん)不条理(ふじょうり)にだけ許された『力』が。

剣を持つ必要はない。手足を動かす必要さえ。『力』は、願えば全てを焼き尽くすことができた。

より甲高(かんだか)断末魔(だんまつま)(したが)え、『炎』は悪魔の目の前で幾度(いくど)となく(またた)いた。

首の飛んだ(しもべ)たちがやにわに立ち上がったかと思えば、『炎』に抱かれ、飛散(ひさん)し、炭クズへと変えられた。

「ワッハッハッハッ!!どうよ、リーザ。これでもお前はその『炎』を手懐(たなず)けられるか?」

言われるでもなく、『魔女』は少年に呼び掛けた。

『エルク、お願い。私の所に帰ってきて。』

だが、少年からの応答はない。それどころか、彼がみるみる間に遠ざかっていくように感じられた。

『エルク、エルク……、エルク……、』

手の届かない距離に、少女の声が(うわ)ずっていく。

 

悪魔は床に転がった赤のボトルを拾い、(あわ)れな『魔女』を挑発する角笛(ホーン)のように豪快(ごうかい)(あお)る。

(したた)る赤もまた、二人の結末を暗示(あんじ)させた。

「お前の弱点はそこだ。心を許した者にはその力を十二分に発揮(はっき)できん。なんとも半端(はんぱ)な女よ。引き替え、ワシの”言葉”は万人(ばんにん)に届く。今、それを証明してやろう。」

悪魔の(つむ)(ことば)は少年を誘惑(ゆうわく)し、少女から奪っていく。

「”ミリル”という魔法の言葉を使ってな。」

()()まされた悪魔の瞳が、少女に「永遠の別れ」を(うた)う。

 

それが少女の逆鱗(げきりん)に触れた。

 

刹那(せつな)、少女の(わき)稲妻(いなずま)が走る。

熊のように(ふく)()がった狼が、残った(にんぎょう)たちを蹴散(けち)らし一直線に紅い悪魔へと襲いかかる。

しかし、狼の牙は悪魔の喉元(のどもと)にまで届くことはなく、(またた)()に、たった一本の酒瓶(さかびん)()()せられてしまう。

その俊敏(しゅんびん)さが(わざわ)いし、頭蓋(ずがい)に振り下ろされた鈍器(どんき)(いかずち)となって狼の脳を大きく()らし、麻痺(まひ)させてしまった。

「パンディットっ!!」

二匹の鮮烈(せんれつ)な攻防が、伏せる友人の姿が、少女の激情を吹き飛ばした。

「たかが狼一匹でワシをどうにかできると思ったか?『力』さえあれば何もかも上手(うま)くいくと思っているようじゃあ、どこぞの猿となんら変わらんな。……!?」

 

パァァンッッ!!

 

少女との()り取りの最中(さなか)、悪魔は空気の変調を感じて即座(そくざ)()退(すさ)る。

しかし、さしもの紅い悪魔も『(けしん)』の(あぎと)から(のが)れ切ることはできなかった。咢は悪魔の耳を食い千切(ちぎ)り、顔の左半分を焼け(ただ)らせた。

予想していなかった訳ではない。覚悟もしていた。

それでも(けず)られた顔の痛みすら忘れ、放心する。

ただただ()()()()()()()()()()()姿()見惚(みと)れてしまっていた。

 

――――その間隙(かんげき)

何処(どこ)からともなく(まぎ)()んできた風切り音が、悪魔の側頭(そくとう)(つらぬ)いた。正確に、確実に。

一発、二発、三発……。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

崩れゆく中、()()()」は満足げに笑っていた。

 

――――俺は誰でもない、俺は強者に付き従う「影」……

 

紅い「影」は幾度となく自分に言い聞かせてきた。

たった一つの「未来」を手繰(たぐ)り寄せるために。そのためだけに多くを学び、多くを捨て、()()びてきた。

世界を()(すべ)を手に入れるために数十人の血を()()み、他人を(あやつ)る術を身に付けるために数百人の血を(すす)った。

それでも「影」は自身の色を持たず、「影」の色であり続けた。

そうして彼は一つの「影」として一匹の悪魔に見初(みそ)められる。

 

それ以来、「影」は()()()()」に染まり続けた。

血は十から千に、百から万に(のぼ)った。「影」はより「(あか)」に近付き、「紅」はより「影」を(そば)に置くことを許した。

紅い悪魔の貪欲(どんよく)さが「影」に火の粉を(かぶ)せることは何度もあった。

それでも(ひる)むことなく彼は悪魔の「影」であり続けた。

彼は自分の命に執着(しゅうちゃく)しない。

彼が唯一(ゆいいつ)欲したのは「紅」を塗り(つぶ)す色。「王」たちの染めた世界を(くつがえ)す『勇者(ちから)』。

 

そして彼は今日、(つい)にそれを手にする。文字通り、その命と引き換えに。

 

――――オマエの玩具(オモチャ)は確かに受け取ったよ

 

()(ぎわ)でさえ、彼は紅い「影」として悪魔の囁きをその耳に呼び込んだ。

(まばゆ)く燃える『炎』を見詰(みつ)め、不敵(ふてき)な笑みを浮かべ、彼は最後のエサを『炎』に()べる。

「…ミリアは……、白い、家に…い…………」

少年の『影』に突き付けられた機関銃(マシンガン)が火を吹き、彼の仕掛けはピリオドを打つ。

 

しかし、十分に育った『炎』は確かに彼の影を背負っていた。

彼の望んだ第二幕が今、始まろうとしていた。




※口火(くちび)
物事、出来事の起こる切っ掛け、原因、要因。

※『壁』
前回の話で説明したかもしれませんが、原作でいう「サイレント(相手の魔法を封じる魔法)」のことです。

※怨歌(えんか)
呪いの言葉でつづった歌。
僕の造語……かと思いきや、「演歌」をそう表記することもあるらしいですね。

ちなみに、
社会風刺を歌ったもの……「演歌」(「演説を歌う」からきているらしいですよ)
男女の色恋を歌ったもの……「艶歌」
恨みつらみを歌ったもの……「怨歌」

※咢(あぎと)
あご。

※ジーン・カシュモア(14)
恒例のジーンの裏設定です。「カシュモア」は僕が付けました。
原作でのいたずらっ子な一面(エルクとミリルをからかうシーンより)、エルクよりも内向的な印象(ラクガキをしているシーンより)からエルクよりも年下にしました。
○能力
原作で明記はされていませんが、魔法で「ウィンドスラッシャー」や「トルネード」が扱えるあたり、さしずめ「風使い」といったところでしょうか。
本編でも書いているように、彼はどちらかというと失敗作。能力の発動が不規則で、感情に大きく左右されるところがあります。
(本作の8話「悪夢たちは彼の後ろ髪を引く その一」で遠距離から車を真っ二つにした時が彼の最高潮だったかもしれません)
ただし改造の結果、体力だけは大きく向上したため、さらに本人の希望により、腕に巨大な刃物を取り付けることになります。

ネットでチョロチョロっと調べてみましたが、「風で物を切る」というのはどうもできないっぽいです。「衝撃波」のような作用は生まれるものの、研ぎ澄ました空気が物を「切る」前にそこにある別の空気が邪魔ですぐにバラバラになってしまうらしいです。(そもそも、研ぎ澄ました空気って何?(笑))
真空がどうやらとか、カマイタチがどうだとかありましたが、どれもハッキリしません。
ただし、これは()()()()()()なので、その辺は一切無視させてもらいます!!(笑)

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