聖櫃に抱かれた子どもたち   作:佐伯寿和2

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女神の奴隷たち その十四

太鼓(たいこ)金管楽器(ラッパ)()りたてる町を背に、綺羅(きら)びやかな太陽は町を(たた)えるように沈んでいく。

『関係者』でなければ、この光景に()いしれることができたかもしれない。ただの()()()()()()()()()として。

だが、俺たちは違う。昨日まで都会(プロディアス)(にぎ)わいに心踊(こころおど)らせていたリーザは、外の景色から()えて目を(そむ)けている。

 

地上5階から(のぞ)める町の端々(はしばし)に目を走らせれば、()()()調()()()()()()()()()と確認できる。当然、俺はそれを見逃さない。

連中の『動き』が細かくなれば自然と神経は()()まされ、沸々(ふつふつ)()(たぎ)る『力』は息を殺し、待ち構える。

そうして、待つことを命じられた『力』は、放置された『脅威(きょうい)』に対し、警告(けいこく)の声を大きくしていく。

「―――女神像(アレ)は危険だ」と。

それはリーザがアレを見て不安の声を()らした辺りから、十分に感じ取っていた。

だが、シュウがアレを()えて見逃しているのは間違いない。シュウが現場の判断を(あやま)るとも思えない。

だとするのなら、俺はアレを『(おとり)』だと見るべきなのだ。『本命』は必ず他にいる。

そこまでの状況判断を自分に(くだ)しているのに、注意深く見れば見るほど、アレが手に()えない『化け物』のように思えてならなくなる。

 

一度、『危険(それ)』を覚えた本能は(おさ)えようにも抑え(がた)い。そして、『その時』が来るよりも早く、俺の頭の中では最悪の光景が産声(うぶごえ)を上げ始めていた。

 

 

 

 

―――夕日を見送った(そら)は、月光(つきあかり)()える暗幕(よる)を用意する。お祭り(さわ)ぎに力尽(ちからつ)きた町は明かりという明かりを消して就寝(しゅうしん)支度(したく)(ととの)えている。

だというのに、視線を上げれば、海に近い会場(そこ)だけは、沈んだ夕日の首根(くびね)っ子を鷲掴(わしづか)みにしているかのようにいつまでも、いつまでも()()

ラッパたちは鳴り止んでいた。小太鼓(スネア)だけが小刻(こきざ)みに()()()()()()()()()()()

(たい)らな海面(みなも)(ふる)わせるようにいつまでも、いつまでも()(ひび)く。

()けつけた時、そこには『選別(せんべつ)』を終えた()()()累々(るいるい)(きず)かれている。

その向こう、奴らが(つく)った女神の足許(あしもと)では、狂信者(きょうしんしゃ)たちが陰惨(いんさん)布教(ふきょう)活動(かつどう)をしている。

その中に――――、

 

「ダメッ!!」

 

……『悪夢(うぶごえ)』の中に、知人の顔があった気がした。

それを確認するよりも早く、俺の視界はもう一人の女神の懇願(こんがん)の表情で一杯になった。

「そんなことにはならない。私たちが止めるの。そうでしょ?」

「……あぁ。」

(なか)ば『悪夢(ゆめ)』に引き()られたまま、俺は答えていた。だが、正気に戻ったところでその答えが変わることはなかった。

リーザ、それは限りなく不可能に近い『(げんそう)』だ。

たかが三人と一匹……。

千を()えるかもしれない『化け物(プロ)』が本気になったなら、『知人』の一人や二人、犠牲(ぎせい)にならない方がおかしい。

むしろ、そういう『覚悟』は、この仕事で生きると決めた時から常にしているつもりだった。

けれど、()()()()()()()()()も、『悪夢』を()()えると決めた俺の、もう一つの『覚悟』であったはずだった。

だが、無理なことは無理だ……。

今の俺には『一人(リーザ)』を(まも)るだけで手一杯だ。

 

反射的に、(おそ)ってくるそれを俺は止めた。

(つか)んだ細い腕は、出会った頃よりも筋肉がついていた。小鹿(こじか)のように弱々しかった瞳が、力強く感じられた。

俺の(ほお)()とうと飛んできた彼女の腕は熱く、(ふる)えている。

これこそ、本物の『覚悟』の(あかし)のように思えた。

彼女は、()()びるために必要なものを素早(すばや)く身に付けることができる。それこそ『化け物(ケモノ)』のように。……俺はそういう『人種』には当てはまらない。

もっと、『小物』だ。

無鉄砲と(しか)られ続けてきた俺は、実力を(わきま)えず虚勢(きょせい)()り、結果、『後悔』を残す。そういう奴だ。

 

「私は必ずエルクの役に立つ。だからお願い。一緒に、前に進みましょう。」

リーザの(つむ)ぐ言葉一つ、一つには『力』が込められていた。聞くだけで、それが『未来』を()り上げていくような気がした。

 

そうだ。俺はこの子を助けるんだ。だから、骨折(ほねお)って町を()り歩き、わざわざホテルに籠城(ろうじょう)なんて似合(にあ)わないことをしている。

――――だから俺は、町を見捨(みす)てる……のか?

 

「ううん、違う。アナタまでそっちに行っちゃダメ。」

必死な姿だ。そんなに取り乱しちまって。止めろよ。まるで俺が今にも、くたばっちまうみたいじゃないか。

俺は、彼女の必死さに()されて、いつの間にか思う言葉を飲み込んでいた。

「こんなこと、危険な(こっちの)世界で生きてきたエルクは、ただの『世間知らずな女』の戯言(たわごと)だと思うかもしれない。それでも、私は……()()()()()()()()()。」

彼女の熱心に()()せようとする姿は、誰かに似ている。

そうだ、あれは――――、

 

 

 

「誰かを助けることには、理屈(りくつ)があるようでそうでないことが多い。」

俺が初めて仕事で人を殺した時のことだ。シュウは何の前置きもなく、俺にそう言った。

ソイツはどうしようもないバカ野郎で、自分の力量も分からずに分不相応(ぶんふそうおう)犯罪(やま)に手を着けちまった。

だから俺もついカッとなっちまって()っちまった。

だが、もしもあそこで見逃しちまったらソイツは(おさ)えられない『力』に(もてあそ)ばれて、数え切れない人を殺す。同情なんかなかった。

ただ、『後悔』はあった。

圧倒的な力で蹂躙(じゅうりん)するように人を殺す行為が『悪夢(奴ら)』とダブったからだ。

 

(だれ)しもに(ゆる)された『行為』だが、見方(みかた)を変えればそれは一種の『犯罪』だ。」

そんな場面だったからか、シュウの言っている意味が分からなかった。

結局、俺の殺しは彼に認められたのか?そうでないのか?

「つまり、相応(ふさわ)しい『力』と『機会(きかい)』に(めぐ)まれた者の、『()(まま)』だと思え。」

彼の言葉は難しくて、俺は自分が何をしたのかさえ分からなくなっていた。

 

この男はなぜ血を流して動かなくなっているのか。

それをしたのは誰なのか。

目を、(そむ)けて良いのか、悪いのか。

 

俺はこれから、間に合わなかった犠牲者たちに呪われでもするのか?

それとも、俺がここでコイツに止めを()さなかったら、将来、コイツは誰かを救ったってのか?

……俺が、悪いのか?

「そこに善悪はない。ただ、意志の弱い人間は『悪夢』に(おぼ)れていく。……誰かを殺すことと同じようにな。」

言い終えた後、シュウは動かないソイツの頭蓋(ずがい)徹底的(てっていてき)(つぶ)した。冷酷(れいこく)に、原形(げんけい)を無くすまで何度も、何度も弾丸(だんがん)を撃ち込んだ。

その銃声(じゅうせい)もまた、口下手(くちべた)な彼の言葉を(おぎな)う『声』に聞こえた。

それは、いつまでも、いつまでも俺の耳に響いていた。

 

 

 

「エルク、私を見て。」

彼の声は終始(しゅうし)(おだ)やかだったが、あの銃声はその内側を(さら)しているように思えた。

「シュウはアナタを助けたのよ。」

「助けた、何から?」

『賞金稼ぎ』なんて大義名分(たいぎめいぶん)(かこ)つけているが、所詮(しょせん)は『何でも屋』。

依頼され、受理(じゅり)すれば、その過程(かてい)にあるそういった『障害(しょうがい)』は全て排除(はいじょ)するのが俺の仕事だ。例えそれが人を殺すことだったとしても、それが妥当(だとう)だと判断したなら、俺は躊躇(ためら)わない。

「躊躇わない?嘘つき。アナタは躊躇ってる。『どうにか助けられないか』探しながら殺してる。シュウはそれを教えてくれたんでしょう?」

やっぱり意味が分からない。

「ただ殺すのと、考えて殺すことの何が違うってんだ?」

「全然違うわ。アナタは少しずつ強くなってるはずよ。少しずつ誰かを助けられるようになってるはず。『考える』ってそういうこと。」

何を根拠(こんきょ)に。でも――――、

 

――――まるで『女神』のようだ。

田舎臭(いなかくさ)風貌(ふうぼう)の彼女に、初めてそんな印象を覚えたのはいつのことだったか。

「だから、あの時からずっと、アナタは私を助けてくれているんでしょう?」

彼女は本気で俺に『救いの手』を()()べる気でいた。

 

「そして、それは私も同じ。少しずつだけど、誰かを助けられるようになってる。」

でもなリーザ……、そんなんじゃ、ダメだ。全然、ダメだ。

「コーヒーの()れ方に四苦八苦してた人間の吐く言葉じゃねえよな。」

脈打(みゃくう)血肉(ちにく)を自分で引き()り出したことがあるのかよ?自分の手足に他人の肉片(にくへん)がこびり着いた感触を知ってんのかよ?

あんな事をしてまだ『夢』を見ていられるとでも思ってんのか?

「エルク。私の(こと)、忘れたの?何でも見てきたわ。何度も聞いてきたわ。」

「だったらッ!」

だったら助けられねぇ命だってあるのを知ってるはずだろう?それなのに、何で『助ける(そんなこと)』を言うんだよ。

「……エルク、取り()えずやってみましょう。大きくなったアナタと、アナタに育てられた私に何ができるのか。今はそれを知ることが、先決なんじゃないかな?」

 

彼女は笑っていた。この局面(きょくめん)で笑っていられる彼女の神経が信じられない。

……シュウも、笑いこそしなかったが、何時(いつ)だって落ち着いていた。頭を働かせ、無理難題(むりなんだい)の中での()振舞(ふるま)(かた)を俺に教えてくれた。

「泣くのも、笑うのもその後でいいでしょ?」

俺は知らない間に泣いていた。

そして彼女もまた笑いながら、泣いていた。

「だから、お願い。もう少しだけ、『私の力(ワタシ)』に(だま)されて。」

 

彼女は()()()()()()()()()()()()俺を引き寄せた。

「……リーザ。」

彼女の体はまだ、震えていた。

どんなに自分を騙したところで、怖いものは怖いんだ。俺のことも、黒服連中のことも。

それでも彼女は、(あきら)めることを後回しにしている。実現することの疑わしい『可能性(ゆめ)』とやらを信じて。

それなのに俺は、俺はいったい後何度、彼女に(なさ)けない格好(かっこう)を見せれば気が済むのだろう。

 

震える彼女の肩越(かたご)しに窓の外を見遣(みや)ると、石の女神が祭壇(ふところ)へと上がってくる(にえ)たちを見下ろし、笑っていた。

微笑み(化けの皮)』を何時々々(いついつ)()いでやろうかと(たくら)んでいるような、不敵(ふてき)表情(ツラ)だ。

俺たちなんか眼中(がんちゅう)にない。それは全くもって勝ち誇った表情(ツラ)だった。

 

――――()()めるリーザからは、変わらず『良い匂い』が(ただよ)い、俺の鼻を(くすぐ)った。

 

水に(にじ)む『文字』のように、通ってきた『後悔(あと)』ばかりを気に掛ける自分が、薄れていく。これが彼女の、『支配(ちから)』なのだろうか。

それは、想像していたものとは少し違っていた。

……悪くない。

感情の一切合切(いっさいがっさい)(あやつ)られていたとしても、こんな『力』に騙されるのなら……。

やはり、悪くはない。

「リーザ、すまねぇな。世話ばっかかけちまってよ。」

リーザは俺の顔を(のぞ)き込み、俺の『嘘』を見抜(みぬ)こうとしていた。

「黒服を全員ブッ倒して、町の連中、皆まとめて助けりゃ良いんだろ?」

改めて考えるまでもなく、それは無謀(むぼう)な行動だった。

でも、そういうことだろう?常識的にやって来る『未来』を騙して、願う『幸せ』を力尽(ちからず)くで手に入れていこうって言いたいんだろう?

だったら、やってやるよ。この国の『炎』を、本当の意味で背負(せお)うのが誰なのか、連中に思いしらせやるさ。


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