……ダサい顔をしてる。
断りを入れ、ベタつく汗を流していた俺は鏡の中の自分を叱った。
まったく、涙を流したのなんていつ以来だろうか。
そうして戻ってくると、ちょっとした温もりが俺を待っていた。
「お帰り。お料理、温め直したのよ。早くテーブルに着いて。」
目玉焼きからはホカホカの湯気が立っていた。
「先に食っててよかったのに。」
「そんなこと言わないで、せっかく一緒にいるんだから一緒に食べようよ。」
「…リーザがそう言うなら。」
リーザはわざわざ俺を捕まえ食卓に着かせると、勝手に食事の祈りを始めやがった。
「いただきます。」
「お、おう。いただきます。」
一回冷えたベーコンエッグはやっぱり出来立てと比べるとイマイチだった。
でも―――、
「美味しいでしょ?」
「お、美味ひぃ…、かもな。」
胸を擽られるような食事なんて初めての経験だった。
「ところで…よ。今さらこんなことを言うのもおかしいんだけど、肩の調子はどうだ?その、さっき俺が突き飛ばして傷口が開いたりしてないか?」
自分でやっておいてこんなこと言うなんて。気の触れたジジイじゃあるまいし。
まったく、恥ずかしさしか感じない。
それに俺が言ってるのは、かすり傷なんてレベルじゃない。
2日前に受けた銃創の話だ。
そう。2日前、空港で起きた事件でリーザは肩を撃たれた。
そんな傷を指して1、2日で大丈夫なのかと聞く人間の方が重症だってのは重々承知の上だ。
それでも同じ食卓に着くリーザは俺のために律儀に答えてくれた。
「うん、心配かけてごめんなさい。でも、もう大丈夫みたい。ね、パンディット。」
…そんなことありえねえのに。
まあ、それでも後で包帯を替える時にでもチェックしておくか。
一方の化け物はというと、しっかりと肉を平らげ、陽の当たるベッドの横で丸くなっていた。
主人が相槌を求めても赤い瞳をチラリとくれるだけで近寄ってこようともしない。
愛想のないやつだ。
「アイツ、留守番とかさせて大丈夫か?」
疑り深いのは「性分」というか、これまでコイツらと付き合ってきた「経験」みたいなもので。
どうにも確かめずにはいられなかった。
一応、化け物の中では比較的大人しい種類だけど、大人しいといってもそれはあくまで「化け物の中では」って話だ。
本来ならこんなに長時間そばにいて襲われないなんてことありえねえ。
それなのに――――。
「うん、大丈夫。パンディットは利口だから。エルクの言うことでもよく聞いてくれるわ。」
…まぁ、いいか。
今まで見てきた限り、この番犬が進んで問題を起こすようなことないだろう。
「それで、何を買いに行くの?」
外出の準備と言っても、全く荷物のない彼女がしておくことは特になかった。
…まあ、強いて言うなら「心構え」ってところか?
「携帯食と火薬と研ぎ石、地図、中古のローブ。あー、リーザ用の護身用にナイフ…、ちなみに、銃は使ったことあるか?」
「ううん。」
「だよな。」
…なんとなく安心した。
今の時代、どんなに純朴そうな子でも銃くらい撃てて当たり前なんだけど。
リーザがそんな「時代」に染まってないのは、俺みたいな腐った連中にとって数少ない「希望」のように思えた。
…まあ、俺がこれから仕込むんだけどな……。
「買い物はそんなところかな。」
それだけ回ればだいたい街の中を案内できるし、逃走経路も教えられる。
「…そっか。」
その相槌は俺に向かって言ってるのか。そうでないのか分からないくらいに小さかった。
「なんだ、どっか寄りたいとこでもあるのか?」
「もしエルクが許してくれるならなんだけど。」
「なんだよ。町の外はさすがに勘弁だけど、町の中なら時間の許す限り寄ってやってもいいぜ?」
「…今晩は私がご飯を作りたいなって思って。」
なぜかやはり彼女は俯きがちに言う。
「なんだ、そんなことかよ。」
宝石や靴といったワードが出なかったことに心底感謝した。
むしろそれは俺の手間を一つ省いてくれるし、逆にありがたい申し出だった。
「俺の用事が済んだ後でよければいくらでも付き合ってやるぜ。」
「…ありがとう。」
俺はいまいち感謝される理由が分からなかった。
外に出ると、いつも通り冴えない顔で行き交うインディゴスの連中が目に入った。
人の視線に怯えているような…。もしくは、構って欲しがっているような。
嫌いじゃねえけど、たまに思いっきり殴ってやりたい衝動に駆られる時がある。
もちろん、今はそれどころじゃあないけど。
むしろ、その被害者面たちのお陰で、いつも以上に警戒する俺が目立たなくて助かってる。
俺は目的地に向かいながら、ちょっとした世間話でもするようにこの町の特徴やどこに逃げるべきか。どこで落ち合うかを説明した。
途中、何人かの同業者を見かけた。
スレ違いざまに『俺の獲物、手を貸してくれ、邪魔なら無視しろ』とサインを出してみる。
すると、どいつもこいつも『お前、ヤバイ』という答えしか返してきやがらねえ。
それは、俺の勘と食い違っていた。
町を見て回った感じ、いつもとあまり変わった空気は感じられなかった。
健康体であることを隠してるホームレスもいなければ、無駄に買い物袋を抱えてる女たちもいねえ。
家々の窓は適度に開け放たれてるし、猫やカラスの様子もいつもと変わらねえ。
いつもの「インディゴス」だった。
だからといって、同業のアドバイスを無視するほど俺もバカじゃない。
「リーザ、悪いな。ちょっと先に行くとこができたわ。」
本当は最後に回すつもりだったけれど、この違和感を残したまま動いたって食い違いが大きくなるだけかもしれねえ。
俺はこの町で一番泥臭い場所へと足を向けた。
町の中心部、その建物の一つに見慣れた男が立っていた。
「…よお、エルクじゃねえか。こんな状況だってのに優雅に散歩たあ、随分と余裕だな。さすがアルディアきっての超新星ってところか?そうだよな。テメエの目から見ればこの町にゃぁゴミしか落ちてねえようなもんだもんな。まあ、せめて素敵な観光でも楽しんでってくれや。ダッハッハ…。」
…まあ、この町の人間なんてどいつもこいつも似たり寄ったりだけど。
男は俺の姿を見つけると、咽ながらも「待ってたぜ」とでも言うかのようにスラスラと軽快な挨拶をかましてきやがった。
ハンチング帽を目深に被り、ヨレヨレのトレンチを羽織ってチビれた煙草を咥える姿は一見、仕事一つ見つけられない紛うことなき社会のゴミに見えるけど、こう見えてコイツはれっきとしたギルド御用達の情報屋だ。
俺はインディゴス流の愛情表現を聞き流し、自分の要件で返した。
「指名手配でもされてんのか?」
「まあ、そんなとこだ。たった一件だが、お前らをしょっ引く依頼がギルドに出てる。それもかなり高額だ。」
まあ、それくらいされてないと逆に不自然だな。「お前ら」ってことはリーザの顔も割れてる可能性が高いな。
「それでも手を出さねえのは、皆、エルクと稀な報酬額を警戒してるからだ。ああ、ビビガから捜索願いもあったな。これは誰も相手にしてねえけどよ。ッハハハ。」
…口は悪いけど、まぁまぁこの町の連中もなかなかどうして、身内には甘いんだな。
「依頼主は?」
「手が付けられねえくらい高額だって言やあ分かるか?」
「ギルドに逃げ込めると思うか?」
「止めとけ。今後一生関わらねぇってんなら別だがな。」
手が回っているというよりも、抑えつけられてるって感じだな。
「まあ、それでも顔ぐらいは出しとくぜ。」
「好きにしな。」
スレ違い様、男のコートに少し多目の札束を突っ込んでおいた。
男の隣にある地下へ続く錆びれた階段を、リーザを誘導しながらユックリと下りるとほどなく年季の入った扉にぶつかる。
「エルク…、これ、入っていいの?」
『KEEP OUT』、この町の連中にはこの貼り紙も風景の一部ぐらいにしか認識されてないだろう。俺もこれを見るとなんとなく落ち着く。
だけどここに、人の命を売り買いするような、この町を影で支える重要な機関があることは動かし難い事実だ。
扉を開けると、そこはソファやら観葉植物やら情報誌のある棚やらがひしめき合っていて、まるで粗大ごみを不法投棄された廃屋のように見通しが悪い。
そんな幾つもの物と物の隙間を縫うように目を走らせ、部屋の奥のカウンターに座る男は侵入者を見つけ、それが厄介者だと認識した。
男は俺の顔を見るなり書類の上で走らせていた手を止め、明らかな嫌悪の表情をみせた。
「処分じゃなく、関係者の総生け捕りだ。依頼主は言えねえ。連れの顔も割れてねえ。依頼の適応範囲はインディゴスでのみ。以上だ。分かったらさっさと失せろ。」
窓口の男はそれだけ捲し立てるとまた、視線を手元に落とし、ペンを走らせ始めた。
「ったく、もう少し愛想良くできねえのかよ。こっちにゃ新顔だっているんだぜ?」
「愛想が欲しけりゃキャバクラにでも行くんだな小僧。」
「アイツらに血生臭い小話の一つでも笑顔で聞けんのかよ?…いや、あったっちゃあ、あったな。そんな店。とっくの昔に俺たちが潰したけどな。」
「…仕事の邪魔だ。失せろ。」
「まあ、この町でアンタの指示に逆らうようなバカはしねえよ。」
「……」
マジで反応しやがらねえ。もう自分の仕事に集中してやがる。
まあ、このオッサンはそういうヤツだ。そういうヤツだからこそ、俺たちを回せてるんだ。
「チッ…。また今度、寄らせてもらうぜ。」
入って1分程度で追い出されてしまった。まあ、捕まらないだけマシか。
「そういうことだ。しばらくはこの辺りを彷徨かねえことだな。」
ハンチング帽の男もスゴスゴと引き返す俺の背中を鼻で笑いやがる。
まあ、これも当然の反応だよな。
肩をすくめ、降参のポーズを見せつつ俺たちはその場を去った。
「依頼の適応範囲はインディゴスだけ」ということは、この東アルディアを南北に分けるアルド運河を渡るまでは安全じゃないってことか。
それは必然的に事件の起こった空港に近づくことになる。
インディゴスでの依頼は囮情報で、プロディアスに呼び戻すことが本当の狙いか?
あそこは人も物も色んなとこから激しく出入りするし、状況が状況なだけに敵は黒服だけって訳にもいかなくなる可能性も高い。
何にしても、今より面倒になるのは間違いねぇな。
「エルク、どうするの?」
…仕方ねぇ、ビビガに頼んで高飛びさせてもらうことにするか。
「悪かったな。買い物の続きをしよう。あと、今日中にここを出るからそのつもりでな。」