聖櫃に抱かれた子どもたち   作:佐伯寿和2

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炎の怨恨 その二

男は『技術』を身に付けたその日から、残された生涯(しょうがい)を『(かげ)』に(てっ)するつもりで生きてきた。

それは砂漠で少年を(ひろ)った後でも変わらない。手助けこそすれ、()れ合いはしない。支えられる事だけを(こな)し、自立していく姿を見守るつもりでいた。

だが彼は今、そうやって長年向き合ってきた『(おのれ)』が唐突(とうとつ)に他人のような表情を見せたことに若干(じゃっかん)の『驚き』を覚えていた。

 

男は、少年を(なぐ)り飛ばしていた。力の加減(かげん)こそすれ、それは今の彼にとって『本気の一撃』に変わりはない。

受け身も取らずにまともに(こぶし)を受けた少年もまた、朦朧(もうろう)とする意識の中、彼から受けるはずのない『仕打ち』に目を白黒させていた。

 

「少し、そこで頭を冷やしていろ。」

その声は確かに『恩人(カレ)』のもので、その言葉は確かに『育ての親(カレ)』のものだった。

少年は、目の前の男が『彼』を(よそお)った『偽物(にせもの)』であるような気がしてならなかった。

 

殴り飛ばした男もまた、経験のない自身の行動に説明がついていなかった。どうして、そういう行動に出てしまったのか理解しかねた。

5年間付き合ってきた彼は、少年の『闇』を十分に理解しているつもりだった。だとしたなら少年の『陰』として、少女を放置し、『闇』の一端を担っているであろうシルバーノア(銀の魚)追撃(ついげき)するのが『(すじ)』であるように思えた。

 

 

……いいや、違う。

 

 

『少女を護ること』もまた、少年が打ち払うべき『闇』の一つであることを、男は(かろ)うじて思い出すことができた。それは男にとっても待ち望んでいた『救い』のように感じられた。

 

やがて、少年は自分の置かれた状況を把握(はあく)するまでに回復した。同時に、(しず)まったはずの『憎しみ』が急激に息を吹き返した。

それでも、今の少年には『理性』があった。男の言うことは正論(せいろん)で、自分の行動は確かに間違っているという『抑制(ブレーキ)』が掛けられる程度の。

理性(それ)』に(おか)されまいとする『感情』もまた、牙を()き出して(うな)り声を上げ続けている。

 

しかし、少年が()()()()男に(あらが)うようなことはなかった。

内側では、『炎』の勢いを大きく、大きく(ふく)らませながらも、『育ての親』に逆らうことを身体(からだ)拒絶(きょぜつ)していた。

ただただ歯を()(しば)り、憎らしさを(おもて)に出す以上に、少年が男に抗う良い方法が分からないでいた。

 

 

 

間もなく、小型飛行船(ヒエン)(プロディアス)の入り口に辿(たど)()こうとしていた。

「落ち着いたか?」

何が解決した訳でもない。殴られた(ほお)がジンジンと痛むだけだというのに、あれだけメラメラと少年を焼いていた『炎』は、不思議と下火(したび)になりつつあった。

「ああ、悪かった。」

『痛み』が、少年に自分を護り続けてきた『親の背中』を思い出させたのかもしれない。それが、聞き分けのない『感情(憎しみ)』を(なだ)めたのかもしれない。

 

そして、少年はまた一つ『彼』に恩をつくってしまったことを後悔(こうかい)する。

15という節目(ふしめ)年齢(とし)(むか)えた少年はひたすら、『彼』に恩を返していくつもりだった。

借りたものすら返せない人間にも(かか)わらず、周囲に「一人前」と言われただけで、『できる』と勘違(かんちが)いをしていた。

いいや。だからこそ、なのかもしれない。

 

少年は、成長を見せない自分自身に腹立(はらだ)たしさを覚えていた。

 

「まずは俺の話を聞け。」

黒装束の彼は、少年から視線を逸らしたまま『自分の仕事』の話を続けた。

「お前の希望通り、『シルバーノア(アレ)』はお前に追ってもらう。だが、それで『追うもの』が二つに増えるのは(かえ)って手間(てま)だ。『リーザ』は必ず()()()()()()()()。」

『彼』は優しかった。言葉も表情も(とぼ)しい人間だが、少年に沢山(たくさん)のことを丁寧(ていねい)に、根気強く教えられる人間だった。

その『彼』が()()()()()。それは少年に『罪悪感』を覚えさせるには十分な出来事だった。

少年は()らず()らずの内に、『彼』に沢山のことを気付かされていた。

「……リーザは『物』じゃねえ。」

「……そうか、それはすまなかったな。」

これもまた、分かっているようで分かっていない、大切なことだった。

 

 

 

船を降りる直前、黒装束(くろしょうぞく)は少年に少女の居場所に心当たりがないか再度(たず)ね、行動の目的、無事確保した後の段取(だんど)りを簡単に説明した。

だがしかし、船から降り立った彼らを、「出来過(できす)ぎている」と()らした黒装束の『懸念(けねん)』がまた一つ、待ち構えていた。

 

「やはり(くだん)の逃亡者はお前たちだったのか。」

迅速(じんそく)な行動が求められる二人の足を止めたのは、彼らの同業者だった。

直向(ひたむ)きなハイエナ』と呼ばれる彼の名は、クーガー・ボルト・ビルバノッチ。

『ハイエナ』という名前とは裏腹(うらはら)に、彼の容姿(ようし)如何(いか)にも異性を(まど)わせるような、(ととの)った顔立ちをしていた。しかしそれは、彼の『信念』の上で必要なことであり、色恋に(かま)けてのことではない。

『ハイエナ』の名は、『正義』に実直(じっちょく)で『災害の種』をいち早く()ぎ付け、墓場(はかば)まで追い回すような彼の性格からきていた。

 

その『ハイエナ』が二人を指して「件の()()()」と言った。

二人の間に緊張が走り、目の前の『敵』にどう対処(たいしょ)するべきか各々(おのおの)、しかし―――5年間を(とも)に生き抜いた二人は―――限り無く近似(きんじ)した思考を(めぐ)らせていた。

 

ハイエナは少年の顔色が変わるのを確認すると、勝ち(ほこ)ったような声色で話を進めた。

「ギルド連中が渋々(しぶしぶ)俺に話を持ち掛けてきたのさ。」

彼は年相応(としそうおう)活躍(かつやく)を見せないエルク(少年)を『危険視』していた。

()(あま)す若い『力』は、必ず『悪』を呼び込む」それが彼の持論(じろん)だからである。

「なあ、()()()()()()()()が見当たらないようだが。大丈夫なのか?」

その言葉を聞いた時ほど、少年がギルド連中を(のろ)ったことはなかった。

 

「……クーガー、()()()に何かしたのか?」

少年は、同じ『過ち(ミス)』を繰り返していることにすら気づけていなかった。

5年間、『賞金稼ぎ』という常人(じょうじん)以上であることを求められる仕事に身を置きながら、『少年』は(いま)だに15才の『少年』のままだった。

『炎』が目の前にチラつけば頭に血が(のぼ)り、『炎』に『炎』で(こた)えようとしていた。

その結果、『誰か』を危険に(さら)し、その(たび)に『彼』の手を(わずら)わせてしまうことも忘れて。

 

しかし、それでも『彼』は少年の『陰』として、何度でも少年の背後に立ち続けることを(いと)わない人格(じんかく)の持ち主だった。

「エルク、落ち着け。ギルドが『身内』で人選(じんせん)(あやま)ることはない。これはただの挑発(ちょうはつ)だ。」

 

 

 

そうだった。ギルドの人間は、自分たちがどんな私情(しじょう)(かか)えていようと仕事には忠実(ちゅうじつ)な連中だった。それは仕事を受ける側の俺やクーガーも例外じゃない。

 

それでもシュウは素早(すばや)小銃(しょうじゅう)を引き抜き、目にも止まらぬ早業(はやわざ)でハイエナに照準(しょうじゅん)を合わせていた。

「クーガー、何のつもりか知らんが俺たちは急いでいる。()()()()()()()、今すぐ選べ。」

シュウの『威圧的(いあつてき)な行動』は、これからハイエナが徹底的(てっていてき)展開(てんかい)させるであろう『(さぐ)り』を無視するためのもの。

なぜなら(すで)に、シルバーノアは広場から離れようとしていたからだ。

「シュウ、それは俺の質問の答え次第(しだい)……ってオイッ!」

物陰(ものかげ)から飛び出してきたのは『野鹿(のじか)』だった。()()ぐに俺の(ふところ)に飛び込んできたかと思えば、赤く()れた目を俺に見せつけ、頬を(いきお)いよく(はた)いた。

そして、『怒り』とも『悲しみ』ともとれない声で俺を(なじ)った。

「……アナタは私を捨ててもいい。でも、私はアナタを護って死ぬわ。」

(にら)み付けたかと思えば、また俺の胸元に顔を(うず)めて(つぶや)いた。

「だから、私の目の届かない所には行かないで。」

母が、子に願うような。そんな切実(せつじつ)な声に聞こえた。

 

それは『覚悟(かくご)』というものの()()しているように思えた。どうしてそこまで俺に(かま)うのか、分からない。

……いいや、そんな訳ない。考えようとしていないだけ。砂漠で『彼』に拾われた俺なら理解できるはずだった。

 

そう。彼女には今、俺しかいない。『信用』とか『信頼』を(あず)ける相手ではなく、自分の『命』を預けられる相手は俺以外誰も。

「エルク、急げ。見失(みうしな)うぞ。」

俺が沸騰(ふっとう)した頭でグルグルと考えている内に、シュウはクーガーからここまでの経緯(いきさつ)を聞き出していた。

(うなが)されて空を見上げると、白銀(はくぎん)機影(きえい)はすでに米粒(こめつぶ)のように小さくなっていた。待機(たいき)していた『市長』側の小型戦闘機が5、6機(むら)がってはいるが、足止めになっている様子はない。

 

どうする、リーザがこんな状態なんだ。(あきら)めるか?けど、それじゃあ、せっかくの手掛(てが)かりが……!?

「お、おい、リーザ。」

『野鹿』が、もたつく俺の腕を強く引いていた。

「シュウさん、あの飛行船を追えばいいんですよね?」

『野鹿』は、『狩人(かりうど)』とは程遠(ほどとお)眼差(まなざ)しで消え行く銀の船を睨む。

「……そうだ。ヒエン(あの船)を使え。操縦(そうじゅう)はエルクに(まか)せれば()い。」

聞き届けるや(いな)や、返事もなく俺を引き()り、彼女は走り出した。

クーガーから姿を隠していたらしいパンディットが、少し離れた所を並走(へいそう)していた。

 

ヒエンまでのほんの短い距離を、俺は彼女に(みちび)かれるように走った。

その後ろ姿は俺に、『覚悟』した人間の本当の姿を教えているように見えた。

 

 

 

 

どうやら少女(リーザ)()()()()()()()()をしてくれているようだ。

初見(しょけん)では、少年(エルク)の『闇』を少しでも明るくしてくれればとしか期待していなかった。だが、どうやら彼女は『エルクの闇(アレ)』を根本(ねもと)から()つつもりらしい。

それが(ねら)ってしていることなのか、()()きのことなのかは分からない。だがそれは、『陰』であることに(しば)られている俺では、例え今後5年、10年を(つい)やそうとも手を出すことすらできなかったことなのだ。

それを思うと、()()()()()()()

 

「……何を考えている。」

だからこそ、俺はこの男にそれを聞き出さなければならなかった。

この状況下(じょうきょうか)で、ハイエナ(コイツ)の『正義』なら少年(エルク)の『悪夢』の一欠片(ひとかけ)になっている方が自然に感じられたからだ。

「……別に。ただの、気紛(きまぐ)れだ。」

()()めるよりも先に、ハイエナは(みょう)に疲れた顔をしていた。そして、俺がその気になるよりも早く、『陰険な正義(ハイエナ)』はポツポツと本音を吐き始めていた。

「ギルドから、『愛人を護ろうとしてる』と聞いた時は何の冗談(じょうだん)かと笑ってやった。だが、懇々(こんこん)()()せに掛かってくる奴らを見たら笑えなくなっちまってな。」

正義(ハイエナ)』は、見えなくなった二人を追いかけるように、遠い目をした。

「……それ以上は口が()けても言えねえな。」

そして一度だけ、長い(まばた)きをすると、彼は日頃見せる『(ハイエナ)』の顔に戻っていた。

迂闊(うかつ)にも俺は、その姿を(うらや)ましいと感じてしまった。

 

 

 

『陰』であろうとする男にも、ハイエナのそれは(かろ)うじて理解できた。

ハイエナ()』にもプライドがあり、家族があった。そんな人間が『(なさ)け』を知らないはずがない。

常より、非情(ひじょう)でいなければならない『賞金稼ぎ(彼ら)』の仕事で掛けられる数少ない『それ』は、自分たちが『人間』であることを思い出す最後の(とりで)のようなものだった。

それは、この式典(セレモニー)の影の主役でもある青い歌姫にも同じことが言えた。

 

獣に戻ったハイエナは、何も()げずに去っていった。

その背中を見送る『陰』は、一筋(ひとすじ)の光が自分に()すのを感じ、改めて自分を(いさ)める。

そして、二人の乗る船の離陸(りりく)を確認すると()ぐさま、『陰』は『影』へと(もぐ)った。

 

 

――――アルディア湾上空――――

 

少年と少女が船に乗り込み、空へと(のぼ)った時にはすでに、銀の船(シルバーノア)の姿は消えていた。

少年は船の限界まで速度を上げて目標(もくひょう)を探すが、一方では背後に(ひか)えている少女の様子が気に掛かっていた。

 

 

 

「……俺がこう言うのも何か変かもしれねえがよ、クーガーには何もされなかったか?」

それは今さら気にしたところで遅い話な上に、具合(ぐあい)の悪いことを()(かえ)す話題だった。

「エルクが飛び出した後、あの人は()ぐに、追いかけようとする私を止めに現れたわ。」

淡々(たんたん)としていた。怒鳴(どな)()らしたいところを必死で我慢(がまん)している様子が手に取るように分かった。

 

リーザによれば、クーガーはただギルドから()()った仕事だからと彼女を安全にその場から逃がしただけらしい。必要なことを伝えると、それ以上は視線すら合わせなかったという。

何か余計(よけい)詮索(せんさく)をしてきた訳でも、黒服連中と口裏(くちうら)を合わせていた訳でもなかったという。

大凡(おおよそ)いつもの『正義』と変わらないが、『()()()()』らしくはないように感じられた。

すると、リーザは変わらず声色を殺して俺の邪推(じゃすい)を否定した。

「エルク、()()()()にも、遠ざけたい『悪夢』の一つや二つあるものよ。」

それは、(あん)に俺の幼稚(ようち)な『考え』を卑下(ひげ)しているように聞こえた。

 

 

 

そして、視線を()せたまま、声を殺したまま、少女は少年に()()()()()()()()()()()()()げた。

「私は、この町まで私を逃がしてくれた時のエルクの『声』を忘れられない。」

それは少女の心の奥深くに突き刺さっているものだった。

「だから貴方(アナタ)が私を見捨(みす)てても、私は貴方を護りたいと思う。どんなに貴方が憎くてもそれは変わらない。だって――――、」

少女の瞳は、少年のそれを捕らえ、(おも)いの(たけ)をぶつけた。

「だって、私にとってたった一人の、私を想ってくれた()()()()()()()()。」

少年は(わず)かに寒気を覚えた。だが直ぐに『考え』を改めた。

 

 

リーザの言っていることは何一つ間違っていない。俺も、彼女も、同じ『化け物』。

()む場所を追われ、化け物(仲間)を奪われ、『憎しみ』に彷徨(さまよ)孤独(こどく)な『化け物』。

そんな二人が出逢(であ)い、『心』を(かよ)わせることができた。

そして今もまた、『悪夢』が俺たちの胸に『炎』を(とも)そうとしている。

だったら、護らなきゃならない。彼女も、俺自身も。

 

 

少年は思う。

少女を護り、少女に護られ、二人の『炎』を二人で払おうと。

それでも、少年が『野鹿』のそれと同じ想いに(いた)ることができるという明確な自信は持てなかった。

しかし、少年の成長を待つほど事態(じたい)は優しくない。

 

――――銀の機影(きえい)は、彼らの前に姿を現した。


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