聖櫃に抱かれた子どもたち   作:佐伯寿和2

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白銀の使徒 その三

エルクは『仕事』に集中していた。

人の数が多過(おおす)ぎて、私には外の『声』が上手(うま)く聞き取れない。でも、エルクの瞳はハッキリと黒服たちの異様な動きを(とら)えているのが分かった。

エルクがそうするように、私もまた支度(したく)(ととの)え、静かに『その時』を待つ。

 

彼は、町のあちこちに瞳を飛ばして、何処(どこ)から()()るか決め(あぐ)ねていた。

彼は、()()()()模索(もさく)している。

自暴自棄(じぼうじき)』、現状を知る誰かが彼の行動を見たらその全員が口を(そろ)えて言うかもしれない。私も、確かにその通りだと思う。

でもその姿は、今までの彼と比べたら一回りも二回りも大きい人間に見えた。

 

『頼もしい』そう、心から思えた。

それに、彼は信用できる人だ。それはこの数日の間で何度も実感することができた。彼に全てを打ち明ければ、最後まで力になってくれるに違いない。私も彼の手助けができればと心から想った。

 

―――だからこそ、怖かった。

彼はまだ15才。ついさっき見せた癇癪(かんしゃく)のように、ここぞという場面で(ほころ)びが出ないという保障(ほしょう)はない。もしもそれが、()()()()()()()()()()

彼は私を見捨てるかもしれない。

 

私自身――彼と同じように――、ここまでの出来事と背負ってきた過去に向き合う心構(こころがま)えができていない。流されるばかりで、向き合ってこなかった。

そうすることで『悪夢』の中を、ただただ生き(なが)らえてきた。

 

こんな状態で今、彼への『信頼』も失ってしまったら、私は必ず『彼ら』に対して無防備(むぼうび)になってしまう。

それこそ自暴自棄になって、『彼ら』にされるがまま、身を任せてしまうかもしれない。

 

その先に立っているのは、幾百(いくひゃく)幾千(いくせん)の『化け物』を(したが)えた女。『命』を(むさぼ)り、首輪を着ける非道(ひどう)な魔女。

それでも私は自分の命を()つことはしないだろう。

……結局のところ、私だって自分の命が()しいんだ。だから今まで()()びてきた。

それもまた、彼と同じように。

 

私たちは想い合っている。それなのに、命惜しさが私たちの間に壁を作っている。

似ているから信じられる。そして、似ているからこそ、怖い。

 

 

――――本当に、()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

気づけば窓の外では最高潮(さいこうちょう)を迎える(もよお)(もの)が、町の人の心に火を()け始めていた。エルクは黙ったまま、(よろこ)()える町を見守っている。

私への追及(ついきゅう)も反論も(あきら)めたその横顔からは、不安に(おび)える(かす)かな『嗚咽(おえつ)』が聞こえた。

 

それでも私は彼を(けしか)けた。

何故(なぜ)だかは分からない。けれど今回は……、何とかなる気がするのだ。

それは『虫の知らせ』のような曖昧(あいまい)なものだけれど、それでも()()()、何かが好転(こうてん)し始める(きざ)しを感じていた。

彼を、そこまで(みちび)かなきゃならないような気がしてならない。

 

「……始まったな。」

形ある答えを見つけるよりも早く――日が落ち、パレードのネオンや会場のアップライトが目立ち始める頃――、『悪夢(その時)』はやって来た。

 

 

 

 

―――女神像前広場―――

 

式典(しきてん)の会場を()りたてるその歌姫の『声』には、(たみ)福音(ふくいん)をもたらす女神を(たた)えるに相応(ふさわ)しい、美しさと(ぬく)もりがあった。

お祭り騒ぎに(あやか)って集まっただけの野次馬(やじうま)たちの心にも、『歌声』に(ひた)る内に『石の女神』への、あるはずのない『信心(しんじん)』が()()こってくるのだった。

 

彼らは思う。この女神像は、この町(プロディアス)(おとず)れる『(わざわい)』を退(しりぞ)け、『幸運』をもたらすものなのだと。

そう、()()()()()()()

 

女神の(ふところ)(いだ)かれた(ぎょく)は、彼らの『()()()』に呼応(こおう)するかのように(あわ)翡翠色(エメラルドグリーン)の光を発し始める。

光は訪れた民を()(へだ)てることなく包み込み、内へ、内へと()()んでいく。

すると彼らの瞳もまた、翡翠(ひすい)発色(はっしょく)(しめ)し、()()()()()()()()姿()()()()()()()()()()()()()()()()

 

その様子を、()ちていく観衆(かんしゅう)の目の色を壇上(だんじょう)から見下ろす男は、落胆(らくたん)していた。

 

……つまらん。

ここまで順調に事が運ぶとなると、もはや茶番(ちゃばん)だな。

 

彼にとって、勝ちの見えた勝負に甘んじることはどんな形の『勝利』であれ、興醒(きょうざ)めなもの。

血の色(ワインレッド)のスーツに身を包んだ博奕(ばくち)()ちは項垂(うなだ)れていた。

 

彼の想像する『支配絵図(しはいえず)』の中には、数多(あまた)血繁吹(ちしぶ)きに欲情(よくじょう)し、水揚(みずあ)げしたばかりの臓物(ぞうもつ)に食欲を(そそ)られ、歓喜(かんき)する自身の姿が描かれていた。

木馬(もくば)』や『処女(しょじょ)』が(ひび)かせる阿鼻叫喚(あびきょうかん)輪唱(コーラス)()いしれながら肉を()()き、苦悩を()める(よろこ)びがあった。

 

それは、一種の『帰巣本能(きそうほんのう)』なのかもしれない。

 

しかし、彼は予定調和(よていちょうわ)のように与えられる『地獄』などに興味はない。あくまで彼が心から望むものは、『()()()()()()()』だった。

身の内で(くすぶ)る『黒い感情』が()(みだ)される日々を欲していた。

怒り、憎しみ、苦悩の(すえ)に胃を満たす『(さけ)』や『臓物(にく)』を無上(むじょう)(よろこ)びとしていた。

それこそ、男が『人生』に求める()()とも言えた。

 

しかし今、市長(おとこ)に群がる()()()()()()()()()()()()は、彼の『人生』に一銭(いっせん)貢献(こうけん)もしていない。

そして、もはや意思のない『木偶人形(でくにんぎょう)』である彼らは、市長(悪魔)のされるがままに命を散らそうとしている。

それが男の、『使命』への情熱を欠いていた。

 

……どうしたというのだ。『救済(邪魔)』をしに来ぬつもりか?『復讐する(憎むべき)』相手が(いま)だに分からぬとでも言うのか?

お前たちに『(うら)み』を植え付けたのは何のためだと思っている。何のために(うと)ましい身内(みうち)の手助けをしてやったと思っている。

このまま……、『何』も起こさぬつもりなのか?このまま(わし)の役目を終えさせるつもりなのか?

 

 

 

深紅(こきくれない)に身も心も染め上げた男は、もはや聴衆(ちょうしゅう)の目を(はばか)ることなどしなかった。

苦虫(にがむし)()(つぶ)したような顔で、市長(彼ら)の勝利を約束する女神を見上げ、何処(どこ)かでこの状況を見て北叟笑(ほくそ)んでいるであろう仲間の一人を(ののし)るばかり。

「やはり、『神』に願うなど他力本願も(はなは)だしいということか。」

 

 

 

―――間隙(かんげき)

女神の微笑(ほほえ)みを享受(きょうじゅ)する神聖な広場は一転して、破滅(はめつ)(はた)(かか)げた『災厄(さいやく)』が人心(じんしん)に絶望の種を()く畑へと姿を変えていた。




※エメラルドグリーンの正しい和名は青竹(あおたけ)色というそうですが、イメージとして翡翠(ひすい)という言葉を使わせてもらいました。

『木馬』=三角木馬、『処女』=鉄の処女。どちらも拷問器具(ごうもんきぐ)名称(めいしょう)です。

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