――――エルクコワラピュール
男が口にした奇妙な名前に覚えなんかない。
でも、コイツは何か知ってる。『キメラ化計画』でもなく、『リーザ』のことでもなく、他でもない『
コイツはいったい俺とどんな関係なんだ。俺は、コイツを知ってるのか?
「……誰だ、テメエ。」
「エルク、ダメ。その人は――――」
いつの間にか、リーザの側の黒服たちは
「……そんなことだろうと思ったぜ。『エルク』なんて名乗ってやがるから少しは
「おい、お前。俺のことを知ってるのか?」
男の
「5年間……。テメエにとっちゃあ、さぞ平和な5年間だったろうよ」
男はガサガサとノイズの走る通信機のような声で笑い出した。刃先が、男の右手が男の笑いに合わせてガリガリと床を
「だけど安心しな。俺は今でも仲間想いな人間だからよ。お前も俺たちと同じところに連れてってやるよ。」
男の声を聞いていると、こめかみを
「答えろ。テメエは
「……まったく、まだそんなところで
男はさらに笑い、俺に歩み寄る。
ガリガリ、ガリガリ
肩を震わせる
ジーン?仲間?……何も、思い出せない。
あの子を置き去りにしてなお、俺はまだあの『
「なあ、何とか言えよ。エルク。」
「久しぶりに二人で遊ぼうじゃねえか。なあ、エルクよぉ。」
「おいおい、俺一人に
そんなもの、見慣れているはずだった。今までに、
それなのに、俺の知らない過去を知っているというだけで。俺の知らない名前を知っているというだけで。
「……なあ知ってるか、エルク。孤独ってのは不死身の怪物なんだぜ?」
男の言葉に割り込む言葉が見つからない。突然、ライトを当てられた猫のように、ただただ男の
すると不意に、部屋の中の小物がひとりでに動き始めた。
「……ああ、エルクよ。なんだか
「エルク、
何か仕掛けてくる。そう思った瞬間、俺の
「グオッ!」
狼が、ホームレスに体当たりをして窓の外に放り出していた。完全に
……終わったのか?
ここは3階だ。頭から落ちればいくら化け物でも命はない。窓の下を
まだ、何も聞き出しちゃいない。でも、あれ以上
唐突に現れ、何も分からないまま去っていった俺の過去。
俺は自分でも理解できない溜め息を
俺はしばらく、無言のまま闇の広がる地上を
どれだけそうしていたか分からない。ただ、ここでこうしていればまた、俺の過去を誰かが教えに来るような気がして、そこから動けないでいた。
もしも本当に誰かが現れたとして、俺にはそれを聞き出す勇気なんてありはしないのに。
「エルク……」
今の俺は、彼女の呼び掛けにも
そのまま
おそらく騒ぎを聞き付けた近隣住人だろう。そう思い振り返ると、そこには壊れた扉にもたれ掛かる長身の女がいた。
「……おいおい、テメエ。よくもいけしゃあしゃあと俺たちの前に顔が出せたもんだな。」
ラピスラズリのように青い短髪。
たちまち、さっきの連中で消化することのできなかった闘争心が再燃し始めた。
「まったく……、アンタは相変わらずツマラナイ
「テメエ相手におべっか使う必要があるかよ。」
すると女は、
もはや、気が触れているとしか言いようがない。
「明日の正午までに、この店に来な。アタシが案内してやるよ。」
「案内?どこにだ。」
「ガルアーノの
「……えらく堂々と宣言したもんだな。それも命令の内か?」
実際、俺たちは目星こそつけていたが、100%の確証は持てないでいた。新聞屋の言う通り、それは俺なんかには
いいや、これもブラフだって可能性がないわけじゃない。俺たちを混乱させるには打ってつけのネタだ。利用しない手はない。
そんな俺の深読みを、女は
「
「それとお嬢ちゃん。」
そんな女がリーザに向き直ると、打って変わって不敵な笑みを浮かべ、幾分低い声色で
「この間は世話になったね。あの後、よくよくアンタの言葉を思い返してみたよ。」
それは、この女にとって本命の用件であるかのような重みのある……、ともすれば温かみさえ感じさせる声だった。
「アタシは他人の
「私も、シャンテさんの言う通りだった。自分がどんな『化け物』なのか、分かろうとしてなかった。」
「……お互い様ってことだ。」
女が歩み寄ろうとする一方で、彼女は自分でも抑えられない『化け物』の自分を否定し、他人を
「……もしかしたら、アンタとならもっと良い関係になれたかもしれないのに。だってのに、本当に、世の中ってのは
女はしばらく間、
女が立ち去ってしばらくの後、別の来客があった。
「エルク、キサマだったのか。てっきりシュウだと思っていたがな。」
リゼッティ・ローエン。インディゴスギルドの番人でもあるバスコフと並んでこの町の顔を張る警部だ。誰が相手でも物怖じしないその
「こんな時間までご苦労なことだな。」
どうやらこの
「問題を起こすのはキサマらの勝手だが、自分のケツを最後まで
「アンタらがいつまでもタラタラやってるからそういう面倒事がコッチに回ってくんだよ。人の揚げ足を取る
賞金稼ぎは言ってみれば民営組織で、しかも
だから、付き合いが長いほど憎まれ口を叩き合う仲になってしまうのは自然な
「まったくだな。こうやって足を引っ張ってくれるどっかのクソガキさえいなきゃ、こっちの
こうやって軽口を叩いている間にもリゼッティの部下は室内の調査を進めているし、シュウいわく、一見無駄に思えるこの
「なあ、俺も
このままいけば
だがそもそも、俺は頼む相手を間違えていた。
「俺の言葉が聞こえなかったのか?それとも、それが理解できないほどオツムが小せえのか?」
するとリゼッティまでもが、あの女のように俺をバカにした目で見始めた。
「『俺たちの足を引っ張ってくれるな』、この意味が分かるかな。坊ちゃん。」
「この
「ハハッ、目上に対する口の
「『目上』かどうかは俺が決めることだ。分かったらとっとと消えな。」
「……キサマにあのお嬢ちゃんが護れんのか?」
実りのない遣り取りが
「どうなんだ、小僧?」
この男はすでにこの
リゼッティは
「よく考えろよ。今は俺を泳がせといた方が便利だと思わねえのか?」
「思わねえな。ガキはいつだって大人に迷惑をかけるもんだ。」
「……あんまり
「俺がそれを許すとでも思ってんのか?」
「当然だろ?それに、アンタが消えてくれれば
一変、その皺一本、一本に鬼が
「俺が死ねば?バカ言ってんじゃねえ。この性格が俺やこの場にいる奴らだけで出来上がってると思ってんじゃねえぞ。俺たちはどんな目に
逆に俺は
「刑事さん。」
俺のリタイアを見届けた彼女は、そう言ってリゼッティに近付いた。
「お嬢ちゃんも、エルクの
「刑事さん、私たち、本当に困ってるんです。」
リーザは不自然に刑事に詰め寄った。
「……変な気は起こすなよ。ギルドの関係者だからこそ優しくしちゃいるが、邪魔すればそれがキリスト様じゃない限り誰だって変わりゃあしねえんだ。」
リゼッティは近付く彼女を手で
「……アナタがそんな人だから、アナタはあの人たちを助けられなかったんだわ。」
「……何の話だ。」
「アルウェンも、ホープも、本当にアナタの助けを必要としてた。それなのに、アナタはエルクの力にばかり気を取られてるから。だから彼女たちのサインを見逃しちゃったのよ。」
「……」
「よく話を聞いてさえいれば、二人を助けられたかもしれないのに。」
リーザは俺たちの過去を『覗いていた』。俺たちの大きな接点であり、俺たちの大き過ぎるミスを。
「それは、エルクから聞いたのか?」
「……いいえ。」
リゼッティはすでに彼女の『
「……俺はただ、犯罪の種になりそうなヤツからは目を離さねえ。油断しねえ。そう思っていただけだった。それが裏目に出たんだ。」
驚いたことに、俺にはそれが「
男は彼女の瞳を真っ直ぐに
「……お嬢ちゃんの連れは、金さえ積まれれば下水掃除でもしちまうようなクソ野郎だ。プライドやポリシーなんざ持ち合わせちゃあいねえ。」
「コノヤロウ……」
昔の話だ。それに、俺だって好き好んで下水掃除なんかしてた訳じゃない。生き残るためだったんだ。あんな事件の後だったから余計に、俺は仕事を選べなかっただけなんだ。それを……、
「それでもコイツを信用するってのか?」
「……私はエルクしか信じていません。」
「……そうかい。」
リゼッティは手をヒラヒラと振り、部下を
「俺は弱いヤツしか信用しねえ。お嬢ちゃんも覚えておいてくれよ。」
一人、二人……、そうして俺たちだけが残された部屋は
全員が引き揚げ、俺たちだけになったと分かると、
「エルク……、ごめんね。」
「何が?」
「あんな話、するつもりじゃなかった。でも……、」
「本当のことだし、それであの
それよりも気になることは他にあった。リーザが俺たちの過去を『語った』ってことは――――、
「ううん、別に『力』が強くなったわけじゃないと思うの。ただ、エルクと話してる時、あの人はずっとそのことを気にしてたみたいだったから。」
「アイツが?」
確かに、ああ見えて正義感の強いヤツだってことは知っていたけれど、それをどうしてあの時に思い出していたのかが分からない。するとリーザは、そんな
「
「……ああ、分かったよ。」
そう言われて初めて、俺も心のどこかであのオッサンを信頼していたように思えた。
「……悪かったよ。」
彼女の一言はいつだって
俺は彼女の言葉に当てられて、他にも俺の周りにそんな連中がいるのかどうかが気になり、その夜はあまり眠ることができなかった。
※ラピスラズリ
方ソーダ石という鉱物の種類の鉱物、青金石(ラズライト)を主成分としており、同じく方ソーダ石の藍方石、黝方石などを含んだ半貴石。
半貴石は「宝石」と称される鉱物の中で、総合的に価値の低いモノを指します。(硬度や希少性など)
ちなみに、和名は瑠璃(るり)もしくは天藍石(てんらんせき)と言います。
※リゼッティ・ローエン警部
「ローエン」は勝手に付けましたが、リゼッティ警部はゲームのメインストーリーにも出てくるちゃんとしたキャラクターです。渋カッコいいのに出番に恵まれない可哀そうな人です。
バスコフは前々回の話でチラッと出てきたインディゴスギルドの受付をするおじいちゃんのことです。
※競合(きょうごう)
競り合うこと。競争すること。
※手練手管(てれんてくだ)
人を思いのままに操り騙す方法や技術。
語源は、遊女が客をあの手この手で引き込むために用いた手段とも言われていますが、諸説あるみたいですし僕としてもしっくりくるものがありませんでした。
ちなみに、手練れ(てだれ)の武芸者が管槍(くだやり)という槍を用いて戦う姿だとか。同じく武芸者が見せる変幻自在な戦法を、まるで手の中に管狐(くだぎつね)を飼っているようだと語った語源もあったりなかったり。
管狐=筒の中に潜む小さなキツネ。様々な神通力を使うことができるキツネ。お稲荷さんや妖狐とは別。イタコ……、に近いのかな。
※「天に向かって
カッコいいセリフじゃん。とか自画自賛ながら、「天に向かって」「地面に頭を」……なんのこっちゃ(笑)
※警部と刑事
ふと気になって調べてみました。
警部=警察官という部隊組織における階級の一つ。
刑事=生活安全課や公安部組織犯罪対策課に属する捜査活動をする警察職員(捜査課)のこと。制服(いわゆる警察官コスチューム)の場合もありますが、私服(基本スーツ)での勤務が多いみたいです。
なので、場合によっては警部を「刑事」と呼んでも間違いではないみたいです。リーザがその辺を理解して言っているかというと、そうではありませんが(笑)
※キリスト様
ゴメンナサイ。前にも書いたかもしれませんが、ゲーム中での一般的な宗教が確認できないので分かりやすいように現実にある宗教を拝借させてもらっていました。一応、今のところこの方だけにお世話になろうと思っています。
※アルウェンとホープ
ゲーム中に出てくるギルドのお仕事の一つ「モンスターを殺してください」に出てくるキャラクターです。原作では依頼場所がプロディアスなのでリゼッティとは全く接点がありませんが、今回のシチュエーションを活かすためにも彼女たちにはインディゴスに引っ越してもらい、そして仕事は「失敗」という形にさせてもらいました。
簡単に紹介しますと、
ある時、アルウェンはキメラ研究所から逃げ出した女の人(ホープ)を拾います。ホープはまだ完全にキメラ化してはおらず、二人で平和な時を過ごしていましたが、徐々にキメラ化は進行していき、遂には恩人であるアルウェンまでも襲うようになるのです。
自分では現状を解決できないと判断した彼女は、自我を保っていられる内に「
成功例→ヤゴス島のヴィルマーから特効薬を受け取り、アルウェンを手に掛けてしまう前に二人を救い出します。
失敗例→特効薬を届ける前にホープがキメラ化してしまい、アルウェンを殺してしまう。その後、彼女が助かるか、警察の手で射殺されるかでまた分岐します。
本作で過去にエルクが仕事で大きなミスをしてしまうという話を書きましたが、それがこの事件だということにしようと思います。