聖櫃に抱かれた子どもたち   作:佐伯寿和2

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姉弟のレクイエム その九

男が、倒れていた。

雷鳴(らいめい)()()かれた夜が落ち着きを取り戻し始めた頃、舞台上を(のぞ)き見るとそこにはまた、予想を裏切る光景が広がっていた。

そして、その光景の中心に立つ()()()()鹿()はまた、その瞳に別の色を宿(やど)していた。

 

野鹿の濃褐色(ブラウン)の瞳に忍び寄るのは、無数の『(くろ)』。

「一体、何をするつもりだったのだね?」

ゾロゾロと、野鹿を取り囲むように物陰(ものかげ)から現れたのは、飛行船の周囲を彷徨(うろつ)いていた『黒づくめ』たちだった。

 

――――コイツらは、ヤバい

瞬間、俺はそう感じた。

甲板(かんぱん)に上がってからついさっきまで、俺は何度となくこの舞台を見回した。だが、何処(どこ)にも人影らしきものはなかった。雷野郎の『力』だって、船の(いた)(ところ)を焼いたはずだ。それなのに、コイツらは気配さえ感じさせなかった。

そして今は反対に、この漆黒(しっこく)の闇夜の中でさえ()()()()()()()()(まと)ったこの存在感は、野鹿たちを上回る化け物として感じずにはいられなかった。

 

10数人寄り集まった男たちは皆、黒のスーツで身を固め、黒のソフト帽を目深(まぶか)(かぶ)っている。その姿はまるで、ジャケットを広げれば羽根に、帽子を取れば赤い目と黒い耳が……。そう、甲板の上に横たわる蝙蝠(こうもり)たちに……いいや、もっとヤバいものに化ける気がした。

 

黒づくめの一人が、落ち着いた足取りで数歩、野鹿に近寄った。

「君は死なない。何故(なぜ)なら君は我々の大切な客人であり――――、」

野鹿もまた、俺と同じ感覚のようだった。さっきまでは蝙蝠に狼をぶつけることに躊躇(ちゅうちょ)などなかったのに、今は飛び掛かろうとするソイツを必死に押さえ付けている。

 

彼らが近付いても、野鹿は退()がらない。退がれないのかもしれない。狼だけが主人の安全を(まも)ろうと(うな)(ごえ)を上げ、黒づくめたちを牽制(けんせい)し続けていた。

 

「そして、」

しかし、首輪の付いた犬には「興味がない」とでも言うように、進み出る黒づくめは毒々しくも甘い声で(おのの)く野鹿を誘惑し続けた。

「――――、私たちの大切な家族になる人間なのだからね。」

 

突如(とつじょ)として現れた役者の声は台詞(セリフ)()()()()()()()。そこには演じる『意思』すら感じられない。

「さあ、どうするね?」

しかしその役者の声は、今までの誰よりも甘く、重く舞台を(ひび)かせる。空気に溶け込んだ男の声は、肺に(から)()き、吐き出すことも(かな)わない。

俺が()()てる『勇気』を()(にじ)り、前へ、前へと進む。

「君がこれ以上、()(まま)を言わなければ無駄な犠牲は出ない。」

男は登場から数分の内に、舞台の全てを掌握(しょうあく)していた。

 

『犠牲』……、それは雷野郎のことなんかじゃない。間違いなく、今、この場に居合(いあ)わせた俺のことを指している。

勿論(もちろん)、その(けだもの)の同行も許そう。」

狼は()()ける黒づくめの視線に萎縮(いしゅく)などしない。しかし、主人を()退()けて(おそ)()かることもしない。

完全に、全ての決定権を一人の女の子に(ゆだ)ねている。

 

 

――――彼女は逃げられない。

俺は、どうしようもないこの現状を打開(だかい)する手段が彼女にないことを(さと)った。

例えこの場を切り抜けたとしても、黒づくめたちの目はこの国の全てを見ている。

「我々が、君の身の安全を保障(ほしょう)しよう。」

奴らは(いつわ)りの『正義』を(かさ)に、あらゆる人間、あらゆる機関を味方につけて追い詰めてくる。

この国でマフィアは、警察よりも強力な権限を持っている。

世に現れる有能な人間は皆、彼らに取り込まれる。それは最早(もはや)、この国では常識になりつつある。

そして、彼女が逃げ、見付かる度に『犠牲(いけにえ)』が舞台上に横たわることになる。今、奴らが口にしたことは伊達(だて)でも酔狂(すいきょう)でもない。

年端(としは)もいかない女の子が()えられないような惨状(さんじょう)を、繰り返し見せ付ける。そうして彼女から、逃げる『意欲(いよく)』を()()としていくつもりなのだ。

 

蝙蝠を目の前にしても(おく)さなかった野鹿が、(あき)らかな(おび)えの表情を顔に()()けていた。恐らく、黒づくめの言葉も(ろく)に耳に入ってないに違いない。

しかしそうなると、ここでもまた――――、

「……そうか。そうだったな。人は、『結果(しっぱい)』を経験して学ぶ生き物だということを失念(しつねん)していたよ。」

ビクリと(かた)を震わせる野鹿。

……そう。元から奴らのシナリオでは、『俺』という()(にえ)がこの無味乾燥(むみかんそう)祭壇(さいだん)(ささ)げれることになっていたのだ。

 

「ルガータ。」

名前を呼ばれた大男がズイッと群れから一歩前に進み出ると、リーダー(かく)の男はまるでよく知る旧友(きゅうゆう)を呼びつけるように、()()れしく俺の名を口にした。

「『炎』のエルク。出てこないか。我々の姫がお前の(おど)る姿を見たいそうだ。」

バタッ!

金髪の女の子は(つまづ)き、前のめりに倒れ込んでいた。

 

彼女は立ち上がる間隙(かんげき)さえ()しみ、リーダー格の(すそ)(つか)んで目を見開き、男に懇願(こんがん)するのだった。

「私、行きますから!言うこと聞きますから!」

「本当かね?」

「……本当です。もう、逃げませんから。」

女の子は、その小さな(くちびる)から吐き出される一言一句(いちごんいっく)が、その身を彼らの用意する(おり)()()ける呪いの言葉になることを知っているようだった。

()()()()()()()()()()()()、今後しないと(ちか)えるかい?」

「……はい。」

俺はまた、出る()()()()()(のが)してしまった。

 

「そうか、これで我々も安心できる。無論(むろん)、君もだ。リーザ・フローラ・メルノ。」

男は金髪の女の子に手を()()べた。

「我々は君を歓迎(かんげい)しよう――――」

しかし、それが女の子に届くよりも早く、狼が割って入り、牙を()く。

「パンディット、大丈夫だから。……お願いだから落ち着いて。」

彼女は言葉を染み込ませるように、熊のような体躯(たいく)に手を()え、深く、深く、顔を(うず)めた。

「これは失礼。どうやら君の()()はまだ気持ちの整理がついていないらしい。」

「こちらこそ、すみません。この子には、よく言って聞かせておきますから。」

「……フム、二人は本当に良い友人なのだな。我々も君の友人に理解してもらえるよう、誠心誠意(せいしんせいい)を込めて()()さねばなるまい。」

それもまた、彼女への呪縛(じゅばく)にしか聞こえなかった。

 

 

「君は先に行っているといい。私たちはこの散らかったゴミの後始末(あとしまつ)をしなきゃならない。」

「後始末」という言葉に、過剰(かじょう)に反応した女の子は思わず男の顔を見上げ、信用するだけ(むな)しい男たちの言葉を確認した。

「約束は……」

男は手を胸に添え、あくまで紳士的(しんしてき)口調(くちょう)をもって女の子を(なだ)める。

「『安心だ』と言ったばかりじゃないか。心配することは何もない。彼を手に掛けることもしない。この一命(いちめい)に誓おう。」

男の言葉に『嘘』の色はない。女の子もそれを読み取ると、狼の身体を支えに起き上がり、夜の群れの中へと歩み始めた。

……俺はまた、『彼女』に助けられた。

 

俺は、無様(ぶざま)だ。

普段なら、これくらいの逆境(ぎゃっきょう)にビビることなんかないのに。『炎』の中で見た光景がダブっただけで足が(すく)んじまってる。

物陰で(うずくま)り、頭を(かか)え、聞こえてくる『呪詛(じゅそ)』を懸命(けんめい)に追い出すことしかできないでいる。

 

 

 

――――すると、何処からともなく心悲(うらがな)しいオルゴールの音色(ねいろ)が聞こえてくる。

 

その郷愁(きょうしゅう)(さそ)旋律(せんりつ)は、どこかで聞いたことのある曲だった。

……とても(なつ)かしい。そうだ、これはいつかの友だちが好きだった曲。けれどもそれは、俺にとって(わか)れの曲でもあった。

耳鳴(みみな)りのように鳴り始めた旋律は、俺の視界を万緑(ばんりょく)で染め始める。新緑(しんりょく)絨毯(じゅうたん)に、翠色(すいしょく)天井(てんじょう)。そして、鋼鉄(こうてつ)を思わせる()深緑(しんりょく)城壁(じょうへき)

 

それは延々(えんえん)、延々と続いた。走れども、走れども、それは変わらず俺たちを真っ直ぐに見据(みす)えていた。()かされているかのように、二人は『(彼ら)』の中をデタラメに走り続けた。

絨毯は悪戯(いたずら)に二人の足を取り、天井は二人の居場所を逐一(ちくいち)(さえず)る。そして、城壁は二人の進む先にイチイチ()(ふさ)がっては、二人の無力を見下し、北叟笑(ほくそえ)む。

 

「私はもうダメ……」

旋律は、『緑』の中で(うずくま)って(むせ)()く女の子までも浮かび上がらせた。

「アナタだけでも……、逃げて……」

女の子の手を引いていたはずの男の子は、幾度(いくど)となく振り返りながらも女の子から遠ざかっていく。

「……お願い……」

『緑』の彼方(かなた)から飛んでくる怒号(どごう)()(つぶ)され、女の子の泣き顔は少しずつ(ゆが)んでいく。

「きっと……、待ってるから……」

 

――――オルゴールは鳴り続ける。女の子のか細い悲鳴を隠すために。

 

――――オルゴールは鳴り続ける。男の子の頼りない嗚咽(おえつ)を隠すために。

 

 

気付けば俺は立ち上がり、得物(えもの)を両手に分不相応(ぶんふそうおう)な舞台へと上がっていた。

 

もう板金(ばんきん)爪弾(つまび)心悲(うらがな)しいメロディは聞こえてこない。

別れの歌は、(うずくま)る男の子の、耳を塞ぐ臆病(おくびょう)な手の平から鳴っていたからだ。




※万緑(ばんりょく)=見渡す限り、木々が緑で覆い茂っている様子。

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