聖櫃に抱かれた子どもたち   作:佐伯寿和2

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捕食者たちの私室 紅 その二

そいつは全てを知った上で、単身、ここに乗り込んできた。

 

「これは、アンデル大臣。生憎(あいにく)ですが、主人はただいま外出しております。」

すると、極東(きょくとう)()()ちをした来訪者は、不機嫌そうに俺との間に扇子(せんす)(はさ)むと、一言(ひとこと)、ぼやいた。

「知っておる。(わし)の計画を()まらん遊びに(つい)やしおって。」

事前の連絡もなしにやって来たこの男には、それなりの理由があるのだ。

そして、この男の苛立(いらだ)ちは当然とも言うべき内容だった。

 

この屋敷の主人であり、プロディアスの市長を(つと)める男。ガルアーノ・ボリス・クライチェックは今、先の「アーク襲撃(しゅうげき)事件」の後始末のために方々(ほうぼう)に出回っていた。その主な被害の対象になった女神像。

それは、この男がとある意図(いと)をもってプロディアスに贈呈(ぞうてい)したものだった。

そしてこの男の言う通り、俺の主人は誰の了解もなしに、それを泥人形(どろにんぎょう)か何かのように使い捨てにした。たかが二匹の獲物(えもの)(おび)()せるための疑似餌(ぎじえ)として。

つまりこの極東の大臣は、今回の作戦の失敗における(つぐな)いと再考(さいこう)の責任をこの屋敷の主人に追及(ついきゅう)するために、わざわざ自国への帰還(きかん)を遅らせ、屋敷(ここ)まで足を運んだのだ。

 

おそらく、王から直接の叱責(しっせき)を受けたのだろう。ここまで不機嫌を(あらわ)にした男の姿を見たことがない。

「結果が見えていながら主人を止められなかった(わたくし)不徳(ふとく)(いた)すところです。どうか、ご容赦(ようしゃ)ください。」

言い終わるか(いな)かの間隙(かんげき)に、俺はその不快な扇子で(もっ)(はえ)(はら)うかのように(ほお)(はた)かれていた。

「お前の言葉なんぞに興味はない。」

「……大変、失礼を致しました。」

男は謝罪(しゃざい)すら聞かず、我が物顔で屋敷の奥へと足を進める。

 

「主人を待たれるのであれば、応接間(おうせつま)へ案内させていただきますが。」

俺は男に勘付(かんづ)かれないように平静(へいせい)(よそお)って、その傍若無人(ぼうじゃくぶじん)な足を止めなければならなかった。

何故(なぜ)なら、コイツが進む先にはこの屋敷の心臓部があるからだ。いくら身内とはいえ、出来ることならそれは()けなければならない。……できることなら。

しかし、それはやはり、『秘書』ごときには高過ぎる(かべ)のようだった。

「黙っていろ。儂はそう言ったつもりだったが、キサマにはそんなに難しい言葉だったか?」

男は、それそのものが呪術(じゅじゅつ)であるかのような視線で俺を(しば)()け、再び歩き出す。

 

俺の知る限り、男は「大臣」という身分にありながら、従者(じゅうしゃ)(ともな)っている姿を見たことがない。

その理由が今、対峙(たいじ)してみてハッキリした。この男にとって、自分以外の人間は何をするにしても足手まといなのだ。『戦線』においても、『知略』においても。

 

アンデル・ヴィト・スキア。その名を(かん)するこの男はロマリア四将軍の一角を(にな)い、スメリア国の大臣をも(つと)めている。

しかし、そこにどのような理由があるのか分からないが、この男はその地位に甘んじているに過ぎない。この男にはまだ、余りある実力と権力を隠し持っている。

同じ四将軍で、プロディアスの市長であるガルアーノと同等の地位にありながら、限りなく我々の頂点に近い男。

俺の主人は常々、俺にそう言って聞かせていた。

そんな男の前で、秘書の俺は限りなく無力に等しい。

それでも与えられた職務は全うしなければならない。俺は俺の地位のために。

 

「いいえ、十二分(じゅうにぶん)に理解しております。ただ、主人の秘密を守るのも秘書の務めでありますので。」

首が飛ぶことも覚悟の上で執拗(しつよう)に男の足を(はば)み続けた苦労が、どうにかこうにか(むく)われたらしい。

男は立ち止まり、初めて俺の顔を真っ直ぐに見た。そして、閉じた扇子の先で俺の(あご)を持ち上げる。まるで捕虜(ほりょ)拷問(ごうもん)仕掛(しか)ける執行官(しっこうかん)のように。高圧的に。

その力強さは、この男の容姿と限りなく反比例していた。

「……ならば()えてキサマに問おう。」

男の目は、否定を許さない()()()()()()()()をしていた。

「キサマの主人の仕事は(すで)に終わっている。後は儂の言う通りに動けば万事(ばんじ)上手(うま)く運ぶというところまで来ている。であるにも(かか)わらず、あろうことか儂の邪魔をし、自らの愉悦(ゆえつ)(きょう)じている。これは、どういう了見(りょうけん)だ?」

男の視線は、ガルアーノよりも深く、ガルアーノよりも(あらが)(がた)い『死の色』で俺の心臓を染めに掛かる。

 

――――しかし、ここで引けば、それこそこの男の宇宙(そら)よりも()い『闇』に喰われかねない。

 

「そこまで我が主人のゲームがお気に()さないのであれば、()えて同じ土俵(どひょう)に上がってみてはいかがでしょうか。」

「儂に、猿と赤子どものママゴトのような(たわむ)れに混ざれと?」

扇子は顎を(すべ)り、首を差す。

「さ、猿でも(しつ)ければそれなりの使い(みち)がありましょう。しかし主人の顔を知らない猿は、ただの猿です。そして、優れた人間とは、()てして良い遊びと悪い遊びを心得ていると聞きます。」

さらに、さらに、男の扇子は(のど)に食い込んでいく。

「残念ながら(わたくし)は、あくまでもガルアーノ・ボリス・クライチェックの部下です。あの方を(おとし)めるようなお手伝いこそできませんが、あの方を()()()使()()()()()()()()()()()、私は大臣の計画に尽力(じんりょく)(いた)しましょう。」

言い終わると、俺は『死の芳香(ほうこう)(ただよ)わせる男の手から解放されていた。しかし差された喉は、ナイフの腹を押し当てたかのように、薄く()かれていた。

それでも男は、俺の対応一つでこの茶番の幕が降ろされるのだということを(ほの)めかす。

「なるほど、奴の子飼(こが)いだけはある。その小賢(こざか)しさは猿そのものよな。」

恐縮(きょうしゅく)(ぞん)じます。」

(くる)(まぎ)れのいい訳など、見抜かれるのは承知(しょうち)の上だ。今はただ、この男の気を引ければそれで十分なのだ。……いいや、十分過ぎることだ。

 

(いや)しい獣臭さを(ほこ)るキサマに(めん)じてやろう。……客間まで案内しろ。」

「感謝いたします。」

だがしかし、俺のささやかな要求を受け入れたとはいえ、スメリアの「影の王」とまで(ささや)かれるこの男が次に何をするか知れたものではない。

()(ちが)いざまに、屋敷の下女(げじょ)へと手信号を送り、ガルアーノの部屋の()()を一つ残らず隠し金庫にしまうように命令する。

すると、男は俺の組織力の甘さを鼻で笑い、(しわが)れた声で皮肉(ひにく)(こぼ)す。

随分(ずいぶん)優秀(ゆうしゅう)な部下じゃないか。」

 

……なぜだ?

信号(サイン)は男の死角で行った。女が動き出したのは俺たちの姿が見えなくなってからだ。

だというのに、俺の後ろを歩くこの男には全てが筒抜(つつぬ)けていた。

だが、今の俺にその動揺(どうよう)を表に出すことは許されていない。あくまで平静に、男を()()()()()()()()()を演じていなければならない。

「私の主人は片付けを嫌う(たち)でして。子どものオモチャから某国(ぼうこく)の大臣を暗殺する計画書まで。部屋中にあの方の心象(しんしょう)を悪くするものが散乱(さんらん)しております。すると、貴方(あなた)様のような賓客(ひんきゃく)をお迎えする我々、使用人の心労は()まる一方なのでございます。」

 

このままでは、この男に何もかも(あば)かれてしまう。

……まるで時限爆弾を(かか)えているような気分だ。

「ならばなぜ、奴が片付けを嫌うか。それも知っておるか?」

この男はそうやって、俺の前に(いく)つもの火の輪を仕掛ける。それらを必死に(くぐ)()けるライオンを、待ち時間の座興(ざきょう)にでもするつもりなのだ。

 

そして俺は、男が投げ掛ける如何(いか)なる問いにも答えることができてしまう。何故(なぜ)なら俺は、そうあるように()()()()()()()()()()()

「蜜に誘われてやって来た虫たちを喰らうことが、あの方の楽しみの一つだからでござ――――」

「そうして喰らった虫ケラどもの記憶が、あの男の(なぐさ)みにもなっている。……(みずか)らの(あわ)れな存在を肯定(こうてい)するために。」

男は、これから使うであろう俺の(逃げ道)に予防線を張るかのように、俺の答えを補足した。だが俺もまた既に、伏線(ふくせん)は引いてある。

『本番』は、これからなのだ。

 

「……ククク、滑稽(こっけい)だな。虫を()んでいないと正気を(たも)っていられない化け物。いや、実に愉快(ゆかい)な絵図ではないか。」

「ご要望(ようぼう)とあらば、その化け物が()(もだ)える姿もお見せ致しましょうか?」

「どうするつもりだ?」

俺に手札を隠す余裕(よゆう)などない。まだ、ここで死ぬ訳にはいかない。

「簡単でございます。私があの(かた)の代わりを務めれば良いのです。」

そう。それこそが俺の本職であり、俺の正体なのだ。

「キサマ、やはり(スケープゴート)だったか。……しかし、自らその存在をあやふやにするとは、いよいよもってあの男に価値を見出(みいだ)せんな。」

「とんでもありません。あの方にはまだまだ()()()()()()()()()()が山のようにございます。」

その一言が、伏線の効果を現した。

 

男の目付きが、俺という存在の真の姿を見極める、この男の本来の目に変わっていた。そして、最も近しいと思われる仮定を俺の前にチラつかせる。

「……()たして、キサマに()()を食うだけの実力があるかどうか。見物(みもの)ではあるな。」

負けじと俺は一つの扉の前で立ち止まり、男の興味をさらに後押しする。

「『野心のない水を吸って生きる大木は血を薄め、(またた)()()ちていく』、あの方が我々に()した(めい)の一つでございます。」

 

瞬間、アンデル・ヴィト・スキアは、その絶対的強者の手でもって俺の顔を鷲掴(わしづか)む。込められる力は熊のような怪力。俺はただただ、それに耐えねばならない。

「いいだろう。……猿どもの申し出に乗ってやろうではないか。」

この男もまた、(おのれ)の快楽に(きょう)じてしまう心の弱さを持っていた。そこにこの男の思惑があったとしても、それを仕向けたのは間違いなく俺なのだ。

ただ一つの問題は、この男が果たしてどこまでを「遊び」と(とら)えているか。それに掛かっている。

「ただし儂が勝利した時、キサマはあの男の足下に()していることになるだろうがな。」

それを聞いて、俺は安堵(あんど)した。この命など、俺の『野心』の前には小石程度の損害でしかない。

「お手柔らかに願います。」

 

そして、待ち望んでいた助け舟は絶好のタイミングでやって来た。

「クライチェック様、ご主人様からお電話です。」




※再考=同じ問題や課題に対して、もう一度考え直すこと。

※万事=すべての物事。

※組織力=組織が動く時に発揮される実行力。また、その時に与える周囲への影響力。……が本来の意味ですが、ここでは組織間で情報をやり取りする技術的なものを指していると思ってください。
独自の暗号や、その伝達方法。その実行力など。
まあ、意味合いはそんなに変わらないと思いますが、念のため。念のため。

※スケープゴート=責任を転嫁するための身代わり。不満や憎悪を他にそらすための身代わり。
これもまた、ニュアンス重視で言葉を選んでしまいましたが、要は「影武者」的な意味で受け取ってください。

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