聖櫃に抱かれた子どもたち   作:佐伯寿和2

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孤島に眠る従者 その十九

中では5人の闇が(たたず)み、乱入してきた俺たちを歓迎する。

「こんばんは。実験体(ネズミ)諸君(しょくん)。」

「……よう。」

剣呑(けんのん)挨拶(あいさつ)()わされる一方で、白髪(はくはつ)の科学者が一心不乱に孫娘の名前を叫んでいた。

「リア、リアッ!!」

黒づくめの放った凶弾(きょうだん)は少女の(ほお)を焼いていた。直撃はしていない。だが少女は、銃弾が頬を(かす)めた恐怖のために気絶している。

愛らしい顔に(やま)しい火傷(やけど)(きざ)まれた。

「お前たち、なんてことを……。」

もしも、オッサンに『力』があればこの瞬間に連中の一人くらいを道連れにしたかもしれない。でもオッサンは分かってる。(こと)、直接的な暴力において、自分の力は目の前の男たちに毛ほどの傷を付けることもできないと。

オッサンは分かってる。連中がどんな()()()なのかを。

「博士。こんなことしか言えない我々に芸がないと感じられるのかもしれないが、それでも敢えて言わせていただきたい。『我々は遊びに来たわけじゃない』貴方が首を縦に振りたくなるまで我々はその努力を()しまない。それだけの事だ。」

 

……目の前でまた、一つの『炎』が俺の顔色を(うかが)っている。

オッサンを取り囲む4人はユッタリと構えていながら俺たちへの警戒も(おこた)らない。例え、その気がなくとも俺が妙な動きを取れば奴らはいつでも()()()()()()()()()()()

納得(なっとく)できるまで考えたいと言われるのならどうぞ。時間は差し上げましょう。その間、我々は貴方のお孫さんに貴方の仕事ぶりを英雄譚(えいゆうたん)のように語り聞かせましょう。」

男は調子を崩さず、淡々と、酷々(こくこく)とオッサンの逃げ道を(ととの)えていく。

「必要であれば、我々の代わりに貴方の愛してやまないお嬢さんに説得して頂ましょう。(いく)らでも。」

オッサンはリアを(ふところ)に隠し目尻に幾筋(いくすじ)もの(しわ)をつくり、懸命(けんめい)(いの)った。

「頼む……それだけは、止めてくれ。」

苦痛に(ゆが)んでいくオッサンの顔が、加速度的に俺の身体に熱を持たせる。

そして(またた)()に、俺自身が『炎』へと変わる臨界点(りんかいてん)到達(とうたつ)しようとしていた。

 

だが、俺がそれを実行に移すことはなかった。そうなる前に彼女が俺の『()()』を(おさ)え、俺にそう『言い聞かせた』からだ。

「リーザ……。」

「……ダメ。」

リーザもまた、手を出せないもどかしさに歪んでいた。

……リーザの判断は正しい。

俺たちに拳銃を投げて寄越(よこ)したこともそうだ。男は俺たちを挑発(ちょうはつ)している。オッサンの首を縦に振らせるためのピエロに仕立て上げるつもりなんだ。

5対3。少なくとも、雑魚(ざこ)じゃない。まともに()()えば、負ける可能性の方が高い。どこかで奴らの裏をかかないことには話にもならない。

その時、俺が煮詰(につ)まるのを待っていたかのように、唐突に彼女が(つぶや)いた。

「あ……」

『……どうした?』

万一、連中が俺たちの声を拾わないとも限らない。俺はリーザを背後に隠し、俺自身は彼女の『力』を利用して聞き返した。

すると、彼女の口からこの場にいるべきその役者たちの名前が出てきた。

「……鍛冶屋(かじや)さんが――――」

 

男は俺たちが何かを(たくら)んでいることに気付いていた。その上で自分に()せられた仕事を(たの)しんでいる。

「……必ず、(うなず)く。」

俺たちを血祭りにあげる三文芝居(さんもんしばい)がなくても、男は着実にオッサンを研究所(かご)の中へと追いやっていく。

オッサンを()(つぶ)すかのような、殊更(ことさら)に重苦しい声色もその一つだ。

「我々が来たからには貴方には我々の(さそ)いに応じていただきます。応じる以外の選択肢は用意できません。……分かりますね?」

男は部下からもう一匹のドーベルマンを受け取り、その(あご)を真っ直ぐに二人に突き付ける。

「遅いか早いかの違いです。……護るか失うかの違い、と言った方が分かり(やす)いでしょうか?」

震えるオッサンを見下し、「クツクツ」と失笑したかと思えばまた、鉛色(なまりいろ)のそれをオッサンの目の前に放る。

「武器を突き付けられる弱者」「武器を手にした弱者」が取る行動を、男は嘲笑(あざわら)っていた。

 

「さて、博士には少し時間を差し上げるとして。……君らはどうだね?」

銃に目を()りつつ項垂(うなだ)れ、苦悩するオッサンを捨て置き、男は矛先(ほこさき)をこちらへと向けた。

「そろそろ君たちも()を通すことに疲れてきたのではないのかね?」

「ア?」

「半端な『化け物』のままでいることに限界を感じてきているのではないかと言っているのさ。」

……俺はまだいい。普段から『力』に振り回されるようにはできていないから。だが、リーザは違う。その気掛(きが)かりが、ほんの少し俺を迷わせた。

「私の経験上、『(うつわ)』に見合わない『力』はイタズラに苦しむだけだと――――」

「だったらどうしたってんだ。それで大人しくテメエらに首輪を付けられるとでも思ってんのか?俺からすれば、そんなクソ暑いスーツでコソコソ生きなきゃなんねえテメエらの方がよっぽど(つら)そうに見えるぜ。」

すると、男は初めて声を上げて笑った。その笑い声は、表面的にはごく普通の人間のそれに聞こえた。だが、耳を()らせば(かす)かに、大口を開けては閉じる悪魔の、生唾(なまつば)の音が聞こえる気がした。

「『炎使い』、それはお前なりの皮肉(ひにく)のつもりか?……だが、生憎(あいにく)だったな。」

これ見よがしに片側の革手袋を(はず)し、俺たちに見せつける。

「日々を(いろど)るこの快感に比べれば、身を隠して生きることを強要される人生なぞマゾヒズムのそれと大して変わらんさ。」

そこには()()があった。親指から小指までの間に(うごめ)く八つの指。鋭利(えいり)な牙と顎を持った、人ならざる十の指が。

 

 

――――(おび)えることはない。我々は、灼熱(しゃくねつ)の『業火(ごうか)』の中で立ち尽くすお前に手を差し伸べるモノよ。お前の胸に(くすぶ)郷愁(きょうしゅう)を満たすモノよ。

異母より産まれし兄弟……。されど、お前の「歩み」は我らの「歩み」。お前を焼こうとする幾千、幾万の『炎』は我らが代わりに歩こう。

『炎』に枯れたお前を(うるお)すことを約束しよう。故郷がお前を愛すことを約束しよう。

さあ、この手を取れ。この、両の手では支えられない幸せを一刻(いっこく)も早くお前にも知って欲しい。

 

十の蛇が、俺の胸に巣食(すく)う『悪夢』に代わる代わる、優しく(ささや)きかける。その甘い声に『炎』たちは(そそのか)され、言葉の向こう見たさに首を伸ばしている。

この時初めて、俺とは別の、もう一人の『(エルク)』が、手足を巡る血に名前を(きざ)んでいく瞬間を感じ取った。

リーザの中に『野鹿』と『魔女』がいたように、俺の中にも、悪夢という麻薬に(おか)された『炎』と、それを言い訳に暴れ回る『化け物』がいたんだ。

でも……、

 

 

――――ダメだ、引っ込んでろ。今さら勘違(かんちが)いしてんじゃねえぞ。テメエのすべきことはそんなんじゃねえだろ!?

 

胸に爪を立て、血潮(ちしお)の番人に本当の主人が誰なのかを叫び続ける。

皮一枚を焼いて、悪夢に見初(みそ)められた『炎』を(おど)す。

 

――――なんなら今ここで地獄を見せてやってもいいんだぜ?

 

「自殺」それは俺にとって一番楽な逃げ道なはずだった。だけど今はそれを怖れてる。『化け物(おれ)』も『(おれ)』も。

「それを聞いて安心したぜ。」

「……どういう意味だ?」

「テメエらが、進んで病人になろうなんて言うキチガイだって確信できたからさ。」

強がる俺を見て男はまた、人に成り切れない笑みを(こぼ)す。

 

俺は気付いたんだ。俺が()ちれば、彼女もまた俺を追って堕ちてくる。

もしも俺が今、『炎』になびけば、朝日と同じ笑顔をつくる彼女を海の底に()()()んでしまう。月と同じ抱擁(ほうよう)ができる彼女を冷徹(れいてつ)な死に神に変えてしまう。

それだけは……、許さねえ。

 

それでも男は俺に十分な『(どく)』が回ったと確信したらしい。笑顔の矛先(ほこさき)を俺の背後へと変えた。

「リーザ、君はどうかね?君もやはり炎使いと同じ意見か?」

一時(いっとき)とはいえ、奴らの手中にあった彼女に「弱み」の一つや二つ握られていない訳がない。それは(たちま)(くも)る彼女の顔色が証明していた。

「そうではないだろう?君には我々との大事な大事な約束があったはずだ。違うか?」

「それは……」

それでも今は、奴らの甘い言葉に(とら)われないで欲しいと願ってしまう。

俺たちの……ために。

「君にこそ、選択の余地などないと思うのだがね。なにせ君は一度、我々との約束を反故(ほご)にした。我々はそれに目を(つぶ)った。」

男は性懲(しょうこ)りもなく、沈黙を破ることのできない彼女の足元に鉛色の狂犬を放る。

「君は、我々がそんな情けを二度目も掛けるほど慈悲深い人種に見えるのかね?」

彼女は応えない。応えられない。

今、戻らなきゃ殺されてしまう人がいる。でも今、戻ってしまったなら、それよりも沢山の人を殺してしまう。

その救いのないジレンマに唇を()()けられているんだ。

 

……メキリッ

 

すると、この場で唯一、人の言葉を持たない化け物の前足が、彼女の唇を代弁(だいべん)した。

「……お前。」

(あお)(たてがみ)の狼が、鉛色の駄犬(だけん)(あご)()(くだ)いていた。

「……どうして?」

今まで、犬や機械よりも忠実に主人の意図を()み、主人のためだけに動いてきたはずの化け物が初めて、彼女の意思に沿わない行動を起こした。初めて見る化け物の姿に、彼女は(おび)えていた。

化け物は主人の呼び掛けに耳を傾けない。振り向かない。毛を逆立て、牙を()き、男たちを瞳に()べ、烈火のごとき怒りを(あら)わにしていた。

 

男の、狼に向けられる視線は冷たく、笑みもピタリと止んでいた。

「フム……。それで?リーザ、君はその粗暴な友人の言葉に従うのかね?」

狼に迷いはない。ただ、ひたすらに、男たちの息の根を止めることだけを考えている。男はそれが気に入らないらしい。「()()()()()()()()魅力(みりょく)などない」とでも言うように。

「人の命は不可逆だ。死んだものが(よみがえ)ることは決してない。君の一言で、君を愛する人間の命が助かるというのに?そんなやり直しの()かない決断を友人ごときに(ゆだ)ねてしまっても良いと言うのかね?」

男の言葉は二人の間にある距離を増々広げていく。

後ろへ後ろへと後退(あとずさ)る彼女に対して狼は、メラメラ、メラメラと他の感情を()()むほどに怒りを(ふく)らませていく。

「……待って、パンディット。……お願い。」

おそらく彼女が完全に黒服の言葉を振り切ることはないだろう。それどころか、このまま男に喋らせていればいずれ(から)め取られる。オッサンの二の舞だ。

俺は、燃え盛る狼の勢いが()えない内に仕掛けることにした。

「おい、キチガイ野郎。俺がテメエにも理解できる言葉で答えてやるよ。」

足元に転がる駄犬をつま先で(はじ)き、キャッチすると同時に男の(ひたい)に狙いを(さだ)める。

すると、シルク帽の(ひさし)に隠れた男の両目が、俺の答えに薄ら笑いを浮かべていた。

「それはな――――、」

刹那(せつな)、引き金に掛けた指が『炎』に邪魔される。…………それが、なんだ。

 

 

俺は、俺は――――、

 

 

「……『クソ喰らえ』だ!」

 

――――俺は……、『炎使い』だ!!

 

 

 

 

ドンッ!!

 

 

 

それは、一か八かに賭けた、開戦の合図……のはずだった。

 

パンディットが動き始めたのは、俺の放った銃声とほぼ同時。一瞬、(かが)めたように見えたその体躯(たいく)は、銃声を追い抜く速さで男に飛び掛かっていた。

だが次の瞬間俺は、戦闘において絶対の信頼を寄せていた狼が、結局のところは「一匹の獣」だと思い知らされることになる。

「パンディット!」

狼は黒服の一人に行く手を(さえぎ)られ、息つく間もなく沈黙させられていた。頭蓋(ずがい)鷲掴(わしづか)みにされ、床に叩きつけられ、気絶していた。

狼を上回るスピードとパワーを見せつけられ、俺の足はまた、噛み合わない『炎』に捕まってしまう。

それでも俺は『炎』を振り払い、黒服に向かって突っ込む。

無策(むさく)なんかじゃない。可能性は低いが、「勝機」があっての特攻だ。

そのためにも今、俺たちは「一か八か」のために時間稼ぎをする必要があった。だが――――、

 

「遊びに来た訳じゃない」

 

男の言葉通り、連中は俺たちとの戦闘を完全にシミュレートしてきているらしかった。

 

「!?クソッ!」

突如(とつじょ)、男の背後から現れた鉄球が俺目掛けて(おそ)()かってくる。張り巡らせた『(かべ)』が燃やすよりも速く、それは猛スピードで俺の懐へと突っ込んでくる。スレスレでこれを(かわ)すが、その先で待ち受けていたもう一球が俺を完璧(かんぺき)(とら)えた。

「ゲホッ、ゲホ」

「エルクッ!」

もんどり打って体勢を立て直すも、眩暈(めまい)と吐き気が五月蝿(うるさ)いくらいに「白旗(しろはた)」を振り回している。

「……大丈夫だ。」

直撃する瞬間、弾き返すように鉄球の先の空気を破裂させたが、それでも半端な重みじゃない。もしも反応が遅れていたら脇腹(わきばら)の肉をもっていかれていた。

だが、吹き飛ばされた衝撃で、(ふさ)がりかけていた肩の傷口は開いてしまっている。少しずつ、血が肩を濡らしていく。

 

……完全に、出鼻を(くじ)かれてしまった。

 

心の何処(どこ)かで「命までは()られない」なんて甘っちょろいことを考えてたんだ。

必死の思いで眩暈を抑え込み、男たちを探す。

 

そこには血気盛んな獣人が三匹、常闇(とこやみ)(ころも)を脱ぎ捨て、捕食者の殺気を放っていた。

「……、狼男か。」

パンディットに並ぶとも(おと)らない大きな口と鋭い牙。荒々(あらあら)しい毛皮に(おお)われた体躯はやはり、殺し合いにおいて人間の規格を(はる)かに上回っている。

当然、その四肢(しし)から放たれる力も尋常(じんじょう)じゃない。

直径10㎝程度の鉄球を連結させた小振りなフレイルであるにも(かかわ)らず、その威力は大砲にも劣らない。そのパワーに耐える武器自体にもなんらかの魔法が掛かっているはずだ。

 

「……あの晩のお前もそうだった。」

俺が撃ち込んだ鉛玉は男の額に命中していた。

ところが、悠然(ゆうぜん)居直(いなお)ると男は、それがさも当前であるかのように撃ち込まれたそれを指先で(えぐ)り出した。

()きが良いことは結構なことだ。仕事にも張りが出る。だが、それと軽はずみな行動は全く別物だとお前は知っているか?」

今は少しでもオッサンたちから連中の注意を()らさなきゃならない。だってのに、誰一人俺の誘いに乗ってこねえ。

あくまで()便()()事を済ませるつもりらしい。

 

「実力行使……無駄とまでは言うまい。お前はそういう生き方しか知らんのだ。お前の好きなようにすればいい。だがあと少し、お前は周りの力に頼り過ぎている自分に気付くべきだと思わんか?」

(もく)して(ひか)えていた部下の一人が(しめ)()わせていたかのようにオッサンとリアを()()がす。その後に続く展開が目に見えた。

蠢く十指が少女の顔に(せま)る。

「止めてくれ、もう沢山だっ!何でも言うことを聞く。だからどうか、リアにだけは手を出さんでくれっ!!……キサマら、それでも人間か!?」

オッサンの悲鳴が俺をさらに突き動かした。

今の俺に三匹の狼男を突破する力なんかない。リアが近過ぎて『炎』もろくに使えない。それでも俺は息を止め、力の限り床を()った。

「これはお前の放った銃弾の代償(だいしょう)だ。分かるか、小僧(こぞう)?命は、軽い。」

「リア、リアッ!!」

ガァアアアッ!!

 

『!?』

その場の全員の動きが乱れた。

男はリアから()退(すさ)り、懐から取り出したナイフをリアに向かって構えた。

狼男たちは咄嗟(とっさ)に握りしめた鉄球を一斉(いっせい)にリアに向かって投げつけた。だが、その一球たりともリアの体に触れることはない。

 

「……これは……、想像以上だ。」

俺の目が男の姿を(とら)えた時、男は片腕を()くしていた。

「それが、お前の言う『愛』か?……実に(ごう)の深い。お前もそうは思わんか?なあ、遊牧民(コーチェブニキ)。」

横たわるリアの前に、神の(ごと)風貌(ふうぼう)の獣がいた。それは明らかに、先程とは別の獣だった。いいや、()()()()()だった。

怒りと殺意を剥き出しにした牙と顎はもはや、断頭台(だんとうだい)に立つ数多(あまた)の宝剣を(たずさ)えた執行人(しっこうにん)のように見えた。(ふく)()がった四肢を支える筋力は竜をも(しの)ぐかもしれない。

さらには、逆立つ毛皮の周囲をチラチラと舞う光の粒。鉄球と、それに備わった力という力全てを丸呑みにした三本の氷柱(ひょうちゅう)

それらは全てこの化け物に備わっていた『力』。しかし今、それら全てはこの化け物の『器』から(あふ)れかえっていた。

そして、それら全てを命じた『女王(まじょ)』が、俺の背後に立っていた。

「……お願い、出て行って。」

 

(まじょ)』が、『化け物』の全てを(あや)っていた。

 

「……そうか。君は博士から薬を受け取っていないのだな。」

「……」

それは同じ『化け物』であるが(ゆえ)か。

ついさっきまで優位に立っていたはずの狼男たちが完全に委縮(いしゅく)していた。とても、組織の精鋭(せいえい)がとるような態度とは思えない。

「私のミスだな。博士なら必ず君に薬を渡しているものと思っていたのだが。」

「……出て行って。」

リーダーであるはずの片腕の男でさえ彼女の言葉に(おう)じ、手にしていたナイフを捨て、構えを解いた。明らかな「降伏」の意思を表明した。

それはつまり、今や、あの群青(ぐんじょう)(たてがみ)を持つ『執行人(ばけもの)』に刃向(はむ)える者はこの場に一人としていない。そういう意味だ。

 

「時にエルク……。」

ところが一つの仕事を放棄(ほうき)してなお、男は残された役目を果たす姿勢を見せ続けた。男もまた、確かな『王』に飼われている一匹の畜生なのだ。

「例のロボットは無事に掘り起こせたかね?」

「……」

俺の沈黙を肯定(こうてい)と受け止めた男はオッサンに向き直り、話を続ける。

「博士……、貴方は本当にアレで我々に対抗(たいこう)できるとお思いですか?」

男が合図すると、オッサンを取り巻いていた三匹と一人はオッサンを解放し、男の背後まで退()がった。

オッサンは脇目も振らず、『執行人』に(おく)することもなく、孫娘に飛びつき()()めた。男の話には興味を示さず、ただただ声を殺して涙を流し始めた。

 

それでも、男はこの場にいる人間に記憶させるために一人話を続ける。

「どこでその御伽噺(おとぎばなし)を耳にしたのかは知りませんが。貴方も薄々気付いているのでしょう?今と昔では話が全く噛み合わないということに。」

話しつつ、男は噛み千切られた片腕を拾い上げる。驚いたことにそれはまだ男の意思で動いていた。さらに、今まで気付かなかったが男の傷口からは一滴(いってき)の血も流れていない。

それは暗に、俺たちもまた、そういう『化け物』の仲間であることを見せつけているようにも思えた。

「確かに、かつて我々には『機神』とまで呼ばれる兵器、ヂークベック(ひき)いる軍勢に恐れおののいた過去がある。しかし今、奴が従えていた兵がどうなっているか。ご存知(ぞんじ)ですかな?」

「……ワシは……知らん。何も、知らん。」

やっとの思いで()(しぼ)った言葉は、完全な、戦線離脱(リタイア)だった。

「貴方も施設(しせつ)で幾度となく見掛けたでしょう?いや、アレは確かに優秀な番犬だ。身内としては頼もしい限りです。」

男は気力を失くしたオッサンを相手になんかしていない。これは、俺たちを含む、オッサンの周りでウロチョロする反抗勢力へ勧告(かんこく)なんだ。

「今さらたかが一機、多少強力な兵器を復活させたところで、貴方がこれまでに生み出してきた化け物たちを従える我々に何ができるだろうか。」

ウソだ。もしそれが本当だってんなら、あんな大掛かりな牢屋(ろうや)なんか造ったりなんかしねえ。(うわさ)なんか立つわきゃねえんだ。

 

「……御伽噺に妄執(もうしゅう)するのも結構ですが、貴方は優れた才能を持った方だ。我々としてはもっと実のあることに(はげ)んでい頂きたい。」

残された役目は全うされたらしい。狼男たちはまた黒のスーツで身を固め、『人』の姿に戻っていた。

「本当なら今晩にでも貴方に相応(ふさわ)しい場所を提供して差し上げる予定でしたが、今は目障(めざわ)りな獣がいますゆえ。これで失礼させていただきます。……また後日、迎えに上がりましょう。」

帰り支度(じたく)を整えた男たちは、堂々と俺たちの目の前を横切りっていく。

「それまではどうか、変な気を起こさぬよう祈り申し上げておきます。」

言い残すと、男たちは何事もなかったかのように静かに部屋を後にした。




※狼男=ゲーム中の「コボルト」のことです。

※ドーベルマン=拳銃……何で?
本当に何となくです。警察犬や番犬とかのイメージが強く、見た目的にも屈強な「兵士」ってイメージもあったので。

※酷々(こくこく)=途切れない残酷さ。少しずつ、噛みしめさせるような残酷さ。淡々と説き伏せるような残酷さ。(造語です)

※フレイル
ここではフレイル自体の説明を省きます。ただ、今回コボルトが使ったフレイルは一般に「モーニングスター」と呼ばれる棘付きの鉄球を繋いだ武器に分類されます。ですが、今回は棘なしです。懐に携帯する必要があったので棘なしです。……ストーリー的にもエルクが致命傷を負ってしまったら後が続かないので棘なしです!!
そんでもって、鎖は魔法で補強されています。だからどんな豪速球にも耐えられます。……こういう点では魔法って便利だな(笑)

※「なあ、遊牧民(コーチェブニキ)。」
コーチェブニキ(кочевники)=ロシア語で「遊牧民」の意味です。
『化け物(家畜)』を従えるリーザへの皮肉です。「黒い服、暗殺者、マフィア」から連想される国ってイタリアかロシアだったりしません?
だいぶ偏見ですがf(^_^;)

※「光の粒」
リーザの力で強制的に戦線復帰させられたパンディットに使った表現ですが。「光の粒」は、本当の意味でのダイヤモンドダストです。空気中の塵が凍るっていうアレね。

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