『……そこに、アンデルがおるらしいな。』
取り次いだ侍女が状況を説明したのだろう。電話口からはいつにも増して重たく、腐臭を放つ声が俺の耳を溶かしにかかる。
『全くの予想通りだな。わざわざワシの留守中に上がり込むとは厭らしい奴だ。』
先に用件を言わないところをみるに、大臣の来訪の有無を確認するために寄越した電話のようだった。
「直接お伺いしたいとのことでしたので、客間にてお待ち頂いております。」
敢えて電話の相手が分かるような返事をしてみるが、極東の客人に表情を変える様子は微塵もない。
奴もまた、この電話そのものを予想していたらしい。
二人とも、お互いの出方に大凡の見当をつけていたということだ。
そうやって身内の腹の探り合いや利用法を模索し合っているのだろう。
特に、四将軍の中でもこの二人はそういった智略縦横の気質に富んでいた。
他に抜きん出たその能力を持っているが故に「世界の実権掌握」以外の重要な任務を王から拝命されるくらいに。
しかし、組織内で毛色の異なる智将が二人いるということは、避けがたい衝突を生み出す「弊害」とも言えた。
王の目に留まるような醜態こそ曝してはいないが、水面下で行われる二人の争いでは俺たちのような配下や奴隷がその割を食っている。
しかし、それでなんとかその場を収めることができている。それが現状だ。
だが、腐っても『智将』。本来の目的は着実に達成しつつある。それこそ「見事」としか言いようのない手際で。その上で、互いの目の前をハエのように飛び回っている。
直接手を出すことのできる者の目に留まるほどのミスを誘うように。
『……どうやらお前はまだワシの側におるようだな。』
受話器から奴の一部が爛れ落ちる。
この男の『影』であること。それが、ここに俺の存在する「意味」。だがしかし、この身をどんなに弄り回してもこの男に「成る」日は永遠にやって来ない。そう思い知らされる一言だった。
「……はい。私は貴方の忠実な『影』でございます。」
横目で盗み見た大臣はせせら笑っていた。
「所詮、『影』は『影』。主人の足下を離れるのが余程恐ろしいと見える。そんな小物が、四将軍の一角を崩そうなどと考えるとは、まるで喜劇のようじゃないか。」
そう言っているようだった。
とにかく二人の先読みには「脱帽」の二文字しか浮かばない。
ともすれば「アーク襲来」も、今、「この瞬間」も何もかもが、二人の脳内にある盤上で既に展開された光景なのかもしれない。いいや、そうに違いない。
「お帰りの予定は変わりないでしょうか?」
『無論だ。』
「では、そのようにお伝え致します。」
それでも俺が白旗を上げることなどない。
『そうしろ。あと、奴にはプランのAとDを見せておけ。後の時間稼ぎはお前に任せる。』
「畏まりました。」
俺がこの男の濃い『影』であればあるほどに、俺はそれを貪欲に求める『義務』があり、『悦び』に満たされた生の謳歌が約束されているのだから。
『目を離すな。』
「畏まりました。」
受話器の向こうの男はそう言って去っていった。
俺は与えられた命令のままに客人に視線を戻す。すると、ソレは既に俺を見ていた。俺への命令を挑発するかのように。ジットリと。
「奴は、いつ頃戻る?」
「はい。18時頃には戻られるとのことです。」
「随分と時間がかかるのだな。」
男は時計を見もせずにそう言った。今は14時。あと4時間、俺はコイツから目を離さず、かつ生き残らなければならない。
「ですので、大臣が退屈をされないようにと2つの案件をお見せするように承っております。」
「フン、良い時間稼ぎになればいいがな。」
「きっと、興味を持って頂けるかと思います。」
侍女に電話機を返し、幾つかの指示を出す。
程無くして、一杯の紅茶とガルアーノの指定した計画書を男の前に用意した。
「計画書」と言っても、正式な書類ではない。
無味乾燥な仕事を嫌うガルアーノが、より舞台を盛り上げるために思い付いた、それこそ遊びに分類されるもの。
そのため、手元に残る書類も、要点を箇条書きにした「メモ」と呼ぶべきものしかない。しかし、ガルアーノにはそれで十分なのだ。
そして、この極東の大臣も然り。受け取ると、不平の一つも溢すことなく、黙々と目を通し始めた。そうして数分。
男は、ビッシリと書き潰された2つのそれを全て把握したらしかった。
「奴にしてはよく調べているじゃないか。まさか、まだあのガラクタが動いたとはな。」
「実際には、未だ休眠状態にあります。ですが、アレの核となる回路は無傷で保管してあります。」
この男は鎌をかけている。
智将とまで称される「死に神」が、アレの再起動の兆候を見逃すはずがない。
無知な振りで、こちらの懐を曝け出させるつもりなのだ。
「……お前はこの件に関してどこまで把握しているのだ?」
「全てでございます。」
俺は、そんな明け透けな罠を全て見抜かねばならない。
「ならば今一度、キサマに問おう。」
男はラクガキの一つを指して言った。
「ヂークベック……。儂らの天敵でもあったこれを、破壊せずに利用しようと考えたのはなぜだ?」
機神『ヂークベック』。それはかつて、「勇者」と呼ばれた七人の人間を援護するために造られた、千の機械兵を統率する機械。
導き手である勇者を模して造られた奴の性能は未知数だった。
時に、鮮やかな剣捌きで100の魔人を屠る超戦士。時に、五元素を自在に操り天地を混沌とさせる大魔道士。
その演算力は度々、我々の力を退け、文字通り、彼らのための「道」をつくっていた。それ程に、アレは完成された機械だった。
しかし、不意に訪れた好機を我々は見逃さなかった。
「今や、アレの『心』は不完全であるからです。」
勇者らの奮闘により、我々は撤退を余儀なくされた。
するとアレは、役目を終えたと認識し、その機能を休眠させたのだった。
それに気付いた我々の同胞は、アレの『集積回路』を奪うことに成功した。
「心は常に完全であろうと、弱い部分を補おうと『欠片』を求めて彷徨います。」
――――機械に『心』などない。
どれだけ優れた機械を造ろうと、数字ばかりに目を光らせる技術者連中が『心』という文字を知っているはずがないからだ。
……そう、思っていた。
神の名を冠する、機神のそれに触れるまでは。
我々は、奪った『心』をできる限り細かく分解した。
「そして、我々はアレの『欠片』の全てを管理しております。大臣は……、」
アレが見付けやすいようにと各地に社を設けた。
「……我々は今、腹を空かせたネズミとチーズを手にしております。……大臣なら、どうされますか?」
男は答えなかった。鳥の囀りでも聞いているかのような涼しい顔で、俺の演説めいた問い掛けを聞き流していた。
もとより、答える必要などないのだ。此方側のモノがそれを手にした時の感情など、その一つを除いて他に考えられないのだから。
「加えて人間は、不安や恐怖の共有を趣味にしているような生き物です。この催しは、そんな珍妙な生き物たちに、ピッタリのオモチャを与えようという主人なりの愛でございます。」
そう、これはゲームだ。
聖櫃をもって『力』を剥奪された我々は、気が遠くなるほどの時を、娯楽の「娯」もない生の中に身を窶さねばならなかった。
これは、そのウンザリする時間から解放してくれた人間たちへの心ばかりの贈り物なのだ。
互いがプレイヤーになる『混乱』は、一方的な『破壊』よりも長く、深い味わいを覚えさせてくれる。俺もあの男も、それが好物なのだ。
だから壊さずに遊ぶ。
「あの醜悪な躰で『愛』を語るなど、気が狂っているとしか思えんな。」
「とんでもありません。あの方の『愛』はプロディアス市長の名に恥じず、ダイヤのように硬く澄んでおります。ただ――――、」
……ただ、それだけの事なのだ。
「――――反射する光は、人によって誤解を与えてしまうだけなのです。」
「それが気味が悪いと言っておるのだ。」
極東の大臣は『影』の冗談が気に入らなかったらしい。
話はまたも機械に戻った。
「アレが『心』とやらを完全に取り戻した時の対処も考えてあるのだろうな。」
「はい。そのためにアミーグの『塔』に細工も施してあります。」
アミーグは、ここアルディアと連なる小国。
その国で「塔」と言えば、それだけで誰にでも通じる。それほど、「神の塔」は「観光名所」として世間に浸透していた。
だが、辺境のオーパーツとしか認識されていないその建造物が実は、この極東の死に神が立案した計画の一端を担う「悪魔の塔」であることを、人間たちは知らない。
我々はそれを利用すると宣言した。
女神像の件を全く反省していないような発言をしたにも拘わらず、大臣はこれについて責め立てるような言葉を吐かなかった。
「グロルガルデを起動させたのも、お前たちか。」
……やはり気付いていたか。
「はい、誠に勝手ながら。」
『グロルガルデ』。ヂークベックと対を成すように造られた、同じ「機神」の名を冠する「対勇者抹殺兵器」。「破壊王」とまで呼ばれた凄まじい火力を誇りながら、それすらも上回るヂークベックに返り討ちに遭っている。
我々は、役目を果たせずに事切れた憐れな人形に、今一度『命』を吹き込んだのだ。
「対を成す」という言葉の通り、奴の『回路』は甦ると同時に生前の記憶に怒り狂った。
その場に居合わせた無数の技術者を殺し、一帯を焼け野原に変えた。猛々しい咆哮を上げるその様はまるで、自分が『機械』であることすら忘れてしまったかのようだった。
「活きの良いオモチャには、何をさせてもオモシロい。」
こちらの予想を裏切るその破天荒な復活劇は、我々の「娯楽」を増々貪欲にさせてくれた。
大臣は、我々の童心を鼻で笑い、憐れむようにこの短い暇潰しに幕を下ろした。
「そこまで手を着けているのなら、この件はお前たちに任せても良い。」
些か終わりが早いように思えた。だが……、
ボロは……、出していないはずだ。それでもこの男の目からは、「十分な情報を引き出した」というような色が窺えた。
「それにしても……、」
続く男の言葉は、そんな俺の不安を増長させる。
「……その『エルク』と『リーザ』といったか?余程キサマらのお気に入りのようだな。」
何処にでもネズミが湧いて出るように、情報の漏洩は防ごうと思って防げるものではない。特に、この男には。
しかし、リーザの事ならまだしも、エルクに対する主人の執着に気付かれるのは想定外だった。
その為に5年という歳月を耐え忍び、その為にリーザやヂークを用意したというのに。
「さぞ脂の乗った『闇』を肥やしているのだろうな。」
男の顔色からそれを読み取ることはできなかった。だがその声色には、プロディアス市長をも飲み込んでしまう深く混沌とした『陰』が宿っていた。
俺は、言葉の合間から滴る黒い唾に俺の耳は潰され、暫くの間、思考が止まっていることにも気付くことができないでいた。