聖櫃に抱かれた子どもたち   作:佐伯寿和2

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孤島に眠る従者 その十一

「ここで……、」

変わらないジャングル模様(もよう)の中、足元に(まと)わり付く腐臭(ふしゅう)に気を配っていると、彼女は独り言を()らすように(つぶや)いた。

「私、あの死体からリアちゃんを取り返したの。」

「マジか?」

「うん、マジ。」

冗談(じょうだん)めかして平気そうな顔をしているが、無理をしているのが目に見えて分かった。

辺り一帯をザッと見渡すが、それらしい痕跡(こんせき)は特に見当たらない。どうやらかなりの短期決着だったようだ。

「あの時は無我夢中だったから何とも思わなかったけれど、私、良くない一線を越えちゃった気がする。」

そして、その止めをさしたのが彼女の『力』。

 

リーザの『力』は、他人の心の声を聞く。相性や体調、他にも条件は色々とあるようだが、とにかくそういうことができる。そして、彼女はその声を思いのままに(あやつ)ってしまう。

彼女が望もうと望むまいと。声に向かって語りかければ、その言葉はまるで元からあった本人の意思のように書き換えられるのだという。

その上で「一線を越えた」と言う。それはつまり……どういうことなんだ?これ以上、何があるってんだ?

そもそもが現実離れし過ぎていて、その先を想像するのは思いのほか難しい。

 

「どこまでが自分で、どこからが自分じゃないのか。分からなくなってしまったの。」

要は「自分」の意思が墓守に乗り移ったと言いたいんだろうけれど、「どこまで」とか「どこから」ってのはどういう表現なんだ?

「前は少しずつ、私の言葉を受け入れてくれるくらいだったの。あくまで『それ』は私の言うことを聞いてくれる『それ』のままだった。『それ』と『私』は別々だった。でも、今日のは違う。まるで、ずっと昔から、この世界にはもう一人、『私』がいたような感じがしたわ。」

気付いた時には、野鹿は俺の間合いに踏み込んできていた。俺はそれに反応することができなかった。

「その時、私はそのことに少しも疑問に思わなかった。」

彼女の、まるで別次元の『力』を前に、萎縮(いしゅく)してしまったカエルのように。

「心も体も二つずつあるの。」

彼女の目を見る俺の目が固まる。

「それなのに、『私』は一人しかいないの。」

俺は、ただただ弱肉強食のされるがままになっていた。

「エルク……、私、分からない。」

ソッと、野鹿は俺の背中に手を回す。『炎』の(あご)が静かに閉じられていく錯覚に(おちい)る。俺に「逃げる」選択肢はない。もう、「逃げられない」。

『炎』の中で変わり果てたもう一人の彼女の姿が(まばた)きをする(たび)にチラつく。俺に手を、()()べている。

「エルク……」

胸に押し当てられた彼女の唇から届いた小さな、小さなそれが悲鳴だと気付いた時、同時に自分がとんでもない思い違いをしていることに気付く。

 

 

 

「……また、私のこと、怖くなっちゃったよね?」

 

 

逃げられないのは俺じゃない

 

 

「やっぱりエルクは優しいね。でもね、今ならエルクの気持ち、よく分かるよ。私も……、怖い。……とっても。」

 

 

彼女は今も走り続けている

背後にピッタリとくっついてくる『ヤツら』を引き連れて

延々(えんえん)、延々と――――

 

「……とっても、とっても、とっても……」

(ふところ)に収まる小さな頭がひきつけを起こすようにガクガクと震えている。

「お……おい、リーザ――――」

「私もいつか、あんな風にエルクに灰にされちゃう日が来ちゃうのかな。」

出会って間もない頃、彼女の『正体』を知った俺は、「静かな独裁者」を想像したことがあった。

権力も武力も関係ない。言葉さえも割り込ませない、沈黙(しじま)響き渡る戦場で行われるかつてない暴力的な支配。一滴の血も流れない。

代わりに、誰も彼もが雑草のように心を()み取られていく。たった一人の魔女の呪詛(あい)の前に一滴の涙まで()()ててしまう。

俺を苦しめ続けてきた『炎』さえ、彼女の目には可憐(かれん)なバラの花びらか何かにしか映らない。

圧倒的博愛(はくあい)蹂躙(じゅうりん)される世界。

……思い浮かべて俺は無意識に、彼女に殺意を抱いたんだ。

 

「フフフ……」

『力』に飲まれ、俺の懐で彼女が産声(うぶごえ)を上げている。

俺の肺に呪詛を吹き込む魔女がほくそ笑んでる。

「エルク……、燃やすなら、今かもしれないよ。今しか、ないかもしれないよ。……クツクツクツ。アハハハ。」

呪詛(ことば)が全身を氷のように強張(こわば)らせる。

 

違う……。違う、違う、違うっ!

俺がすべきことは、彼女を恐れることじゃない。

――――助けなきゃ

彼女は俺を待ってる。だからこそこんなにも、打ち明けるのを(しぶ)ったんだ。

視界の端に映った狼は、忠犬よろしく、彼女の来たるべき変調を黙って見守っている。

――――俺しかいない

彼女を助けられるのは、俺しかいないんだ。

 

だというのに、この両手は彼女を震えを押さえてやることもできない。たった5年、『炎』を見続けた俺はいつの間にか、「臆病風(おくびょうかぜ)」がどうしようもなく染み着いてしまっていた。

 

静かなオルゴールが、(まばゆ)い金髪の瞳が、濃密な緑の唇が、ここぞとばかりに俺の目と耳を(ねぶ)る。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

………その手を放すのね……置いて行くのね……そしてまた……、独りにするのよね……

 

 

オマエが弱いから

 

 

……オマエが弱いから、ワタシはトカゲに目玉を奪われた……オマエが弱いから、ワタシはワシに手足を奪われた……オマエが弱いから、ワタシはヒルに唇を奪われた…………オマエが弱いから…………オマエが弱いから…………

……オマエを、許さない…………喰らい尽くすまで…………燃やし尽くすまで…………

 

…………ワタシと同じ目に()わせるまで…………

 

 

オマエが弱いからオマエが弱いからオマエが弱いからオマエが弱いからオマエが弱いからオマエが弱いからオマエが弱いからオマエが弱いからオマエが弱いからオマエが弱いからオマエが弱いからオマエが弱いからオマエが弱いからオマエが弱いからオマエが弱いからオマエが弱いからオマエが弱いからオマエが弱いからオマエが弱いからオマエが弱いからオマエが弱いからオマエが弱いからオマエが弱いからオマエが弱いからオマエが弱いからオマエが弱いからオマエが弱いからオマエが弱いからオマエが弱いから――――

「クソッタレェェッ!!」

虚勢(きょせい)咆哮(ほうこう)がオルゴールを()()すと、そこには俺たちの蜜月(みつげつ)(はば)もうとする黄泉(よみ)の使者が群がってきていた。

目と耳に(から)()くを音色を振り払うように、がむしゃらに炎を振り()いた。無防備な使者たちを(たちま)火達磨(ひだるま)に変える。

交戦していたらしい狼は驚き、(おび)えるように燃え上がる使者たちから飛びすさる。

彼女を、俺の腕の中で恐れおののく野鹿を、喰い殺すようにその柔らかい体に指を突き立てる。

 

全身に、『炎』が駆け巡る。伸ばす腕の先に立つ有象無象(うぞうむぞう)(しかばね)たちは、許されない断末魔を求めて次々に崩れ落ちる。

俺の血が通った『炎』たちは(きず)かれるゴミの山に執拗(しつよう)(おお)(かぶ)さる。消えない。虎かハイエナのように(むさぼ)り、空にまでも牙を()き、雄叫(おたけ)びを上げる。

 

何処(どこ)までも、何処までも。遠く、遠くへと。

世界に散らばる仲間を呼び寄せるように。力強く。乱暴に。

燃えてしまえ。こんな世界、誰も望んでなんかない。

 

燃え上がる、燃え上がる――――

 

こんな力。こんな体……。

 

燃え上がる、燃え上がる、何処までも、何処までも――――

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「…………お前……。」

俺が誰で、目に映るそいつが俺たちの恩人だと理解できた時、俺はそいつに押し倒され、太く鋭い足を喉元(のどもと)に押し当てられていた。

「……お前には、いつもいつも、助けられてばっかだな。」

俺は、燃えカスのような細い腕を伸ばし、そいつの鼻先にソッと触れた。

「お前、これ、大丈夫か?」

見渡せば、所々に火傷の(あと)がある。

重い前足は下され、生温かい舌先が俺の(ほお)()(かえ)す。

「熱かったろ?悪かったな。」

 

胸を、(かす)かに押しては返す金髪が目に入った時、俺は心から安心した。そしてまた、あのオルゴールが俺を()()り込むように子守唄(こもりうた)(かな)で始める。

「少し、疲れたからよ。今日はここで眠っても、いいよな?」

見下ろす狼は何も言わず、そこかしこで宿主を探している『炎』たちから隠すように俺たちを抱きかかえる。

「ありがとな……。」

野鹿を抱き、狼に抱かれ、(こご)える背中と胸はジワリジワリと(ぬく)められていく。

二人に身体を預け、静かに、静かに眠りに()く。下ろした(まぶた)に映る彼女はまだ、(ねた)ましそうに俺を見ている。

 

 

 

 

 

再び(まぶた)を持ち上げるとそこには、もはや見慣れたと言ってもいい田舎田舎した天井があった。そして、見るからに人の良さそうな大男の顔が俺を覗き込む。

「エルク……?気が付いた……?……気が付いた!ハカセ、ハカセ!」

女のような叫び声を上げ、大男は慌てて階段を駆け下りていった。

 

……まだ、瞼は重い。

チラリと見遣ると、窓の外はとっぷりと()れていた。

どうやら、あれから半日ほど眠っていたらしい。反対側から聞こえる小さな寝息に(うなが)されて顔を倒してみると、そこにはまだまだ起きる様子のない野鹿がいた。

「……リーザ。俺たち、まだ、人間だよな。」

その寝顔に()えようと引っ張り上げる手が、意図(いと)せず彼女の(ふく)らみの上を走る。

「……クックックッ、こんなことで確認するなんてどうしようもなくクズだけどよ。どうやら、人間なんだぜ。俺たち。」

(おだ)やかな寝顔に触発され、触れた指先から全身へ、彼女を愛したい衝動が無様(ぶざま)に走り回っている。

それは『炎』が俺を動かしていた時に覚えたものとは真逆の感覚だ。

彼女が俺と同じ感情を抱いてくれるかどうかなんて分からないが、『炎』に(とら)われがちな俺に、この気まずくも心地良い、悶々(もんもん)とした想いを与えてくれる彼女が、この世界を狂わせる魔物だなんて、今の俺には考えることができなかった。

 

七色の想いが()()ぜになった視線で彼女を見詰めていると、苛立(いらだ)たしげな空気を背負った男が無遠慮(ぶえんりょ)に俺の世界に割り込んできた。

「……お前はいったい、どれだけワシに迷惑を掛ければ気が済むんだ。」

今は、その低くピリピリした声もひどく耳に心地よく感じられた。

「誰も、助けてなんて言ってねえだろ?」

「人のことを()()げておいて、よくそんな口が()けたもんだな。」

嫌味のように首を(さす)りながら隣のベッドに腰掛けると、男は精一杯俺を()()けた。

「天国に昇った気分だったろ?」

「……目が覚めた時、リアがおらんかったら本当にお前を殺していたろうよ。」

なんて言いながら、オッサンは俺たちを探してくれたんだ。あの森の惨状(さんじょう)を見ておいて、それでも俺たちの面倒をみてくれたんだ。

「……まあ、なんつーかよ。サンキューな。」

早めの降参を見届けた男は、「しようのない奴だ」というような溜め息を()くと、なかなか戻ってこない大男を催促(さいそく)した。

「何をする気か知らん。関わろうとも思わんが、とにかく今日はゆっくり休め。なに、若いお前たちのことだ。一晩で十分だろうよ。それくらい休んだところで何が変わるという訳でもあるまい。」

「それに、夜は良くないコウモリも沢山飛んでる。ここで休んでいった方がイイ。」

ようやく戻ってきた大男は例の、色の薄いスープを俺に渡すと、オッサンの代弁(だいべん)をするように付け足した。

「まあ、無理にとは言わんがな。」

誤解され(やす)いだろうオッサンの言動にオロオロと不安げな顔を浮かべる。……まったく、このオッサンの助手ってのはさぞ疲れる仕事なんだろうよ。

「せっかく世話になってるんだ。しっかり甘えさせてもらうよ。」

「それがイイ!それがイイ!」

「うるさいぞ、オザル。」

主人に(たしな)められながらも大男は、無駄に肌理(きめ)の細かい笑顔をつくり、満足そうに作業場へと戻っていった。

 

大男が下で作業を再開した気配を感じ取ると、オッサンは少しだけ、顔を(ほころ)ばせた。

「まあ、お互い大変な身の上だ。」

「そうらしいな。」

それが今のオッサンの素顔なのかもしれない。リアを護りながら何かを(くわだ)てる現状(いま)に、疲れているようにも見えた。

「……チャンスは必ず何処かに転がっとる。無理せず狙いを定めて動くといい。」

もしかすると、それは自分に言い聞かせているのかもしれない。

「そうだな。オッサンも、気を付けろよ。」

「フン」と鼻で笑うと、重い腰を持ち上げて大男の待つ階下へおりていった。

 

もう一度だけ、彼女が隣で眠っていることを確認すると俺は、今も一人、森の中で俺たちのために身を隠しているであろう大切な身内のことを想いながら静かに目を閉じた。




※ひきつけ=痙攣(けいれん)
ひきつけと痙攣は同じ意味で使われますが、一般に「ひきつけ」は小児の症状に使われます。

ひきつけは、未発達な脳の状態で発熱や脱水が原因で起こりやすいみたいです。
全身がガクガクと震える他、白目をむいたり、唇が紫色になったり、口から泡を吹いたり、するそうです。

痙攣は、運動のし過ぎや同じ姿勢、同じ動作の繰り返しなどの状態が続いた場合に起こりやすいようです。
これらに共通する原因は、
・消費される筋肉内のミネラルのバランスが崩れたため
・過度なストレスの蓄積
があります。また、同じ動作の繰り返しの場合、運動を繰り返す中で脳が誤った動作を記憶してしまうということも原因に挙げられるみたいです。

※蜜月(みつげつ)
結婚後、間もない状態。親しい関係にあること。
ハネムーン(honeymoon)のhoney(蜜)とmoon(月)からとか、子作りのために蜂蜜酒を飲んで精をつけることからとか、新婚期の二人の甘い関係からとか……諸説あります。

※真摯(しんし)
真面目なこと。ひたむきなこと。

※「()から安()した」……?
この言い方、合ってる?重言?でも「安堵(あんど)」はちょっと固苦しいし……。まあ、大目に見てくだしゃい。

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