聖櫃に抱かれた子どもたち   作:佐伯寿和2

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故郷に佇む悪魔たち

家族のためにスーツを着こんで出社する男の人たち。

夜の仕事を終えてくつろいでいる女の人たち。

彼らを誘惑するように(こう)ばしい煙を上げる店々。

そのお(こぼ)れにあずかろうと待ち構える犬。

 

働き口を失くしてベンチの上で寝そべる老人。

その周りをウロウロする(はと)

それを狙う猫。

それを追い払うおばあさん。

それを(なだ)めるお母さん。

それを(けむ)たがるお父さん。

それを面白(おもしろ)がる子どもたち。

――――窓の外には、()()()が生きてきた世界とは異なる世界があった。

 

 

 

『ホルン』―――私の村は、空を突くような(いく)つもの霊峰(れいほう)で閉ざされていた。

私たちはそんな『(おり)』の中で生きることに慣れていた。『檻の中』に()()もって出てこようとしない私たちを(さげす)む町の人たちにも慣れてしまっていた。

 

何世代も前から、村の女たちは『(たましい)ある者たち』を従える『力』を持って生まれていた。それは、獣や(むし)、人に(とど)まらず、死者や怪物までもがその範疇(はんちゅう)にあった。『命』を持った全ての『彼ら』が女たちの『(しもべ)』に成り得た。

そんな異常な『力』を恐れた町の人たちは、私たちを『魔女』と呼び、()み嫌った。

しかし、それでも私たちは構わなかった。

閉ざされた世界の中で生きている限り、私たちは何者をも(おか)すことなく、何者にも侵されず生きてこられたから。

 

小さな、小さな村は、『全て』が一つの家族のように生きていた。

男たちは村を雨風や害獣(がいじゅう)の牙から守り、女たちは働いた男たちの活力を(やしな)っていた。子どもたちは(むち)を持って羊を追い回し、(くわ)を持って泥だらけになった。

それでいいのだと、皆が思っていた。

何も知らない私も、毎日を山や羊を()でて過ごした。動かない霊峰。()ちない草花。(のぼ)っては沈む月と太陽。村はこれでキレイに完結しているのだと思った。

これが全てなのだと、皆が思っていた。

あの日までは―――

 

 

―――それは人の通れる隙間(すきま)さえないのだと信じていた山々の合間を()って現れた。霊峰に囲まれた(せま)い空、私たちのための(わず)かな青い空を、一匹の『黒い魚』が我が物顔で泳いでいた。

 

それまでも時折(ときおり)、何事かの用事を(かか)えて村にやって来る『外の人』はいた。男たちも羊の毛を『町』に売りに行っていた。

けれどもあの大きな魚は違った。頼み事を持ってきた訳でもなく、商売を持ち掛けに来た訳でもない。

皆がそれに気づいてから数分後、空を(ただよ)う大きな、大きな魚からは無数の人影がフワリ、フワリと舞い降りてきた。

彼らは見たこともないゴツゴツした服装で身を包み、見たこともない銃で私たちを(おそ)ってきた。

男たちはライフルを持ち、女たちは猟犬(りょうけん)(たか)(けしか)けた。

けれど、『黒い魚』から降りてきた彼らにライフルの弾は当たらなかった。猟犬たちを撃ち殺し、鷹を早贄(はやにえ)のように串刺(くしざ)しにした。女たちの『力』さえ彼らには(およ)ばなかった。

その俊敏(しゅんびん)さや獰猛(どうもう)さはまるで()()()()()()()熊か狼のようで、村の大人たちはすぐに負けを(さと)り、逃がせる者を逃がした。

けれども、小さい村での集団行動が()()いていた私たちには、散りぢりになって敵の注意を分散(ぶんさん)させるなんてことを考える頭もなかった。

 

それはまるで狼たちから逃げ(まど)う羊のよう。

()()()()()()()()狼の群れから間抜(まぬ)けな羊たちが逃げ(おお)せる訳もなく、私たちは一網打尽(いちもうだじん)にされた。

 

さらに運の悪いことに、私たちは()られることにも、支配されることにも慣れていなかった。

ある者は(しの)ばせていた短剣を振りかざし、ある者は眠っていた()の化け物を呼び寄せた。

……だから余計な死者がでた。

その日、村の人口は半数以下になった。

「必要な実験体(モルモット)はこちらで割り出す。死体でも(かま)わん。運び出せ。」

死者50数名、強制(きょうせい)移送者(いそうしゃ)30数名。100人弱の村はそうしてほぼ壊滅(かいめつ)した。

 

 

「なんと(むご)い……。」

『黒い魚』に見初(みそ)められなかった(おうな)は、同胞(はらから)であった者たちの(みじ)めな姿を見て(なげ)いていた。

私は残された老人や男たちに(まぎ)れて有刺鉄線(かべ)の向こうの『それ』を見詰(みつ)めていた。

『それ』は言葉一つ吐くことなくゾロゾロと目の前を過ぎて行く。

『それ』に装着(そうちゃく)された首輪は、数珠(じゅず)(つな)ぎに十人、二十人を従えていた。両腕を麻縄(あさなわ)で縛られ、頭を麻袋(あさぶくろ)(おお)われていた。『それ』はまるで、呪術で動く『屍体(マミィ)』のように映った。

そして、黙々と歩く『屍体(マミィ)』たちは袋の中で(ひそ)かに(むせ)び泣いていた。その声を()()()()()()()()()

 

 

「娘は無事に逃げ(おお)せたかしら……神よ、どうか、子どもたちだけは……父さん、私は良い()だったかしら……来月、せめて来月まであの人と一緒にいられたなら…………お(なか)の子どもが動かない……ごめんなさい、ごめんなさい」

 

 

 

『それ』は突如(とつじょ)として(おとず)れた『不幸』に(あお)られながらも()()()()()()()()絶えず、真摯(しんし)同胞(かぞく)を想い続けていた。

けれども私は、自分の耳に届く『その声』に違和感を覚えずにはいられなかった。私の知っている『彼女たち』の言葉とはとても思えなかった。

 

『想い』は(こも)っているのに、『重さ』が感じられない。『愛』ある言葉なのに、『温もり』が感じられない。

どの『声』を聞いても、かつて『彼女たち』に覚えていた感謝や憧憬(どうけい)敬慕(けいぼ)(よみがえ)ることはなかった。

 

『それ』はかつて私と遊んでくれた『人の声』。『それ』はかつて私の看病(かんびょう)をしてくれた『人の声』。かつて私を愛してくれた『人』、『人』、『人』…………

 

 

触れれば一緒に『向こう側』へ連れて行かれる。

私たちの反乱を警戒するこの有刺鉄線(かべ)が、逆に私を守ってくれている気がした。

「まったく、(むご)いことを……。」

(おうな)と同じ言葉を吐いたのは、私の背後で目頭を押さえる壮年の男。けれど、そう感じていたのは彼だけじゃない。村の大人たち全員が、『同胞』の未来を奪った『黒い魚』に臆病(おくびょう)(いきどお)りを覚えていた。

私だけが共感していなかった。してはいけない気がしていた。

抱きしめていた人形と同じように、心を殺して『それ』を最後まで見送った。

 

『それ』を見送る私の心情を(さっ)したのであろう祖父は、『黒い魚』が村を去った後も『ホルンの民』である誇りを忘れてはいけないと私に()き続けた。

であるが(ゆえ)に、『外の人』とは関わってはいけないとも言い付けられてきた。

語る祖父の両瞼(りょうまぶた)(ほとん)(ふさ)がっていて、最近は特に蹴躓(けつまづ)くことが増えたというのに――――。

 

私は祖父が大好きだった。私を愛してくれたし、私以外のものも同じように愛していた。

町の人たちが私たちを『魔女』と(さげす)んでも、心の底から彼らを憎むようなことはしなかった。

あの日までは――――。

 

 

 

 

今の私は、あの頃の私と繋がっている。

私は愛していた祖父の『言い付け』を守らなかった。だけど、それで良かったと心の底から思っている。

 

私は足許(あしもと)で丸くなっているパンディットを見下ろし、私の『不安』に気づいたパンディットは私を見上げた。

「オマエにも本当に救われたわ。」

群青(ぐんじょう)(たてがみ)()でると、パンディットはほんの少し、私の(てのひら)に体重を預けてきた。

この子は、気の遠くなるくらいの実験を重ねた上で生まれた、()わば『兵器』のような()()ちを持っている。

強化された体と、付与(ふよ)された異能の『力』。

それは今、彼の命を守る上ではこの上ない『武器』になっている。だからといって、彼はそれを手放しで喜んではない。

不必要な『力』を持て余し、不自然な『状態』に居心地(いごこち)の悪さを覚え続けている。

私はそんな(あわ)れな子に助けを求め、私の『力』はそこにつけ込んだ。

 

パンディットが私の意のままに動いてくれたあの時、私は初めて、自分が『()()』であることを自覚した。

「……ゴメンね。」

群青の鬣と純白の毛皮の狼は、そうと知ってなお私を愛してくれていた。

 

 

エルクは私の『力』がどんなものか、だいたい勘付(かんづ)いている。どれだけ強い影響を与えているのかも。

エルクが私の『素性(ひみつ)』を知ることは、これから私たちが生き残っていく上で大切なことなのだと思う。

エルクの仕事は私の『素性』を知ることなのだと知っていた。

それでも私は、できればエルクには気づいて欲しくなかった。

 

これは人の心を(むしば)む『悪魔の力』。

魔女(ワタシ)に関わる人たちは『コレ』に気づかない方が幸せなのかもしれない。

もしも気づいてしまったなら、有刺鉄線(かべ)の向こうを歩いていた『彼女たち』のように、言われるがままの『生ける(しかばね)』となっていたことに絶望してしまうかもしれない。

絶望(どろぬま)へと追いやった私を呪うことも叶わずに――――。

 

 

 

 

窓の外に広がる立派(りっぱ)な町は、太陽の角度が大きくなるに合わせて、大勢(おおぜい)の人で埋め尽くされていき、賑やかになっていく。

 

この町は暖かい。暖かい光の裏側では、悪い人が(うごめ)いている。それは私の国よりも悪質で陰湿(いんしつ)なのかもしれない。

それでも、この目に映る町の人々は間違いなく笑い合っている。お互いを好き合って。

それは『(おり)の中の生活』が成り立っていた頃の私の村と同じ光景だった。

そして、あの図々(ずうずう)しいまでに誇張(こちょう)された『神像(しんぞう)』が引き連れてくるものも、私たちの檻を(おか)した『黒い魚』と同じもののように思えてならない。

そうしてまた、あの(しかばね)の『言葉』を聞かされるのかと思うと身体の震えが止まらなくなる。

声にならない『声』で泣きじゃくる『彼ら』を、()()()()()()()()()()()()がそこにいるかと思うと、恐ろしくて仕方がない。

 

(エルク)の町と向き合っている私は今、どんな気持ちで彼らの笑顔を眺めているのだろう。

他人(ひと)の心がよく聞こえる私は、臆病な自分の声がよく聞こえない。何のために他人(ひと)と関わっているのか。何のために生きようとしているのか。

 

 

すると、服の(すそ)を引っ張る()()()()()()がソッと(つぶや)いた。

(はげ)ましの言葉に促された私は、隣で眠る彼に目を()る。そうして心が落ち着いていく。

「……そうね。オマエもいるものね。」

頭を撫でてやると、この子は無垢(むく)な子どものように喜んだ。その様子もまた、心地好(ここちよ)い励ましになった。

 

 

 

……彼は穏やかな眠りに()いている。

私自身、自分の『力』がどんなものか、全てを把握(はあく)していない。聞こえてくる『声』も、『心の侵食(しんしょく)』も、私が意識してやってていることじゃない。

だから私は、自分の気づかないところでも()()()()()()()のかもしれない。

その自覚していない部分も含めて、私はこの『力』が嫌いだ。でも、もしも、その中に彼の『悪夢』を少しでも退(しりぞ)けられる『何か』があるのだとしたら、それは私にとって数少ない『幸せ』へと育ってくれる気がする。

それを願って止まない。

「……あ。」

 

パンディットに目配(めくば)せをし、私は部屋に(そな)え付けられた簡易(かんい)キッチンへと向かう。

カップとポット、それに蛇口(じゃぐち)。彼に言われた通り、直接または間接的に『口を付けるもの』を()()()()()で念入りに洗った後、お湯を()かし、豆を入れたフィルターに(そそ)ぐ。そうして立ち(のぼ)るホロ(にが)い湯気の(かお)りで加減(かげん)(はか)った。

美味(おい)しい()れ方はミーナさんに教えてもらった。

 

 

 

「……おはよう。」

彼が目を()ますほんの短い間、胸の高鳴りを(おさ)えられない(おさな)さを残していた自分が、幸せに思えて仕方がなかった。




(おうな)=おばあさんのことです。
早贄(はやにえ)=鳥の(もず)が獲物を捕らえた際に木の枝など(とが)ったものに突き刺す行為を指します。

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