聖櫃に抱かれた子どもたち   作:佐伯寿和2

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女神の奴隷たち その十二

大海原(おおうなばら)から(のぼ)る朝日は、今日の主役が誰なのか心得ているようだった。

朝陽を全身に浴びるその女もまた、『神』と呼ばれる自分に()()れているように見える。

俺はそれが気に入らなかった。

「本物の『神』は称賛(しょうさん)されない。大衆(たいしゅう)魅了(みりょう)することもない。ただ黙々と、人知れず救いの手を()()べるだけだ。」

人を殺して金を受け取る生活を送ってきた恩人が口にした言葉は、誰より信用できた。

なぜなら、『神』の手を取り、生き方を改めた人間は彼の『標的(リスト)』からその名が消えるからだ。

 

『命』はそういうものだと知った。

殺す者と殺される者がいて、逃れられない『死』に直面した時、そこには必ず差し出される『神』の手もある。

善悪は関係ない。そこに至るだけの理由がどちらの立場にもある。これは『命』の意味を()そうとするか(いな)かの違い。

『死』は永遠の懺悔(ざんげ)。届かない独り言。死んで救われることなんて一つもない。彼の『標的』にその名がある限り、そいつが生きていようがいまいが、そいつにとっての『命』の意味は死んでいる。

そして俺は()()()()()()()。『復讐(ふくしゅう)』という『生』の機会(チャンス)をシッカリと(つか)んだのだ。

 

それに、今の俺が知っている女神はここにいる。

『石の女』がそうであるように、誰に(おか)されることもない純真無垢(じゅんしんむく)朝陽(あさひ)は、彼女の飴色(あめいろ)の髪もまた(きら)めかせた。

それはまるで、『金の卵』が繊維(せんい)となって(ほど)けていくように美しかった。

俺は監視の役目も忘れて、しばらくの間、彼女の寝顔を見詰めていた。

 

ついこの間出会ったばかりなのに、俺はスッカリ彼女に気を許していた。それは俺に『違和感』を覚えさせた。

俺の生活圏(テリトリー)に正体の知れない女と狼がいる。だけど、それを不自然に感じない。それが俺には不思議に思えてならない。

狼が彼女の(そば)を離れない理由もそこにあるのかもしれない。

 

――――いいや、理由は()()()()()()()()()()

『それ』は気づかない内に、俺やパンディットの心に(あらが)いようのない()()()芽生(めば)えさせているのだろうと。

それでも、この寝顔を護れるのなら構わないと思えた。切っ掛けが何であっても俺はすでに、彼女に保護対象以上の『想い』を抱いてしまっているのだから。

それは穏やかだけれども力強く、俺の心に根差(ねざ)している。

俺はその『心』にこれからの生き方の全てを任せても構わない気になっていた。言い()えれば、それだけ強力な『力』なのかもしれない。

 

「エルク、おはよう。」

「……あぁ、おはよう。グッスリ眠れたか?」

少し前から起きていることには気づいていた。そして、俺の心を(のぞ)いていることも。でも、彼女相手では隠しきれないことだし、隠す必要もないことだった。

「うん、とても。エルクは?眠るんでしょ?私、キチンと監視してる(見てる)から。安心して眠ってて。」

逆にリーザは本心を隠すのが上手だった。

 

 

朝日が大海原から完全に顔を出すと、女神の足許(あしもと)でせせこましく動き回るイベントスタッフや、会場の出入りを()()まる警備員の姿が浮かび上がった。

経済大国プロディアスの一大イベント。動員(どういん)される関係者も(ゆう)に1000人を超えているのだろう。監視を始めた昨日の夕刻(ゆうこく)からすでに、飴玉に群がる(あり)のように、目まぐるしい数の人間が動いていた。

 

要所、要所では黒服連中が周囲を警戒していたが、今の段階では連中に『事』を起こす気配は見られない。しかし、黒服を見掛けてから時間にして10数時間だが、奴らの統制(とうせい)のとれた動きにはかなり危険な臭いを感じていた。

何人か陽動(カモフラージュ)がいるようだが、それを除いた連中の緻密(ちみつ)な動きは無線機(インカム)指令塔(しれいとう)の存在では補えるようなレベルとは思えない。

不審人物(ふしんしゃ)の監視、人員(じんいん)の移動・補充が『穴』の一つも見つけられないくらいに流動的だし、奴らには『死角』がないようにも見える。

それは、黒服全員の意識が()()()()()()()()、現実に奴らがとっているような動きはできないものだった。そしてそれは、彼女と同じ『力』の片鱗(へんりん)ではないかと勘繰(かんぐ)らせる。

油断すれば、俺たちに(さと)られることなく、俺たちの(ふところ)まで飛び込んでくるだろう。つまり、連中の包囲網(ほういもう)から離れていても依然(いぜん)として『危険性』は高いということだ。

 

「昨日も言ったけどよ、今日一日はここに缶詰(かんづ)めだから。外出はしないでくれよ。」

食事は自分たちで用意したものがある。便所も部屋に付いている。いざという時のことを考えて、風呂は我慢してもらう。

「大丈夫、ずっとエルクの(そば)にいるから。」

まるで、俺がそう言わせたがっていたかのような台詞(せりふ)だった。だが……、寝ている(かたわ)らに誰かがいるという『安心感』は決して悪くない。

「悪いな。じゃあ、3、4時間程休ませてもらうよ。」

本当はオンとオフを使い分けて丸々一日起きているつもりだったが、予想以上に連中の監視には骨が折れた。

ゆえに仮眠もできることなら避けたかったが、有事(ゆうじ)の対応に支障(ししょう)をきたす訳にもいかない。

 

今は7時。パレードや余興(よきょう)などを含めれば、式典は15時から動き始め、21時には(もよお)しの全てが終わる予定になっている。

連中が式典で何かを仕掛けるのなら、観衆(かんしゅう)の注意が一方向に集まるスピーチの時だろう。そして、観衆の疲労や日没のことを考えれば、19時辺りが一番危険な時間帯になると考えた。

だから休憩するなら今の時間帯がベストなのだ。

 

「昼前には起きるつもりだから。もしも異変が起きても俺が起きなかったら、これで起こしてくれ。」

俺は荷物の中から小さな缶詰をリーザに渡した。すると、パンディットが珍しく彼女から数歩後退(あとずさ)った。さすがは腐っても狼、()ぐに勘づいたみたいだ。

「これは?」

「特別な魚を発酵(はっこう)させたものさ。味は悪くないがメチャメチャ臭いんだ。だから間違っても興味本意で(ふた)を開けるなよ。」

「これを……、どうするの?」

「蓋を開けて枕元に置くだけでイイ。間違いなく直ぐに起きるから。」

もちろん、それで起こされたら(しばら)くの間、鼻は使い物にならなくなる。俺だけじゃなく、おそらくパンディットも相当なハンデを()うだろう。

でも反対に、煙幕(えんまく)要領(ようりょう)で俺たちの臭いを誤魔化(ごまか)すこともできる。それだけの効果があれば、この3人ならまず最悪の状況には追い込まれないはずだ。

 

眠る前に部屋の中の設備(せつび)の使い方をざっと確認した。リーザが今までにホテルを使ったことがないと言っていたからだ。

リーザは生まれて初めてのホテルに興味津々(きょうみしんしん)だった。

「ルームサービスも使うなよ。ホテルには部屋には近づかないように言ってあるから、もしも中に入ろうとしてきたならまず『敵』だと思ってイイ。」

ルームサービスの説明をすると田舎者(いなかもの)丸出しで、いたく感心していた。

「私の故郷(くに)は田舎じゃないもの。」

彼女の(ほお)は小さく(ふく)れていた。

「でも、本当に(すご)いのね。ここに書いてあるもの全部用意してくれるんでしょう?」

サービスメニューには食事の他に、洗濯、荷物の配達、マッサージ、日用品の貸し出し等々(などなど)()っていた。

「私の国にも執事やメイドはいたけれど、一般人が払えるお金でここまでしてくれるなんて考えられないわ。」

「……使うなよ。」

よほど気になっていたのか、珍しく動揺(どうよう)していた。

「だ、大丈夫。大人しくしてるから。エルクが貸してくれた本もあるし。」

 

『プロディアスの歩き方』、俺が貸したのはただの観光誌。それも、俺がシュウから独立して間もない頃、心配性のミーナが俺にくれたものだ。

「これで勉強して、次にエルクと散歩する時、何処(どこ)に行くか決めておくの。」

そう言ってリーザは俺の思い出の一冊を選んだ(チョイスした)

そもそも俺に本を楽しむだけの(がく)なんかない。部屋にあったのは同じような雑誌と、教養のための本が4、5冊くらい。その中にある世界史はシュウから独立するにあたっての必須科目(ひっすかもく)だった。

「国が変われば人も変わる。無知な旅人は国に喰われるただの(えさ)だ。」

だから、他の本と比べて世界史の本だけはだいぶ草臥(くたび)れていた。

彼女の故郷が何処かは知らないが、聞けばもっと彼女のことが分かるかもしれない。ほんの少し、彼女が故郷(どこ)から来たのかを想像してみた。

 

 

リーザは俺が座っていた窓際(まどぎわ)椅子(いす)に腰掛け、俺はリーザの使っていたベッドに横になった。

リーザは貸した本を読みながらも、ルームサービスのメニューを手放さなかった。

 

 

ベッドからはリーザの匂いがした。

バラやラベンダーのような清涼感(せいりょうかん)のある匂いではないけれど、(まぎ)れもない『彼女』の匂いだった。

こんな状況にも関わらず、俺はほんの少し、(いや)らしいことを考えた。

横目でリーザを盗み見た。

()()()()()()()と、田舎の臭いを残しつつも『女』らしい鼻や唇に俺は分かりやすく『男』として欲情してしまった。

リーザの『力』がある手前、すぐに(いまし)めたけれど、彼女に読まれていない訳がない。もう一度横目で覗き見ると、彼女は平然と窓の外を眺めていた。

 

そして俺は後悔した。

リーザが俺にとってそういう『対象』になってしまっていることに少なからず不安を覚えた。

いざという時、俺は判断を(あやま)るかもしれない。

『護りたい』気持ちが先走って、『悪夢』を繰り返してしまうかもしれない。本当に、彼女ための『()()()』になってしまうかもしれない。

 

「私だって、アナタのための『化け物』なのよ。」

窓の外に目を向けたまま、リーザは(うそぶ)いた。

「『悪夢』は、もう見ない。これからはエルクと一緒に沢山、幸せな夢を見るって決めたの。」

根拠(こんきょ)はない。でも、彼女の声は『運命』すら変えてしまいそうな、自信を感じさせた。

「だから、今は安心して眠って。」

身体は、彼女(主人)の言葉に答えを返したらしかった。

 

俺はゆっくりと、眠りに落ちていく。『悪夢』など片隅(かたすみ)にも巣食(すく)わない()()()()()()()()――――


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