聖櫃に抱かれた子どもたち   作:佐伯寿和2

91 / 235
悪夢たちは彼の後ろ髪を引く その六

――――それは、ギロチンのように真っ直ぐに俺の首を目掛けて振り下ろされた。

 

俺が男に冷や汗をかかされたのは、その一振りだけだ。

 

 

男はユラユラと幽鬼(ゆうき)のように俺に近付き昔話をしたかと思えば、高々と右腕を(かか)げ、()(はな)った。

「テメエの助けなんざ、もう必要ない。」

俺は振り下ろされる渾身(こんしん)の一撃を受けられなかった。

言葉を添えられたそれが、俺の「有罪」を不動にしている気がしたからだ。たとえ受けたとしても、燭台(しょくだい)の二の舞になるのは目に見えていた。

事実、ホームレスの右腕が振り下ろされると同時に、俺が(かわ)した先にある椅子(いす)や長テーブルが(すさ)まじい音を立て、見境(みさかい)なく両断された。

 

リーザやパンディットは当然のように男の一撃を回避(かいひ)していた。けれど、()けるだけで彼女たちからは戦う意思が感じられない。

おそらく『知っている』んだ。あの女が俺たちの邪魔をしていた理由を。

だからこそ迷っているんだ。この戦いに参加すべきかどうか。

 

ホームレスは俺よりも厄介(やっかい)なはずの彼女たちを少しも警戒しなかった。魚の目は俺だけを追い回している。

一目見て、彼女を()()()だと見抜いたのかもしれない。

「なかなか、素早(すばし)っこいじゃねえか。……5年前も、そうやってミリルを(おとり)にして自分だけ逃げたんだよな?」

分からない。思い出せない。それでも俺は、男の言葉に(いきどお)りを(おぼ)えずにはいられなかった。誤魔化(ごまか)さずにはいられなかった。

「ミリル、ミリルとうるせえ奴だぜ。そういうテメエも、その子を助けられなかった臆病者(チキン)なんだろうがよ。」

「……!?」

そうして(さそ)いに乗ってきた二撃目は(はる)かに(にぶ)かった。それでも反撃は考えず、できるだけその剣線から遠くへと逃げた。

すると俺の読み通り、今度は()けた先ではなく、振り下ろされた右腕を中心に『見えない刃』が辺りを滅茶苦茶に切り(きざ)んだ。

 

間隙(かんげき)はない。

(たけ)り狂った雄叫(おたけ)びと共に、男の右腕が休むことなく俺を襲う。俺はそれを避け続ける。

そうして様子を見た結果、どうやら男の『力』にそれ以上のレパートリーはないらしい。

「逃げ回るしか(のう)がねえのか?腰抜けがっ!」

太刀筋(たちすじ)をなぞって直線上に放たれる強烈な一閃(いっせん)か。振り下ろした右腕を中心に周囲をデタラメに切り刻むか。右腕を全く動かさず燭台を切った、文字通り『見えない刃』か。

言わずもがな、最後の『ソレ』が男の切り札に違いない。

それは右腕を使わない分、威力(いりょく)は低いのかもしれない。それでも前者二つで俺の目が慣れてきた時に使われれば、(すき)をつくってしまう可能性は大きい。

そうなれば次の右腕に喰われるのは(まぬが)れない。

 

考えている間にも、数億G(ゴッズ)は下らない(きら)びやかな講堂が廃屋(はいおく)同然のようにズタズタにされていく。

『力』の影響なのか。鈍い剣戟(けんげき)が続く。それでも『見えない刃』の分まで逃げ回るのは通常の一対一よりも体力と集中力をもっていかれる。

さらに、一撃一撃の『力』は一定時間残留(ざんりゅう)しているらしく、男が次の一撃を繰り出す間も残る『ソレ』が俺の逃げ場を制限した。

「なかなか熱いじゃねえか。だけどその程度じゃあ俺は燃やせねえぜ。」

何度か『炎』を使って応戦してはみたものの、男の『力』が邪魔をしているのか、上手く狙いをつけられない。威力も落ちて目眩(めくら)ましにもならない。

 

決定的な一撃を与えることもできず、防戦一方の時間が続いた。

「……テメエ、何を今さら(くすぶ)ってやがんだ。」

『力』の内容はともかく、コイツ自身の『力』は大したことない。男の言う通り、ゴリ押しすれば押しきることはできた。

「これじゃあ町で女を(さば)いてる方がよっぽど(たの)しかったってもんだ。なぁ?」

でも、何かが違う。

「……知ってるか?死ぬ直前に見せる女のグチャグチャに(ゆが)んだ顔と悲鳴ってのは男を最高にハイにさせてくれるんだぜ?」

……それでも、この見え見えの挑発が男の罠を誇張(こちょう)していて、最後の一歩が踏み出せない。

「バラバラになっていく女の血と肉。あの鉄臭(てつくさ)(にお)いとブヨブヨとした感触はマジで(たま)んねぇ。ベッドの上で泣かせるよりも何倍もイイんだ。」

耳につく(ノイズ)が、嫌でも俺に「その光景」を想像させる。

一人、二人、三人……。

無防備な彼女たちが男の右手で屠殺場(とさつじょう)の豚ように、(むご)たらしく解体されていく様を。

そして、ホームレスはその(けが)れた右腕で俺の背後を()し、手招(てまね)いた。

「金髪は特にイイ。見てるだけで金持ちになった気分になる。一度ヤッたら()()きになる。保証するぜ?」

「黙ってろ!」

分かってる。

ただの挑発だってことは。

俺がそうしたように、コイツも彼女をダシにして俺を苛立(いらだ)たせようとしているだけんなんだ。

分かっていても胸が(ざわ)つく。『悪夢』じゃない何かが――――。

「何なら俺が手伝ってやろうか?」

「!?」

――――どうしようもなく俺を()()てる。

「殺してやる!!」

「ヤッてみろ!!」

燭台が()ぜ、シャンデリアの雨が降る。

 

 

()(そそ)ぐシャンデリアの破片(はへん)がホームレスを襲う。

『見えない刃』がこれを打ち払い、炎の少年に飛び掛かる。

ところが、少年の研ぎ澄まされた感覚は難なく致命傷を()け、そのままの勢いでホームレスの右肩に真っ赤な矛先(ほこさき)を突き立てる。

振り下ろした右腕に重心を取られたホームレスは()(すべ)もなく少年の一撃を受けてしまう。

少年はホームレスを壁に()()けるつもりで両手に力を込めたが、意図(いと)(さと)ったホームレスは激痛を振り払い、(やり)()(つか)み、全身を使って少年を投げ飛ばしにかかる。

少年はその勢いを利用してホームレスの顔を()り上げる。

体勢を崩したホームレスに(たた)()けようとすると今度はホームレスが『見えない刃』を使って少年に反撃する。

(かす)かな風の変化を感じ取った少年は横に()ねる。

 

少年が自分の間合いから出たことを確認すると、ホームレスは()()さった槍を無造作(むぞうさ)に引き抜く。残された激痛はホームレスの中で快感に置き()えられ、彼をさらに、さらに欲情させる。

()(ただ)れたはずの右肩が『右腕』を加速させる。

「ゲハハハッ!これだ、これを待ってたんだよ。こうなる瞬間をな!夢にまで!」

「夢なら地獄で見な!このシャブ中野郎が!」

槍を失った少年は左手に片手剣、右手に投げナイフを持ち、ホームレスの『右腕』を躱しながら確実に間合いを()めていく。

しかし、あと一歩、というところまで詰め寄ると、落下するシャンデリアが少年を襲った。

一足飛(いっそくと)びで回避するが、その先ではホームレスの右腕が少年を待ち構えていた。

「……バッドエンドだ、エルク。」

少年は振り下ろされる右腕を剣と『炎』でいなし、()(ちが)いざま、燃えるナイフでホームレスの腹を()いた。

「グハッ!ゲホッ……クククッ……。」

内臓が傷つき吐血(とけつ)するも、男はなおも笑い続けた。

「どうだ、オモシレェだろ?気持ちイイだろ?……そうだ、そうなんだよ。そうでなきゃ困るんだよ。」

 

男に勝機(しょうき)などない。少年の『力』は『制限』を(やぶ)りつつあり、男の『ソレ』を飲み込みつつある。

一方、ホームレスの右肩は『力』を(ふる)うほどに、ホームレスの動きを(むしば)んでいく。

それでも男の右腕は嬉々(きき)として少年を襲い続ける。それはまるで、(たわむ)れる子どものように。

「いいぜ……、いいぜ。俺もテメエを殺してやるよ。」

………殺してどうなる?

男と同じ気持ちに()られながらも、少年はその行為に疑問を持ち始めていた。

この男はここで殺しておかなきゃまた、無関係の人間を殺すだろう。だけど、殺せばイイのか?それで解決することなのか?

問題の根幹(こんかん)がそこにないことを、その先にあることを少年は気付き始めていた。

「どこ見てやがる。テメエの相手はこっちだろうがよ!!」

だがそれはもう、遅過ぎた気付き。男の傷は深く、遅かれ早かれ男は死ぬ。少年が手を(くだ)そうと、下すまいと。

「……クソッ。」

男の『右腕』はその威力を(おとろ)えない。()きるロウソクのように、末期(まつご)の炎を赤く大きく少年に()せつける。

 

――――ここでアンタは死ぬんだよ

 

今なら歌姫の言葉を理解することができた。

この男では少年を殺すことなどできない。初めから。その(うつわ)じゃない。

「どうした、殺せ。殺せよ!俺はテメエの金髪をバラバラにするぜ?あの女に『俺』という化け物を植え付けてやる!」

「……クソッ!」

「エルクゥゥゥッ!!」

彼女は完全に不意を突かれていた。乱れた『心』が飼い犬を呼び戻せなかった。

「リーザッ!」

ギロチンが、少年と少女の『運命』を()()ろうと振り下ろされる。

 

 

 

――――しかし、『炎』がそれを許さなかった。

例え、男がこの世にたった一人しかいない何かであったとしても、彼女の笑顔には遠く(およ)ばなかった。

 

 

 

 

全ては一瞬。

()める、『夢』のように。

「……チ、クショウ」

スラムの物乞(ものご)いのように汚らしい『化け物』は、炭と()した『右腕』を見詰め、(くや)し涙を浮かべながらこの世を去る。

自分の弱さと、数奇(すうき)な運命の中で支え合った友人らを呪いながら――――

ゴミのように――――




※素早っこい(すばしっこい)=当て字です。正式な漢字表記はないみたいです。

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。