聖櫃に抱かれた子どもたち   作:佐伯寿和2

57 / 235
姉弟のレクイエム その八

()もなく、アザラシはキツネの小さな(あぎと)()()せられたまま、動かなくなった。

化け物同士が争うことは珍しくなかったし、どちらかと言えば見慣れているはずだった。

それなのに、その化け物の後ろに非力な野鹿がいるというだけで、なんだか全く別の、『宗教画』を見せられているような気分にさせられた。

 

それはどうやら雷野郎も同様だったらしい。()()()()()()()()()を前にしたかのように目を見開き、バカみたいに口を()けたまま固まっている。

俺だって唐突(とうとつ)な野鹿の登場に度肝(どぎも)を抜かれたが、(すき)だらけの雷野郎を見て反射的に体が動いていた。

四方には蝙蝠(こうもり)たちが(ひそ)むのにお(あつら)()きの闇の()まり()(いく)つもあったが、奴らが俺に狙いを付けて動き出すよりも俺の得物(えもの)が雷野郎に届く方が速いはずだ。

それに不思議と、背後から蝙蝠たちに(おそ)われても「援護(えんご)してもらえる」という安心感があった。

 

俺もまた、暗闇を利用しているからか。雷野郎はまだ『宗教画』に見惚(みと)れていやがる。

ここまで近付けたなら『力』を使う間も与えずに仕留(しと)められる。このまま終幕まで一気に持ち込んでやるよ!

 

だが、そんな俺の読みは少しばかり甘かった。

野郎まであと数歩というところで、途端(とたん)に視界がグラリと(かたむ)いた。いいや、視界が()れたんじゃない。体勢(たいせい)(くず)れたんだ。

咄嗟(とっさ)に持っていた鉄パイプを奴目掛(めが)けてブン投げ、俺自身は無我夢中で受け身をとって野郎から離れるように転がり、そのまま物陰(ものかげ)に飛び込んだ。

ハッキリと確認はしていないが、どうやら俺の得物は野郎に命中したようだった。声を荒げるバカがそれを教えてくれた。

「!?クソォッ、テメエッ、どこに隠れやがった!」

俺を(いぶ)()そうと四方八方、滅茶苦茶(めちゃくちゃ)に放電している。その放電が逆に俺の身を隠してくれているということも知らずに。……完全に冷静さを欠いている。

 

単なる眩暈(めまい)とは違う。平衡感覚(へいこうかんかく)()くしてしまったような感じだ。若干(じゃっかん)()()もある。

あの()(みだ)(よう)から、さっきのは雷野郎の仕掛(しか)けてきた攻撃じゃないってのは充分に理解できた。……おそらく、アイツには本当に『雷』しか()()がないんだろう。ノロマを無視して俺は『闇の溜まり場』に目を走らせた。

まさかこのタイミングで、ただの体調不良なんてことはないだろう。

となると、これが(うわさ)の『超音波』ってやつか?見えないし、聞こえない飛び道具ってのは本当に厄介(やっかい)だな。直接、襲い掛かってきたら、今度こそ燃やしてやるのに。

『音』が相手じゃあ、俺の『炎』も役に立つかどうか(あや)しい。奴らが(ひそ)んでいる位置もハッキリしない。そのくせ、こっちは丸見えなんだろうけどな。

その上、野鹿はどうしてだか無防備に()()くしている。

 

……さあ、どうする。

 

「チクショウッ!テメエら、奴はどこだ?!」

……まさか、蝙蝠を使って俺の居場所(いばしょ)(さぐ)れるってのか?クソッ、反則じゃねえか。

ハッタリかもしれないことを考慮(こうりょ)に入れ、俺は物陰(ものかげ)(づた)いにもう一度、奴に近付く。すると――――、

 

「ギイィィイイッ」という窓ガラスを()()いたような耳障(みみざわ)りな音と、「ガシャアァン」というシャンデリアが落ちて(くだ)けたような音が連続して闇夜の中を()(めぐ)った。

振り返り、表舞台の様子をザッと見渡す。

するとそこにはまた、()()()()()()に視線を奪われている男がいた。

「な、なんなんだよ。テメエはさっきから。」

その『瞬間』を目にしたらしい雷野郎はワナワナと震え、今度こそ戦意を喪失(そうしつ)させようとしていた。

 

獣でありながら空を自在に飛び回る蝙蝠の、竜の(ごと)強靭(きょうじん)で巨大な片翼(かたよく)(こお)()けにされ、地面に激突した衝撃で砕け散っていたのだ。

 

ギイィィ、ギイィィイイ、ギイィッイッ

……それは畏怖(いふ)で染められた服従(ふくじゅう)の声。()()いずる一羽のそれは伝播(でんぱ)して、(たちま)ち仲間の恐怖が夜空に木霊(こだま)する。

目を()らせば、闇の沼から(わに)のようにヌルリと顔を(のぞ)かせては(もぐ)る『狩人』たちの姿を確認することができた。()()()()は決して多くない。精々(せいぜい)、2、3匹だ。

ハッキリとした『力』の差を感じ取った『無音』の彼らが、最大の武器である『(かく)(みの)』を自分たちから()()て始めていた。

 

それを仕出(しで)かしたのはまたしても、野鹿が連れていた狼だった。どんな手を取ったのかまでは見ていない。だが、ソイツは闇に(ひそ)狩人(かりうど)を一羽ならず、二羽も蹂躙(じゅうりん)したのだ。

そして、まさにアザラシのように陸をのた打ち回る狩人は、キツネの顎に頭を(つか)まれると()(くだ)かれるでもなく、痙攣(けいれん)と共に息絶(いきた)えた。

……不自然だ。得意の超音波を使うでもなく、無防備に狩人は()られた。仲間の援護もない。

そして、けたたましかった彼らの警笛(けいてき)はいつの間にか聞こえなくなっていた。気のせいか、この場から飛び去ったかのように(おだ)やかな夜風が(ほお)()でる。

「……テメエ、何をしやがったんだ。」

雷野郎の声もまた、狩人たちと同じ色で染め上げられていた。

どうやら、本当に蝙蝠たちは奴の手を離れたらしい。

それが、()(がた)い『恐怖』がそうさせたことなのか、新たな『主人』の命じたなのかは分からない。だが、ただ一つ確実なのは……、これは俺の出る幕じゃないってことだ。

 

一体全体、何がどうなってやがるんだ。

野鹿の狼にしてもそうだが、大凡(おおよそ)4、5匹は従えていたであろう雷野郎も、俺にとっては「驚愕(きょうがく)」としか言いようのない現実だった。

人間が、『化け物』を(あやつ)るってことは犬猫を(しつ)けるのとは訳が違う。例えるなら、麻薬(クスリ)(ラリ)ってる無法者(メイドマン)を意のままに動かしているようなものだ。それこそ、魔法か何か奇跡的な『力』がなきゃ、(したが)わせるどころか、意思の疎通(そつう)だって無理な話なんだ。

それなのに、目の前の二人は俺がこの五年の間に(たた)()まれてきた『常識』を(ことごと)く打ち壊しやがる。

 

 

野鹿は――俺に向けた警告を(のぞ)けば――、甲板(かんぱん)に現れてから一言も言葉を発していない。戦闘は番犬に任せ、自分はただジッと、人形のような無感動な瞳を雷野郎に向け続けている。それは、逃亡(とうぼう)懇願(こんがん)してきた『少女』の目とは全く別物だった。

「ゆ……、許してくれ。」

俺は、姿を現すことさえ躊躇(ためら)った。もしかしたら、ここに残った()()()()()()は人間すら操ってしまうかもしれないからだ。

「裏切った訳じゃないんだ。」

「裏切る」?コイツら身内なのか?それにしては(まと)ってる空気が違い過ぎるようにも思える。

「俺は言う通りにやったさ。なのに、どいつもこいつも、俺の言うことを聞かねえんだよ。」

体裁(ていさい)も忘れて必死に命乞(いのちご)いする野郎に、野鹿はやはり『無言』で返し、狼の臨戦体制(りんせんたいせい)()く様子もない。(おと)れる結末へ向けての「心の準備」をさせているように見えた。

 

「ち、ち、違うんだ!」

一歩、狼が足を前へ()()しただけで、野郎は声を裏返し、女のような悲鳴を上げた。

「違うんだ。俺は、姉さんを、姉さんを……、姉さんを遠くに――――」

 

 

――――そうだ。俺は姉さんを何処(どこ)か遠く、平和な場所まで逃がさなきゃならないんだ。そこで静かに、幸せな暮らしをしてもらうんだ。

でも……、俺は逃げられない。ここで、死ぬ。奴らの皮を一枚()げば、そこには(あふ)()るくらいの悪魔がいるんだ。……悪魔しか、いないんだ。

「違うんだ。俺は……、俺は……、」

 

 

『無抵抗』の色を見せていた野郎の声から、『狂気』の色が(にじ)()す。震える両手からは、パシパシと空気を割る『力』が()()()()を前に色めき出す。それでも野鹿は微動(びどう)だにしない。まるで、格下(かくした)の相手に(ぶん)(わきま)えさせるように。見下すように。

 

俺もまだ、行動を起こすかどうか()()ねていた。

()()()()()()()化け物同士の仲間割れがどんな展開(てんかい)を生むか分からないからだ。二匹の背景もハッキリしない。正直に言えば、話が予想外の方向に進み過ぎて、まだ整理が追い付いていなかった。

何のことはない。俺もあの野郎と(おんな)じだ。

野鹿の『無言』に動揺(どうよう)しているだけなんだ。

それから目を(そむ)けようとする程に、『炎』は俺の身体(からだ)に深く、深く爪を立てる。

 

 

――――息苦しい

 

『金髪の女の子』なんて世界中に何人いるか分からない。

それなのに、「逃がしてください」と懇願したあの野鹿の姿は、俺の中の『何か』を(くすぶ)る。氷点下(ひょうてんか)の『炎』が俺の肺をチリチリと焼いている。

俺は何時々々(いついつ)でも乱入できる姿勢を見せておきながらその実、足が(すく)んでいた。

今、この瞬間にも『脅威』が『彼女』を襲おうとする光景に、手を差し伸べることが、(ひど)く恐ろしく感じられた。

 

そして、事件は俺の心の準備を待たないまま起こった。

「俺は、俺は……、俺はぁぁあ!」

容赦無(ようしゃな)(ほとばし)閃光(せんこう)(つんざ)炸裂音(さくれつおん)に俺は思わず、(おび)える子どものようにその場に(うずくま)った。

……それは、その雷鳴と全く同時だった。

パアァンッ

(とどろ)咆哮(ほうこう)に、一発の()()()()(まぎ)()んでいた。




※コウモリの数え方=(ひき)()も使えるそうです。

※メイドマン=マフィアの構成員を指す言葉です。他にもワイズガイ、グッドフェラ、など多数あるみたいです。

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。