聖櫃に抱かれた子どもたち   作:佐伯寿和2

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汚れた歌姫 その一

シュウが仕事に出たまま帰ってこない。書き置きやメッセージもない。

一月姿を見せないのも(めずら)しくないけど、今回に限って嫌な予感がした。

それに、俺たちは今夜中にインディゴスを出る。その前に打ち合わせの一つもしておきたかったんだが。

…今は夜の7時。

「ちょっとその辺、見回ってくる。1、2時間で戻ってくるから。」

緊急時(きんきゅうじ)対処(たいしょ)信号灯(しんごうとう)(あつか)(かた)を教え、俺はリーザを家に残して夜の町に出た。

 

夜行性のインディゴスは昼よりも人で(にぎ)わう。小さな立呑屋(たちのみや)から人が(あふ)れる光景(こうけい)は昼の陰気臭(いんきくさ)い面をいくらかマシに見せてくれる。

さあ、どこを(さが)してみるか。

とりあえずこの町で贔屓(ひいき)にしてるバーに行ってみることにした。

「なんだ、エルクじゃねえか。いつこっちに来てたんだ?」

(ほど)よく暗い。店内の広さに対し照明(しょうめい)が十分な光量(こうりょう)(はっ)してないからだ。そもそもの照明の数だって少ない。

BGMも蓄音機(ちくおんき)が一つあるだけで、食器のぶつかる音の方がウルサイ。

それでも観葉(かんよう)植物やら水槽(すいそう)、開店中にも(かか)わらず()()げられた椅子(いす)(かべ)役割(やくわり)になって別のテーブルの話し声は聞こえなくなっている。

マスターに聞くと、「酒を飲むと人はどうしたって内緒話(ないしょばなし)をしたくなるから」だとか「グラスの音一つで酒の味が変わるもんだ」だとかいう理由でこんな物静(ものしず)かな雰囲気(ふんいき)にしているらしい。

それはマスターなりの気配(きくば)りやバーテンダーとしてのプロ意識がそうさせているのかもしれない。

けれど、酒の味を知らない俺からすれば酒を愛してる奴らの背中が(みじ)めに見えてしかたがねえ。

だから時折(ときおり)店内に(ひび)くキューが玉を()く音。玉と玉がぶつかる音。玉がポケットに落ちる音も、コソコソと隠れて人の裏を()こうとするインディゴスの性格をよく(あらわ)しているようでどこか物悲(ものがな)しく聞えちまう。

 

「3日前。ところで最近、シュウ見てないか?」

俺もシュウも好んで酒を飲む方じゃない。それでもマスター、ビル・ベイクマンと名前で呼び合えるのは、たまに無償(むしょう)でマスターの面倒事(めんどうごと)を引き受けたりしてるからだ。

厄介(やっかい)な客を追い払ったり、厄介な荷物を運んだり。依頼人(いらいにん)との顔合わせの場所にも使ってる。

だから『シケタ客』以上『便利屋(べんりや)程度(ていど)認識(にんしき)を持ってもらっている。

「なんだ、シュウ探してんのか?生憎(あいにく)、ここ数日は顔を見せてねえな。」

(あきら)めて帰るか。それとも、もう少しだけ探してみるか。

 

「それで、何にするよ。」

そう言ってきたビルは心なしか浮き足立っているように見える。

「いや、やめとくよ。少し急いでるからさ。」

「なんだ。せっかく良いモンが見られるってのに、見ていかねえのか?」

そういえば(めずら)しく店の中がザワついていやがる。いつもは(せき)の半分(うま)ってりゃ繁盛(はんじょう)だって店がほぼ満席(まんせき)なんて。

この町もいよいよ本格的(ほんかくてき)職業難(しょくぎょうなん)なんじゃねえか?

「なんだ、マジシャンでも(やと)ったのか?」

それともストリップショーか?客だけじゃなくスタッフ連中も奥にあるステージに視線を向けてソワソワしてやがる。

「この町には()しいくらいの()()()()のショーさ。まあ、(こま)けえこと聞かねえで見てけよ。」

すると、注文(ちゅうもん)もしていないビールが寄越(よこ)された。

「……トマトジュース。」

「いつまでも酒の味が分かんねえんじゃ、アルディアに(とどろ)く『炎』の名が泣くぜ?」

ビルはクツクツと笑いながらも手際(てぎわ)よくドリンクを作って寄越した。

『炎』は賞金稼(しょうきんかせ)ぎとしての俺の異名(いみょう)だ。ここ東アルディアではそこそこ名が通っている。

そのお(かげ)で今回も、同業者(どうぎょうしゃ)に追われずにすんだことを考えれば、まあ悪くない称号(しょうごう)だった。

 

店内の様子を(うかが)ったりビルと他愛(たあい)もない会話をしていると唐突(とうとつ)に、陰気(いんき)な酒場に()つかわしくない甲高(かんだか)いヒールの音が店内に(ひび)(わた)った。

「お、そろそろ始まるぜ。」

シケタ町の()えない店だが、そのヒールが音を立てれば、店の四隅(みせ)()まった(ほこり)が「気品(きひん)」に変わって舞い上がってるように聞こえた。

酒の入った粗野(そや)なコールも、心なしか(やわ)らいでに聞こえてくる。

薄暗くて姿は見えないが、彼女の真っ赤なヒールだけは薄闇(うすやみ)を切り取ったかのようにやけに()えて見えた。

優雅(ゆうが)な足音とは裏腹に、淡白(たんぱく)歩調(ほちょう)長身(ちょうしん)の女がステージの中央に進み立つ。

()ろされたスポットライトを()()ぐに()び、(あらわ)れた短髪(たんぱつ)の美女はピアノに(いや)らしく片手を()えると、挨拶(あいさつ)もなしに歌い始めた。

 

『And with the twinking of the light…』

 

……奇妙(きみょう)な感覚だ。

10m以上離れたステージからマイクを使ってるのに、カウンターにいる俺の耳元で(ささや)いているように聞こえる。

歌の内容は、小洒落(こじゃれた)た町の恋する音楽家たちの心情(しんじょう)(いき)な言い回しで表現(ひょうげん)したものだった。

彼女の歌声は、まるで寝物語(ねものがたり)を聞いているかのようにありありと情景(じょうけい)を浮かべさせる。

 

知らない歌だった。

彼女自身を題材(だいざい)にした歌なのか?

浮かぶ情景(じょうけい)に現れる片想いの女は彼女と同じ姿をしていた。

 

そして、(せつ)ない情景の合間々々(あいまあいま)に、歌とは関係ない人間の影が見える気がした。

傷つき、泣いている女。

(せま)られ、(うば)われ、逃げている女。

彼女はずっと泣いてる。

片想いよりも残酷(ざんこく)な、戦場よりも血に(まみ)れたな運命(ナイフ)が彼女の身体(からだ)を深くユックリと、()()いていく……。

 

曲調(きょくちょう)はとてもシットリとした、グラスを(かたむ)けて一日の終わりを()()める男たちを(ねぎら)う優しい歌だ。

だけど、どうしてだか俺にはこれが悲劇(ひげき)を歌っているようにしか聞こえなかった。

 

 

歌を聞けば聞くほど、歌のために(ととの)えたであろう声で日常(にちじょう)()ごしている彼女の姿が頭にこびり付いた。

両耳に着けた大きめのフープイヤリングは天使の輪のように幻想的な(かがや)きを()(はじ)める。

…非現実的な光景(こうけい)

そう、彼女は本当はこの世にいない人なんだ。

歌う時だけこの世に姿を見せる「妖精」。

そう思わせるだけの歌唱力(かしょうりょく)が彼女にはあった。

「誰だ、あれ?」

「まあ、黙って聞いてろよ。」

ビルは目を(つむ)ったまま、()れた手付きで洗ったグラスを(みが)きながら歌姫の声に()いしれていた。酒臭い男連中も口を(つぐ)み、歌に聞き入っている。まるで年代物のワインの(かお)りを楽しむように。

それだけの価値(かち)があるってことは俺にでも理解できた。

学はない、でも彼女の歌声は俺が知ってるどの楽器よりも「命」に(あふ)れていた。

聞いているだけで心の疲れが()けて消えていく。

「夢見心地」、そんな言葉でしか表せない自分がもどかしく思えるほど、彼女の声は美しかった。

 

「…良い歌だな。」

歌姫のアンコールは鳴り止まなかった。歌姫はその後も2、3曲ほど歌い、()しまれながらもステージを後にした。

「子どもでも分かるとなると、ますます大したもんだよな。」

()()けると、ビルは満足げな笑みを浮かべて話を戻した。

「つい先日、流れてきたばかりでな。(ため)しに歌わせてみたら、これが大当たりよ。」

たった数日でこの人気。あの歌唱力なら納得(なっとく)できたが、彼女にはもっと別の『何か』が魅力(みりょく)としてあるような気がした。

「こんな町に流れてくるなんて、どうせ札付(ふだつ)きなんだろ?」

「だろうな。詮索(せんさく)はしてねえが、彼女の周りにゃ(つね)(あや)しい連中がいるって話だ。この町の人間ならそれだけで十分な名刺(めいし)()わりだろ?」

ビルいわく、裏口にガタイの良い黒服の男が(むか)えに来ているのだとか。身売りや犯罪組織の穏便(おんびん)なやり口としては、なに珍しくはない。それにしては歌のレベルが高過ぎる気もするが。

聖歌(せいか)やオペラを聞いたかのような清々(すがすが)しささえも覚える。できればまた聞きたい。

この俺でさえそう思わせるほどに、彼女は本当に(すぐ)れた歌手だった。

「なんだって構わねえさ。犯罪者だろうと貴族様だろうと、しばらくはあの歌姫に(かせ)いでもらわにゃ。」

「そうだな。」

願わくばまたここに戻ってくる時までは。

 

彼女のいなくなったステージ上に、「歌姫」の姿を思い描く。

ライトアップされた彼女の、(わず)かに青みがかった短めの髪は、ガラス(かん)の中で放電(ほうでん)する青い稲妻(いなづま)のように繊細(せんさい)で危険な印象(いんしょう)を覚えさせた。

「まあ、誰にでも言いたくないことってのはあるよな。」

「なんだ、ガキのくせ一丁前(いっちょうまえ)になこと言いやがって。」

「あ?」

「そういう知った風な口を()きたきゃ、まずはグラスの一杯(いっぱい)でも(かわ)かしてみるんだな。」

ショットグラスをチラつかせながらマスターは楽し気に言った。

「…(ひま)な時にな。」

店を出ると俺は無意識に深呼吸をしていた。おそらく、中と外の空気が(まった)く別物に感じたからだ。それは夢の国から出国(しゅっこく)する手続きのようだった。

「帰るか。」

時計塔(とけいとう)を見上げると夜の8時半。リーザが飯を作って待ってるかもしれない。




※ビル・ベイクマン
バー(酒場)のマスター。名前は私の創作です。

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