「飯、食べたら食糧や必要なものを買いに出ようと思ってるんだ。だからできれば今のうちに準備しといてくれるか?」
拾ったフライパンを洗い、そこにベーコンと卵を2つずつ落とし、焼き具合を見ながらこの後の予定を簡単に説明した。
「私も、一緒に行っていいの?」
見えない敵を警戒するのは基本中の基本だけど、今の俺たちの第一目標は「逃げ延びる」ことだから。
ただ隠れてたってあんまり良いことはない。
それに、もしも外で何かあっても、いざとなればギルドに逃げ込めばいい。
アイツらだって巻き込まれて良い顔はしないだろうけど、その分、仕事で貢献すれば少なくとも嫌われることはない。
…迷惑をかける程度によるかもしれねえけどな。
「ああ、問題ねえよ。一日中部屋の中ってのも窮屈だろ?それに、こういうのってちょっとした心理戦でもあるらしいぜ。」
そう。
お互いの隙を窺う持久戦ってのは少なくとも…、
「シュウに言われたんだけどな、っと。…ヨシ。」
フライパンを振って目玉焼きの黄身を潰さずにひっくり返すのに集中できるくらいの心の余裕がいるんだ。
「気楽にやった方が上手くいくんだよ。だからな、気楽にな。」
「……ありがとう。」
「……」
それに、ニュースを見た感じ、向こうさんも町中でドンパチやるような雰囲気でもないってのもある。
だったら、目の届かないところで問題を起こされるよりも傍にいてくれた方が何とでも対処できる。
…これが一番デカい理由かな。
あとは、いざという時のために町の立地を少しでも把握しておいて欲しかったし、町の人間に彼女を見せておくってのもあったからだ。
町の連中が見れば、賞金稼ぎの俺が外の人間を連れていてそれが見慣れない格好をしていたら間違いなくワケありだと認識してくれるからだ。
大概が事件に慣れている連中だが、関わる関わらないの覚悟くらいさせておかないと逆に足手まといになることだってある。
まあ、言うなれば町全体にそれとなく警戒警報を発令させておくって感じだ。
そういう訳で、どちらかと言えば俺側の都合で言ったのつもりだったのに勘違いしたのか。
安心しきった笑顔なんかみせやがる。
いや、安心してもらうのは構わないんだがなんと言うか……、
「ああ、悪いけどそっちの……パンディットだっけ?そいつは置いていくぜ。町中にモンスターを連れて回る訳にもいかねえからな。」
「……はい。」
賢い子だけどそれでも若干、機嫌を悪くしたらしい。おそらく、あの番犬とはかなり長い時間一緒にいたんだろう。
パンディット、彼女がそう呼んだ獣は純白の体毛に、青い鬣、立ち上がれば2mはあろうかという巨躯の狼だ。
もちろんただの狼なんかじゃない。世間一般ではモンスターと呼ばれ、人間を喰らい、人間の生活を脅かす、主に俺たち賞金稼ぎのハンティングの対象になる化け物だ。
こいつもそんな化け物たちの一匹に違いない。
違いないのに、コイツときたら、よく躾けられた猟犬みたくリーザに付き従い、主人の非常時には何者も近づけさせない。
そして彼女の言葉をよく理解し、その全てに応える。
まるで着ぐるみを被ったSPみたいな振る舞いをしやがる。
そういう意味で、唯一の対抗手段として傍に置いておきたかったのかもしれないとも思ったけど。
普段の二人の様子を見ていると、案外本当に分かり合っているだけなのかもしれないとも思えた。
だからあんなに言うことを聞くってのか?そりゃ考え過ぎだろ。
だって、まがりなりにも「化け物」なんだぜ?
魔法で従わせてる訳でもなさそうだし。
その辺、後々面倒になる前になんとかしとかないとな。
「ほらよ。いつもは何食ってるか知らんけど、今日はこれで我慢しろよな。」
解凍したブロック肉を置いてやると、番犬は警戒もせずに近寄り、かじりついた。
化け物に餌付けなんて、なんだか妙な気分だった。
「なんだかこうやって見るとただの犬だな、お前。」
すると背後から失笑が聞こえてきた。
「そうでしょう。イイ子なのよ。」
化け物と一緒に飯を食う。立場上複雑な気分だったが、見慣れてみるとそう悪い気分でもなかった。
試しに頭に手を伸ばしてみると、拍子抜けするくらい簡単に触らせてくれた。
「ハハ、本当に犬みたいだな。」
…2日前の戦闘でもそうだった。
コイツは妙に人間馴れしてやがるんだ。
人間との連携が巧みなんだ。
初めはリーザが魔法か何かで操ってるんだと思ってたけれど、彼女が怪我で倒れた時も暴れなかったし、眠ってる時も寝首をかくような素振りは一切見せなかった。
すぐには信じられないことだけど、コイツはコイツの意思でリーザに従ってるんだ。
ひょっとしたら人の言葉が分かってるんじゃないのか?
……人の言葉が、分かる。
もしかして、コイツは元々――――、
「止めて。」
リーザが止めに入るのと、化け物が唸り声を上げるのはほぼ同時だった。
別に、ここで殺り合おうなんて思っちゃいない。
だけど、リーザはリーザでこの状況の説明をしたがらないから、俺は俺で憶測を立てるしかねえじゃねえか。
リーザを護る上でも、『悪夢』の真相を探る上でも、なるべく不明な点は失くしておきたかっただけ。
それだけのことなんだ。
今後、悪い結果を生まないためにも……。
すると、俺の心を読んだかのようにリーザは白状することを選んだ。
「話しますから。これ以上パンディットにそんな感情をぶつけないであげてください。」
「感情?」
「……私とパンディットは施設である実験をさせられていたんです。この前、空港にいたのは、その実験をもっと詳しくするからとかで別の施設に移される途中だったんです。」
彼女の素性が少しでも明らかになるのはありがたかった。
その思いとは裏腹に、「施設」や「実験」という言葉を耳にする度に、飲み込む唾がドロリと喉に粘着するような不快感を覚えた。
「で?その実験ってのは結局なんなんだよ。」
「…人や獣たちを操り人形にするんです。」
「……」
これまでの二人の関係を見ていて、なんとなく想像はしていた。
だけど、その程度が分からなかった。
「それってのは魔法で支配するのとはまた別なのか?」
「…魔法のことには詳しくないからわかりませんけど、多分、違うと思います。」
俺だって言うほど詳しいわけでもない。
ただ、魔法ってのは結局、術者の意思で操ってるわけだから、術者の意識がそこになければ「人形」だって操られたりはしねえ。
でも、この狼は違う。
リーザが怪我で気を失ってる時も彼女の傍を離れなかったし、彼女を襲うこともなかった。そこには狼の意思しかなかったはずなんだ。
だから、「操る」っていうよりも「洗脳」に近いんだと思う。
「リーザはその『力』をどんな風に使ってるんだ?」
俺の質問は彼女を追い詰めてると思う。
個人の語りたくない私情に口を挟まないに越したことはない。
だけど、今回のは…聞いておくべきなんだ。
「これ…、何て言えばいいんだろう。」
震えるリーザを鎮めるように、狼はその大きな体でソッと彼女を包み込んだ。
「臭いや音を感じるのと同じなんです。…五感と同じ感じでヒトの心が聞こえるんです。何をしたいとか、何が欲しいとか、好きとか、嫌いとか。そして、私がそれに向かって何か意見すると、急に人格が変わっちゃうんです。」
直接手を下さなくても干渉できんのか?
話しかけるだけで?
真に迫った話し方だったが、俺には信じ難い話だった。
「……俺は?…いや、それってのはつまり、今の俺だってその標的の一人になってたってオカシクないってことだよな?」
彼女は小さく頷いた。
「俺は?もうアンタの術に掛かかっちまってるのか?」
「……私だってしたくてしてるんじゃないんです。」
彼女は消え入るような声で、曖昧に答え、俯いた。
無意識にやってるってのか?
俺自身は「操られてる」つもりは微塵もねえ。。
でも、そういうもんじゃねえんだろうな。その『力』ってのは。
今までに、力の強い魔法使いが一般人やモンスターを強制的に従わせる光景を何度も目にしてきたけど、それでも複雑な術式や呪文、精神力を駆使してやっと可能な技だった。
それを息をするような感覚で完了させてしまうとなると、「独裁国家」どころの話じゃない。
見たことのない静かな戦争が永遠に続く、途方もない世界ができあがる気がした。
でも――――、
「そんな『力』があるなら、もっと簡単に逃げられるんじゃないか?」
「ウルサイッ!!ヒトの心を、変わり果てたヒトを見たことがないくせに!!」
突然ほとばしった金切り声は、俺もこの部屋も一瞬にして凍りつかせた。
……俺は、どうしてそんな軽率なことを言ってしまったのか。自分でも不思議に思った。
そして、そんな自分が心底憎らしく思えた。
――――お前の村が燃える様はさぞ夜空に映えただろうな、村人が焦げていく様はさぞ闇夜が喜んだだろうよ
見ず知らずの他人にそう言われているようなもんじゃないか。
俺が彼女に言ったことは。
返す言葉がない。
顔を覆い、蹲る女の子を見ていると、俺は『悪夢』の中のガキがしたことを思い出した。
静かに響く嗚咽が、頭の中に広がる村をさらに紅く、あの子を置き去りにした森をさらに青く染めていく気がした。
…でもよ、全部、俺が悪いのかよ?
あの時逃げ出した俺が、今さらちょっとイキがってみるのがそんなに悪い事なのかよ?
たった一言、言い間違えただけでどうしてこんな気持ちにならなきゃいけねえんだよ。
俺はただ、清算したいだけなんだ。
あの時あのガキがしでかしたミスを取り返したいだけなんだ。
俺たちみたいな「暗い過去」に育てられた人間の気持ちなんて、覗いてみないとわからないだろうがよ。
俺は、できることならアンタだって理解したいんだ。
だったら、これくらいの遣り取りはあって当然じゃねえのかよ?
……クソッたれ。
リーザは、蹲ったまま狼の体に顔を埋めてる。
「…俺は、自分の本当の名前も憶えてないんだ。エルクって名前は、シュウが俺を拾った時に首から下げてた識別プレートにそう書いてあっただけ。」
俺は一方的に話し始めた。
だって、謝ったってしかたないだろ?
これからも俺はこの子の過去を穿り返すだろうし、言っちゃいけないことを言うと思う。
そんな時、いちいち謝ってたってキリがねえじゃねえか。
そんなことをしたって、俺たちの距離は少しも縮まらねえ。
「実験体だからな。名前なんて適当につけたんだろうよ。だから『エルク』って名前は俺や奴らに復讐の目的を忘れさせないための大切な名前なんだ。」
アンタは一方的に俺の過去を『見る』かもしれねえ。
でも、俺はアンタのこと少しも知らねえままなんて、そんなの、あんまりだ。
「そして俺は村の皆も、森に置き去りにしたあの子の名前も憶えちゃあいねえ。」
そんな化け物だってアンタの傍にいられるってのに、俺とは仲良くなれねえってそんなの、悔しいじゃねえか。
それに―――、
「俺は……、最低な奴なんだ。」
俺にだって分かり合える誰かが一人くらいいたっていいじゃねえか!
気が付くと、俺は両手で顔を鷲掴み、パーツというパーツを握り潰さんばかりに力を込めていた。
「…ごめんね。」
気が付くと、彼女の胸元がそこにあった。
「私たち、普通じゃないんだよね。それでも普通の振りをしなきゃいけないって、オカシイよね。」
不公平な話だ。
後悔しかない話なんだ。
「私、我慢できなくて。自分が怖くて…。でもそれはアナタも同じなんだよね。」
彼女の言葉に吸い寄せられて、俺は彼女の胸で泣いた。
日常の中で噛み殺していた『悪夢』の捌け口を見つけたような気がして、嬉しかった。
もしかしたらこれが彼女の力なのかもしれない。
でも―――、
「そういや名前、聞いてなかった。」
「え、言わなかった?私はリーザ。」
「あ、いいや、フルネームだよ。」
でも、こんな気持ちになれるのなら、俺はこの子に遣われても後悔しないのかもしれない。
「よろしく、リーザ・フローラ・メルノ。」
「よろしく、エルク・アルノ・ピンガ。」