「……どうした、賞金稼ぎ。お前の仕事なら終わっただろう。」
気が付けば、俺は4本の鉄パイプを手に、夜の群れの前へと進み出ていた。黒づくめは予想された展開に思わず嘲笑の唇を浮かべる。
「見ていたよ。お前も、随分腕を上げたようじゃないか。だが――――、」
状況が変わったことを敏感に察した彼女は悲壮感を顔に貼り付け、こちらへと振り返る。……そうだ、俺は『彼女』に二度とあんな顔をさせないために『賞金稼ぎ』になったんだ。
「我々の前へ出てくるにはまだまだ早いよ。」
男は徐に胸元へ手を差し込むと、マフィアの代名詞を取り出し、その穿たれた矛先を俺へと向ける。
後ろでは彼女が何事かを叫んでいる。けれど今の俺にその言葉は届かない。
彼女の嘆願は、オルゴールと一緒に鳴り止んでいた。
「聞こえるか?お前がここで出しゃばれば、逆に彼女へ迷惑を掛けるだけだと思うのだがね。」
それを聞き届けてしまえば俺が弱ることを、男はよくよく理解していた。
「お前はもう、そういうことに気付いても良い年頃だろう。」
男はそうやって俺を、俺自身の『炎』をチラつかせて追い返そうとしていた。ところが――――、
「……いいや、」
何を思い付いたのか、男は急に話の矛先を変え始める。
「そうだな。例えば、ここで我々から彼女を無事に救い出したとしよう。」
俺は男の言葉に促されるように、一歩、彼女に近付く。
「その後はどうするつもりだ?」
更に一歩、前に進み出ると、彼女を取り囲む10数人の夜たちは各々の懐に手を差し込んだ。
「お前は何処に潜んでいるとも知れない私たちを相手に、延々と彼女を護り続けるつもりか?」
コイツらは俺の何かを知っている。言葉の端々に俺の過去が見え隠れする。それでも俺はまた、一歩先へと足を踏み出す。
「面白い。ならば、出来るものならやってみるといい。だが、断言しよう。お前は必ずや後悔することになる。」
挑発されていることには気付いている。男は俺を焚き付けて「不可抗力」で俺を始末しようとしている。彼女の目の前で。
「お前はその『炎』で多くのものを焼き払うだろう。そうして、その消し炭を見下ろした時、お前は初めて知ることになるのだよ。」
男の言葉は俺の『ソレ』を確実に『針の筵』へと変えていく。俺が痛みに弱いことも、この男はよく見抜いている。
言葉は男の指先と連動しているがごとく、引き金を沈めていく。引き金もまた、その身体に仕込まれたバネを軋ませ、男の言葉に句読点を打つ。
それらは俺に、仕掛けるタイミングを「今だ」、「今だ」と誘発しているようにも聞こえた。
「自分の『炎』がどれだけ哀れで、どれだけ無力なのかを――――」
――――瞬間、俺はこの目に映る全ての世界の空気を焼き払った。
雷鳴をも凌ぐ炸裂音が、静観を決め込んだ闇夜を刹那に飲み込む。
まともに殺り合えば俺を捩じ伏せられる男たちの動きを、ほんの僅かの間、制限することができた。
間髪入れずに俺は手にする赤く燃え上がる鉄パイプを、彼女を包囲する男たちに向かって投げ打つ。
すると、鈍い悲鳴は俺の期待よりも多くの男たちから上がった。
闇夜を掻き分けて注視すると、狼が、彼女の進路を遮る男たちを蹴散らしていた。
五感だけで言えば、男たちよりも遥かに鋭く、繊細なはずのソイツは、先の爆音に気を失うどころか、絶好のチャンスを絶好のタイミングで行動に移していた。
俺を挑発していた男は狼の行動に虚を突かれたらしく、振り返り、驚きの表情を浮かべていた。
「バカな!!」
女の子の行動力は不自然に優れていた。
狼に目を奪われている男のさらに裏を突くように、真横を駆け抜けた。男は、闇夜にたなびく金の小麦の一房も掴むこと叶わず、彼女の無謀な脱兎を許してしまう。
「こっちだ!!」
そう、誘導してやるだけでよかった。
その不自然なまでに上手く事を運んでくれる彼女の無駄のない動きが、俺の脳裏に「手を貸して良い相手かどうか考えろ」と言う育ての親の言葉が浮かんだ。
だが、迷っている暇なんて何処にもない。全ては爆音が鳴り止む前に展開していく。
躊躇なく飛び込んでくる彼女を抱き上げ、船の丸い頭を駆け下り、船と管制塔を結ぶワイヤーに飛び移る。
曲げた鉄パイプを滑車代わりに、そのまま管制塔内部へと飛び込んだ。
振り返る暇も惜しみ、俺たちは奥へ、奥へと逃げ込んだ。奴らの目の届かない所へと――――
――――逃げるネズミを、夜は追わなかった。労う闇夜を羽織り、憐れな実験動物たちに訪れる僅かな幸せを嘲笑うばかり。
「……良かったのか?」
「問題ない。むしろ、好都合と言うべきだろう。」
硝煙を上げる黒鉄の矛を愛おしげに見詰め、これからの展開を想像する。
「……おそらくあの方はここまで読んでいたに違いない。」
「その為に複数の作戦を敢えて決行したと?」
「ククク……、並行する作戦はまだ続いているよ。いいや、より親密になっている。そして、奴らが悲壮の気色に染まる頃、絡み合うそれらは一つになっているのだろう。」
男は肩を震わせて笑っていた。
「俺には理解できん領域だな。」
「ルガータ、理解は『愉しむ』ことから始まるそうだぞ。今はただ、あの方に踊らされていればいい。」
「何をバカな。俺は既に充分愉しんでいる。毎日、全身から聴こえる喧しい笑い声をどう宥めるかで四苦八苦しているくらいだ。」
「そうだろうな。だからお前たちは上手く馴染んだ。」
後始末に取り掛かる部下たちを尻目に、二人は一つの亡骸に近付く。
男たちは見下ろし、空き瓶でも転がすように死者の頭を踏みつける。
「コイツにも、それだけの器量があれば、身内の安否などに囚われず、良い夢を見ることができたというのに。」
少年は逝く。
手渡された『力』に弄ばれ、命を賭して求めた目的を果たすこともなく。
――――アルフレッド・ドゥ・ウ・オム。
産まれた頃より無能だった彼は、掃き溜めに生きる両親からさえも見限られる。
しかし、彼には唯一、愛し合える姉がいた。美しく、優しい姉は、傍にいるだけで幸せを感じさせてくれるような人だった。
愚かな彼は幸せに満たされる喜びを知り、同じ想いを姉に贈るべく、働き口を探す。
姉は美しく、優しかった。だからこそ、彼女をより幸せにするために、大きな仕事を求めた。
一生分の幸せを貰った己の身体はもはや、彼にとって『道具』にしか見えていなかった。
すると、望む望まぬに拘らず、『生』を顧みぬ愚者から滲み出る腐臭が小蠅たちを呼び寄せるまでにそう時間は掛からなかった。
しかし彼の瞳には、群がってくる蠅さえも天使に映ったかもしれない。
愛する姉への幻想に盲目な彼は、姉弟を結び付ける唯一の絆さえ彼らに捧げてしまう。
「全ては愛する姉のため」
しかし、醜い天使たちが、美しく、優しい姉を幸せにするはずなどない。
そんな当たり前のことに気付いた時、彼にはもう、自分の意思で動く手足がなど残っていなかった。
彼は逝く。
姉の愛の深さ、重さを知らぬままに――――
彼女が誰を求め、何に幸せ感じていたのかを知らぬままに――――
「amen」
彼の傍らで、ただ一言。歌姫の御使いが彼の死を悼む。
「彼に幸あれ」と、死者の命を天に乞う愚行はたった一人の弟によく似ていた。
『amen』
傍観を決め込んでいた闇夜も、厭らしい満月も、御使いの清廉な『声』に導かれて復唱する。復唱は輪唱へ、輪唱は合唱へと、形無き者たちの『声』を集める。
――――amen……amen……amen……amen……amen……amen……amen……amen……amen……amen……amen……amen……amen……amen……amen……amen……amen……amen……amen……amen……
それは、たった一人の見窄らしい男を愛するためだけに歌われる、誰の耳にも届くことのない讃歌。
愛に生きたが故に死ぬ男、復活を許されない憐れな弟へ捧げる鎮魂歌だった。