聖櫃に抱かれた子どもたち   作:佐伯寿和2

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女神の奴隷たち その十一

アパートでの用事を済ませ、改めて外に出ると、町の(にぎ)わいはさらに高まっていた。

仕事のあるもの、ないもの関係なく、大きな祭りの熱気に当てられてあっちをウロウロ、こっちをウロウロしている。

一歩引いて見下ろしたその光景は、大海原(おおうなばら)の小魚のように、()()()()()()()()()()身を守るために大きな、大きな群れをつくっているように見えた。

 

「よう、エルク。オメエは見に行かねえのか?」

これに(じょう)じて監視を(あざむ)こうかとも考えたが、シャンテ(あの女)を見失わない奴ら相手にそれは体力の浪費にしかならないと(あきら)めた。

「俺が一度でも美術館や博物館なんかに行ったことがあるかよ。」

(ちげ)えねえ。女の神様なんて言ったってただの石コロだしな。オメエにはそっちのお嬢ちゃんの方が何倍も魅力的だろうぜ。」

「おいおい、滅多(めった)なこと言ってると首が飛ぶぜ?」

「ハハハッ。そりゃ()()()()だ?」

チラホラとロマリア軍の姿が見える。プロディアスには『警察機構』という組織がある代わりに、表立った『軍事組織』はない。だから余計に奴らの姿が目立つ。

「それに、俺はこれから仕事なんだよ。」

()()()抱えて、密入国の手伝いか何かか?」

「まぁ、そんなところさ。」

「テメエも大変だな。帰ったら一杯付き合えよ。」

「割り勘ならな。」

その後も何度か知り合いと挨拶を交わした。2日前に帰ってきたのが嘘のようだった。

「ゴメンね。パンディット、もう少しだけ辛抱(しんぼう)してね。」

リーザは俺の()()()に向かって話していた。その中身があの()()()だからだ。

プロディアスは眠らない。人通りのある所にはほとんど常夜灯(じょうやとう)がある。昼間のように屋根伝いというのも考えたが、パンディットの力量が知れ渡った今、明かりの届かない暗闇に乗じてパンディットだけを狙ってこないとも言い切れない。

 

本人はやる気満々だったが、盲目(もうもく)の少女役も却下した。

盲導犬(もうどうけん)に変装させると、いざという時にハーネスが邪魔をするかもしれない。それに、退路が確定していない現状では、リーザにはしっかりと街並みを憶えてもらわなきゃならなかったからだ。

「安全にこの町を出るまでの辛抱」そんな理由でパンディットは袋詰めにされていた。……まったく、化け物には住み(にく)い町だぜ。

 

 

「エルクは今日、シャンテさんと会った時のこと、憶えてる?」

(ぼう)ホテルの一室、予定の監視ポイントに着くと、リーザはボソリと漏らした。

「……何が言いてぇんだ?」

できることなら思い出したくもないことだが、どうやら今回の件を無事に乗り切るためにはそうも言ってられないらしい。

「シャンテさん、コップを割って手を怪我したよね?」

「?……あぁ。」

怒りに任せ、女自身が握り潰したグラスは確かに女の手を深く切った。だが、それだけだ。女が襲い掛かってきた訳でもなければ、『関係者』が口封じへと行動を移した訳でもない。

店を出た後、店員の間でざわついていたくらいで、()()()()()()()()()も女が置いていった金で………?!

「気づいた?」

女が去った後、リーザが俺に指摘(してき)した時、()()()()()()()()()()()()()赤いシミなど一つもなかった。

「あの短時間で回復……いいや。」

 

話は『回復(キュア)』なんて単純な魔法では片付けられない。テーブルクロスにベットリと付いた血痕(けっこん)跡形(あとかた)もなく消えたのだ。

幻覚(イリュージョン)』だったとしても、割れたままのグラスが逆に不自然だ。

混乱(コンフュージョン)』か?いいや、確かにあれは対象の五感を狂わせるだけでなく、記憶さえも改竄(かいざん)することのできる術だが、あれは対象に直接働き掛けるものじゃない。

混乱の(もと)となる因子を散布して相手に嗅がせる、所謂(いわゆる)、霧状の麻薬のような術。複数人いる環境で、()()()()()はできないはず。

なのに、あの場で周囲に()()があったのは俺たちのテーブルだけだ。あれだけテラス(開けた空間)で、俺たち二人だけに限定させるならもっと複雑な手順を踏まなきゃならないはずだ。

そもそも、女が魔法を使ったことにすら気づかなかった。

「私も最後まで気づけなかったの。だから……、もしかしたらあの人、もう人間じゃないのかもしれない。」

 

おそらくリーザは『不死者(アンデッド)』のことを言っているのだろう。

奴らは頭を撃たれても、胸を切り裂かれても、たちどころに『再生』してしまう。

それは『力』や『魔法』の類いではなく、一種の『呪い』のようなもので、自発的に発動する。契約の際に交わした特定の条件を満たさなければ、もしくは術者の『呪い(カース)』の範疇(はんちゅう)を越えた()()を与えない限り、これは永遠に続く。

だがこれも、傷口を(ふさ)ぐだけで、布に染み着いた血痕を消したりはしない。

 

そもそも、死体や髑髏(ドクロ)ならいざ知らず、『生きた人間』を『不死』にするなんて聞いたことがない。

『不死者』を生み出す魔法も、必ず一度は対象を死に至らしめてしまう。命ある者は『不死』にはなれない。成功した話なんて風の(うわさ)にすら聞いたことがない。現存する魔法の常識だ。

それに、『奴ら』に見られるもう一つの共通点は『思考の停止』。奴らは(あらかじ)(プログラム)された命令以上のことはできない。合い言葉程度の『やり取り』はできても、複雑な『会話』をすることはできない。

その点で言えば、あの女は確実にシロだ。

伝説では、吸血鬼(ドラキュラ)黄泉の遣い(リッチ)なんて頭の良い不死者もいるみたいだが、()()()()()()

 

けれども、そういった『存在』でないと断定もできない。

それはあの女に『力』で(おと)っているなんて、今でも信じられないでいるからだ。

俺はあの女よりも(はる)かに強い。『力』を使えば反撃をもらうことなく炭に変えられる確信があった。それなのに、俺の殺気をものともしないあの『余裕』。

あれは、『不死』という『最強の盾』があったからじゃないのか?もともと、そちら側の『存在』だったからなんじゃないか?

 

……いいや、待て。これもまたあの女お得意の陽動(ようどう)なんじゃないのか?

すると、すぐにリーザはそれを否定した。

「ごめんなさい、エルク。私の早とちりだわ。だって、あの人は生きてるし、私たちを(だま)してもいないもの。」

……そうか。死者に『声』は()えってことか。少なくともあの女は『生きている』。……じゃあ最悪の場合、『生きている』が『不死』ってことか。

 

アイツは二度と俺たちの前に現れないと言っていたが、どこまで信用できるかも分からない。

それに、敵はあの女一人じゃない。もしもここぞという場面でまた、あの女が立ち塞がったら?あの女相手にどこまで足止めできる?

まず何が通じるんだ?……グラスで手が切れた。だが、女の顔に苦痛の色はなかった。あの様子だと急所を攻める手も大した効果は期待できない。

……ダメだ。足止めを考えるより、俺たちの足を速くする方が確実だ。となると、やはり問題は『退路』に戻る訳か。

 

「そういえばリーザ。あの女の『声』、聞こえるようになったのか?」

リーザは首を横に振った。

「ごめんなさい。本当にボンヤリとしか分からないの。でも、間違いなく『声』は聞こえたわ。」

リーザは間違っていない。リーザの『力』はあの女も認めていたし、(うと)ましくも感じていた。

 

考えれば考える程にあの女の『正体』が分からなくなっちまう。だが、『敵』という事実がある以上、見極めない訳にもいかない。頭の中では疑問が疑問を生み、他に回すべき思慮(しりょ)(むしば)んでいく。

それこそがあの女の術中(じゅっちゅう)のようにも思えて歯痒(はがゆ)い。

 

「……エルクは眠らないの?」

パンディットがいれば奴らの気配を見逃すことはまずないだろう。だが、こんな日に限って『悪夢』に捕まらないとも限らない。

肝心な時に目覚めることができなくて奇襲を許してしまったら、『傍観』に行動を制限した意味がなくなる。

それに、今はもう俺たちの捜索も打ち切られているようだが、ホテル(ここ)は例の空港からも()()()()()にあった。

 

何より、俺自身が色んなことにビビっていた。

「大丈夫。()が昇ったら少しだけ眠らせてもらうよ。」

 

窓に小粒の雨が幾筋も走っていた。

それでも眠らない町の活気は(おさ)まらない。明日の祭りに(かこつ)けて休みをとった就業者たちが町の大通りを闊歩(かっぽ)している。

(おとず)れる明日(あす)が、女神の(ゆが)んだ微笑(ほほえ)みに祝福される一日になるかもしれないということも知らずに。




すみません。『日』よりも『陽』の方が「太陽っぽい」という理由で、今のいままで誤用していたようです。
太陽そのものは『日』で、日の光が差すところを『陽』と書くそうです。今後、気をつけます。……でも、やっぱり『陽』の方が……f(^ー^;

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