聖櫃に抱かれた子どもたち   作:佐伯寿和2

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女神の奴隷たち その八

青髪の歌姫は(から)のグラスを差し出してリーザを誘った。だが、リーザはそれに視線を寄越(よこ)すこともせず、歌姫の目を真っ直ぐに見詰めていた。

「エルクも言ったのだけれど、私たち、そんなに時間がある訳じゃないんです。できればここで済ませられませんか?」

彼女の口調は、俺の耳にも怒気(どき)を含んでいるのが分かった。

「何をそんなに怒っているんだい?もしかして彼氏を粗雑(ぞんざい)に扱われたのが気に入らなかったのかい?」

女は()()()のリーザにさえ気安かった。もはやそれは、女の(くせ)ともいえるケンカのスタイルなのだろう。

()()れしい言葉で相手の(ふところ)(ゆる)めて、隙を見せた瞬間に弱点を鷲掴(わしづか)みにする。その下拵(したごしら)えのために、安い挑発の応酬(おうしゅう)を持ち掛けようとしているのだ。

だがリーザは、その提案(ルール)()えて無視した。

女の挑発に対してリーザが返した言葉は、(なぶ)り合いの合意(ごうい)ではなく、相手の弱点(くび)(やいば)を押し当てる問答無用の一言だった。

 

貴女(あなた)は何をそんなに(おび)えているの?」

 

(はた)から聞けば何てことのない言葉だった。それでも『貧乏人(びんぼうにん)』に『裕福(ゆうふく)さ』を自慢(じまん)するように、それはその人間の『禁句(タブー)』を突いた、()わば悪辣(あくらつ)な一言ともいえた。

「……お(じょう)ちゃん、こっちの世界の人間とお喋りをするのは初めてかい?」

たった一言で、女はあの『虎の目付き』に変わっていた。そしてそれは俺に見せた時よりも(はる)かに濃い『警戒』の色を(はら)んでいた。

 

ただならない空気を感じ、俺は反射的に腰を浮かせ、素早く周囲に目を走らせた。だが、『奴ら』は誰一人として動こうとしない。

「えぇ、そうです。」

虎が牙をチラつかせても、リーザが取り乱すようなことはなかった。敢然(かんぜん)と立ち向かう騎士のように(りん)とした表情で向き合っている。

虎は(ひる)まない騎士の目を見ると、距離を()めずに騎士への反撃の機会(チャンス)(さぐ)るように辺りを徘徊し始めた。

「お嬢ちゃんの目ではまだ見分けがつかないのかもしれないけどね、こっちの世界には涼しい顔で人を殺す人間がたくさんいるんだよ。」

虎は空のグラスを握りしめながらギラギラと騎士の瞳を覗き込んだ。

 

「そういう貴女はこっちの世界に()()()()()勇気もないんだわ。だからエルクを怒らせて道連れにしようとしているんでしょう?」

聞き終わるか終わらないかの刹那(せつな)(にぶ)い破裂音が鳴った。女が、握りしめていたグラスを粉々に握り潰していたのだ。

「小娘のくせに、なかなかケンカの売り方が上手じゃねえか。でもなぁ……、」

割れたグラスが女の(ととの)った手を切った。血が止めどなく流れているというのに女の表情(かお)はそれを全く感じてはいなかった。

 

昼飯時ということもあって店内は喧騒(けんそう)に包まれていたし、すぐに『()()()』がわざとグラスを割ったお陰で、俺たちのテーブルに視線が集まることはなかった。

 

二つ目のグラスが割れる音で、女は我に返ったらしい。

ポケットから取り出した皮手袋(グローブ)で傷を隠し、血を吸ったテーブルクロスにナフキンを(かぶ)せた。目立つことを避けたいらしい女の冷静な行動は、俺たちにとっても好都合だった。

俺たちが本格的に『行動』を起こすまでには、まだまだ時間があり過ぎたからだ。こんなところで『正体』がバレれたなら、無駄な野次馬(やじうま)どもが動き出しかねない。そうなると後々が面倒だ。

 

一方で、人目を気にした女の素早い対処が、俺の目には不自然にも映った。

今さらじゃないか。『酒場の歌姫』はすでにこの町でもそこそこの人気を(はく)していた。10人に聞けば1人は女のことを知っていた。

もしもこの女が本当に追っ手の目を気にしているのだと言うのなら、この場の『目』よりも、歌姫としての『評判』を気にするべきじゃないのか?

そもそも俺は、『奴ら』に居場所が割れていても逃げ切る自信がこの女にはあるのだと、思っていた。

なにより、『関係者』はすでにここにいるのだ。女もそれには気づいているはず。

……だったら、『歌姫』としての体裁(ていさい)を気にしているのか?……いいや、それも違う。

やはり大事な『何か』を見落としている。今までに一度も露呈(ろてい)しなかった『それ』の答えが今の不自然な行動の中にあったんだ。

 

粗相(そそう)の後始末を終えた女の表情は、定番の『余裕のある顔』に戻っていた。だが、内心では変わらず煮え(たぎ)っているようだ。女は今まで一度も見せなかった紛れもない『殺意』を瞳に宿していた。

俺は忍ばせておいた短剣に手を伸ばし、虎が飛び掛かってくる瞬間(タイミング)見計(みはか)らった。しかし―――、

「……いいや、止めておこうか。」

「何だよ。先に啖呵(たんか)を切っておいて、いざとなったらビビっちまったのか?」

出鼻を(くじ)かれ、思わず挑発してしまった。だがすでに、俺の言葉じゃ女の関心すら引けないらしい。

俺には見向きもせず、リーザに対して居直(いなお)ると、今まさに喉元(のどもと)に喰らいつかんとする唾液(だえき)(まみ)れた牙を見せつけた。

「人間の潰し方なんざ(いく)らでもあるってことよ。刃物振り回すだけが殺し合いじゃないんだよ。そしてお嬢ちゃん、アンタのケンカ、望み通り買ってやるよ。」

女は『怒り』に狂っているように見えて実のところ、『それ』に()がされることを楽しんでいるようにも見えた。「久しぶりの獲物」と表情(かお)が言っているようだった。

 

けれども、リーザには女を()()けるつもりなどなかった。彼女は女を()()に来たのだ。

しかしどういうつもりなのか、リーザは女のいう『殺し合い』を(うなが)した。

「それで、具体的に貴女は私たちをどうするつもりなんですか?」

「教えてやるのさ。アンタたちが欲しがってた『情報』ってやつをさ。」

「……どういうつもりだ?」

「ハハハッ、聞けば分かるさ。そしてこの話が終わればアタシの『役目』も終わりってやつさ。」

「とうとう化けの皮を()ぎやがったな。」

女は『飼われている』ことを認めた。アッサリと。

それは女が、自分から『正体』を明かす()()()()()()ということなのだと俺もリーザも理解した。

 

「それで、どうする。話を聞くかい?それとも、このまま聞かずに逃げ帰るかい?」

「バカか、テメエ。()めんなよ。」

本当にどうしてだか、俺は求められてもいないのに、逐一(ちくいち)女の言葉に突っ掛かってしまう。女もそれにウンザリしているのか、視線も寄越さずに重い()め息をついていた。

「……本当、アンタだけだったらアタシ一人で十分だったんだ。」

俺は()えた。女の言葉を耳で理解し、頭で考えないように(つと)めた。リーザが、悶々(もんもん)とする俺の背中にソッと手を置いてくれたお陰でようやく冷静に二人のやり取りを見守ることができた。

「話を進めてくれませんか?」

だがリーザもまた、女と同じように相変わらず怒っていた。

 

歌姫は自分の仕事を自慢するタイプの女だった。

「どうして軍事大国(ロマリア)がわざわざプロディアスに女神像を(おく)ったと思う?」

すぐに答えを呈示(ていじ)せず、「分からない」と言わせてからタップリと語ろうとしていた。

「……プロディアス(ここ)の市長が裏でロマリアと悪巧(わるだく)みしようとしてるんだろう?そんな話、町の噂レベルだぜ。」

俺は、町の事情を知らないリーザに代わって端的(たんてき)に答えた。

「『噂じゃない』から『情報』なんだろ?だから、それが半分間違ってるってことも言ってやれるのさ。」

勿体(もったい)つけた言い方は、俺たちとの最後の会話を噛み()めているからなのだろう。

「市民の期待にも十二分(じゅうにぶん)に応える質実剛健(しつじつごうけん)の市長。でもね、その本当の正体(かお)は立派な市長でもなければマフィアのボスでもない。……ロマリアの将軍の一人なのさ。」

 

それは突飛(とっぴ)だが有り得ない話じゃない。ロマリアは軍事国家であるが故に、秘密主義国という一面も持っている。

現に、4人いると噂されている将軍の内、顔と名前が分かっているのはザルバド将軍のみで、他3人はメディアへの露出はおろか、その存在さえ疑われている。

さらに彼らの王、ガイデルは昨今(さっこん)姿を見せず、噂ではザルバド将軍が彼を亡き者にしたのではと(ささや)かれている。

事実上、ロマリアを動かしているのは四将軍であり、君主制でありながら()()()()と呼ばれる由縁(ゆえん)にもなっている。

このささやかな内情(ないじょう)さえ、幾人の(とうと)い犠牲の上に得られた『情報』なのだ。辻褄(つじつま)の合わない噂だけなら山のように出回っている。

そんな折、他国で活躍するやり手の有力政治家が実はロマリアの身内なのだと告白されても、(いぶか)しみこそすれ、否定できる者は誰もいない。

 

「ロマリアってのはそういう国なのさ。奴らは相手の気づかないうちに、内側からジワジワと喰い破って支配するのがお好みなんだよ。『賞金稼ぎ』なんて制度を(もう)けたのも、奴らの『計画』の一端(いったん)。そして見事にその筋書き通りに(おど)ってるのがオマエらみたいな『力』に頼ることしか知らないバカな連中って訳さ。……さらに、その『計画』ってのが傑作(けっさく)よ。」

女は実に楽しそうに話す。話すことで、俺たちが『地獄』へと追いやられていく姿を想像しているのだろう。

「『人類キメラ化計画』それがあの腹黒い市長の親玉が考えてる『()()()()()()()()』さ。」

内容はすぐに想像できた。

特殊な『力』を持った人間を化け物と掛け合わせたり、『力』のない人間を化け物へと改造したり……、要は『バケモノ製造工場』を造るつもりなのだ。

「その素体を一度に()ろうって式典(イベント)なんだよ。()()()()()()()()()()()。……なぁ、傑作だろ?」

思わず気絶しそうになってしまった。

女の嘲笑(ちょうしょう)が、『悪夢』の呼び水のように感じた。

払拭(ふっしょく)しようと躍起(やっき)になっていたあの『悪夢』が、『復讐』とでも言わんばかりに、再びこの現実に姿を見せようとしているのだ。

俺は()()()()()()()()を覚えた。

だが同時に、ようやくこの女の『何か』の正体が明らかになりつつある気がした。


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