聖櫃に抱かれた子どもたち   作:佐伯寿和2

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女神の奴隷たち その九

この女がインディゴスに流れてきた時期。プロディアスに逃走する際に俺とリーザを引き離そうとしたこと。追われているにも関わらず一ヶ所に(とど)まり、俺たちに存在をアピールし続けたこと。そして今回の、ロマリアに関する想定外の情報。

 

俺が思うにコイツこそが、市長がアルディア(この国)(まね)いた『要人』の一人なのだ。ハイジャックされた際に上空で待機させられていたセントディアナ号の『人質』の一人なのだ。

そして、おそらくコイツの本当の目的は『大事な実験体(リーザ)を連行すること』。

それが完遂されるまでは何があろうと、コイツはロマリアの何らかの機関に守られている。俺には手の負えない本物の殺し屋(プロフェッショナル)。インディゴスで陰から俺たちを襲ってきた『真っ二つ野郎』もしかり。

もしくは、この女自身がロマリアの人間であるのなら、本人がそれに並ぶ実力を持っているのかもしれない。雰囲気だけとはいえ、一瞬でもシュウの『臭い』を感じさせた女だ。可能性はある。

 

全部俺の憶測(おくそく)だが、これぐらい大きな背景でないと、もはやこの女の謎の多さには納得がいかない。

ただ一つの疑問は、これだけの機密事項をペラペラと口にして『関係者』たちが全く動く素振りを見せないことだ。

それが許されるほどに、この女は重要な人物ってことなのか?

 

「なんでテメエがそんなこと知ってんだ?」

シュウがいたなら、自分から渦中(かちゅう)に飛び込もうとする俺を止めたかもしれない。でも、もう止まらねえよ。

リーザと一緒に歩くようになってから俺は、俺たちはもう幸せになってもいい頃合いなんじゃないかって思うようになっちまったんだ。

『復讐』なんてさっさと終わらせて、移り変わる天気や仕事の失敗で一喜一憂(いっきいちゆう)するような生活を送りたくなっちまったんだ。人の憎悪が(から)み合う『悪夢』なんて二度と見なくていい毎日。

それだけでいいんだ。

だから今は(たたか)うしかねえんだ。

 

「バカだね。アタシがくれてやるのは『情報』だけさ。引き換えにアタシが貰うのはアンタたちの『苦痛』と『後悔』。……精々(せいぜい)苦しんで死んでくれよ。」

どんなにそいつが『強く』ても、どんなにそいつの足が『速く』ても、取り敢えず、闘うしかねえんだ。

リーザが生きてぇって言うなら、俺だって――――

 

「エルクは誰にも殺させない。私は貴女とは違うから。」

「小娘が、一端(いっぱし)の口を利くじゃないか。こんな間抜けのどこがいいのさ。……アタシにも分かるように教えておくれよ。」

「貴女こそ、そんなにエルクを気にかけるのはナゼ?自分に似てるから?()()()()()()()()()?」

リーザは完全に女の弱点(首根っこ)を掴んだ。それは、この場の誰よりも女の表情(かお)がそれを物語っていた。

 

心と体が別々に動いているような女だと思っていた。けれども、今の女は確実に全身で『本物の感情』を表現している。

「それがアンタご自慢の『力』ってやつかい?胸糞悪(むなくそわる)い。まるで人間を相手にしてる実感がないよ。」

最後の一言にリーザの表情が(けわ)しくなるのを女は見逃さなかった。

また、あの薄ら笑いを浮かべる。

「そうかい。そうやってアンタは()()()()()()()()()()()。可哀想に。」

 

「……シャンテ、貴女、このままじゃ良い死に方しないわ。」

そしてどうやらリーザは選ぶ言葉を間違えたらしい。女は豆鉄砲でも食らったような顔をして固まったが、しかし次の瞬間には、店中に響くほど大きな声で笑い始めた。

「そうかい。そりゃあ気をつけなきゃいけないね。でもね、その言葉、そっくり返させてもらうよ。」

女はスッカリ『余裕』を取り戻していた。

まただ。女が『余裕』を取り戻す手掛かりが隠れていたんだ。リーザが間違えた、たった一言の中に『何か』が。

「なぜ?」

顔にこそ出さないが、リーザも女の不気味な『余裕』には不安を覚えているらしかった。

 

「リーザ、アンタは度胸があるよ。闘い方も心得てる。でもね、過信してるよ。アンタは人の心を読めるのかもしれないけれど、()()()()()()()()。だから死ぬのさ。」

女の中でリーザに対する脅威の度合いが極端に下がっていた。

「どんなに強がったってアンタもヤッパリ子どもだね。」

ついさっきまで牙を()いて警戒していたはずの相手の(あご)を、恋人を()でるように皮手袋をした指先でツイッとなぞっている。

 

「自分がどんな顔をした化け物なのかも知らないなんて、論外だよ。」

どれだけこの女の顔に鉄拳を叩き込もうと思ったことか。だが、それはできなかった。殴り掛かるための拳をリーザが握りしめて放さなかったからだ。

リーザは闘っていた。「言われなき『差別』」と泣きつく一方的な被害者の顔を一瞬たりとも見せない彼女は俺よりも(はる)かに強かった。

「貴女の忠告、ありがたく受け取ります。それで、貴女はどうするの?逃げるの?闘うの?」

 

「……面白いね。アンタ、本当に(きも)()わってるよ。」

常勝無敗(じょうしょうむはい)に傷をつけられた(おんな)(のど)を鳴らし、俺たちを死地へと突き落とそうとしている。

「じゃあ聞かせてもらおうか。アンタはどうやってアタシを()()()()()()()()()?」

 

「何も。貴女と同じことを言うだけ。……貴女も私と同じように自分が見えてない。今みたいなことを続けてたら貴女は()()()()()()()()。」

俺が後ろから引き寄せなかったらリーザの両目は(つぶ)れていたかもしれない。女が、リーザの両目めがけて指を突き立ててきたのだ。

女の目は瞳孔(どうこう)が開いていた。完全にリーザを『敵』と認識したらしい。

「ここまでだな。俺たちは引き上げさせてもらうぜ。」

今の騒ぎでさすがに周りが不審(ふしん)がり始めてしまった。『関係者』たちも目を鋭くして俺たちを()()()()()()

だがこの場でただ一人、話を収めきれない虎がいた。

「なぁ、教えておくれよ。アタシの何が見えてないんだい?」

虎は、なんとか一矢(いっし)(むく)いようと、墓穴を掘るかもしれないことを聞いていた。

「……貴女はもっと優しい人なんでしょ?」

 

 

女はよほど面白くなかったらしい。荒い息を整えることも忘れ、背中を向けた俺たちになおも爪を立ててきた。

女はまだ手札を隠し持っていたのだ。

「アンタ、『炎のエルク』でしょ?」

「……だったら、なんだってんだ。」

「しっかり守ってやんなよ。その子はもう、地獄に片足突っ込んでるから。」

「まだ俺たちにチョッカイ出してくるつもりか?」

「いいや、残念だけどアタシはこの辺でトンズラさせてもらうさ。今夜辺り、アンタの()()()がアタシを殺しに来るだろうからね。」

『保護者』と言われて思い浮かぶ顔は幾つかあった。だが、虎を殺せる『保護者』なんて俺の周りには一人しかいない。

「……まさか、黒装束(くろしょうぞく)の男のことか?」

「名前も名乗らなかったよ。」

「その男に、何か言われたのか?」

「アンタたちに近づいたら殺すんだとかなんとか。ゴキブリみたいな格好(かっこう)して立派な人間様気取りさ。気持ち悪い。」

……シュウは俺たちの行動を把握(はあく)してるのか?それならどうして俺たちに顔を見せない?

それに、シュウはこの女を「殺す」と宣告して、女は「殺される」と()()()()()。……シュウはこの女を殺せるんだ。

だったらなんで生かしてるんだ?泳がせているのか?何のために?……分からない。

「じゃあな。ゴキブリ共々、精々(みにく)く、(あわ)れに潰れていっておくれよ。」

負かしたい相手ではなかったが、どうにかこうにか気分は晴れたらしい。

女は、握り潰した札束をテーブルに置くと、眉間(みけん)(しわ)を寄せて悩む俺を尻目(しりめ)に、一人、町の中に消えていった。

 

「エルク、見て。」

考え事を(さえぎ)ってまでリーザが注意を(うなが)したのは、俺たちが座っていたテーブル。

さっきの騒ぎでナフキンが飛んだらしい。()()()なテーブルクロスの上に散乱したグラスの破片が(あらわ)になっていた。

それだけだった。


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