聖櫃に抱かれた子どもたち   作:佐伯寿和2

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銀の小魚たち その三

青年はできるだけ落ち着いた態度で老父に視線を向け、彼にもまた、別の戦場を用意する。

「そういう訳だ。ゴーゲンにはまた一働きしてもらう。」

それは迷いのない言葉。大凡(おおよそ)先導者(リーダー)として理想的な発言力だった。

 

しかし、青年を頭に()える彼らは決して、言われるがままの『人形』ではない。

無理難題に従いながらも、対等であることを忘れない彼らの本性(ほんしょう)は『戦友』だった。

彼らは青年を一人にしない。精霊たちに大役(たいやく)背負(せお)わされた青年を(ささ)えることこそ、彼らの本懐(ほんかい)だった。

 

その()()えのない戦友の一人が、青年(リーダー)に対し、隠しきれない不安を()らした。

「……本気なの、アーク?」

だが、青年は楽士(がくし)の不満を初めから心得(こころえ)ていた。彼の()()()()()()()()()は青年もよく理解していたからだ。

 

確かに、追っ手がロマリアの裏情報を握っているかもしれないという確率はゼロではない。

しかし、青年たち(かれら)に『次』はいない。気を許し、近付いたところで自爆でもされたなら何人が無事でいられるかも分からない。

だからこそ、青年は「怪しい」と思えるものには一切(いっさい)の心を許す訳にはいかなかった。

 

だが当然、楽士(かれ)(ないがし)ろにするほど青年の了見(りょうけん)(せま)くもなかった。()()()楽士(かれ)を弱くすると知っていたからだ。

楽士の言葉を手で制した青年は、自ら(くだ)した命令に(こま)かな注文を付け足し始めた。

(ただ)し、目的はあくまでも彼らの追跡を不能にすることだ。死人を出すつもりはない。」

青年の瞳は揺れることなく、(すだれ)のように長く()()がった(まゆ)(ひげ)が隠す老父の目と口を見詰(みつ)め続けていた。

()つ、こちらが『攻撃してきたこと』を認識させるように追い払ってくれ。」

目的こそ判別(はんべつ)できていないが、老父や赤毛の助言(じょげん)は間違いなく青年の(かて)になっていた。

だからこその『演出』を(なま)(ぐせ)の強い老父に要求した。

 

 

 

相手は、明らかな戦力差を前にしても(ひる)まずに向かってくる無鉄砲な連中。

もしも彼らの行動が本当に無計画なら、これ以上付け入る(すき)を与えてはならない。

彼らに()()られて下手(へた)な行動を取れば、彼らは必ず無用な深入りをし、(アンデル)餌食(えじき)になる。

それだけは()けなければならない。

 

 

 

すると、『()()()()()()()()()()()老獪(ろうかい)が、青年の言葉に文句を付け始めた。

「注文だらけではないか。全く、お前さんは『年寄りを(いたわ)る』という言葉を知らんのう。」

(みずか)ら「(わし)に不可能なんぞない」と(うそぶ)く大魔導士が青年の指示に対し、不平不満を漏らすのはもはや悪癖(あくへき)に近いものがあった。

しかし、彼らを死地(しち)へと(みちび)いているのかもしれない自分には「()()れの悪趣味にすら付き合う義務がある」青年はそう考えていた。

そうして、彼と付き合っていく内に、青年はその悪癖に(ひそ)んでいる『意図(いと)』にも気付き始めていた。

 

「お前は間違っている」と老父が口にすることはない。青年の成長を(うなが)すためなのか、言葉の中にコッソリと『手掛かり』を潜ませるだけなのだ。

それが『擬似餌(ぎじえ)』かどうかを判断するのは青年の意思に任せられていた。老父はただ、呑気(のんき)に釣り糸を垂らすばかり。

 

「3000年も生きた奴を()()(あつか)いする人間が、この世に一人でもいると思うか?」

(ゆえ)に青年は今、野点(のだて)(きょう)じようとしている老父の()()()()が『異議(いぎ)』なのか。それとも、(かしこ)くも怠惰(たいだ)()()れの、(わずら)わしい『娯楽』なのか。まずはそれを見極める必要があった。

 

青年は(おだ)やかな表情をそのままに、頭の中では()()れの多岐(たき)に渡る思考の(えだ)を回収することに没頭(ぼっとう)していた。

「ホッホッホッ、いやいや、確かに。違いないわい。」

老父も青年もお互いが『師弟(してい)関係』にあるとは思っていない。

「じゃがのう、『友と酒は古い方が良い』とは言うじゃろう?どうじゃ、3000年物の酒と思えば大事に、大事に()もうとは思わんか?」

「ゴーゲン、良い酒は決して悪酔いはしないし、この場合の『友』は若干(じゃっかん)意味合いが違うぞ。」

しかし、十代というあらゆる面で未熟な青年は、自分の(おこな)いに真摯(しんし)に向き合う青年は、自然と学ぶべきものから学ぼうとするのだった。

老父もまた、そんな愛らしい青年の苦悩(くのう)十二分(じゅうにぶん)(こた)える姿勢(しせい)を崩そうとは思わなかった。

「呑み方が悪いんじゃよ。それに細かいのう。呑む時までそんなにピリピリ神経質になっとったら酒もオチオチ呑まれてはおれんと気を張るものよ。全く、どこぞの猿じゃあ、あるまいしのう。」

 

赤毛の剣士の耳にも悪態(それ)はハッキリと聞こえていたが、自分の舞台でもないところでしゃしゃり出るほど見境(みさかい)のない獣ではない。

だが、老父と青年の『言葉の斬り合い』にでさえヤキモキしてしまう楽士は赤毛を挑発するような言葉にもいちいち狼狽(うろた)えていた。

「ポコ、少しは落ち着けよ。気が散って舌がバカになっちまう。」

「ゴ、ゴメンよ。そんなつもりはなかったんだ。」

「分かってるよ。俺だって(くそ)ジジイ相手にそう簡単にカッカしねえよ。」

「そ、そうかい?」

「そうだよ。だから少しはジッとしてろよ。」

「う、うん。分かったよ。」

短気な赤毛が気を(つか)ってしまうほどに。

 

 

そして、楽士が赤毛に(すす)められて椅子(いす)に腰掛ける頃には、青年はこの融通(ゆうずう)()かないお遊戯(ゆうぎ)にある程度の方向性を見つけていた。

「つまり、お前にとって追っ手(あれ)は酒の(さかな)に向いていないと言いたいんだな?」

「向いていない」つまり、攻撃する対象ではない。攻撃してはならない。『敵意』を()()()()()()()()()()()()ということ。

青年は老父の言葉をそう解釈(かいしゃく)した。しかし――――、

()もうと思えば呑める。しかし、不味(まず)いものには工夫(くふう)が必要ということじゃよ。」

老父の『言葉遊び』はまだ続いているのだった。

 

 

手を出すべきか、否か。それだけで良いというのに――――

 

 

ここまで二の足を()み続けていると流石(さすが)に、青年の胸中(きょうちゅう)では苛立(いらだ)ちが(つの)り始めていた。

しかし青年にはまだ、それを自制心(じせいしん)(おさ)えつける余裕(よゆう)があった。

年若(としわか)く、実直(じっちょく)で、正義感の強い青年はそもそも、老父のような物事に対してユッタリと構える老人気質(きしつ)は得意ではなかったのだ。

 

青年は若い。

彼にとって『命』そのものとも言える一分一秒は、『時間』というものの使い方を心得ている老父のそれとは性質が異なっていた。

すると、異なる『生き方』をする二人が使う言葉もまた、同じなようでいて、異なっているのだ。

違う言葉を話す者同士、理解に時間が掛かるのは仕方のないこと。

青年はこれを心得ていた。そして、自分が彼らの先導者(リーダー)であることも。

 

 

 

俺は、何十万といるであろう敵に立ち向かう、10人にも満たない小さな、小さな集団のリーダーなんだ。

どんな状況に(おちい)ろうと、どんな人間と対峙(たいじ)しようと、俺は、俺だけは常に俯瞰(ふかん)で物事を見る人間でなければならない。俺だけは戦友たちの、良き『理解者』でなければならない。

それが、皆と()ごした一年の間で気付いた、俺に最も必要なことだった。

 

 

 

「工夫とは具体的にどういったことをすればいい?」

老父は、青年のそういった『意志』を十分に知っていながら『意志()の強さ』を試すように、わざと青年の心を揺さぶるのだった。

「さあのう。それも、酒を呑む者の(たしな)みであり、楽しみでもある訳じゃよ。のう、お猿殿(さるどの)。」

青年は分かっていた。老父が(がん)として自分の口から答えを告げない理由を。

しかし、時間は止まってなどいない。もしかしたら次の瞬間には小型挺(追っ手)は沈んでいるかもしれない。予想もしないような攻撃を仕掛けてくるかもしれない。

 

遅々(ちち)として進まない現状に、青年は苛立っていた。




※本懐=希望、願望、本望、本意のことです。

※野点に興じる=(ところ)(かま)わず、娯楽の場を提供しようとすること。(造語です)
「風呂敷を広げる」といった感じの、「繰り広げる」「展開する」のような意味の言葉を使いたかったのですが思い付かなかったので、造ってしまいました。(笑)
野点(のだて)=屋外で開くお茶会のこと。

※友と酒は古い方が良い=気心知れた古い友人が良いのと同じように、お酒も長く寝かせたものの方が美味しいという意味です。
アークとゴーゲンの付き合いは実質「1年程度」なので、どっちかっていうと誤用になりますね。

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