時刻は18時。
太陽はほとんど沈み、厚い雲が月光を遮るように点々と空に浮かんでいる。
その悪天候が逆にプロディアスのお祭り騒ぎを、遥か50km先の海上まで伝播していた。
浜辺から東へ50km先、海洋に射す夕陽は頼りなく、誘導灯の一つもない。現在の航空技術ではまともな航行も困難な海の上を、闇夜の中でさえなお眩い白銀の船は飛んでいた。
―――某大型客船内―――
全長75mを超える大型客船は、その図体の割には客室数が10と極端に少なく、さらにその全てが無人だった。
無人の客室はもちろんのこと、綺羅びやかな通路、機関室にも人の気配はなく、力強いエンジンの咆哮と船体を殴る大気の対話だけが駆け回っている。
さながら『幽霊船』のごとく粛々と、広がる雲海の中を船は泳いでいた。
しかし、その船は確かに『生者のための目的』を持って飛んでいるのだった。
「チョンガラさん、じきに破壊対象を目視できます。」
「ようやっとかい。バルバラードからアルディアはさすがに遠いのう。」
『幽霊船』を否定する生きた人間は操舵室にいた。
「結局、スメリアでも充分な補給はできませんでしたし、危ないところでしたね。」
「ケチケチせず、あの爺さんの魔法でも使えばアッという間だったろうにのう。」
「ハハハ、そうですね。」
チョンガラ、この壮年の男は品性よりも、より豪奢な装飾品を好む俗物的な性格をしていた。
そして、その性格が誂えた彼の装飾品の数々は、この幽玄な白銀の船には些か似つかわしくないものだった。
背丈170cm、体重90kgのダルマのような体を包む羽織り物は、赤と金の絹糸で精緻なアラベスク模様が織られていた。
両手の無骨な十指の上で煌めく数々の指輪は、あらゆる色彩の宝石で細工され、その拳を一回り大きく見せていた。
さらに、熊の毛皮のような剛毛が顔の半分を覆いながらも、魔女のように不細工な鼻っ面と壊れた鍵盤のように不揃いな歯を覗かせ、表情豊かな眉の下の眼はギラギラと貪欲に辺りを見回している。
極めつけに、豚のように突き出した腹は、かつて『豪商』が本職であった彼に相応しい容姿と言えた。
それでも彼は、この美しい船の運用全てを任された最高責任者、『艦長』だった。
彼の補佐を務める『操舵士』チョピンは、彼との付き合いは短くとも、そこは元役人。王族との付き合い方も、仕事に於ける現場判断も人より優れており、現在充てられている彼の役割も十分に熟していた。
そして、彼らが『目的』を成すためにここまで運んできた人物は作戦会議室にいた。
装備、年齢、人種。彼らの出で立ちには統一性がなく、一見、寄せ集めの大道芸の一座のようにも見えなくはない。
しかし、その出で立ちこそ珍妙であっても、彼らは皆、人でありながら、怪物にも勝る『力』をその身に宿す、正真正銘の『化け物』の集まりだった。
彼らは今まさに『舞台』へと駆け上がろうとしているところだった。船内には生死を掛けた緊張が走り、差し出された『台本』を喜々として受け取る者は誰一人としていない。
しかし、臆する者もまた、誰一人としていない。彼らは皆、自分たちの役回りを他の誰よりも心得ていたからだ。
そんな勇猛果敢な彼らだからこそ、船の唸り声と大気の『叫び』は、彼らを歓迎するパレードのように彼らの士気を鼓舞するのだった。
「アーク、もう数分もせん内に奴らの監視網に引っ掛かるぞい。どうするんじゃ?」
操舵室から作戦会議室へと移ってきた艦長は地図にコンパスを走らせ、一座の座長らしき青年に声をかけた。
「予定通りだ。ゴーゲン、頼む。」
そして、強面の艦長に物怖じせず淀みのない口調で答える青年こそ、船の『主人』と呼ぶに相応しい清廉な身形をしていた。
彼が身に付ける肌着と鎧は、激しい戦闘の数々に耐え、傷んではいるが、それでもなお、肌着は大空を渡るオオルリの羽根のように力強い藍を発色し、鎧は雄々しい山々の岩肌のように頑なな護り手であり続けていた。
また、その二つは、永く語り継がれるであろう『英雄』のために遣わされた、天からの使者の如き確かな『意思』を漂わせている。
そして穢れのない額には、何者にも崩すことの叶わない『決意』の象徴、真紅の鉢巻があり、16才の幼さ残る彼の表情にもそれは顕れていた。
『騎士』と呼ぶには見窄らしく、しかし『傭兵』と呼ぶにはあまりにも美しい彼は正に、『正義』の化身と呼ぶに相応しい出で立ちをしていた。
『正義』の眼光は、目的の地を真っ直ぐに見据え、付き従う者たちが抱えるであろう『迷い』の一切を打ち払い続けた。
世界の隅々にまで忍び寄る『真の夜』の中を航行するこの船もまた、力強くも儚い精霊の如き白銀の光を纏っていた。
生まれた形こそ違えど、青年と船が持つ潔白な『意志』の輝きはまるで、異母兄弟のように呼応していた。
しかし、世界中の人間は彼の『正体』を知っていた。
彼の名はアーク・エダ・リコルヌ、元スメリア王を暗殺し、『王の船』シルバーノアを強奪、悪用し、世界の転覆を目論む世界最大の『悪』であることを。