聖櫃に抱かれた子どもたち   作:佐伯寿和2

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女神の奴隷たち その十

牙を()くかと思われた虎が立ち去った後、割れたグラスについて店員に問い詰められる前に俺たちも早々にその場を離れた。

リザベラはエナートに手を引かれて歩いていた。

「……リーザ、大丈夫か?」

虎と向かい合うリーザは凛々(りり)しかった。『英雄』という名の額縁(がくぶち)(かぶ)っているようにも見えた。

……などと考えている自分が憎らしかった。本来なら俺がそうあるべきなのに。俺は(トラ)のいいように(もてあそ)ばれるばかりで、『護る者』としての自覚に欠けていた。

「エルク……、私……、全部、私の一人(ひとり)相撲(ずもう)なのかな。」

そのせいで、『野鹿(リーザ)』を()()()()()()()()()()に立たせてしまった。

 

リーザは、女の「他人の心を分かっちゃいない」という言葉を鵜呑(うの)みにしていた。他人にない、心を読む『力』があるがゆえに、無意識に調子づいていたのかもしれないと苦しんでいた。

()()()()()()からリーザを護ることこそ、俺の役目だったのに。

「リーザ、そんなこと言ってたら俺たち『能力者』は全員身動きとれなくなるぜ。」

今さら『()()()』なんて伏せ字を使ってしまう自分が、気に食わなかった。だけど、『化け物』なんて今のリーザには口が()けても言える言葉じゃない。

結局、俺は自分の本音をどう伝えればよいものか、分からない。この『想い』を()()()()()()ことしかできない。そんな自分が、心の底から憎い。

すると無性(むしょう)に、リーザの『力』が(うと)ましくも、(うらや)ましくも思えた。

 

「……そうなのかも、しれない。でも……。」

俺は、『力』のせいで自分を悪夢へと追い込んでしまうリーザを変えてやりたいんだ。

「どうやら俺と(アイツ)の相性はよくないから、どこまで役に立つか分からないけどよ、リーザが助けたいなら俺はとことん協力するからよ。」

リーザは(うつむ)いていた。俺の言葉を聞いているかどうかも分からない。それでも俺は―――、

「だから……、泣くなよ。」

俺は彼女を抱きしめた。

震えてなんかいない。しっかりと二本の足で立っている。でも、今の『野鹿』には支えが必要だ。それは俺自身が()()()()()()()()だった。

「……ありがとう」そう返してきた声に『英雄』の名残(なご)りはどこにも見られなかった。

今はこんなことしかできない。

―――、もっと、もっと強くならなきゃならない。

 

 

「ごめんね。時間がある訳でもないのに。」

そうだった。結局のところ、こちらからシュウと接触する方法がないままなのだ。

「まぁ、シュウの方は俺たちの動きを把握してるみたいだし、必要な時は向こうから出てきてくれるだろうよ。」

つまり、『この場』は俺一人でなんとか乗り切るべきだと彼は言っているのだ。

……あくまであの女の言葉を信じるのならの話だが、

「とりあえず、今度は退路の確保だな。」

一般的な、確かな根拠はないが、こっちからアプローチして接触できないことの方が不自然過ぎた。シュウに限って、何の痕跡(こんせき)も残せずに『()られた』というのも考えられない。

これだけあれば、賞金稼ぎ(俺たち)にとっては充分過ぎる『根拠』になった。

 

 

2日間、町の様子を見て回った限りでは、()()()()()()のお披露目会は大都市プロディアスの一大(いちだい)狩り場(イベント会場)になるようだ。

すると、その規模は市民の100分の1を越える確率が高い。……約3万人。

そうなると、俺たちが未然(みぜん)に連中の計画を潰すことができたとしても、何が切っ掛けで観衆(かんしゅう)の間に混乱が生まれるか分からない。

ただでさえ相手の手の内にある広場(空間)は出入りが難しいというのに、3万の人垣(ひとがき)という破壊できない障害物が延々(えんえん)と連なっていたなら、まず間違いなく逃げきれない。

飛行船や船舶(せんぱく)(たぐ)いも論外だ。当日は無数のバルーンが()()うし、海上の警備は陸よりも厳重になるとギルドから聞いている。少しでも目立ってしまったらそこでゲームオーバー。事故や撃破が目に見えている。

『木を隠すなら森の中』なんて甘っちょろい手段も二流の連中にしか通じない。今回は、マフィア(奴ら)市長(ボス)が指揮をしているんだ。少なくとも、あの女レベルの(コマ)が会場を包囲(ほうい)していると考えた方がいい。

もしもあの女のような、周囲の変化に目敏(めざと)く、対応力にも優れた連中5人に囲まれでもしたら、もはや絶体絶命だ。

気づかずに誘導されて人混みがきれたところで狙撃されて終わりだろう。

 

だからこそ、組織を相手にする時は確実な『逃げ道』というのは不可欠になる。……それが皆目(かいもく)見当(けんとう)がつかない訳なのだが。

賞金稼ぎ(エルクたち)は皆、そんな難しいことを考えているの?」

リーザは素直に驚いていた。

「失敗したら簡単に死んじまうような仕事だからな。」

 

「でもね、エルク。何か一つ忘れてない?」

「何か?」

リーザの(おだ)やかな表情を見る限り、それは危険とは程遠いことなのだということは分かる。

飯は……済ませた。この後必要になりそうなものも、用意し終えた。……何だ?今日、何か買い物の約束でもしたっけか?

「……パンディット。どうする?先に帰っててもらう?」

「あぁ……。」

リーザに(うなが)され、見上げると、アイツはそれに合わせて建物の屋根から小さな顔を覗かせた。

パンディットは、「指示を出すまで人目に付かないように俺たちの後を付いて来い」の命令通り、律儀(りちぎ)に建物の隙間(すきま)や屋根を利用して器用に移動し続けていたのだ。

「……すまねえ。そうだったな。悪いけど、先に帰っててもらえるか?イイ肉買って帰るからよ。」

あの女の気配は感じられないし、『関係者』たちも女を追いかけるように姿を消した。

それに、勝手知ったる土地と住民。形振(なりふ)り構わなきゃ、援護なしでも捕まるようなヘマはしない。

「じゃあ、そう伝えておくわ。」

リーザはクスクスと笑うばかりで、何かサインらしいサインを出す訳でもない。それでも、アイツにはシッカリと伝わっているらしく、周囲の目を盗んでさっさと帰っていった。

『まったく、頼りになる奴だ』などと感心していると、隣で同じように見送っていたリーザの顔がニヤケていた。

 

言葉で馬鹿にしてくる奴は沢山いたし、慣れていた。でも、表情(かお)だけで静かに揶揄(からか)う奴は、俺の回りではミーナくらいだ。

「まったく、リーザも()()()()してるぜ。」

「そう?本当は好きなのに素直になれないエルクの方が私は()()()()と思うけどな。」

いいや、そういう意味じゃないんだけどな。

 

 

 

結局、残り半日をかけて行き着いた答えは、式典会場に()()()()ことだった。

リーザやパンディットを連れて監視の目から(のが)れるのは難しく、奴らの包囲網から少し離れた建物の一室から状況を見守って、その時、その時の状況次第で対応する。これがベストの判断に思えた。

今から現場に行って、退路を確保するとなるとかなりの危険を(おか)さなければならなかったからだ。

 

広場は(すで)に、明日の本番のために厳重に封鎖(ふうさ)されていて近づけない。下水道からの侵入も予想しているらしく、赤外線やら、子飼(こが)いの化け物たちを(いた)るところに配置している。

こうなったマフィア(奴ら)は手が付けられない。

忍び込むにしても身を隠すものが少なく、俺やパンディットじゃあ像まで辿り着けるかどうかも怪しい。

「野生かどうか、見分けがつくの?」

「スライムは基本、町の下水に住み着くけどよ、原因もなしにあの数は『意図的』だと思って間違いないねぇよ。」

スライムは基本的に無色透明で奇襲(きしゅう)を受けやすい化け物だが、臭いや下水との質の違い、怪しい動きは野生でも養殖(ようしょく)でも隠しきれないらしい。

駆け出しの時にギルドから押し付けられただけだが、下水掃除の達人としての経験は、結構色んな場面で役に立つものだ。

 

そういう意味で言えば、『潜入(せんにゅう)』はシュウの専門分野だ。

だから俺個人的には、シュウに頼んで女神像に爆弾でも仕掛けてもらえればベストだと思っているのだが、俺が持ってる情報をシュウが持っていない(はず)がない。

本当に女神像が危険なものなら、俺がわざわざ頼まなくてもシュウがとっくに対処(たいしょ)している。

 

それでも、『もしも』という時は、『プロディアス』さえも見捨てなきゃならなくなるかもしれない。それくらいの覚悟が必要なのだと思っていた。

でも……、そんな事態(じたい)にはならない。

頼りになるのかならないのかハッキリしない、自称『親父(オヤジ)』がそう言ってくれたからだ。

だったら俺は、『リーザを護る』という本来の目的さえ忘れなければ、まず足を引っ張ることはない。そのための『傍観(ぼうかん)』なのだ。

「皆、明日を楽しみにしてるのね。」

ホテルの窓から見下ろすと、町は老若男女(ろうにゃくなんにょ)が騒ぎまくっていた。

コイツらは何も知らないんだ。祭りの主役が(わざわ)いの元だってことを。

「どうだかな。ただ騒ぐのが好きな連中だからよ。その大元(おおもと)()()()()()()()()()()()()()()?」

 

 

 

「『助ける』より『助け合う』。もしも本気で奴らと渡り合うつもりなら、『足手まとい』か『仲間』か。早目に気持ちを切り替えておくんだな。」

一度、態勢(たいせい)を立て直すため、アパートに戻った俺に、お節介(せっかい)な大家はそう言った。

うるさく聞いてくる野郎(ヤロウ)に、今日のことを洗いざらい話しただけで、俺が(いま)だに迷っているのを見抜きやがった。リーザを戦線に立たせるか否かを。

「テメエはどうなんだよ。俺の『足手まとい』か?それとも、『仲間』なのか?」

割り切れない俺は苦し(まぎ)れに聞き返した。

でも、――事情を全部把握した上で、――安い煙草(タバコ)の煙を(うま)そうに吐くビビガには、絶望の表情もなければ、懇願(こんがん)の声色もなかった。一人の『父親』の顔が、真っ直ぐに俺を見上げていた。

()()()はテメエを裏切らねえ。テメエはテメエのやらなきゃならねえことを死ぬ気でやり続けな。」

また……、俺の後ろでリーザがもらい泣きをしていた。

 

()()()()に着替え、慣れた得物(えもの)と5日分の携帯食だけを用意した。おそらく(しばら)くは帰れない。

「悪いな、茶太郎。また暫くはあのむさいオッサンの世話で我慢してくれよな。」

無邪気な愛犬はいつでも、愛らしい目と尻尾を最大限に使って俺に甘えようとする。でも、聞き分けの良い賢い子でもあった。

「じゃあ、行ってくるからな。留守番を頼んだぜ。」

玄関で行儀良く見送る茶太郎は、気づかない内に大きくなっている気がした。




アークの世界での各国の人口が分からなかったので、世界の総人口を『1億5000万人』くらいに設定させてもらいました。
その中でアルディコ連邦ことアルディアは2000万人くらい。プロディアスだけで1000万人という感じでよろしくお願いいたします。その他の国々も必要であれば都度(つど)設定させてもらいますのであしからず。

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