青年はできるだけ落ち着いた態度で老父に視線を向け、彼にもまた、別の戦場を用意する。
「そういう訳だ。ゴーゲンにはまた一働きしてもらう。」
それは迷いのない言葉。大凡、先導者として理想的な発言力だった。
しかし、青年を頭に据える彼らは決して、言われるがままの『人形』ではない。
無理難題に従いながらも、対等であることを忘れない彼らの本性は『戦友』だった。
彼らは青年を一人にしない。精霊たちに大役を背負わされた青年を支えることこそ、彼らの本懐だった。
その掛け替えのない戦友の一人が、青年に対し、隠しきれない不安を漏らした。
「……本気なの、アーク?」
だが、青年は楽士の不満を初めから心得ていた。彼の徹底して慎重な性格は青年もよく理解していたからだ。
確かに、追っ手がロマリアの裏情報を握っているかもしれないという確率はゼロではない。
しかし、青年たちに『次』はいない。気を許し、近付いたところで自爆でもされたなら何人が無事でいられるかも分からない。
だからこそ、青年は「怪しい」と思えるものには一切の心を許す訳にはいかなかった。
だが当然、楽士を蔑ろにするほど青年の了見は狭くもなかった。それが楽士を弱くすると知っていたからだ。
楽士の言葉を手で制した青年は、自ら下した命令に細かな注文を付け足し始めた。
「但し、目的はあくまでも彼らの追跡を不能にすることだ。死人を出すつもりはない。」
青年の瞳は揺れることなく、簾のように長く垂れ下がった眉と髭が隠す老父の目と口を見詰め続けていた。
「且つ、こちらが『攻撃してきたこと』を認識させるように追い払ってくれ。」
目的こそ判別できていないが、老父や赤毛の助言は間違いなく青年の糧になっていた。
だからこその『演出』を怠け癖の強い老父に要求した。
相手は、明らかな戦力差を前にしても怯まずに向かってくる無鉄砲な連中。
もしも彼らの行動が本当に無計画なら、これ以上付け入る隙を与えてはならない。
彼らに引き摺られて下手な行動を取れば、彼らは必ず無用な深入りをし、敵の餌食になる。
それだけは避けなければならない。
すると、『戦友』の名に相応しくない老獪が、青年の言葉に文句を付け始めた。
「注文だらけではないか。全く、お前さんは『年寄りを労る』という言葉を知らんのう。」
自ら「儂に不可能なんぞない」と嘯く大魔導士が青年の指示に対し、不平不満を漏らすのはもはや悪癖に近いものがあった。
しかし、彼らを死地へと導いているのかもしれない自分には「老い耄れの悪趣味にすら付き合う義務がある」青年はそう考えていた。
そうして、彼と付き合っていく内に、青年はその悪癖に潜んでいる『意図』にも気付き始めていた。
「お前は間違っている」と老父が口にすることはない。青年の成長を促すためなのか、言葉の中にコッソリと『手掛かり』を潜ませるだけなのだ。
それが『擬似餌』かどうかを判断するのは青年の意思に任せられていた。老父はただ、呑気に釣り糸を垂らすばかり。
「3000年も生きた奴を老人扱いする人間が、この世に一人でもいると思うか?」
故に青年は今、野点に興じようとしている老父の言葉遊びが『異議』なのか。それとも、賢くも怠惰な老い耄れの、煩わしい『娯楽』なのか。まずはそれを見極める必要があった。
青年は穏やかな表情をそのままに、頭の中では老い耄れの多岐に渡る思考の枝を回収することに没頭していた。
「ホッホッホッ、いやいや、確かに。違いないわい。」
老父も青年もお互いが『師弟関係』にあるとは思っていない。
「じゃがのう、『友と酒は古い方が良い』とは言うじゃろう?どうじゃ、3000年物の酒と思えば大事に、大事に呑もうとは思わんか?」
「ゴーゲン、良い酒は決して悪酔いはしないし、この場合の『友』は若干意味合いが違うぞ。」
しかし、十代というあらゆる面で未熟な青年は、自分の行いに真摯に向き合う青年は、自然と学ぶべきものから学ぼうとするのだった。
老父もまた、そんな愛らしい青年の苦悩に十二分に応える姿勢を崩そうとは思わなかった。
「呑み方が悪いんじゃよ。それに細かいのう。呑む時までそんなにピリピリ神経質になっとったら酒もオチオチ呑まれてはおれんと気を張るものよ。全く、どこぞの猿じゃあ、あるまいしのう。」
赤毛の剣士の耳にも悪態はハッキリと聞こえていたが、自分の舞台でもないところでしゃしゃり出るほど見境のない獣ではない。
だが、老父と青年の『言葉の斬り合い』にでさえヤキモキしてしまう楽士は赤毛を挑発するような言葉にもいちいち狼狽えていた。
「ポコ、少しは落ち着けよ。気が散って舌がバカになっちまう。」
「ゴ、ゴメンよ。そんなつもりはなかったんだ。」
「分かってるよ。俺だって糞ジジイ相手にそう簡単にカッカしねえよ。」
「そ、そうかい?」
「そうだよ。だから少しはジッとしてろよ。」
「う、うん。分かったよ。」
短気な赤毛が気を遣ってしまうほどに。
そして、楽士が赤毛に勧められて椅子に腰掛ける頃には、青年はこの融通の利かないお遊戯にある程度の方向性を見つけていた。
「つまり、お前にとって追っ手は酒の肴に向いていないと言いたいんだな?」
「向いていない」つまり、攻撃する対象ではない。攻撃してはならない。『敵意』を感じさせてはならない相手ということ。
青年は老父の言葉をそう解釈した。しかし――――、
「呑もうと思えば呑める。しかし、不味いものには工夫が必要ということじゃよ。」
老父の『言葉遊び』はまだ続いているのだった。
手を出すべきか、否か。それだけで良いというのに――――
ここまで二の足を踏み続けていると流石に、青年の胸中では苛立ちが募り始めていた。
しかし青年にはまだ、それを自制心で抑えつける余裕があった。
年若く、実直で、正義感の強い青年はそもそも、老父のような物事に対してユッタリと構える老人気質は得意ではなかったのだ。
青年は若い。
彼にとって『命』そのものとも言える一分一秒は、『時間』というものの使い方を心得ている老父のそれとは性質が異なっていた。
すると、異なる『生き方』をする二人が使う言葉もまた、同じなようでいて、異なっているのだ。
違う言葉を話す者同士、理解に時間が掛かるのは仕方のないこと。
青年はこれを心得ていた。そして、自分が彼らの先導者であることも。
俺は、何十万といるであろう敵に立ち向かう、10人にも満たない小さな、小さな集団のリーダーなんだ。
どんな状況に陥ろうと、どんな人間と対峙しようと、俺は、俺だけは常に俯瞰で物事を見る人間でなければならない。俺だけは戦友たちの、良き『理解者』でなければならない。
それが、皆と過ごした一年の間で気付いた、俺に最も必要なことだった。
「工夫とは具体的にどういったことをすればいい?」
老父は、青年のそういった『意志』を十分に知っていながら『意志の強さ』を試すように、わざと青年の心を揺さぶるのだった。
「さあのう。それも、酒を呑む者の嗜みであり、楽しみでもある訳じゃよ。のう、お猿殿。」
青年は分かっていた。老父が頑として自分の口から答えを告げない理由を。
しかし、時間は止まってなどいない。もしかしたら次の瞬間には小型挺は沈んでいるかもしれない。予想もしないような攻撃を仕掛けてくるかもしれない。
遅々として進まない現状に、青年は苛立っていた。