聖櫃に抱かれた子どもたち   作:佐伯寿和2

82 / 236
孤島に眠る従者 その十七

どうやら俺はまたドジを()んじまったらしい。

血が足りないせいか。不安定な五感に加え、気を失った時のことをハッキリと思い出せない。

そこへ彼女の話を頼りに浮かび上がる遺跡での失態(しったい)。いい加減、転職を考えた方がいいのかもしれないと本気で考えさせられてしまう。

「……そういやリアは?」

窓の外は暗い。この時間だともう眠っているんだろう。

もしかすると、俺がこんな状態だから心配させてしまったかもしれない。

「今、パンディットがいるでしょう?だから博士が余所(よそ)でお世話になるように言ってくれたみたい。エルクがケガで倒れてることも伏せててくれたわ。」

彼女の口から狼の名前が出て初めて、そこにソイツがいる異常な状態に気付いた。

「……オッサンは?なんて言ってた?」

「何も。リアちゃんを助けた私たちが今さら村を(おそ)ったりなんかしないって信用してくれたみたい。」

「……ふーん。」

()に落ちない話ではあるけれど、彼女がそう言う以上、今はそういうことにしておくことが良いように思えた。

 

「あのロボットは?」

「……ゴメン。エルクのことに夢中になっちゃってスッカリ忘れてたの。」

頼まれた「心臓」を目の前にして、俺たちは何もせずに帰ってきたらしい。

「まあ、気にすんなよ。」

俺なんかが言えた義理じゃないが。

それに、まだ自分の目で確認した訳じゃないが、あれだけ深く(えぐ)られた傷が今は(ほとん)ど痛まない。まだたった半日しか経っていないのに。

おそらく、リーザが何かしてくれたんだろう。看病も含め、色々と。

「それに、悪かったな。……その、色々と。」

いくら今までに修羅場(しゅらば)を経験してきたといっても、これじゃあ彼女にガキのお()りをさせてるような気分だ。

「そんなことない。私の方こそ、ゴメンね。……色々と。」

リーザはリーザで、変貌(へんぼう)してしまう自分がひどく足手まといのように感じているようだった。

「謝んなよ。リーザにはだいぶ助けられてるしよ。今だって……。」

いくら『力』があったって、俺たちはまだまだどうしようもないガキなんだ。

間違えて、ぶつかって、お互いに支え合うことでしか前に進めない。

 

どちらからともなく、俺たちは抱しめ合う。お互いの『声』が聞こえるくらいに強く、そして優しく――――。

 

「……エルク、少し、散歩しない?」

耳元で、彼女はポツリとこぼした。

「いいけど、どこ行くんだ?」

「海。私、一度も海を見たことがないから。」

「一回も?」

「うん、一回も。だから、いいでしょ?」

 

未開の島だけあって、海もまた都会の(けが)れを全く知らないらしい。都会ではただ黒いだけの夜空には、まるでそこに白い砂浜が映り込んでいるかのように、色鮮(いろあざ)やかな星が敷き詰められている。

逆に、白い砂浜や、そこらに転がる岩や木々は海と夜空の青をほんの少し羽織(はお)り、どこか大人びた印象を覚えさせられる。

そして、彼らの畏敬(いけい)の視線を一身に集める月の輝きはもはや真珠やオパールそのもののようで、意味もなく心打たれてしまう。

「これが、海なんだ。……イイ匂い。」

……この神秘的な景色を前にして、真っ先に出た感想が「匂い」だなんて。

「変かな?」

「ちょっとな。」

「でも、エルクも凄くイイ匂いだと思うでしょ?」

「……まあな。」

彼女の助けが働いたのかどうかは分からない。でも、意識してみると、彼女の言いたいことが少し理解できた気がした。

 

波間(なみま)(にぎ)わう潮騒(しおさい)には、クツクツと煮込まれる鍋から(ただよ)うような芳醇(ほうじゅん)な匂いがあった。

華やかな星空には香辛料のような、(ほお)や鼻先を()でる潮風(しおかぜ)には鍋の火を調節する(ふいご)ような、なんとも居心地(いごこち)の良い香りが調合されていく様子を感じ取ることができた。

そこには単調なようでいて、いくつもの顔を見せる香りがあった。

 

手頃な岩に腰掛け、目を閉じてみる。すると、リーザの教えてくれた香りに身を任せてみると、俺は熱帯の海に漂う心地良さの中にいた。

「エルクはアルディアに戻ったらまず何をするの?」

目を開け隣を見遣(みや)ると、彼女の金髪もまた、砂浜になびく風の中を泳いでいる。

「ん?そうだな……バターを塗りたくったベーコンエッグトーストを吐くまで食うかな。」

ベーコンエッグは俺の「好物」であり、「日常」の代名詞でもあった。

あの(こう)ばしい小麦の匂いは、不思議と寝起きの悪い俺を(なぐ)めてくれる。

「クスクス……、エルク、本当に好きね。ベーコンエッグ。」

「そりゃあな。高カロリーってのは合法のドラッグだからな。」

「あら、じゃあもっとお肉お肉してた方が良いんじゃない?」

言われるとさざ波が、油の中でジュージューと。食欲を(そそ)る音に変わる。……でも、違うんだよな。

「リーザ……、俺にはこの両手で(つか)めるくらいが丁度(ちょうど)良いんだ。」

そう、沢山は要らない。

贅沢(ぜいたく)なんか必要ない。ただこの両手に(おさ)まるものがあれば俺はそれで幸せなんだ。

生活も、家族も。

「金も、評判もな。それともリーザは俺に、アツアツのステーキを手掴みで火傷(やけど)しろって言いてえのか?」

「フフフ……そうね。でも、エルクならきっとできるわよ。」

「……そうかもな。だったら俺にもお返しにリーザの髪を()かせろよ。油(まみ)れの手でツヤツヤにしてやるぜ。トリートメントにもなって一石二鳥だろ?」

「いいけど、エルクに触られたら私の髪、チリチリになったりしない?私、アフロなんて嫌よ。」

「おいおい、俺はプロだって何遍(なんべん)言わせるんだよ。絶妙なカールからパリッパリのストレートまで、思い通りに決めてやるよ。」

すると彼女はあの笑顔で笑ってくれた。

「だから俺にはトーストがちょうどイイんだよ。」

それが、今の俺のこの手に収まる大切な家族。

「この手もな。」

一人ぼっちのそれに、ソッと重ねる。

「リーザは?」

月も星も海も砂浜も、みんな持ってる。寄り添い、支え合ってる。俺は今まで、それが(うらや)ましかった。シュウとも、ビビガやミーナとも違う。

ずっと……、ずっと……、それが欲しくてたまらなかったんだ。

「私は……」

――――リーザ、お前は?

 

 

 

 

翌朝、改めて俺たちは置き去りにしたロボットを迎えに行くために遺跡へと向かうことにした。

「まだ傷も()えておらんというのに。まったくお前も()りん男だな。」

みっともない姿ばかり見せる俺が、「万屋(よろずや)のプロだなんて信じられない」というような口振りだった。

だが、なかなかどうして。毎回、毎回俺たちの身を(あん)じてくれるオッサンだって、「復讐に人生を(ささ)げた者」とは思えない人の良さを感じさせる。

「そういうオッサンもな。」

「……偉そうに。今度はちゃんと成果をもって帰れるんだろうな?これ以上の尻拭(しりぬぐ)いはゴメンだぞ。」

その聞き飽きたセリフに思わず笑みがこぼれる。

「問題ねえよ。ボスっぽいヤツは叩いてあるし。まあ、ちょっとした散歩みたいなもんになると思うぜ。」

「ほざきおる。()(づら)かいて戻ってくるのが目に浮かぶわ。」

「心配性だな。」

「お前が不用心なだけだ。」

そしてお約束のように、最後は目を合わすまいと俺たちに背を向けてしまう。

「帰ってきたらまたリアと遊んでくれる?」

小さな小さな妖精の笑顔は思った通り、一目見ただけでケガの痛みも吹き飛ばしてしまった。

「そうだな。今度はうんと付き合ってやるぜ。」

吹けば(こた)える妖精の笑顔はどうしようもなく、母性のようなものを(くすぐ)られてしまう。思わず、オッサンが一日でも早く「自由」になることを応援したくなってしまうくらいに。

「……少し()けるわ。」

「あーあ」と溜め息を吐きながらこぼした彼女の愚痴(ぐち)は完全に俺の不意を突き、俺を狼狽(うろた)えさせた。

「いやいや、リーザもそう思うだろ?」

「さあね。」

彼女は俺を置いてさっさと先に行ってしまう。俺はその後を追う形になり、なんとも()まらない一日のスタートになってしまった。




※芳醇(ほうじゅん)
香りが良く、味にコクがあること。「醇」は「熟成して味が濃いこと」。「芳」は「良い香りを漂わせること」を意味します。

※鞴(ふいご)
金属の加工や精錬の際、炉に風を送り、燃焼を促進させる器具。送風機。「もののけ姫」でたたら場の女の人たちが踏んでたあれも「ふいご」の一種。
……キッチンの窯で使う送風器具も、「ふいご」で合ってる気がするんですけど、なぜかネットで拾えません。間違ってたらスンマセンm(__)m

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。