崩落した女の首の周囲に、彼女が従えるはずだった人間どもがワシの一声で「勇者」を「殺せ、殺せ」と喚いている。
人間なんぞ、こんなものだ。こんな『女』を使わずとも右も左も自在に向かせることができる。
「ガルアーノ様、シルバーノアを追跡する民間の船があります。」
「……そうか。」
しかし今回は、儂もそこそこの苦戦を強いられていることは紛れもない事実。たかが精霊どもの小間使いと実験動物二匹のためにこんな大仕掛けまで使う羽目になるとはな。
……だが、無事に掛かったのなら、まずはワシの「勝ち」だ。
立場上、式典の期間中は市の空域での航行に規制を掛けねばならなかった。
これに臆してあの小僧が「シルバーノアの追跡を諦めてしまったら」などという心配もあったが、どうやら杞憂だったようだ。それでこそ、シルバーノアをこの町まで誘き寄せた甲斐があったというもの。
「身許は割れているんだろうな?」
この状況で他の名前が上がってくることはまずないだろうが、何事においても「絶対」を口にしてはならない。
真摯な「ディーラー」の名を騙る「運命」連中が、ワシの細やかな楽しみを奪わないという保障はどこにもない。
……いいや。寧ろ、そうあって構わない。罠に嵌めたつもりが反対に自分たちが嵌っていると気付いた時の「世界」の表情は中々に見物だからだ。
だが、「運命」も人を欺くプロ。そうそう簡単に尻尾を掴せてはくれまい。
「『炎』のエルクです。被験体の監視が確認しています。」
「リーザは一緒なんだな?」
「はい。キラードッグを連れてエルクの船に乗り込む姿を確認しています。」
「……そうか。」
今回、一番の大博打も、どうやらワシの「勝ち」のようだ。
なにせ、奴はまだ小僧だ。ちょっとした感情の起伏で周りが見えなくなるような不完全な駒なだけに、シルバーノアを目にした時、必要な駒を置き去りにする可能性が大きかった。
……だが、油断はならん。何故なら、これもまた「運命」の得意な遣り口の一つだからだ。
一見、筋書き通りに進んでいるゲーム。それは、ゲームに慣れたプレイヤーを最も混乱させる。それを『運命』はよくよく心得ている。
目の前で回っているその「歯車」は本当に正しく回っているか?黒と赤、そして37の『溝』は正しく穿たれているか?
単純な構造のそれには一見、細工のしようがないように見える。そう。一見してそれは分からない。だからこそ、そこに隠された小細工は見つけにくいもの。
五年前はそのせいで、まんまとネズミを一匹逃がしてしまったからな。
しかし、ワシもただでは転ばん。逃げたなら逃げたなりに利用するだけよ。そして思った通り、エルクは良い操り人形になった。
今回も、シルバーノアと因縁のある奴がいたからこそ効果を発揮した罠だった。
後は、エルクの船捌きが元スメリア王船の性能との差を埋められるかどうかに掛かっている。
仮に追い付くことができたなら、リーザの『精神感応』は自動的に発動する。それでアークらの『力の形』を少しでも収集できるはずだ。その後、『リーザ』を回収し、『対勇者用キメラ』の生成に取り掛からせる。
ここまで漕ぎ着けることができれば、アークとの対峙で勝つ確率を7割近くまで引き上げられるはず。
……残る不安要素と言えば――――、
「今回の件に、エルクの保護者は絡んでいるのか?」
「はい。”シュウ”と名乗る賞金稼ぎは数日前より、プロディアス内のマフィアに関する情報を嗅ぎ回っていたとの報告があります。」
……やはり、その『黒装束』は中々の曲者のようだ。
奴が絡んでくるとなると、エルクの行動に一つ、二つの仕掛けがあってもオカシクないな。
「そのゴキブリは今、何処にいる。」
「申し訳ありません。プロディアス近郊でエルクと別行動をとって間も無く、見失ってしまいました。」
いやはや、概ねこちらの思惑通りとはいえ、要所々々はシッカリと押さえてきよる。それもこれも、儂の駒が役立たずなのか、奴が報告通りの玄人なのか。
「シュウ」、組合に配置した部下からは「賞金稼ぎ始まって以来の逸材」という評価。
さらに――――、
「奴の素性は?」
「そちらも、以前しました報告以上に正確な情報は未だに掴めていません。」
――――、そういうことだ。
アルディアに流れてくるまではロマリアの特殊部隊に所属していたらしいこと以外、素性らしい素性は何も分かっていない。本名さえもだ。
もちろん、ロマリアの全軍関係者の名簿も洗わせたが奴らしき存在は上がってこなかった。
何らかの形でロマリアに関わった過去があるのかもしれんが、ロマリア関係者には例外なく身分証明の提示が義務付けられている以上、ロマリアに所属していた訳ではないのだろう。
しかし、「火のないところに煙は立たぬ」と言う。何処かの国に所属していたというのではなく、傭兵で活動していたという可能性は十分にある。
エルクに固執している理由についても探らせてはいるが、五年前に砂漠で偶然拾ったということ以外、何も上がってこない。
仕草、言葉遣い、人間関係など、あらゆる観点から推察し、暴くことを専門にしている部下が言うのだから、まあ、そういうことなのだろう。
だが――――、
「”正確な情報は”と言ったな。つまり、お前たちなりの見解は得たということか?」
「……あくまで予想の範疇を出ませんが。」
「構わん。報告しろ。」
――――報告からまず分かったことは、奴はワシと正反対の性質の人間だということだ。
どうやら奴は事前に情報を収集し、確実に勝てる作戦を練り上げてから仕事を請け負うような質の人間らしい。まさに軍人上がりらしい臆病な性格だ。
……ただし、コイツの真の「恐ろしさ」はその手際の良さと正確さだ。
コイツに狙われた賞金首の多くは、『影』が忍び寄っていることすら気付けなかったという。
エルクの調査過程で浮かび上がらなければワシもまた、遅かれ早かれコイツの餌食になっていたやもしれん。
もしも「運命」に加担する存在がいるとしたなら、間違いなくこの『影』だろう。
だが、どんなに優秀な『協力者』といえど人間という存在から外れる訳ではない。そこには必ず「性格」があり、「過去」があり、「弱点」がある。
仮に、「元軍人」という経歴が真実なら、それもまた「性格」であり、「過去」であり、「弱点」と言える。
奴らは自分たちに課せられた任務に忠実だ。
ワシらの「実験」が割って入ろうと、世界的「犯罪者」の闖入があろうと、「標的」を変えることは有り得ない。
そして、「完全無欠」と囁かれる有能な者ほど「時間に厳しい」。必要な物事に必要な時間しかかけない。段取りよく、速やかに任務を遂行する。
おそらく影は次にワシの身辺を隈なく探ってくるだろう。
エルクはそのための囮のつもりかもしらん。少なくとも、お荷物を連れている時点で、小僧の暴走ではないはずだ。
そして、影は末端との接触を既に済ませている。後は、それを上手く辿っていけばワシに行き着くという算段だ。実に単純明快だ。
だが、「単純」故に、より熟達した腕を要する作戦だ。ところが、影はそれすらも容易く熟してしまうのだろう。
しかし、ワシもまたその道に生きるもの。あらゆる力と政治を利用し、あらゆる支配権を得てきた。
この地位に上り詰めるまでに現れた敵は星の数ほどいた。全て潰し、残らず喰ってきた。
そうして手にした「白い家」だ。従える「秘書」だ。そして、今やこの一国家そのものがワシ専用の「家畜小屋」なのだ。
今のワシには全てを圧殺するだけの家畜がいる。それらを前に一匹の『暗殺者』なんぞ、路傍の石も同然。例え「運命」とやらの手先であろうと、それが人間である以上、何も変わらん。
……そうだ。人間である以上、頭の良い「猿」以上の働きをすることなどできる訳がないのだ。
始末する手は幾らでもあるはずなのだ。だがしかし、それをするのは今ではない。
「エルクの『影』にはグルナデを充たらせろ。接触する必要はない。今は好きに泳がせればいい。ただし、所在だけは常に把握するように厳命しておけ。」
『影』を名乗る獣を、陽のない場所で始末しようなんてのは間抜けのすることだ。燦然と照りつける太陽の下に現れた瞬間、蚊を殺すように一瞬で捻り潰してしまえばいいだけの話なのだ。
ワシが飼っている家畜は、それができる化け物どもだ。
「グルナデと同行中のシャンテはいかが致しますか?」
シャンテか……。式典までの”使い捨て”と思っていたが、期待した以上にエルクとの相性が良いらしい。使いようによっては、更にいい働きをするかもしれん……。
「ジーンと合流させ、状況を開始するように伝えろ。やり方は好きにして構わん。」
さて、肝心のモルモットだが、どう回収するか。
本来ならば、ワシ自身が標的なのだから、ヘタに手を出す必要もないのだが、そこに『影』の入れ知恵があったなら話が少し変わってくるかもしれん。
……例えば、事前にアークどもの身の潔白を調べ上げた『影』が、エルクを通じて協力を仰ぐということも、有り得ないではない。
最悪の場合はリーザを抹殺されてしまうことだ。当然、エルクにそんなことはできん。だが、エルクに知らされることなく『影』の操り人形としてそれを実行されてしまったなら……。
もしも、エルクの「親代わり」などという使命感が『影』にあったなら、それもまた絶対にないとは言い切れない。
さらに、接触の仕方如何ではエルクたちの存在はアークも知るところとなる。
であれば、あのクソじじいがワシの『モルモット』だと見抜いてしまうに違いない。加えて、ワシを除く四将軍はエルクたちの顔を知らんとなれば、奴らにとってこんなに不都合で好都合な駒を放っておくはずがない。
ワシらの手に落ちる前に無理にでも回収、保護するだろう。
ワシが直接出張れば問題は全て解決するのだろうが、生憎、害虫どもと戯れる最高の舞台はまだ整っていない。
ならば、これらの場合だけは出来ることなら避けたいものだな。その為にも、まずは本物の回収を第一目標にせねばならん。それこそ、女神像の二の舞は許されん。
偶然にも、奴らの飛んでいる近辺にはお誂え向きの駒がおる。
「……確か、ヴィルマーはヤゴス島に逃げ込んでいるんだったな。」
「はい。孫娘と二人、島に唯一存在する村で問題を起こすことなく暮らしているようです。さらに、博士は村に技術提供をしているらしく、島の住人からの信頼は厚いとの情報もあります。」
「あの根暗な博士にしては上手くやっているようじゃないか。」
ヴィルマーにはどちらかと言えば、”人間嫌い”の気があったはずだ。それを、孫娘のために厚生するとは。中々見上げた家族愛じゃないか。
……ワシがそう仕向けたのかもしれんがな。
「手段は任せる。エルクとシルバーノアが直接接触できない程度に阻害しておけ。そして、エルクたちをヴィルマーに引き合わせろ。」
研究所から姿を晦ます直前まで、ヴィルマーには『精神感応』に関する研究に就けていた。「抑制剤」の開発を成功させたのも奴だ。効果は弱く、実用化には程遠いが、リーザの捕縛に一役買うくらいはできるだろう。
「よろしいのですか?博士は能力者”活性化”の研究にも携わっていたと記憶していますが。」
「その心配はない。」
所詮、奴は「敗者」だ。孫娘一人しか守りきることのできなかった「弱者」だ。
「奴がなぜ研究所を逃げ出したかを考えれば、エルクどもの『力』を強化させようなどと話題にも上げるまい。」
少なくとも、自分の孫娘の目の届く範囲で『化け物』の脅威を曝すような真似はできんはずだ。
上手く事が運べば、例の『鉄クズ』も一緒に回収することができるかもしれん。そうなれば言うことはないのだがな。
――――しかし、紅の男はそうなることを望んではいない。
悉く、自分の期待を裏切る結果が訪れる瞬間を思い浮かべるだけで、男の口内は汚濁した唾液で満たされていく。
紅の男は、そういう『化け物』だった。