太鼓や金管楽器が盛りたてる町を背に、綺羅びやかな太陽は町を讃えるように沈んでいく。
『関係者』でなければ、この光景に酔いしれることができたかもしれない。ただのエンターテイメントとして。
だが、俺たちは違う。昨日まで都会の賑わいに心踊らせていたリーザは、外の景色から敢えて目を背けている。
地上5階から望める町の端々に目を走らせれば、式は順調に進んでいるのだと確認できる。当然、俺はそれを見逃さない。
連中の『動き』が細かくなれば自然と神経は研ぎ澄まされ、沸々と煮え滾る『力』は息を殺し、待ち構える。
そうして、待つことを命じられた『力』は、放置された『脅威』に対し、警告の声を大きくしていく。
「―――女神像は危険だ」と。
それはリーザがアレを見て不安の声を漏らした辺りから、十分に感じ取っていた。
だが、シュウがアレを敢えて見逃しているのは間違いない。シュウが現場の判断を誤るとも思えない。
だとするのなら、俺はアレを『囮』だと見るべきなのだ。『本命』は必ず他にいる。
そこまでの状況判断を自分に下しているのに、注意深く見れば見るほど、アレが手に負えない『化け物』のように思えてならなくなる。
一度、『危険』を覚えた本能は抑えようにも抑え難い。そして、『その時』が来るよりも早く、俺の頭の中では最悪の光景が産声を上げ始めていた。
―――夕日を見送った宙は、月光の栄える暗幕を用意する。お祭り騒ぎに力尽きた町は明かりという明かりを消して就寝の支度を整えている。
だというのに、視線を上げれば、海に近い会場だけは、沈んだ夕日の首根っ子を鷲掴みにしているかのようにいつまでも、いつまでも赤い。
ラッパたちは鳴り止んでいた。小太鼓だけが小刻みに薄い皮を叩き続けている。
平らな海面を震わせるようにいつまでも、いつまでも鳴り響く。
駆けつけた時、そこには『選別』を終えた肉の塊が累々と築かれている。
その向こう、奴らが創った女神の足許では、狂信者たちが陰惨な布教活動をしている。
その中に――――、
「ダメッ!!」
……『悪夢』の中に、知人の顔があった気がした。
それを確認するよりも早く、俺の視界はもう一人の女神の懇願の表情で一杯になった。
「そんなことにはならない。私たちが止めるの。そうでしょ?」
「……あぁ。」
半ば『悪夢』に引き摺られたまま、俺は答えていた。だが、正気に戻ったところでその答えが変わることはなかった。
リーザ、それは限りなく不可能に近い『夢』だ。
たかが三人と一匹……。
千を越えるかもしれない『化け物』が本気になったなら、『知人』の一人や二人、犠牲にならない方がおかしい。
むしろ、そういう『覚悟』は、この仕事で生きると決めた時から常にしているつもりだった。
けれど、それをさせないことも、『悪夢』を塗り替えると決めた俺の、もう一つの『覚悟』であったはずだった。
だが、無理なことは無理だ……。
今の俺には『一人』を護るだけで手一杯だ。
反射的に、襲ってくるそれを俺は止めた。
掴んだ細い腕は、出会った頃よりも筋肉がついていた。小鹿のように弱々しかった瞳が、力強く感じられた。
俺の頬を打とうと飛んできた彼女の腕は熱く、震えている。
これこそ、本物の『覚悟』の証のように思えた。
彼女は、生き延びるために必要なものを素早く身に付けることができる。それこそ『化け物』のように。……俺はそういう『人種』には当てはまらない。
もっと、『小物』だ。
無鉄砲と叱られ続けてきた俺は、実力を弁えず虚勢を張り、結果、『後悔』を残す。そういう奴だ。
「私は必ずエルクの役に立つ。だからお願い。一緒に、前に進みましょう。」
リーザの紡ぐ言葉一つ、一つには『力』が込められていた。聞くだけで、それが『未来』を織り上げていくような気がした。
そうだ。俺はこの子を助けるんだ。だから、骨折って町を練り歩き、わざわざホテルに籠城なんて似合わないことをしている。
――――だから俺は、町を見捨てる……のか?
「ううん、違う。アナタまでそっちに行っちゃダメ。」
必死な姿だ。そんなに取り乱しちまって。止めろよ。まるで俺が今にも、くたばっちまうみたいじゃないか。
俺は、彼女の必死さに圧されて、いつの間にか思う言葉を飲み込んでいた。
「こんなこと、危険な世界で生きてきたエルクは、ただの『世間知らずな女』の戯言だと思うかもしれない。それでも、私は……アナタを助けたいの。」
彼女の熱心に説き伏せようとする姿は、誰かに似ている。
そうだ、あれは――――、
「誰かを助けることには、理屈があるようでそうでないことが多い。」
俺が初めて仕事で人を殺した時のことだ。シュウは何の前置きもなく、俺にそう言った。
ソイツはどうしようもないバカ野郎で、自分の力量も分からずに分不相応な犯罪に手を着けちまった。
だから俺もついカッとなっちまって殺っちまった。
だが、もしもあそこで見逃しちまったらソイツは抑えられない『力』に弄ばれて、数え切れない人を殺す。同情なんかなかった。
ただ、『後悔』はあった。
圧倒的な力で蹂躙するように人を殺す行為が『悪夢』とダブったからだ。
「誰しもに許された『行為』だが、見方を変えればそれは一種の『犯罪』だ。」
そんな場面だったからか、シュウの言っている意味が分からなかった。
結局、俺の殺しは彼に認められたのか?そうでないのか?
「つまり、相応しい『力』と『機会』に恵まれた者の、『我が儘』だと思え。」
彼の言葉は難しくて、俺は自分が何をしたのかさえ分からなくなっていた。
この男はなぜ血を流して動かなくなっているのか。
それをしたのは誰なのか。
目を、背けて良いのか、悪いのか。
俺はこれから、間に合わなかった犠牲者たちに呪われでもするのか?
それとも、俺がここでコイツに止めを刺さなかったら、将来、コイツは誰かを救ったってのか?
……俺が、悪いのか?
「そこに善悪はない。ただ、意志の弱い人間は『悪夢』に溺れていく。……誰かを殺すことと同じようにな。」
言い終えた後、シュウは動かないソイツの頭蓋を徹底的に潰した。冷酷に、原形を無くすまで何度も、何度も弾丸を撃ち込んだ。
その銃声もまた、口下手な彼の言葉を補う『声』に聞こえた。
それは、いつまでも、いつまでも俺の耳に響いていた。
「エルク、私を見て。」
彼の声は終始穏やかだったが、あの銃声はその内側を曝しているように思えた。
「シュウはアナタを助けたのよ。」
「助けた、何から?」
『賞金稼ぎ』なんて大義名分に託つけているが、所詮は『何でも屋』。
依頼され、受理すれば、その過程にあるそういった『障害』は全て排除するのが俺の仕事だ。例えそれが人を殺すことだったとしても、それが妥当だと判断したなら、俺は躊躇わない。
「躊躇わない?嘘つき。アナタは躊躇ってる。『どうにか助けられないか』探しながら殺してる。シュウはそれを教えてくれたんでしょう?」
やっぱり意味が分からない。
「ただ殺すのと、考えて殺すことの何が違うってんだ?」
「全然違うわ。アナタは少しずつ強くなってるはずよ。少しずつ誰かを助けられるようになってるはず。『考える』ってそういうこと。」
何を根拠に。でも――――、
――――まるで『女神』のようだ。
田舎臭い風貌の彼女に、初めてそんな印象を覚えたのはいつのことだったか。
「だから、あの時からずっと、アナタは私を助けてくれているんでしょう?」
彼女は本気で俺に『救いの手』を差し伸べる気でいた。
「そして、それは私も同じ。少しずつだけど、誰かを助けられるようになってる。」
でもなリーザ……、そんなんじゃ、ダメだ。全然、ダメだ。
「コーヒーの淹れ方に四苦八苦してた人間の吐く言葉じゃねえよな。」
脈打つ血肉を自分で引き摺り出したことがあるのかよ?自分の手足に他人の肉片がこびり着いた感触を知ってんのかよ?
あんな事をしてまだ『夢』を見ていられるとでも思ってんのか?
「エルク。私の力、忘れたの?何でも見てきたわ。何度も聞いてきたわ。」
「だったらッ!」
だったら助けられねぇ命だってあるのを知ってるはずだろう?それなのに、何で『助ける』を言うんだよ。
「……エルク、取り敢えずやってみましょう。大きくなったアナタと、アナタに育てられた私に何ができるのか。今はそれを知ることが、先決なんじゃないかな?」
彼女は笑っていた。この局面で笑っていられる彼女の神経が信じられない。
……シュウも、笑いこそしなかったが、何時だって落ち着いていた。頭を働かせ、無理難題の中での立ち振舞い方を俺に教えてくれた。
「泣くのも、笑うのもその後でいいでしょ?」
俺は知らない間に泣いていた。
そして彼女もまた笑いながら、泣いていた。
「だから、お願い。もう少しだけ、『私の力』に騙されて。」
彼女は仔犬でも抱き上げるように俺を引き寄せた。
「……リーザ。」
彼女の体はまだ、震えていた。
どんなに自分を騙したところで、怖いものは怖いんだ。俺のことも、黒服連中のことも。
それでも彼女は、諦めることを後回しにしている。実現することの疑わしい『可能性』とやらを信じて。
それなのに俺は、俺はいったい後何度、彼女に情けない格好を見せれば気が済むのだろう。
震える彼女の肩越しに窓の外を見遣ると、石の女神が祭壇へと上がってくる贄たちを見下ろし、笑っていた。
『微笑み』を何時々々剥いでやろうかと企んでいるような、不敵な表情だ。
俺たちなんか眼中にない。それは全くもって勝ち誇った表情だった。
――――抱き締めるリーザからは、変わらず『良い匂い』が漂い、俺の鼻を擽った。
水に滲む『文字』のように、通ってきた『後悔』ばかりを気に掛ける自分が、薄れていく。これが彼女の、『支配』なのだろうか。
それは、想像していたものとは少し違っていた。
……悪くない。
感情の一切合切が操られていたとしても、こんな『力』に騙されるのなら……。
やはり、悪くはない。
「リーザ、すまねぇな。世話ばっかかけちまってよ。」
リーザは俺の顔を覗き込み、俺の『嘘』を見抜こうとしていた。
「黒服を全員ブッ倒して、町の連中、皆まとめて助けりゃ良いんだろ?」
改めて考えるまでもなく、それは無謀な行動だった。
でも、そういうことだろう?常識的にやって来る『未来』を騙して、願う『幸せ』を力尽くで手に入れていこうって言いたいんだろう?
だったら、やってやるよ。この国の『炎』を、本当の意味で背負うのが誰なのか、連中に思いしらせやるさ。