聖櫃に抱かれた子どもたち   作:佐伯寿和2

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女神の奴隷たち その十三

――――そこに、赤黒い(そら)はない。昼の陽光(ようこう)()える清潔(せいけつ)な、ホテルの白い天井があった。

 

目を覚ます時はいつも、『悪夢』が境界線(きょうかいせん)を越えて追いかけてくるような不安を覚える。

「おはよう。」

だが、彼女の声色に『闇』の色は一片(いっぺん)もない。……今回はどうやら無事らしい。俺はユックリと体を起こす。そして改めて気づく。

「……イイ匂いがする。」

まるで、ふっくらと焼き上がったばかりのホットケーキのような優しい匂いだった。

「少しコツが分かってきた気がするの。」

拍子抜(ひょうしぬ)けするくらい(おだ)やかな空気に(ほだ)されて、()()めた緊張が(わず)かに(ほつ)れてしまう。

 

彼女が差し出すカップからは(シルク)のような肌理細(きめこま)かい湯気が、部屋の空気に溶け込むように昇っていく。

ココアのように甘そうな褐色(かっしょく)それを一口(ふく)めば、ビターチョコレートのような苦味が寝起きの身体をシャキリとさせる。

「たった2日で上手(うま)くなったもんだな。」

魅力的(みりょくてき)なコーヒーだった。同じ豆を使っているはずなのに、俺が()れたものとは大違いだ。

「だって、たくさん練習したもの。」

彼女は得意気に言った。

 

リーザはこっちの生活習慣を積極的(せっきょくてき)に吸収していた。そこでもまた、彼女の人並(ひとな)み外れた適応力の高さを見せつけられる。

ぎこちなかった化粧(けしょう)も、ナイフの(あつか)い方も。たった数日で、こっちの予想よりも(はる)か上のレベルに到達(とうたつ)していた。

「ここにあるものが何でも新鮮に見えるの。ただそれだけ。」

彼女はごくごく自然なポーカーフェイスを決めていて、照れ隠しなのか謙遜(けんそん)なのか分からない。

「もう一杯、もらえるか?」

(にが)いけれど、不思議なくらいに飲み(やす)い。

リーザは(から)になったカップを(うれ)しそうに受け取ると、ソソクサとキッチンへ向かった。

 

「俺が寝てる間、何か変化はあったか?」

外の雰囲気を見る限り()()()()()はないように見えた。だが、彼女にしか気づかない連中の小さな動きがあったかもしれない。俺は何気ない気持ちで(たず)ねた。

その時、ほんの一瞬だが彼女の表情が(ゆが)んだような気がした。

俺の目の錯覚(さっかく)なのかもしれない。そう思って流そうとした時、彼女の忠犬(ちゅうけん)がピクリと耳を(そばだ)て、彼女の顔色を(うかが)うような動きをしてみせた。

「どうしたんだよ、何かあったのか?」

「……ううん。何もなかったわ。……本当よ。」

何もなかったのかもしれない。だが、例のごとく何か隠している。

パンディットのリーザへの忠誠心(ちゅうせいしん)が強いためか、話がリーザに関する時、パンディットの反応はとても素直(すなお)に思えた。

そう考えると、だんだんとリーザの嘘の見破り方も分かってきた気がする。

 

だが、それは()()()()俺の浅知恵(あさぢえ)でしかなかった。

「エルク、お願い。」

二杯目のカップを持って戻ってきた彼女は、()()()()()()()()()()()()()()

その表情(かお)を目の当たりにして――ここにきても(なお)――、自分が肝心(かんじん)なことを失念(しつねん)していると気づく。

「どうした?」

リーザはいつでも俺の『声』を聞いている。俺が彼女を疑えば疑うほど、彼女は俺との距離を(ひろ)げていくだけ。

俺は、彼女の詮索(せんさく)をするべきではないのだ。

「……私、整理がついたらキチンと話すから。だからそれまでは待っていて欲しいの。」

「『それまで』ってのは『いつ』のことだ?」

だから、こんな「無粋(せんさく)」は今回までだ。

生き残るために、俺は彼女から聞き出せることを聞いておかなきゃならない。でなきゃ、さっきのような小さな幸せも何もかも、奴らに根刮(ねこそ)ぎ奪われてしまう。

 

俺の『声』は、彼女の視線をカップの中に落とし、黙らせてしまった。

勘違(かんちが)いするなよ。責めるつもりで言ったんじゃないんだ。ただ、今回の件がデカイ話なだけに、できるだけの情報は集めておきたいってだけなんだ。」

彼女にとって、この言い訳すら必要ない。全て、聞こえているのだから。

それでも、「口にしなきゃ伝わらない」と小さい頃からミーナに口酸(くちす)っぱく言われてきたからか、そんな(しつけ)のようなものが習慣的に表に出てきていた。

それに、現状はどんなに贔屓目(ひいきめ)に見ても、『良好(りょうこう)』とは言えない。

籠城(ろうじょう)』という作戦は、俺みたいな根が無鉄砲(むてっぽう)な人間では()()()だからだ。しかし、今はどうしても動けない。

俺は少し、(あせ)ってもいた。

「今は……、まだ。」

「何か俺に話せない理由があるのか?……内容までは聞かない。あるかないかだけでも言えねぇか?」

被害者に問い詰めるようなやり方も俺のスタイルじゃない。それでも、――――、

「……私も、まだ怖いの。ただ、それだけ。」

……心が、折れる。

仕方がない。俺が彼女を怖がってるのに、それを聞いている彼女が俺を怖がらない訳がない。

 

どうしたってまだまだ甘ちゃんなのだと思い知らされる。

「……ごめんなさい。」

「……いいや、悪かったな。」

――――それでも俺は、『彼女』を(まも)らなきゃならない。今の俺にはそれができるはずたから。


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