聖櫃に抱かれた子どもたち   作:佐伯寿和2

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墜落
姉弟のレクイエム その六


――――それは、今までに一度だって出会ったことのない色と形をしていた。

 

俺は、求められるままに、(ふところ)に隠した全てをそれの前に(さら)()し始めていた。

常にグラグラと機嫌(きげん)を悪くしてる『炎』も、今は主人に甘える飼い犬のように『とろ火』の顔を見せている。

 

その瞳は、不思議な居心地(いごこち)の良さを感じさせた――――

 

 

殺す殺さないの物騒(ぶっそう)な仕事の最中(さなか)(まぎ)()んだ一匹の可憐(かれん)野鹿(のじか)が、おっかなびっくり、鼻先でソッと俺の『炎』に触れたような気がした。

「……逃げるって何処(どこ)へ。」

どうして『理由』でなく、場所を聞いてしまったのか。それは無意識のことだった。

「私は、故郷(こきょう)に帰りたいんです。」

見た感じ、都会から来たという雰囲気じゃない。どこかの山奥にヒッソリと(かま)える農村(のうそん)の娘といった感じだ。

その山間(やまあい)所々(ところどころ)には雪が降り積もっていて、しかしそれでも足を取られることはなく、器用(きよう)に駆け回る野鹿のようだった。そんな長閑(のどか)印象(イメージ)があるだけに、ソイツが余計(よけい)に気になった。

「その化け物を連れてか?」

野鹿は俺の言葉にピクリと体を震わせ、答えに()まらせる。

主人の前に()(はだ)かる化け物に目を移すと、逐一(ちくいち)、俺の挙動(きょどう)警戒(けいかい)しているものの、ソイツからはもう『(こな)れた殺意』は感じられない。

「……おっと、イケネエ。」

 

()らず()らずの内に、野鹿たちの『空気』に飲まれていることに気付いた。

なんにせよ、野鹿に「(あやつ)られている」ような様子はなく、彼女を守っている――かどうかは疑問だが――化け物からも、今すぐに何かをやらかすという気配は感じられなかった。

「とにかく理由は分からねえけどよ、少しここで待っててくれねえか。こっちの用事を()ませたらすぐに戻ってくるからよ。……あと、分かってるとは思うけどよ、今この船は危ねえ奴が彷徨(うろつ)いてるから、できるだけ息は(ひそ)めてた方がいい。」

言い残すと俺は()ぐさま、その部屋を飛び出し、逃げ回るチンピラの追跡(ついせき)を再開した。

 

興味はあった。色々と話を聞きたいとも思った。

だが俺も、やさぐれた稼業(かぎょう)ではあるが、一端(いっぱし)()()()だ。金に意地汚(いじきたな)大家(おおや)がウルサイというのもあるが、引き受けた仕事の責任は最後まで背負う義務が俺にはあった。

特に今回は公的機関が(から)んだ緊急の依頼だ。俺を紹介した大家と組合(ギルド)面子(メンツ)もある。最善(ベスト)()くしておかないと、それこそ文字通り『袋叩き』に()いかねない。

 

野鹿は部屋を飛び出す俺を呼び止めるでもなく、黙って見送っていた。まるで、留守番(るすばん)を言い渡された子どものように、ジッとこちらを見詰(みつ)めていた。

……もう少し、優しい言い方があったかもしれねえな。でも、こっちも急ぎの用事なんだ。許してくれよ。

ほんの少しだけ『後悔(こうかい)』を胸に抱きながら、俺は船の中を駆け回った。

 

 

野鹿の件も(ふく)め、随分(ずいぶん)と時間を浪費(ロス)をしている。もしも、(ビリビリ)野郎が寄り道せずに逃げの一手(いって)(しぼ)っていたのなら、(すで)にこの船を脱出していてもおかしくない。

それを肯定(こうてい)するかのように、機械音だけが(あた)りの空気を満たしている。

黒づくめたちの気配さえ感じない。

「それでも、奴は何処かで待ち構えている」そんな根拠のない確信が、頭のどこかにしぶとく残っていた。

それらは「嫌な予感」となって俺の胸の内を(くす)ぶり始める。

 

加えて俺は、今更(いまさら)ながらに野鹿たちへ(あわ)猜疑心(さいぎしん)を覚え始めていた。

野鹿の瞳を見た瞬間に感じた郷愁(きょうしゅう)のようなものが『違和感』に変わっていた。

()()()から()けた直後のような、居心地の悪さが脳ミソに(もや)をかけている。

「これがアイツの『力』って訳か?」

『魔法』なんてインチキが存在している世界に「不可能」なんて何一つない。……なんてことはない。あの女もまた、この世界の住人だったというだけのことだ。

その結論に(いた)った時、彼女の瞳にもまた、『悪夢』の色が宿(やど)っているような気がした。

 

こっちの仕事を済ませた後、ついさっき()わした『約束』をどうするか。雷野郎を探しながら俺は頭の片隅(かたすみ)で考えていた。

 

 

すると、甲板(かんぱん)まで目前(もくぜん)というところで()()()()()()()遭遇(そうぐう)する。

「……おい、生きてるか?」

またしても作業員が一人、倒れていた。今度は完全に気を失っている様子だ。

そしてまた、違和感を覚える。

 

コイツはどうやら『感電』したショックで気絶しているらしい。制服から(のぞ)(はだ)には軽い火傷(やけど)が見られた。それに若干(じゃっかん)、コゲ臭い。

もしも、コイツが事故でなく、あの雷野郎にヤられたのだとしたら、一人目の作業員をヤッた奴は別人だ。

一人目に遭遇した時に気付くべきだったのかもしれない。よくよく考えれば、あんな小物が暗殺者(シュウ)レベルに刃物(えもの)を扱えるはずがない。あの作業員のそれはそんな玄人(くろうと)の傷だった。

 

ただ、あの傷に対してあの出血の量なら、ヤられてからそう時間は()っていないはずだ。(ビリビリ)野郎の仕業(しわざ)勘違(かんちが)いしてしまうくらいだから間違いない。

……ってことはやっぱり、あの黒づくめたちはまだ、この船の何処かで何かをしている。

 

さらに、わざわざ自分たちの存在を教えるような真似(まね)をしているんだ。あの雷野郎のための伏兵(ふくへい)って可能性は低くなってくる。

だったら一体何者なんだ?組織を裏切ったあの金髪(おんな)始末(しまつ)しに来たって口か?あの金髪(おんな)何者(ナニモン)だ?

少なくとも、(ビリビリ)よりも厄介(やっかい)な連中に違いない。

 

俺は一人目にしたのと同じように、()らした銅線を二人目に向かって放った。すると――――、

「アァアアァァッ!!」

銅線が触れるか触れないかの瞬間に、作業員から真っ白な火花が飛び散った。俺は()退(すさ)り、天井(てんじょう)を走るパイプの一つに(つか)まって異変が(おさ)まるのを()()()

 

「……」

放電(ほうでん)()み、作業員に近付いてみると男はもはや、息すらしていなかった。全身から肉の焼けた臭いが煙と共に()(のぼ)っている。

おそらくは「『人間』が触れたら放電する」ような魔法でも掛けておいたんだ。もしも、この方法でなんの反応もなかったら俺は、一人目と同様に応急処置(おうきゅうしょち)をするために直接触れていた。

 

「もしかしたら、奴を先に倒せば魔法は解除(かいじょ)されたかもしれない」

「けど、そもそも初撃(しょげき)致命傷(ちめいしょう)だったかもしれない」

「だとしたら、俺が奴を倒して戻ってきても結局死んでいたかもしれない」

「だからといって、下手(へた)応援(おうえん)を呼んで二次被害が出たらそれこそ俺の判断ミスだ」

 

対処(たいしょ)した後になって、()やむのは手順書(マニュアル)のないこの仕事ではよくあることだ。『正解』の行動があるとも限らない。『正解』でも()()()()()()

「悪いな。」

それでも、できるだけ自分に()がないように思い込まないといけない。でないと……、やっていけない。

この仕事はそういう『役目』に適した人間を製造(せいぞう)する仕事でもある。

 

「重要なのは、『憎悪(ぞうお)』しないことだ。自分にも、犯人にも責任を(なす)()けるな。()()()()()()()()()のは全て、『自己責任』の範疇(はんちゅう)だ。」

俺を育てた黒装束(くろしょうぞく)は、その手の感情操作はお手の物だった。というよりも、彼が感情的になった瞬間を見たことがない。常に、刃物(ナイフ)そのもののような顔をしている。

 

「そうは言うけどよ、シュウ。」

タラップを駆け上がった先では、強い夜風が()()()の気配を()()そうと(うな)(ごえ)を上げていた。

空には、俺の『悪意』を()()けて現れたかのような(いや)らしい満月がニヤニヤと俺たちを見下ろしている。その腹立(はらだ)たしい顔はどことなく、家賃(やちん)の値上げを考えるビビガに似ている。

「ムカつくもんはどうしたってムカついちまうもんだぜ。」

お望みとあらば見せてやるよ。とっておきのエンターテインメントをよ。

 

自分でも分かるくらいに眉間(みけん)に力が入っている。視界が()()まされ――暗闇に(とら)われることなく――、刹那(せつな)に奴の姿を見つける。

この苛立(いらだ)ちの全てを受け止めるべき矛先(ほこさき)を。


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