聖櫃に抱かれた子どもたち   作:佐伯寿和2

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捕食者たちの私室 紅 その四

今、『国の要人』という巨大な(かく)(みの)を利用し、黒い息を()()く男たちが対峙(たいじ)している。

 

「いつもながらキサマの(つら)には吐き気しか(おぼ)えんな。」

屋敷(やしき)の主人は侍女(じじょ)から赤のボトルを受け取り、客人の顔を見るなりそう吐き捨てた。

「今少し辛抱(しんぼう)しろ。(じき)に、似合いの死に場所を用意してやる。」

(なじ)られた客人は、主人の秘書を(もてあそ)び、満足げな笑みを浮かべて待ち構えていた。

 

一人はアルディコ連邦(れんぽう)の首都プロディアス、市長。

実質、彼が国の経済を維持(いじ)していると言って過言でないこの連邦は、ロマリアを中心とした国々が開拓(かいたく)に開拓を重ねた末に(きず)()げた一大国家。しかしそのために、約200年という浅い歴史にも(かかわ)らず、世界のどの国よりも(はる)かに多くの血と悲鳴がこの国の天と地を(いろど)ってきた。

海の外よりやって来た開拓者たちは、対立する原住民を蹂躙(じゅうりん)し、植民地化した。度重(たびかさ)なる領土争いにより無数の国境線が大陸を()(きざ)んだ。これに終止符を打つべく、その100年後に「連邦」として独立を目指した過激な運動が始まり、ここでもまた数え切れない兵が夢に果てる。

そして、原野(げんや)から都市群へと誇らしい成長を()げた連邦は、不要になった多くの開拓者、独立運動勢力(レジスタンス)たちを、明日生きることもままならない()()()への失墜(しっつい)()いている。

 

つい先日、女神の目前で「平和」と「安寧(あんねい)」を宣言したはずの大国が(はぐく)んできた「陰気の充満する過去」は、国の内外に(ひそ)反社会勢力(マフィア)牛耳(ぎゅうじ)る現プロディアス市長の性格に不気味なほど()()まっていた。

男は言う。

「この国は人間(オモチャ)の血と涙で豊かになる。ワシはその手助けをしているに過ぎん。」

彼は王より命じられ、広大な大陸を手に入れた。しかし、ともすれば、()()()「連邦」となるべくして彼をこの地へと引き寄せたのかもしれない。

 

一人は極東(きょくとう)の島国、スメリアの大臣。

世界に『精霊の国』と言わしめるまでに「鎖国(さこく)」を徹底(てってい)していた島国は、この男の登場により何もかもが開け放たれた。物流も精霊も、その二つの影に隠されていたものも。

開国当初、万物(ばんぶつ)に精霊が宿ると信じ、彼らの禁に触れればその加護を失うとされてきたスメリア国民にとって、諸外国の商業主義、軍事主義は(ただ)ちには受け入れ(がた)いものだった。

しかし、電気の流通や優れた技術による機械化は彼らの、精霊への畏敬(いけい)の念を薄れさせ、代わりに人間の偉大さ思い知る。

その見返りは大きく、数年後には、精霊の加護に帰依(きい)していた一部の豪族(ごうぞく)を除く多くのスメリア国民に歓迎されることとなる。

 

この『開国案』を提示(ていじ)した男は(たちま)ち大臣へと上り詰め、スメリアの二番手となる。そして昨年、スメリア人を中心とした犯罪集団により国王が暗殺されてしまう。

専制君主制のスメリアにおいて、王位継承(おういけいしょう)を名乗り出る血族のいない現在(いま)、大臣がこの権力を()()いでいる。つまり、「大臣」と呼ばれるこの男は実質的「王」といえた。

『開国』の功績(こうせき)もあり、表向きには、これに逆らうものは今の国内には誰一人としていないと()()()()()()

誠実(せいじつ)萌葱色(もえぎいろ)強装束(こわしょうぞく)と、芳香(ほうこう)(ただよ)わせる端麗(たんれい)白檀扇(びゃくだんせん)(あつか)妖艶(ようえん)(たたず)まいからは、それらを築き上げた小聡明(あざと)さが(にじ)み出ていた。

 

 

しかし、この二人は正真正銘(しょうしんしょうめい)、何百万という人口の上に立つ市長であり、大臣である。それに相応(ふさわ)しい知識と経験(ノウハウ)人脈(コネクション)も持ち合わせている。さらに、彼らには軍事国家ロマリアの「将軍」という裏の顔がある。

 

彼らに支配される人間たちは何も知らない。彼らの密会が、世界に何をもたらすのかを。

 

 

「それで、何の用だ。ワシの貴重な時間を()く程のことだ。まさか小言のためだけという訳ではあるまい。」

猟奇的(サディスティック)な市長はドカリと椅子に腰掛けると、控える舌戦(ぜっせん)のために(のど)と舌を濃厚(のうこう)な赤で(うるお)し始める。

「いやなに。近頃、貴様の不審(ふしん)な動向が目立ったのでな。その審問(しんもん)のために足を運んだまでよ。」

大臣は背凭(せもた)れに深く体を(あず)け、足を組み、市長のソレを誘うような物言(ものい)いで(こた)えた。

 

「何を言い出すかと思えば。目の前にあるその紙切れでは不満か?」

一気に()()したグラスに再び赤が(そそ)がれる。

満たされるグラスと、()()()()()()()()()()()()()()を冷ややかな目で見遣(みや)る大臣は彼の冗談(じょうだん)を鼻で笑い、言及(げんきゅう)を続けた。

「この程度の話を出せば(わし)が納得するとでも思ったか?」

彼の好む赤が、「この程度」という言葉に(うなが)され、彼の血を(わず)かに刺激する。

「……ワシはキサマにとって目障(めざわ)りな(こぶ)であっても、王には絶対服従の従僕(じゅうぼく)だ。()()えるのなら、キサマの詮索(それ)は、王への不要な疑念を(いだ)いているということになるが――――、」

グラスを傾け、再び開いた唇の中から(のぞ)深紅(しんく)の舌先は、男の本性(ソレ)()び、()()()()()()()()()()()()()()

「それでも(なお)、ワシの秘密(なかみ)(あば)くことに迷いはないと?」

男の『談議(だんぎ)の声』は獣の『(うな)り声』へと変わっていた。しかし、萌葱色の貴人(きじん)物怖(ものお)じする様子など微塵(みじん)もない。

「……無論だ。」

真っ赤な言葉(ムレータ)(あら)ぶる闘牛の前に(かか)げることへの恐怖など、欠片(かけら)も持ち合わせていない。

 

そして、獣の赤黒い瞳が貴人の(ゆがむ)口許(くちもと)(とら)えた瞬間――――

 

 

 

 

 

 

 

 

――――一体どれだけの人間がその()(こな)しを予測することができたであろうか。

 

深く腰掛けた萌葱の貴人の手から、狡猾(こうかつ)(にお)い漂わせる扇子(せんす)は消えていた。

身体(からだ)隅々(すみずみ)まで赤で満たされた寸胴(ずんどう)な獣が(ふところ)に右手を伸ばしたかと思うと、次の瞬間には牙を()き飛び掛かっていた。

 

そして、二つは(ねら)(たが)わず(まじ)わる。

 

骨張った貴人の手元から描かれた白い軌跡(きせき)は獣の野太(のぶと)い首を、煮詰(につ)められたほほ肉でも刺すかのように、いとも容易(たやす)(つらぬ)いていた。

獣の()(はな)った禍々(まがまが)しいまでの鈍色(にびいろ)の牙は萌葱の右手を、ハエを(つぶ)すがごとく卓上(たくじょう)に突き立てていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……キサマ、まさかワシの計画を(かろ)んじているのではあるまいな。」

その間隙(かんげき)、その沈黙が長かったか、短かったかは誰にも()(はか)ることはできない。

それ程までに、『その時』、『その瞬間』は、二匹の悪魔が吐く息で完全に(おか)されてしてしまっていた。

「クハハハッ……、不満か?だが、案ずるな。そこを見誤(みあやま)る程、(わし)もバカではない。何処(どこ)ぞの、豚とも猿ともしれん無能と違ってな。」

貴人の扇子は血糊(ちのり)腐臭(ふしゅう)(けが)れていた。獣の牙は濾過(ろか)された死臭に(むしば)まれていた。

二人はそれらを抜き取ると、何事もなかったかのように居直(いなお)り、変わらない殺意漂う言葉の応酬(おうしゅう)を再開する。

 

「そもそも、キサマはワシの遊びが気に入らんようだが、キサマにもその気があることを忘れてはいまいな。」

「儂に?何か根拠(こんきょ)でもあるのか?」

(しら)を切るな。女神像が良い例ではないか。」

もちろん、翠色(すいしょく)の男にもその意味は通じていた。それでも尚、その誠実な色とは裏腹な、紅の彼を揶揄(からか)うことを()めない。

「……よもや、(くだん)の『勇者』一行の話をしているのではあるまいな。」

「フン、それ以外に何がある。」

貴人の小聡明(あざと)さが、獣の(さかづき)(かわ)かし、再び、聖杯を彼の血で満たす。

満たされる杯越しに、獣は翠色(すいしょく)奸賊(ピカレスク)(たくらみ)を見抜こうと(こころ)みる。

 

「スメリアを掌握(しょうあく)した今、奴を生かしておく理由がどこにある?」

獣は布石(ふせき)(とう)じ、返ってくる波紋(ことば)を待つ。

「さて、何故(なぜ)だろうな。」

そして、その言葉をこそ待っていた。

公式な会見でないとはいえ、(まが)りなりなりにも将軍同士が首を突き合せる場において、明るみに出せない『答え』を(かか)えているという『弱み』は、それだけ大きな『切り札』となる。今はそれだけで十分だった。

もとより、一朝一夕(いっちょういっせき)に全てを暴けるほど容易い相手でないことは承知の上。

自分よりも大きな獲物(えもの)の首を確実に()()るには、まず弱らせることから始めなければならない。将軍(けもの)はそれをよくよく心得(こころえ)ていた。

しかし貴人もまた、狩られることを(たの)しむように獣の台本を(なぞ)っていた。そして――――、

 

――――再び(おとず)れる『沈黙』

 

この『沈黙』の中でさえ、二匹は雄弁(ゆうべん)に殺し合っていた。

今、この瞬間でさえ、獣は『生』を()やし、貴人は『死』を増殖(ぞうしょく)させている。それこそが、この二匹のためだけに(あつら)えられた死闘(しとう)の舞台だった。

 

『生の(かたまり)』であり、『死の塊』である彼らにとっての「殺し合い」は、たった一つの命を()して(あらそ)う人間や畜生(ちくしょう)とは、図式が根本的に異なっている。

この場にある、たった一つの首を切り落としたところで意味などない。

この場にある、たった一つの心を(おとしい)れたところで意味などない。

『生』は『死』を、『死』は『生』を。その存在そのものを()()()()()()()()()()()()二匹の争いに終幕(ピリオド)はない。

 

そして、それこそが萌葱色の唇が語る、台本の影に(ひそ)ませた真相(しんそう)であるかのように。

貴様(きさま)とて、大事な実験体が(うば)われたのだろう?()しくも、小僧(こぞう)一匹に。」

その侮辱(ぶじょく)とも、自嘲(じちょう)とも取れる言葉は悪魔たちの本質を(くすぐ)る。

「さらに、その実験体(こむすめ)、実にお前好みの魔女(おんな)だと言うじゃないか。」

「……だとしたら、どうだと言う。」

「その割には動きが緩慢(かんまん)なんじゃあないか。それともこれは単なる儂の思い違いか?」

獣の中の赤は、勢いを増す血と共に()()なく『狂気』に変換(へんかん)され続ける。台本が、それを求めていた。

「無論、勘違(かんちが)いではない。だが、キサマのその問いが、ワシの問いに対する答えであることにも勿論(もちろん)気付いているのだろう?」

赤は少年を、萌葱は青年を。

(なぶ)り、切り刻み、喰らい尽くすことが無上の(なぐさ)みになっていた。

 

「……実に詰まらん決着だな。」

翠色の死に神にとって、目の前の口達者(くちたっしゃ)な獣を『力』で()()()()()()()は決して難しいことではない。しかしそれこそが王への冒涜(ぼうとく)であり、彼もまた、そんな面白味(おもしろみ)に欠けた『結末』など望んでいない。

「決着?バカを言うな。」

獣は嘲笑(ちょうしょう)を浮かべている。

「もう少し、待てば良いのだろう?ワシはワシのための処刑台(ぶたい)とやらがやって来るまでは絶対に落ちん。そして、それを(ととの)えるのはキサマの仕事だ。……キサマは先刻(せんこく)、そう言ったばかりではないか。」

それは(おだ)やかな口調で偽装(ぎそう)した、獣の宣告(マーキング)だった。

すると、萌葱色の貴人はそれを聞くなり、性懲(しょうこ)りもなく新たな話題を切り出す。それは貴人の中で再び()()がってきた欲求の現れ。

蠱惑的(こわくてき)な「宣告」を、一時でも早く(まね)()れるために。芳醇(ほうじゅん)な「狂気(あか)」を、もっと臭い立たせるために。




※萌葱色(もえぎいろ)=萌え出る葱(ねぎ)の芽のような、青味がかった緑色のことです。平安時代から使われている色名で、「萌木」とも書きます。また、同じ「もえぎ」でも黄味がかった緑は「萌黄」と書きます。

※翠色(すいしょく)=青緑。または深い緑色。「翠」が「翡翠(ひすい)」という感じにも当てられている通り、若干白濁した緑も指します。

ちなみに、「翠色冷光(すいしょくれいこう)」という、「冷たく感じるような青い光のこと。また、月の光りを表現したもの。」なんていう是非使ってみたい意味の言葉もありました(^o^)丿

※首都プロディアス
公式設定でプロディアスが『首都』であるという記載はありませんが、ロマリア四将軍が市長になるというのだから、それくらいの地位でないと(はく)が付かないと思って勝手に『首都』設定してしまいました。
ちなみに、アルディアの正式名称は「アルディコ連邦」なので首都であるプロディアスがアルディア全土における政治的主権を持っていることになります。
(連邦:複数の都市、州などが一つになった国)

※帰依(きい)=地位の高い者、徳の高い者、人格者などに依存すること。仏教用語では、神仏や高僧に信心を抱くこと、祈りすがることを言います。

※豪族(ごうぞく)=その地方に土着する(根付いた)権力者、有力者の一族を指します。

※専制君主制=「専制」には、支配的立場の人が独断で全てを処理することができることを指し、「君主」には、世襲制度を起用した王様を指します。
早い話が、ジャイアン一家に国を支配されている感覚です。「お前のものは俺のものー♪」
※強装束(こわしょうぞく)、または剛装束とも書きます
平安時代末期から着用されてきた公家(男性)の装束で、糊付(のりづ)けにより直線的な折り目を目立たせたもの。
これに対して、柔らかな生地で作られ、しなやかな線を出す装束を柔装束(なえしょうぞく)(または萎装束とも書く)と言います。

※白檀扇子(または白檀扇(びゃくだんせん)壇香扇(たんしゃんせん)とも言います)
白檀という香木の木片を重ねて作られた板扇です。一枚一枚に()かし()りや描き絵で装飾を施したものが一般的で、(りょう)をとる目的よりも上品な香りを楽しむことを目的とした扇子です。

素材は「白檀」がポピュラーなようですが、他にも黒檀(こくたん)紫檀(したん)などの上質なものもあるようです。

※ムレータ
スペインで有名な闘牛。その花形でもある闘牛士が身に着ける衣装をカポーテ。牛と戦う剣をエストック。そして、エスックを隠し、牛を挑発するために使う布をムレータと言います。
闘牛といえば真っ赤なムレータを使っているイメージが強いですが、牛は『赤』を認識できないらしく、本来、色は何でもいいそうです。
逆に、観客や闘牛士が『赤』で興奮状態になるらしいです。あとは牛を攻撃した際の返り血を目立たなくさせるぐらいの役割があるとかないとか(笑)

※奸賊(かんぞく)=ズル賢い(心のねじけた)悪者のことです。

※ピカレスク(英:picaresque)=悪者の~、悪漢を題材とした~
スペイン語の「ピカロ(picaro=悪者)」に由来しているそうです。「ピカレスク」は形容詞なので、今回の場合、「ピカロ」の方が適当なのかもしれませんが、例によって語呂が良いので「ピカレスク」を使いました!

小説のジャンルにも「ピカレスク小説」という、ならず者が様々な悪逆非道を行いつつも、皮肉やユーモアで華麗さを表現するなどの、いわゆる「ダークヒーロー」を描いたような文体のものがあるようです。

ちなみに、「ピカロ」という言葉に当てはまる人物像には以下のような性格が含まれているみたいですね。
・出生に含みのある表現がある(ユダヤ系であることや娼婦の子であることなど)
・世間的に嫌われ者である(それでもカトリックにおいては慈悲を施すべき対象というズルいポジション)
・生き残るために罪を犯したり、いたずらをしたりする

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