聖櫃に抱かれた子どもたち   作:佐伯寿和2

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捕食者たちの私室 紅 その五

「用が済んだのならサッサと失せろ。」

赤の獣は、裁判長が木槌(ガベル)を打つがごとく、飲み干した(びん)を「ゴトリ」と音を立てて卓上(たくじょう)に置くと、萌葱(もえぎ)の客人への無礼(ぶれい)(はばか)ることなく退去(たいきょ)(せま)った。

しかし、獣に挑発された貴人(きじん)は、一手(いって)先を取られたことに対する『自己保身(プライド)』よりも、久しくなかった()()()()()()()()との『昂揚感(リビドー)』を覚え、場を()(みだ)したい気持ちに()られていた。

「まあ待て。お前にはまだ聞いておきたいことがある。」

返事を聞いた獣はウンザリという顔を隠さなかった。

「いい加減(かげん)にしろ。今度、仕様(しよう)もない話をしてみろ。キサマの国に『()()()()』という一大(いちだい)ニュースをくれてやる。」

スメリアの王、マローヌ・デ・スメリアという人物の()()(すで)に、この世にない。しかし、今の獣に、()()()()()()()()()()

それは、アルド大陸の掌握(しょうあく)と共に、彼に命じられたもう一つの任務。未だ()()()『力の付与』という点においてのみ不完全ではあるものの、姿形に限っていえば、如何(いか)なる要求にも(こた)えられる程度の成功を(おさ)めている。

そして「王の暗殺」という形で()の国を手に入れた極東(きょくとう)の大臣にとって、どんな形であれ、獣の脅迫(きょうはく)は望ましいものではなかった。

であるにも(かか)わらず、萌葱色の客人にその(くちびる)()い止める様子など微塵(みじん)もない。

 

貴様(きさま)の影。アレは中々面白い反応をするな。」

「……欲しければくれてやる。」

獣は居残(いのこ)愚者(ぐしゃ)小煩(こうるさ)げな反応を示すが、何かを思い付き、一変して口角(こうかく)()()げ不敵な言葉を(つむ)ぎ始める。

「ただし、(あつか)いには気を付けろ。アレに王の(かせ)はない。思わぬところで足を(すく)われかねんからな。」

愚問(ぐもん)だな。他でもない貴様は、それをこそ期待しているのだろう?」

貴人は畜生(ちくしょう)(おど)しを鼻で笑い――――、

「もっとも、誰よりも近くに()り、誰よりも忠実なソレが突然()()いてくる瞬間は確かに愉快(ゆかい)なものだ。」

畜生に負けず(おと)らず唇に下卑(げび)た笑みをつくる。

「……それは忠告のつもりか?だとしたなら遅かったな。既に、アレはワシの周りに何重にも毒を()()らしとる。今はまだ大人しいが、よしんばアレを()し、毒を全て取り除いたとしても、ワシが無事である確率はそう高くない。」

獣は愚者の続く言葉を予測し、先手を打つ。しかし、それでも彼の興奮(こうふん)は収まらない。

「バカを言うな。儂が貴様に助言をくれてやる訳がないだろう。…だがしかし……、そうだな。」

貴人は糊付(のりづ)けされたかのように(ととの)った顎髭(あごひげ)を細い指先でちねりながら、畜生に読まれるよりも先の先を考えていた。

「貴様の下と(わし)の下、どちらで()()()()か。()けようではないか。」

 

彼らは、巨大な組織における№2(ナンバーツー)という地位(ポジション)こそが大黒柱(キーパーソン)であると考えていた。

何故(なぜ)なら、「組織」は言語でこそ一つの語彙(ごい)(たば)ねられているが、その存在は決して「個」などではない。それは、「野心()」が吹けば容易(ようい)に分裂し、組織を風化させる「反旗(暴風)」に変わる。

そんな中で、№2という立場は「組織」から一歩身を引いた視点から物を見ることができる。また、振る舞いによっては下の者にもそういう印象を与えることができる。

それを利用すれば、(そしき)に不満を持つ「風」に、通るべき道を指し示す風見鶏(かざみどり)へと変身するのはそう難しいことではない。

つまり、腹心という存在こそが「組織」の真の導き手であり、彼らの行動原理こそが主人の生き死にを左右していると言ってもいい。

 

「賭け?」

唐突に持ち掛けられた娯楽から獣は、キナ臭さばかりを感じていた。

「火遊びはキサマの趣味ではないだろう。」

貴人は凌辱(りょうじょく)を好んだ。(あらが)(すべ)すら見付けられない虫を眺めることに恍惚(こうこつ)とするような性格(タイプ)の人間だった。

そんな人物から出たそんな言葉は、畜生(かれ)の趣味への冒涜(ぼうとく)でしかない。

遊興(ゆうきょう)」にこそ無上(むじょう)の喜びを覚える獣は()らず()らず、目に見えない濃紅(こきくれない)吐息(といき)()らし、言葉を返していた。

その様を望んでいた貴人は、あからさまに顔に表し、(さら)に畜生の逆立つ毛並(けなみ)みに手を伸ばす。

「違いない。ならば、儂らのこの不毛(ふもう)な争いに終止符を打つための新たな試みとでも思うがいい。」

「……勝手にしろ。」

しかし、(かれ)の中の(いく)つもの個が(かれ)の怒りを(いさ)めにかかる。

 

「だがな、遊びとて(あなど)るなよ。小さな火も、良質(りょうしつ)獲物(まき)を見つけたなら(たちま)業火(ごうか)となってキサマを喰らい尽くすぞ。」

目の前の天敵ならいざ知らず、「たかが一つの『命』ごときが()()()()()()()()図」を想像できず、貴人は失笑してしまっていた。

「当然だ。そうでなければ()()()()()()()()。それは貴様の気に()むことではない。」

 

すると、獣はその(ヒグマ)のごとき巨躯(きょく)を折り曲げ、笑い出す。

「『気に病む』?キサマ、いつからそんな冗談(じょうだん)が言えるようになった。」

羆の抱腹絶倒(ほうふくぜっとう)に、室内の調度品たちはまるで(おび)える小人のように、カタカタと震えている。

「儂も伊達(だて)でこの世を歩いている訳ではないということだ。()()()()()趣向(しゅこう)も、嫌でも覚える。」

「それでも、命一つ持たぬ肉の塊にしては上出来という話よ。」

それは相容(あいい)れない天敵に対する、彼なりの最大の賛辞(さんじ)だった。

「……いいだろう。しかしその賭け、どう成立させるつもりだ。」

「何、特別なことをする必要はない。奴が儂と貴様、どちらを先に殺すかだ。」

畜生に合わせるように、貴人の口から光を寄せ付けない紫黒(しこく)の息が吐き出される。

「『反旗(はんき)御首級(みしるし)』は、自分にとって最も『脅威(きょうい)』となるものの首で宣言するものだろう?奴は、儂の目からみればまだまだ青臭い小僧だが、それでもそれくらいは心得ているだろうよ。」

「つまり、『脅威』こそ最大の『師』ということか。」

黒と赤が混ざると、そこはまさに地獄の鬼たちが(つど)う流血の楽園。

「……キサマの提案にしては珍しく中々の興を(そそ)るじゃないか。」

無限ともいえる生死で手を染めた二匹は立ち上がり、成立の握手を()わす。

そして、それが離れると同時に貴人は(きびす)を返し、帰途(きと)()く。

 

 

「……そうだ。」

ところが扉を(くぐ)る直前、貴人は振り返り、遊興に心(おど)らせる畜生へ置手紙をしたため始める。

「危うくもう一つの本題を忘れるところだった。」

「なんだ。要領(ようりょう)の悪い。」

「ヤグンはもうじき死ぬ。」

前置きもなく触れた本題に獣は赤を持つ手をピクリと震わせ、ジロリと紫黒を見上げた。しかし、その先を()(ただ)すことはない。聞き出すまでもない。

ここに至るまでに愚者が()べた話題を辿(たど)れば容易(ようい)に答えを(みちび)くことができるからだ。

「なにせ奴は頭が弱い。死体の勘定(かんじょう)すらまともにできんような奴だからな。」

四将軍の一人を、死に神はそう言い捨てた。

「アレはアレで扱いやすい『(こま)』だったではないか。なるべく生かせるように検討(けんとう)すべきではないのか?」

(ただ)れた産神(うぶがみ)は、まだ(ソレ)(つか)う気でいた。だが、死に神の「宣告」は、背後にまで(せま)った「運命」に代わって(ささや)かれる「判決(はんけつ)」。何人(なんぴと)にも逃れることの叶わない「真実」。

彼が「(じき)に」と言えば、それは何時(いつ)訪れても可笑(おか)しくはない。しかし、「真実(ソレ)」は必ず()って()る。

ならば(うごめ)く産神は(ソレ)(あきら)めさざるを()なかった。

 

「ああいう手合いは必要な時にあればそれで構わん。なければ造るまでよ。そのための貴様の任務ではないか。違うか?」

死に神の、()ちると分かった『死』への関心は(ひど)く薄かった。

彼が()かれるものは、無駄に燃え苦しむ『灯火(ともしび)』がジワジワと消え()く様。「四将軍」という()()()火種(たね)に燃え盛るそれは、彼にとって見苦しく、()()()()()()()()

 

そこまで聞き届けると(ようや)く、産神もソレへの諦めがついていた。

「賭けが破綻(はたん)するような、つまらん真似だけはしてくれるなよ。」

彼らはあくまで、秘書の手で消されなければならない。彼以外の手で消されてはならない。

そして、一発勝負での無効(ドローゲーム)は、彼にとって最も興を()ぐバッドエンド。

「安心しろ。儂の見立てではおそらく、猿の次は貴様だ。」

「……フン、勇者を使った前座か。儂も(いそが)しくなる。」

置手紙を読み終えると、今度こそ大臣は市長の視界から消えていった。

 

そうして一人残った彼は、笑っていた。

彼の中で蠢く血が、飲み干された濃紅を浴びて上げる新たな産声(うぶごえ)を全身で聞き届けていた。

 

彼が『勇者』や『炎』に持ちかけたHide and Seek(おにごっこ)。果たして自分が『鬼』なのか。彼らが『鬼』なのか。それとも――――

 

複雑になっていく『運命』に筋道を立て、完璧な計略(よそう)()る幸せに、彼は(よろこ)(もだ)えていた。




※木槌(ガベル)=裁判長が判定を告げた後に叩くハンマーのことです。このハンマーが鳴らない限り、裁判長の宣告は効果を発揮しないらしいです。ちなみに、ガベルの受け台は「サウンディングブロック」と言うらしいでよ。

※リビドー(libido)=ラテン語で「強い欲望」を意味します。精神分析用語で「先天的に備わる全ての衝動のエネルギー源」みたいな意味を持ちます。性的衝動ともとられたりしますが、その辺の難しい話は割愛します。

※マローヌ・デ・スメリア
スメリアの前王。「マローヌ」の部分だけ公式設定です。

※ちねる=北海道の方言で「つねる」の意味のようです。テレビの影響が強いんでしょうが、行ったこともない他県の方言が無意識に出てしまうのはなんか笑えました(笑)

※反旗(はんき)=主君に対して、反逆の意を示す旗のこと。通常、「反旗を翻(ひるがえ)す」という慣用句で使われることが多いですね。

※遊興(ゆうきょう)=面白おかしく遊ぶこと。多くの場合、得るもののない、手元に何も残らない遊び。特に、酒や色物(エッチ)を指す。

※抱腹絶倒=大爆笑。お腹を抱えて笑うこと。

※濃紅(こきくれない)=赤の一種です。「こいくれない」とも「こきべに」とも言います。
また、濃紅銀鉱(のうこうぎんこう)という銀を含む硫化鉱物もあるようです。「ルビーシルバー」などとも呼ばれており、深い赤の発色の表面に金属光沢があり、とてもキレイです。

※御首級(みしるし)=戦国時代において、相手武将の首を検証した後に恩賞を与えられたそうです。その時、その首をもって、どこの誰であるかを()()()という行為からこのような読みになったようです。

※産神(うぶがみ)=産婦さんと新生児を守護する神さま。
言葉と本人のイメージがズレてると自覚してますが、「死に神」の対義語的なものがこれしか思いつかなかったので取り敢えずで使いました。

※爛(ただ)れる=炎症などのために皮膚や肉が破れ、崩れること。また、物事に(ふけ)り、没頭し、堕落すること。

※hide and seek(ハイド アンド シーク)=「かくれんぼ」のことです。

※「人間」という言葉の使いどころ
今までもそうだったんですが、ガルアーノたちの地の文を書く上で、全てに「貴人」や「獣」を使うと違和感のある文章になってしまうので、
「それが彼という人間だった」など、「人間」である方が自然に読めそうな所には敢えて「人間」を使っています。
意図的に「人間」を使っている場面では()()を振っているので、ご了承ください。

ちなみに、今回の話でガルアーノとアンデルに使っている比喩、代名詞の法則ですが、
ガルアーノが主語(ガルアーノ発信の言動)になる場合、ガルアーノを「獣」、アンデルを「愚者」に。
アンデルが主語になる場合、アンデルを「貴人」、ガルアーノを「畜生」と表記している()()()()()
その他は気分と話の雰囲気で何となく使ってます(^_^;)

※「言い訳」
思い付いたことがあればなるべく試そうと思っているので、多少読みにくいかもしれませんが、「少しずつ成長してるんだな」と温かい目で見守ってやってくださいm(__)m
ひとまず、たった二人にいくつ代名詞使ってんだってね(笑)……だって同じの使ってると書いてて飽きるんです。
m(__)mm(__)mm(__)m

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