――――アルトラパス湾北部――――
アルディアの遥か南端、赤道付近に位置するアミーグ国の西海洋を、大小二隻の船は飛んでいた。
――――シルバーノア船内、操舵室――――
「船長、我々の後を付ける小型艇があります。」
「なんじゃと、何隻じゃ?」
「信じ難い話ですが、どうやら単独のようですね。」
上司の問いに対し、有りの儘の情報を伝えた。操舵士は自分に課せられた義務を果たしたのだ。
だというのに、その部下が発言した現実味のない数字に、彼の上司は思わず彼を疑うのだった。
「ホホゥ、たった一隻とはのう。……チョピン、お前さん、さては寝惚けとりゃせんか?」
操舵士は船長の不誠実さには慣れていた。寧ろ、不要な時には緊迫感を漂わせない彼の合理的なやり方が気に入っていた。
「チョンガラさん。私の聞き違いでなければ、『南の島』での長期休暇をご所望のようですが、どうしますか?」
言いながら、操舵士は舵を大きく切る素振りをしてみせた。
「ガッハッハッ、すまんすまん。チョイと信じられん話だったもんで、ついのう。」
「いやいや、私も電探の故障かと疑ったくらいです。」
二人のやり取りからは、「追われること自体には慣れている」と豪語する程度の余裕が伺えた。
「もう一つ、私に報告義務があるとすれば、対象機が民間機というくらいでしょうか。」
「なんと、ガルアーノの手下ではないのか?」
「あくまで私の経験則で、断定はできませんが。そもそも現時点で、シルバーノアを長距離追跡できる小型艇が開発されたなんて発表を耳にした覚えはありませんし。」
現在、空のみならず、「軍事技術」と関連付けられるものの最先端は全て、軍事国家『ロマリア』ただ一カ国が握っていた。
残る国々は外交を駆使することでこの恩恵に預かっている。それが機械工学、引いては世界情勢の揺るがない図式と言われていた。
「上手く気流を利用しているようですが……。もしも、アルディアから追ってきたとなると、驚きですね。かなりマニアックな改造をしているはずですよ。」
そのロマリアでさえ大型船を上回る出力を備えた小型艇の開発には難航している。アルディアがこれを出し抜くことなど有り得なかった。
況してや、民間人がこの難題を成功していたとなれば、手掛けた技術者は『暗殺』もしくは、『拉致監禁』を覚悟して当然の事件と言えた。
「ですが、操縦に斑がありますね。おそらくは機体にかなりの無理をさせているのでしょう。」
「相変わらず、レーダーひとつで何でも穿り返すのう。」
ズイと、操舵士の仕事場を覗き込み、大柄な男は顎を摩りながら感嘆の吐息を洩らしていた。
「何を言ってるんですか。皆さんの特技に比べたら私のは凡庸も良いところですよ。」
現シルバーノア専任操舵士、チョピン・フレド・エリク。
長く、スメリア国の元王族機専任操舵士を務めていた彼は、近付く外敵から王族を避難させるという、極めて繊細な任を請け負っていた。
そのため、いち早く観測される限られた数字から、目標物の正体を特定することは彼にとって日常生活の一部として条件反射的に行われていた。
そしてその精度は今もなお――彼の冴えない容姿とは裏腹に――、「機械よりも優れている」と仲間たちからの高評価を受けている。
「ただ、目的は分かりかねます。賞金稼ぎのようにも思われますが、それにしては追跡の仕方が恐ろしくお粗末です。識別信号も発しないところを見ると救助や交渉の類いでもないでしょう。」
「そりゃあ、自殺しにきたようなもんじゃのう。」
「私も、そう思います。」
操舵士は呆れ返り、思わず溜め息をついていた。
目的は依然として不明であるにも拘わらず、彼は少なくともシルバーノアとって、小型艇は『脅威』とは程遠いものだということだけは断定していた。
「どうしましょう。問題なく振り切れるとは思いますが。」
「そうじゃのう。」
「念のために一度、交信してみますか?」
大柄な船長はレーダーに写る一点を疎ましそうに見詰めながら唸り声を上げていた。
「まだ、接触までには時間があるんじゃろう?」
「相手がこのままの速度を保てたとして、最低でも10分は掛かります。お望みとあれば、こちらで距離を調整しますよ。」
「まぁ、その辺も含めて一度、総大将と相談してくるわい。」
船長の提案は、熟練の操舵士に違和感を覚えさせた。
「えらく慎重なんですね。何か心当たりが?」
訝しむ部下の発言を受けた豪胆な船長は、自慢の腹を叩きながら笑ってみせた。
「なぁに、『歴戦の戦士の勘』ってやつじゃよ。」
「……船長の場合、『お宝の臭い』って言ってもらえた方がシックリきますよ。」
部下もまた、上司の皮肉に小さな快感を覚え笑って返した。
「そういうことじゃ。ワシは少し空けるが、その間に何かあればお前さんに任せるぞい。」
「任せてください。快適な空の旅をご提供しますよ。」
「気分は『南の島』じゃのう。」
下品な笑い声と共に操舵室を去ろうとする船長の背中を見て、操舵士は発言を躊躇っていた。
「あの、船長……、」
「……なんじゃ?」
振り返る男の面立ちは既に、「船長」から「戦士」へと名を変えていた。
「…………また、私の暇な時には船長の『英雄譚』とやらを聞かせてくださいよ。」
操舵士が苦し紛れに披露した一芝居を終え、船長は操舵室を出ていく。操舵士は直ちに自分の職務に戻るが、彼は先程よりも若干、気落ちし、溜め息を溢していた。
「気を回す必要なんて無かったのになぁ。」
船長が退室する際、彼はさらに不確かな情報を提供するか否かで迷っていた。
「小型艇に乗っているのは子どもかもしれない」無茶な操縦や、目的の不明瞭さ。彼には同じような過ちを犯した経験があった。
「……できることなら助けてやりたいけどな。」
しかし、今の彼らにはそれが難しいことはよく理解していた。子どもの我が儘に付き合っている暇などないのだ。
彼ら『アーク一味』は「世界的犯罪者」という謂れのない汚名を被ってでも成し遂げなければならない『使命』を背負っていた。
そんな折に現れた一隻の不審な小型艇。普段の船長であれば、手際良く指示を出し、逃げるなり攻撃するなりしているはずだった。
「……『戦士の勘』か。」
操舵士は自分が吐いた言葉を思い返し、小さく嘆息した。
「そんなところが、貴方がたに憧れるところなんですけれどね。」
――――同、作戦会議室――――
「民間船、アルディアからここまでか?」
青年は素直に驚いていた。
追跡者の目的や度胸にではなく、その無鉄砲さに。
もしも『アーク一味』が世間で取り沙汰されているような集団であれば、例え彼らに『敵意』がなかったとしても、今頃、問答無用で打ち落とされているところだ。
「まぁ、賞金稼ぎだろうというのがワシらの見解なんじゃがな。」
そうであったとしても、アルディアでのガルアーノとの交戦を見た後で取った行動なのだとしたら、それは常軌を逸している。青年にはそう思えた。
「自殺でもしにきたのか?」
「どうやらそのようじゃのう。」
戦力差は大人と赤ん坊ほどに開いている。
海上に援護できるような船の影はない。周囲の雲は薄く、月明かりは強い。「不可視」や「瞬間転移」などの急襲への対策も打ってある。援軍が控えているなどということは有り得ない。
であるにも拘らず、堂々とシルバーノアの真後ろから追ってきている。
取るに足りない雑魚と対峙しているだけのことなのに、青年は、どのような命令を下したものかと悩んでしまっていた。
「……そんなに金が欲しいのか。」
金儲けは否定しない。ただ、逃れられない『死』に自らの意思で突っ込んでくる彼らの気持ちが――慎ましく生きることに何の不満も覚えたことがなかった青年には――、理解できなかった。
「まったくじゃ。ワシとて『金』か『命』かと問われたら迷わず『命』をとるわい。」
豪気を主張する商人は生来、気の小さい質だった。
盗掘から生計を立てるのが常識の国に産まれていながら、遺跡に潜む化け物たちに怯え、手を拱く毎日を送るような人間だった。
そんな彼が、大犯罪者の看板を担ぎ、煌びやかな船の船長を務めていられるのも偏に、同乗する身内の『力』を信頼しているからであった。
青年は思わず、追跡者への揶揄を溢し、小心の商人も彼に同意した。
「チョンガラ、どうしてわざわざ報告しに来たんだ?」
ふと我に返った青年は、この不可解な行動の『出所』を追及していないことを思い出した。
「何か、それなりの理由があってのことか?」
「いいや。お前さんと一緒じゃよ。ただ何となく、のう。分かるじゃろ?」
しかし、当てにしていた男から返ってきたものは何とも煮え切らないものだけだった。
すると、なかなか活躍の場を持てない赤毛の剣士がここぞとばかりに名乗りを上げた。
「面白れぇじゃねえか。あんだけのドンパチを見ても逃げ出さねえってんなら、中々根性のある奴らだ。」
酒を手放し、刀を掴んだ彼は一変して殺人鬼のような気迫を漂わせ始める。
「アークが殺らねえってんなら俺が相手してやるよ。引き摺り出して遊ばせろ。」
青年には赤毛が本気でないことは分かっていた。ただ、青年の答えを責っ付いているだけなのだ。
「……大丈夫なの?」
赤毛の獣のような声に怯えながら、楽士もまた、『答え』のない不安だけを青年に投げて寄越した。
二人の性分を心得ていた青年は赤毛と楽士の言葉を無視し、不気味に迫ってくる矮小な敵の真意を探ることに努めた。
青年はまず、最も警戒すべき事案を検証することにした。
「ゴーゲン、その船に魔術師が乗っているかどうか分かるか?」
指名された老父はろくに青年の顔を見ることもなく、下ろした腰を上げることもせず、ただ一度、手にした杖の石突き部分で気怠げに会議室の床を突いた。
すると、突いた杖の先端は水溜まりを叩いたかのように木造の床に僅かに沈んだ。杖の沈んだ点から景色の歪みが波紋を描いて広がっていく。
それは、殆どの魔術師が使うことのできる『超音波検査』のような初歩的な術である。
だが、彼らの8割方が接触、もしくは身の回りにあるものなど、狭い範囲でしかその効力を発揮できないでいる。
一方で、この老父がしてみせたような探し人や金鉱脈の探索などの広範囲の探知となると、世界に10人といない。
「……ホホゥ、こりゃあ確かに面白い連中かもしれんぞい。」
直ちに目的の情報を得たらしい老父は一人、ニタニタと厭らしい笑みを、蓄えた口髭の下に浮かべていた。
「なんじゃ、何処ぞの雑技団でも乗っとったか?」
老父と同様、面白いことに目のない商人は、悪友の玩具を強請るように老父の調子に合わせ始めていた。
そうして老父の口から出た言葉は、結論に行き詰まる青年をさらに困惑させるのだった。
「いやいや、なかなかどうして、メンコイ娘じゃのう。」
「何、娘が乗っとっるのか?!」
意表を突いた内容に、二人の好色家を除いて、男たちは言葉を失っていた。
「体型はどんなじゃ?ああ、いやいや、それよりも年頃じゃな。乳臭い幼子じゃと話にならんしな。」
「ホッホッホ、安心せい。ムチムチの適齢期じゃて。」
猥談に走り始めた二人を楽士は慌てて止めに入った。
「ゴーゲン、話が逸れてるよ。結局、魔法使いはいるのかい?」
しかし老父たちは幼い楽士の指摘を受け、楽しむ方向性をクルリと反転させるのだった。
「ポコ坊、お前さんも男じゃったらもう少し女人の話には貪欲にならんと一人前とは言えんぞい。」
「ふざけないでよ。」
少年は顔を赤らめ、怒る素振りを見せる。しかし、経験豊富な二人にとって、彼の初心な反応は充分な『娯楽』でしかないようだった。
「いやいや、ポコ。ジイさんの言う通りじゃぞ。『女十人、子百人』が逞しい男の基本形じゃろうが。」
そう詰め寄る二人に、一人の妻子もいないことは船員の誰もが知っていることだった。
「もう、何の話をしてるのか分からないよ。」
不幸にも老人会に呼ばれてしまった少年と原住民の一方的なやり取りは、周囲に、ハエトリグサに捕まったハエを見ているような気分にさせた。
青年は、年寄りたちの戯れに割って入ることはしなかった。
それが老父の答えだと十分に理解していたからだ。
場の流れを読み、青年の顔色を窺った赤毛の男もまた、自分の役目は終わったと理解し、手にしている酒への愛撫を静かに再開させた。