少年の槍に貫かれ炭となった『悪夢』が涙を浮かべ、息絶えていた。
「エルク……」
ズタズタに切り刻まれた講堂と、幾つもの死体の中心に佇む少年と少女は歩み寄り、互いを引き寄せるように抱き合う。
再会を果たした兄弟のように。長年連れ添った老夫婦のように。
二人は、抱き合うことで一人の『人間』である安心感を共有していた。
「……帰ろう。」
少女の温もりが悪夢見る少年の目を覚まし、少年の一言が無数の囁きに狂う少女の耳に穏やかな静寂を与えた。
それでも、大人たちは少年と少女を逃がさない。
まるでそれが育児だとでも言うように。
「……!?」
何処からともなく投げ込まれた一本のナイフが、壊れた長テーブルに突き刺さる。
持ち手には「12」と刻まれていた。
そのナイフが目に留まった瞬間、少年は獣のように、反射的に神経を研ぎ澄ませた。目を光らせ、耳を欹てる。
そんな自分に気付いた時、少年は根っからの荒くれ者である自分にウンザリする。そうならざる負えない状況をつくった大人たちにも。
「……シュウ、来てたのか?」
少年はそのナイフに見覚えがあった。その意味も。
「うん。」
持ち主の代わりに答えたのは、彼の『声』が聞こえているであろう少女。
「いつから?」
「お屋敷に入る前から。」
ってことはシュウは予めこの屋敷に目星を付けてたわけだ。もしくは昨夜の俺たちの遣り取りをどこかで聞いていたのかもしれない。
そして、密かに俺たちの後方支援をしていたわけだ。文字通り、誰に覚られることもなく。
「……」
「警告」のあった方角を見遣るが、それらしい仕掛けや人影は見当たらない。
けれど、わざわざ「警告」してくるくらいだ。無視して切り抜けられるような相手じゃないことは分かっている。
敵を探しつつ、「利用できるもの」や「注意すべきもの」の再確認も忘れない。
俺たちの前に現れたのは「警告」だけで、シュウ本人は未だに身を隠したまま。
「警告」は敵の位置を教えてはいるが、「接触した」とは言っていない。
それはつまり、これもまた俺が片を付けるべき案件なんだ。
この視線の先にはまた、『悪夢』が大口を開けて待っているんだ。
その執拗さに、重ねて倦怠感を覚えてしまう。
ところが、難敵を覚悟しようという俺の前に、出来事は全く予想外の顔を見せ始める。
「……ウソ…」
背後に立つ彼女が小さな悲鳴を上げた。
「……おい、何の冗談だよ。」
促されて振り返ると、そこには乱れた前髪を掻き上げる青髪の女が立っていた。
「どうなってんだよ。」
女は何事もなかったかのように涼しい顔で辺りを見渡すと、何を語るでもなく血の海へと進み、
「……チッ」
眉間に深い皺を彫り、頭らしき塊を思いきり蹴り飛ばした。
……目の前で見ていたんだ。頭を撃ち抜かれたのは間違いない。血が噴き出る瞬間も。
それなのに……、ピンピンしてやがる。
『反魂』や『蘇生』の術ってのがあるのは知っている。けれどこれは何か…、根本的に違う。
「甦った」、「ゾンビーになった」っていうよりも「何事もなかった」って言った方が余程シックリくるくらいに。
そもそも、この場にそんな真似のできる術者はいない。
この女は独力で生き返ったんだ。
「エルク。アンタ、そんなことを気にしてる場合かい?」
「どういう……」
確かに。一瞬、想定外の出来事に気を奪われたが、ナイフにこの女の「警告」はなかった。
もっと注意すべき何かがいるんだ。この女の他に――――、
「全く、ゴミはどう工夫を凝らしたところでゴミ以外の何ものでもないということか。」
何処からともなく、悪意をジックリと発酵させたようなドス黒い男の声が響き渡り、講堂の空気を一変させる。
「エルク、あそこ……」
いち早く声の主を嗅ぎ当てた彼女が指さしたのは「警告」のあった講堂最奥部。番人のように佇む重厚な本棚が、主人の命を受け、重々しく動いていた。
「……ガルアーノ。」
番人が腰を上げ、現れた隠し部屋から姿を見せたのは、この国の「黒幕」を欲しいままにする男。
そこかしこに自慢の『悪夢』を撒き散らす、葉巻を咥えた悪魔。
「式典以来だな、エルク。」
ガルアーノ・ボリス・クライチェック。
アルディアの首都プロディアスの市長でありながら、国のマフィア全てを操る総大将。そして―――あくまで「噂」の域を出ないが―――、ロマリア四将軍の一人。
だが……、なるほど確かに。
直に見る男の背後から漂う気配には、死を耕す底無し沼の主であるかのような妖しいまでの貪欲さが感じられた。
「どうした。なぜ黙り込んでいる。」
「……まさか、元締め自ら出てきてくれるとは思ってなかったからな。」
「なに、お前たちがあまりにも駄々をこねるからな。ワシ自ら躾けをしてやるしかあるまい?」
「テメエが俺たちを躾ける?反吐が出るな。」
ワインレッドの男は肺一杯に溜めた煙をユックリ、ユックリと吐き出す。
「その反吐で町を汚さないようにするために私がいるのだよ。」
「……」
思わず、腰に差した剣に手を伸ばしてしまう。
「どうした、力で訴えるか?私はそれでも構わんがね。」
沼の主は、自ら動かず俺が足を踏み入れるのを待ち構えていた。
まんまとその誘いに乗ってしまったが最後、奴が仕掛けた何かに俺たちは溺れ、喰われてしまう光景が目に浮かんだ。
だが、何とかできない相手でもない。シュウもいる。
けれども今はまだ、そのタイミングじゃない。
それに、放っておくには危険すぎる疑問があった。
「その前に説明しやがれ。」
俺は、「無関係」と言わんばかりの視線をくれる青髪の女を指して言った。
「コイツは、何で生きてるんだ。」
「……見て分からんか?」
全てを知る者の余裕と、全てを従える者の余裕が無知でちっぽけな俺を嘲る。
「不死者だよ。天然で完全な。」
「不死者……完全な?」
そんなもの、いるはずがない。
条件を満たせば甦る化け物は確かにいる。だが逆に、条件を満たせばその存在を消す手段が必ずある。例外はない。
ゾンビーや骸の傭兵、幽霊ですら。
それなのに、ただの人間が。それも、こんな一般人みたいな――――
「理解できんか?ならばもっと分かりやすく説明してやろう。」
ガルアーノは、徐に部下から銃を受け取るとそれを青髪の女に向けた。
そして、女はそれを避けなかった。
ドンッ、ドンッ、ドンッ、ドンッ
ワインレッドの男は弾倉が尽きるまで引き金をひくことを止めなかなかった。
今度こそ、鉛玉は女の額を射抜き、目を抉り、顎を砕き、耳を弾き飛ばした。
頭部は潰れたトマトのように変わり果て、女は泥人形のように崩れ落ちる。
がなり立てる銃声と食い散らかされる肉塊の画に耐えられず、リーザは俺の背中に顔を埋め、両手で耳を覆った。
「なに、やってんだよ。」
撃ち尽くした銃が、カチン、カチンと金属音を鳴らすだけのガラクタに変わると、男は忌々しげに血塗れの女を見下ろした。
「何を?もちろん、疑心暗鬼なお前に一つ学ばせてやろうというのではないか。世界中で”不可能”と囁かれるものの全てが、覆すことのできる”壁”にすぎんことを。」
ガルアーノは朗々と語る。躾けるための「お伽噺」を子どもに聞かせるように。
「お前にどれだけの”不死”の知識があるか知らんが、この女の『力』はその全てを凌駕している。」
語り部はやがて演説台に立つ為政者に変わり、「お伽噺」はよりいっそう熱弁される。ともすれば、「死臭」の充満する檀上に興奮しているようにさえ見えた。
「完全だ。それこそ目を疑いたくなるほどにな。」
男の真に迫った言葉が、「お伽噺」を「真実」へ羽化させようとしていた。
それと同時に、俺はこの悪魔の胡散臭さを嗅ぎ分けられた気がした。
妖しい気配に惑わされる人間は悪魔の「噂」に振り回され、この臭いに気付いていないに違いない。
脂切った目と肥えた体。傍若無人な振る舞いは、絵に描いた権力者の姿そのものだが、これは「演技」だ。
周囲を威嚇するような悪趣味なワインレッドのスーツや、その卑しい言動のほとんどが「演技」なんだ。
世界の「壁」を全て打ち砕くこと。それが、この男の本当の狙い。掻き集めた権力も、異能者狩りもその布石でしかない。
……そんな臭いがした。気のせいかもしれない。だけど、今の躾けが「演技」だってことだけは間違いない。じゃなきゃ、こんなまどろっこしい遣り方は、コイツに損を生むだけじゃないか。
けれども、「演技」「演技」と油断をすればそれは忽ち「真実」と名を変えて俺たちを嬲り殺しにすることも分かっている。
この場において、「嘘」も「真実」も何もかもがこの男の味方をしている。そう思えた。
――――その口から零れ出た煙全ては牙であり、いついつでも俺たちの心臓を食い破るかもしれない。
――――「影」が、「影」となって俺たちを青髪と同じ姿に変えるかもしれない。
――――今までの全てが、俺を欺く『悪夢』の続きなのかもしれない。
底知れない度胸と才覚を秘めたこの男の風采が俺の『悪夢』を浮き彫りにし、不安と恐怖で俺の脳を狂わせる。
……何のことはない。結局は俺もこの男の真実には辿り着けていないんだ。
こんな人間の前に立たされたなら、俺みたいな「賞金稼ぎ」は家畜小屋の「ブタ」か「ニワトリ」程度の価値しかないように思わせられる。
ただただこの男が建てた小屋の中で、屠殺の理由をあれこれと無駄な妄想を広げるだけの平和ボケした獣でしか。
そう思うからこそ、この男の執拗な嫌がらせが疑問でならない。
「黙って聞いてりゃあ。そんなスゲェ『力』が本当にあるってんなら、何だって俺たちを追い回す必要があるってんだ。」
どんなに強い『力』を持っていたって、「死」に勝る『力』はない。
死なない兵士?死なない刺客?そんなゲームの基本設定を無視したユニットほど質の悪いものはない。
そして、頭の潰れた女が目の前で起き上がることほど身の毛がよだつ光景もない。
「今さらワシが死なない程度の『力』を欲しがると思うか?」
将軍、市長、ファーザー……、「不死」を補って余りある「数」の力を持っている。言われてみればその通りなのかもしれない。でもその一方では、それだけの力を求めてきた男の矛盾も覚えた。
「ニワトリを捕まえるのにドラゴンを使うようなミスキャストをしてる時点でテメエの話は信じられねえって言ってんだよ。」
すると男は市長という公的な肩書きを完全に脱ぎ捨て、ファーザーらしい笑い声と共に優しく俺を揶揄する。
「クハハハッ……、傑作だな。この女がお前の目には”ドラゴン”に映ったか。だとすればお前はまだニワトリにすらなれてないということよ。」
「話を混ぜっ返すんじゃねえよ。」
「ならば聞くがね、これまで多くの部下を無駄に死なせてきたワシが、たかがドブネズミ一匹を使うのにあれこれと頭を悩ませるほど勤勉な人間に見えるかね?」
絶大な三つの称号に加え、異能の『力』を手に入れんと世界に煙を撒き散らす悪魔のような男。
そういう人間を指して「勤勉」だとか「怠惰」だとかいう言葉ではもはや、正確にその人物像を書き起こすことなんてできやしない。
ヤツらは、「勤勉」が宇宙のように膨張し、「怠惰」が突然変異を起こしたようなものなんだ。
それでも、この一言だけは間違いなくその性格を言い当てている。
「少なくとも、テメエ以上に"意地汚えヤツ"は見たことがねえぜ。」
誉めたつもりも、貶したつもりもない。それがむしろ、この男の不満を買ってしまったらしい。
男はこれまでにない量の煙を吐き出し、底冷えのするような低い声で俺を脅し始めた。
「”意地汚い”だと?そんなチープな言葉でワシの何を語ろうというのか知らんが、ワシは全てを奪うぞ。例えそれにキサマの名が、どれだけ深く刻まれていようとな。」
下卑た歯を剥き出しにし、一言ひとことをタイピングでもするように明確に発音する。
「……自信過剰も大概にしねえとその内、痛い目見るぜ。」
俺の、この細やかな反発が、この男の力にどれだけ対抗できるか分からない。それでも、それと分かっていて大人しく「話の中の登場人物」でいるほど、俺は行儀のイイ人間じゃない。
「そうだな。むしろそうであって欲しいと願うばかりよ。ドラゴンの首を落とす戦士。魔王を討つ勇者。大歓迎だ。ハッピーエンドを夢見る人間の、首を捥いだ瞬間の断末魔を聞いたことがあるか?あれほど胸躍らせる娯楽はこの世に二つとあるまい。その為だと言うのならワシは将軍でも市長にでもなるというものよ。」
また、嘘を吐いている。
今、コイツがどんな「壁」を破ろうとしているのかまでは分からないが、「殺し」が二の次だってことは分かる。どんな痛手も恐れていないということも。
その猛々しさと真摯なまでの想いはまるで、コイツ自身がある種の「勇者」か何かであるかのようにも感じさせた。
「それに、言っただろう。ワシはお前たちを躾けに来たとな。……こんなゴミを傍に置いてまで。」
投げ捨てられた葉巻は潰れたトマトの上に落ち、その顔を少し焼いた。
何が切っ掛けだったのか分からない。
だが「不死者」と命名されたトマトが、その通りの兆候を見せ始めたのは紛れもない「事実」になった。
辺りに飛散した血が、トマトを目指し泳ぎ始めた。鉛玉に焼かれ、破かれた皮が、アメーバのようにその手足を伸ばし始めた。
「……この女を見つけた時、ワシはまず何をしたと思う?」
そんな『奇跡』を、男はまたしても憎らしげに見下ろしている。
「ひたすらに遊んだよ。首を引きちぎり、脳髄を絞り出した。全身を火で炙り、薬液で溶かした。……クククッ、フードプロセッサーにかけたこともあったな。」
男は絶対的支配者の立ち位置にいながら、顔には笑みを浮かべながらもそれはまるで、勝てないゲームを強要される敗者であるかのように、声色には憎悪が宿っていた。
「それでもこの女は死なんのだよ。初めこそ笑いが止まらなかったが、次第にひどく空虚なものに引き摺り回されている不快感を覚えるようになった。」
以前、リーザが青髪の心を覗き見て「恐ろしい」と言ったことを思い出した。
女の『特質』を知らないその時の俺は「酷い拷問を受けた」程度の、漠然とした光景しか描けなかった。だからこそ俺は女に同情的な気持ちをもつことができなかったんだ。
でも、今は違う。
燃え続ける痛み。溺れ続ける苦しみ。血や涙をいくら流したところで一筋の救いさえ現れることはない。血や涙を流し尽くすことさえ許されない。
ひたすらに悲鳴を上げ、ひたすらに復活するその命を憎まなきゃならない。
女は俺に「余裕」を見せつけていたんじゃない。それ以上の苦痛を「知らなかった」んだ。
炎や針、電気を浴びながら歌い、踊る日々は「恐ろしい」という言葉を食い破り、正真正銘の『地獄絵図』として、描いた俺の胸さえもチリチリと焦がした。
この世に二つとない大作を生み出しながら、この男は満足どころかそれを「ゴミ」と呼んでいる。俺には男の全てが理解できなかった。
それでも男は俺を物語の中に引き込み続ける。執拗に「戦士」へと仕立て上げようとする。
「そんな折だ。溶解液の中を泳ぐこの女が一度だけ弟の名を叫んでいることを思い出したのさ。」
必死に隠し通していたのかもしれない。コイツらの生け贄にさせないために。例え、自分の何もかもを呪ったとしても。
それでも、毎日のように押し寄せてくる耐え難い「苦痛」と「恐怖」が、ふと見せた女の弱みを男の前に引き摺り出してしまったんだ。
「お前たちも名前くらいは知っているんじゃないか?」
「……」
嫌な予感がした。酷く、嫌な予感だ。
「アルフレッド。空を焼く『雷』と、夜を統べるコウモリを四羽も連れながら、たった二匹の子どもに打ち取られてしまうような無能な男だよ。」
「……」
知らず識らず、汗が噴き出していた。
脳裏には狼狽しながら命乞いをする男の顔が浮かんでいた。
それは彼女も同じらしい。ふと見遣る彼女の顔は茫然自失としていた。
俺たちの目の届かないところで、俺たちは『地獄絵図』の一匹として描かれていたんだ。
……それでも俺たちに弁解する必要なんか無い。
俺たちは俺たちの。アイツはアイツのやるべきことのために戦り合ったんだ。
犯罪者の都合なんかいちいち聞いちゃいられない。
なんだったら俺は死を待つしかなかった何百という人質を救ったんだ。そのためにはアイツが邪魔だったんだ。
褒められこそすれ、憎まれる筋合いはない。
それなのに――――、
魔法使いの「呪い」を解いたお姫様のように、潰れたトマトは歌姫へと姿を変えていた。
そして男はまた、鞭を持ち、俺をけしかける。
「どうした、顔色が悪いが大丈夫か?」
――――俺は、我を忘れていた。