聖櫃に抱かれた子どもたち   作:佐伯寿和2

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女神の奴隷たち その六

「……なんだか不気味な顔をしてる。」

町中を巡回(じゅんかい)している時、遠目に見えた『女神像』を見てリーザはそう言った。

 

「不気味」と中傷(ちゅうしょう)された女神の体は、『幸運』を象徴とするような福与(ふくよ)かな曲線を描いていた。

一枚布を巻き付けただけの貫頭衣(かんとうい)には、『そよ風』という言葉で(たと)えられるような(いく)つものドレープ(ゆったりとしたひだ)があり、大海原のように大きく波打った長髪の頂点には装飾の少ない(クラウン)鎮座(ちんざ)している。

控え目に差し出された両手は蓮の花のように口を開け、その(なか)には意味有りげな(ぎょく)が優しく(いだ)かれている。

女神はその玉を見下ろし、(いつく)しむような微笑を浮かべていた。

 

彼女は軍事大国ロマリアと経済大国アルディア、両国の()()()()()()を約束するための『友好の(あかし)』として首都プロディアスの人工島に降り立った。

輸送直後、どの新聞会社の一面も彼女の話題で埋め尽くされていた。

仕事に()(つか)えない程度にしか読まない俺でも連日目にする彼女の顔には辟易(へきえき)していた。

 

それを抜きにしても――リーザの『超感覚』とは違って、俺のは単なる『直感』なのだが――、「不気味」という感想には(おおむ)ね同意できた。

『大きな建造物』や『施設』は何かと事件やら陰謀(いんぼう)やらに利用されがちだということをよく知っていたし、ソイツが『武力主義の国』と『マフィアの巣窟(そうくつ)』の合作(がっさく)だというのならなおさらだ。

ソイツがいくら、『()()()()()()』なんか浮かべてたって俺には『悪魔の嘲笑(ちょうしょう)』に見えてくる。

 

 

そして俺たちは今日、『ソレ』とはまた別の『()()()()()』と会う約束をしていた。

「一応、あの女に会う前に、何か分かったことがあったら聞いておきたいんだけどよ。何かあるか?」

まだリーザが実戦においてどこまで動けるのか分からないが、これまでの機転のある動きを見る限り、不安という不安は感じない。

でも、リーザは違っていたらしい。

「あの……、パンディットは、連れて行っても良い?」

「そうだな。俺もそれが良いと思う。」

あの女が、リーザの言うように、俺の『力』でも対応できないような奴なのだとしたら、リーザを守りながらは戦えない。

俺の『力』の巻き添えを食うかもしれないし、あの女が一人で来るとも言い切れないからだ。

昼の町中にパンディット(コイツ)を連れ出すには多少工夫が必要になるかもしれないが、『もしも』を考えるなら欠かせない戦力だった。

 

得物(えもの)には慣れたか?」

「うん。だいぶ手に馴染(なじ)んだ感じはするわ。」

リーザには拳銃(ハンドガン)一挺(いっちょう)とククリナイフを一本持たせることにした。

「確認だけど、覚悟はあるんだよな?」

「役に立ちたい」だとか、「足手まといにはなりたくない」なんて理由しかないのなら、俺は『実戦用の武器(この二つ)』を持たせはしなかった。当たり前だ。

『プロ』相手に『素人』がヘタに武装するのは(かえ)って余計な危険を招いてしまうからだ。そもそも、リーザにはパンディットがいれば十分身を守ることができた。

それでも、『覚悟』一つでそれを許そうとしているのには、俺なりの理由があったからだ。

 

もちろん戦闘でのリーザの能力への期待もある。

けれども、その能力が原因で彼女は俺と同じような『()()』を見てきた。……いいや。

ここに至るまでの詳しい事情はまだ聞けてないが、今までの彼女の様子を見てきて、彼女の『それ』は今でもこの世界(現実)で生まれ続けていると気づいてしまった。

「……もちろん、あるわ。」

だったら俺は一刻も早く『それ』を終わらせてやらなきゃならない。同じ『悪夢』に(あらが)う仲間として。

彼女の笑顔を(まも)る友人として。

 

しかし、そうはいっても戦闘経験のないリーザにナイフで接近戦をさせることには抵抗があった。

武器を選ぶ際にそう言うと、リーザは「いざっていう時に無防備なのは危なくないの?」と返してきた。

もっともな意見だし、俺自身も彼女を戦場に立たせることに賛成したのだが、職業柄、『素人に武器を持たせる』ということにどうしても心から納得することができなかった。

それ以前に、戦闘において俺が誰か()()()動きを封じられるなんて経験がないものだから、結局は彼女の意見に流される形で収めるしかなかった。

 

インディゴスを出る時にもナイフを持たせはしたが、あれも『威嚇(いかく)』目的ぐらいにしか考えていなかった。

だが、今回リーザが選んだのは相手に明らかな『戦意』を伝えるような武器だった。

刃渡(はわた)り40cm強、厚さ10mmのククリは、使い(こな)せば女であろうと化け物の一匹、二匹は簡単に()ち取れる。しかし、それも軍人や賞金稼ぎのように、それを扱えるだけの体が仕上がっている人間に限っての話だ。

なにせ相手は、こちらの攻撃を受けるために立ち止まってくれたりはしないのだから。

特にククリナイフは癖のあるナイフで、刃が内側へ『くの字』にカーブしている。基本的には(なた)のように対象を内向きの刃に押し当て、振り切るなり手前に引くなりすれば攻撃として成り立つ、比較的扱いやすい部類の武器なのだが、それはあくまで刃渡り20cm前後のものに関して言えることで、40cmを超えるとなると、()()()では(おの)のような要素も加わって全身を使った複雑な扱いが必要になる。

さらに内側に曲がった刃は、(とら)えた獲物を逃がさないという利点を持つが、逆に中途半端に肉や骨に食い込ませてしまうと引き抜き(にく)くなるという欠点にもなる。

だから、故郷(くに)牧羊(ぼくよう)をしていただけのリーザには荷が重すぎるような気がしていた。

 

でもそれは俺の『女』や『牧羊』に対する偏見でしかなかった。

もしくは、単にリーザが特別過ぎる『人』なのだ。それは能力の有無ではなく、『才能』……いいや、動物的『本能』がそうさせているのかもしれない。

 

手解(てほど)きをしたのはこの2日間で精々(せいぜい)、半日分しかない。それなのにリーザは、2kg弱の変型刀(へんけいとう)の重心をキチンと理解し、大振りをすることで上手く刃先に遠心力を乗せている。

常に周囲に気を配りかつ、視線は標的(ターゲット)を放さない。だから足運びに無駄がなく、自分に都合の良い間合いを保ち続けている。

ククリを振り回す彼女の姿は、まるで(おど)っているようにも見えた。

見惚(みと)れて何度か一撃をもらいそうになるくらいに、リーザの動きはプロ染みていた。

 

その一撃は10cm幅の木材なら簡単に叩き斬ることができたし、こちらからの不意を突いた攻撃にもまずまず的確な反応をみせた。

暗殺者のような、素早く間合いを詰めてくる相手では多少の危険もあるかもしれないが、それでも余程の使い手でもない限り、一対一でむざむざ捕まるようなことにはならないだろう。

 

銃の基礎知識、注意点、整備方法も教えてはみたが、教える側の俺自身がそれと相性が悪いせいか、ナイフほどの成長は期待できそうになかった。

それでも十分合格点なのだが。

「一応このナイフの『投げ方』も教えておくけど、投げなきゃならないくらいに追い詰められたら、それこそ逃げ回ってくれた方が俺は安心できるってのも憶えておいてくれな。」

「分かったわ。私だってエルクの邪魔にはなりたくないもの。」

返事こそ素直だったが、リーザの性格を考えると、逃げてくれるかどうかは五分五分のように思えた。

リーザのことだから、自分自身が戦うことを止めても、逃げずに機転を利かせて俺を支援(サポート)し続けるのではないかというような気がしていたのだ。

 

「それよりエルクはどう思う?」

「何が。」

「本当にシャンテさんは悪い人なのかな?」

「なんだよ今さら。リーザも『危ない』って言ってたじゃないか。」

「それはそうだけど……、何だか悪い人じゃないような気もするの。」

あんなに警告を発していたリーザが手の平を返してきたことに、若干(じゃっかん)の不安を覚えたが、リーザの言いたいことも分からないではなかった。

「……まぁ、()()()でもないだろうけどな。」

実際のところ、あの女が俺たちの直接の『敵』である可能性は6割程度だった。

組織(マフィア)から抜け出そうとする奴はそう珍しくはないし、マフィアにいた奴なんてのは大抵俺の嫌いなタイプの人間だった。

結局は、偶然俺たちとの因縁(いんねん)ができたというだけで、あの女自体は平々凡々(へいへいぼんぼん)とした(いち)マフィア関係者で片付けることができた。

それでも俺があの女を疑うのは、マフィア連中から逃げるリーザを(かくま)った数日後に、俺たちの前に現れた女が()()()()リーザに『声』を聞かせない『何か』を持っていたからだ。

 

今思い返してみれば、俺はすでにその『何か』の餌食(えじき)になっていてもオカシクなかった。

昨日の、俺の『殺気』が本物かどうかくらい、あの女にだって分かったはずだ。それなのにあの『余裕』。それは『何か』を背中に忍ばせ、()(うかが)っていたと考えても不思議じゃない。

リーザが止めてくれなかったら、()()()はほぼ間違いなくあの場でその『何か』の餌食になっていた。

あの女とまともにやり合うなら、まずその『何か』を知らなきゃならない。

 

「マフィアってのはリーザが思うよりもずっとヤバい連中なんだぜ?一時(いっとき)でも奴らの『世話』になっちまったら、人なんて簡単に変わっちまう。元がどんなにイイ奴だったとしてもな。」

俺は当たり前のことを、確認するように言った。だが、リーザの表情に折れる気配はない。リーザなりに何かしらの根拠があるのかもしれない。

「あんな素行(そこう)の人だし、エルクの言いたいことも分かるけれど私は、あの人を助けなきゃいけないような気がするの。」

本気(マジ)で言ってんのか?」と問い(ただ)しそうになったが、()()()()()()リーザが冗談を言う訳がないと思い止まる。

「でも、『声』は聞こえないんだろう?だったらそれは何だよ?『女の勘』ってやつか?」

「……。」

皮肉を言うつもりなんてなかった。でも、素人(リーザ)ばかりが『真相』に近づいているような気がして、つい苛立ってしまったのだ。

 

「じゃあもしもだ。もしも、あの女がイイ奴だったとして、リーザはあの女が頼んできたら仲間にでも入れるつもりなのか?」

「……違うの。私はあの人を助けたいの。」

話が噛み合わなかった。だが理由はすぐに分かった。

なぜなら俺は『賞金稼ぎ(プロ)』で、どうしても『リーザの安全(仕事)』を第一に考えてしまう。そういう(かせ)がない分、リーザはプライベートも仕事も関係なく同じ視線で見ていられるからだ。

村社会で育ったリーザは『自分の安全』よりも、『集団の安全』を重要視しているのかもしれない。時には自分の身を危険に(さら)しても。

 

しかし俺がそれを許す訳にはいかない。

 

何にしても、逃げ回っているはずのあの女が2日も3日も(おおやけ)で歌い続けていられる訳がない。

何かカラクリがある。『自由』と引き替えに俺たちを売る条件があったとしてもオカシクないし、そうでなかったとしても、あの女自体が『(エサ)』だということもありえる。

この国で『マフィア』を名乗る連中は大小関係なく全てが、根底(こんてい)で繋がっている。

つまり、この国にいる限り、『()()()』はマフィアの情報網の中にいるということなのだ。

 

 

「……(わり)いな。やっぱりどう考えても、今回ばっかりはリーザの意見に賛成できそうにない。」

「そう考えない方が得策」と言った方が良いのかもしれない。敵であれ、味方であれ、『アレ』は油断できない女だ。

「……そう。」

理解されないことが余程(くや)しいらしい。(うつむ)き、パンディットの毛皮をクシャクシャと掻き回していた。

 

俺は、戦闘になるならないに関係なく、交渉の場での注意事項と非常時の対処法を()()で伝えた。

指定した時間が昼日中(ひるひなか)とはいえ、その場所が『建物の中(箱物)』である限り、人の目なんていくらでも誤魔化(ごまか)せる。『箱の中に誘い込む』のは獲物を罠にかける基本中の基本だ。

だが、『利点』という点で都合が良いのはこちらも同じだ。箱物は対応次第で狙撃(スナイプ)の心配を軽減できるし、()()()()騒いでも当事者を特定されにくいからだ。

 

それでも、こちら側は人手も敵の情報も不足している。地元という地の利も、奴ら相手では『ある』とは言いきれない。

状況としては俺たちの方が圧倒的に不利だった。それでも奴らが俺たちの行動を軽視する気配は感じられない。

もしかすると、これもリーザの力を試すための奴らの『実験』なのかもしれない。

 

 

 

「やあ、待ってたよ。」

俺の細心の注意を嘲笑(あざわら)うように、女は殊更(ことさら)陽気な声で俺たちを迎えた。

グラスの中身は透明だが、グラスの内側や氷は無数の気泡(きほう)(まと)い、新鮮なライムが氷角(ひょうかく)の下を泳いでいる。

……どう見ても、女は酔っ払っていた。




作中で使用した『遠心力』という言葉ですが、実際にはそのような言葉はないようです。本来は『慣性力』と言うそうです。
ですが、分かりやすさと読みやすさを考慮して敢えて『遠心力』を使わせて頂きましたので、あしからず。

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