「そこにいたのはひと月くらいだったと思う。私はとても気味の悪い施設に入れられていたわ。施設の名前も場所も分からないけれど、そこには私と似た事情の人が集められていたわ。その中には私よりも小さな子どももたくさんいた。そして、その子たちのほとんどが自分たちの故郷を憶えてなかった。故郷だけじゃない。両親も、自分たちの名前も――。」
気づいた時には俺は床を蹴り、再び金髪の少女に飛び掛かろうとした。
この時、彼女の番犬が立ち塞がらなかったら、せっかく治した彼女の怪我を悪化させていたかもしれない。苦労して医者を手配したってのに。
俺はどうにも冷静じゃないらしい。いちいち全力で反応してしまう。
まるであの質の悪い『悪夢』が目の前にあるみたいだ。
「すまねえ。ずっと…、ずっと探ってた事なんだ。」
動悸が全然収まらねえ。グラグラと眩暈のする頭を支え、吐き出す息が喉を焼く。
反対に、彼女は冷静だ。真っ直ぐに、俺から視線を逸らさず、耳を傾けている。
だけど、それが何だってんだ。
それで、俺が心を許すとでも思ってんのか?
…どいつもこいつも俺をバカにしやがる。
「悪いけど、『悪夢』のことはあんま話したくねえんだ。」
言っていて自分が卑怯だと気づいた。
彼女には喋らせといて、自分は話さない。
この子は俺が勝手に引っ張ってきただけなんだ。俺が何かを強要していい立場なんかじゃない。
彼女の隠してる秘密は知りたいが、そのためにはまず俺がそれに見合った「見返り」を見せるのが筋だろう。
それがどれだけ俺自身の気分を逆撫でするようなことであっても。
そして、彼女はすでに秘密の一部を打ち明けてる。
彼女はやはり優秀だ。
猛獣が落ち着くのをジッと待ってる。
今まで黒服たちから受けた仕打ちを考えれば、殺気立つ人間に過敏になったってオカシクないのに。
番犬に襲わせようともせず、騒がず、逃げず、俺が動くのをジッと待ってる。
「……記憶がない、っていうよりも記憶が曖昧なんだ。たまに見る夢がそうなのかもって思うこともあるけど、確信が持てねえ。でも、その夢の一部が、アンタの話した内容に似てたから、つい…。」
彼女は何も尋ねない。俺が話したいように話させる。
「その…、スマネエ。」
そして俺がいよいよ言葉に詰ると、ユックリと切り出した。
「多分、私がいた施設と、アナタが夢で見たものとは少し違う気がするわ。」
「何でそう思う。」
「ごめんなさい。それは、なんとなく。」
……俺の勘違いだったのか?
彼女を見た瞬間、あの『悪夢』に決着をつける糸口を見つけられる予感がしたんだけど…。
どうやら友人の言うように俺はその場の勢いに任せ過ぎなのかもしれない。
間が空いて、俺も彼女も切り出せず、話はうやむやのまま終わってしまった。
「それで、アンタはこの後、どうするつもりなんだ?」
しばらくは一緒に行動するんだ。今すぐに根掘り葉掘り聞く必要もねえだろう。
そう思っていちいち話を蒸し返さず、直面してる問題への彼女の意見、意思を聞くことにした。
すると、彼女は俺に新たな一面を見せた。
「私は許さない。……絶対に。」
その愛らしい顔が、憎しみに染まった。
「殺し」を知らないくせに、顔だけは一人前の「呪術師」みたいな顔をしやがる。
「復讐か?」
「…捕まった人は助けたい。」
「汚いこと」をしたことのないヤツ特有の、甘っちょろい言葉だ。
どんなに言い換えたって、片足突っ込んじまえば「復讐」と何一つ変わらねえって知らねえんだ。
こういうヤツは自分で言ったこともすぐに忘れちまう。
自分の手に負えないレベルだって知った途端、自己防衛に走って言い訳をし始めるんだ。
でなきゃ―――、
「アナタに何がわかるって言うの!?」
「…え?」
「目の前で…、家族の名前を叫びながら連れていかれる子どもを見たことがあるの!?」
…なんだ?なんか、会話が飛んでねえか?
それとも、俺が無意識に考えてたことを口にでもしたか?
俺が訝しむ一方で、彼女は冷静さを欠いてる自分に気付いた様子でハッと手を口に当てていた。
「…あの晩、甲板で撃たれた男は?あれはお前の仲間じゃないのか?」
「…わからない。違うと思う。でも、」
……気のせいだよな?
腑に落ちねえ気持ちはさておき、俺がこの子を熱くさせてどうするんだよ。
彼女がどんな情報を持っているにせよ、俺はまず第一に彼女を連中から逃がすことを考えなきゃいけねえのに。
「あの人も、助けたかった。」
「…俺は生まれつき口が悪いからよ、その、言い方が悪かったら勘弁してほしいんだけどよ、」
それは、約束というか。仕事というか。
「あんまり欲張んなよ。俺もお前も守れるものを守って、逃げなきゃならねえものからは逃げるしかねえんだ。あの晩だって、そうだったろ?本当はもう金輪際、関わらねえ方がいいんだ。」
…いいや、「仕事」でいいんだ。
契約書も斡旋所も挟んでねえけど、これは俺が自分で見つけた仕事なんだ。
…「約束」なんて、寝不足の種になるようなものをこれ以上増やすのはゴメンだ。
「相手が何人いるか考えたことあるか?もしも本当に連中を潰したいなら、万単位の人間を抱える組織を味方につけるしか方法はねえぜ?リーザにそれができるのかよ?」
「じゃあ、どうしてエルクは助けてくれたの?」
……チクショウ。
その通りだ。
「それでも、手に負えなくても、アナタには助けたい人がいるんでしょ?誰かのために復讐したいんでしょ?だから賞金稼ぎもしてる。違うの?」
全くもってその通りだ。それに、どうしてだか詰まらねえことを言っちまった。
この子に戦う『力』があることを知ってるのに。
俺は、俺の我がままで単純に彼女を拒んでた。
この子は『彼女』じゃないのに。
この子だって、自分の手で『悪夢』に立ち向かってるだけじゃねえか。
…もしかしたら、助け合えるかもしれないのに。
どうにもこうにも、俺は初めからそう言って欲しかったのかもしれない。
この子を助けたのも、そんな風にどっちつかずで燻ってる自分をどうにかしてくれるなんて甘っちょろいことを考えてたから、なのか?
「それも、シュウが言ったのか?」
俺が何のために「賞金稼ぎ」をしてるのか。
俺だってまだ、彼女に多くを語っちゃいない。
俺はまだ、彼女をそういう相手として認めてない。
「うん。」
だけど、俺の命の恩人は彼女を認めたらしい。
彼は恐ろしく口が固い。
それに、彼は俺にとって育ての親でもあり、仕事のイロハを教えてくれた先生でもある。
その彼が彼女を認めたなら、俺も認めざる負えないのかもしれない。
「あとは、他に何か聞いたのかよ?」
「ううん、私が聞いたのはシュウがアナタを拾ってからのことだけ。夢の内容も、過去に何をしてきたのかも聞いてない。直接…、アナタの口から聞くべきだって。」
どうやらシュウはかなりこの子のことを信用しているみたいだ。
そもそも、悪夢のことを全部打ち明けたのはシュウだけだ。
シュウは理解者にこそなってはくれなかったが、誰よりも親身になってくれた。俺の言葉を全て信じ、悪夢から立ち直るまでの全ての面倒を看てくれた。
そしてこの5年間、それを他人に漏らしたことは一度だってなかった。
シュウはこの子に何を見たんだろうか。
今まで、彼の言うことに間違いなんかなかった。少なくとも、敵か味方かを見抜くことに関しては一度だって…。
「…おそらく俺はどこか辺境の少数民族の生き残りで、村はスメリア軍に襲われて全滅。どうしてだか俺だけが連れていかれ、アンタが言ったような施設に入れられた。そして俺はそこで出会った女の子を一人連れて逃げ出した。だけど、逃げのびたのは俺一人…、そういうことなんだ。」
話してしまった。
緊張して、色々省いたってのにそれでも動悸が花火みたいに俺の心臓をやたらめったら殴りやがる。
「これが今まで調べて辛うじて繋がった俺の過去だ。」
リーザは番犬を押さえ、俺の前に進み出ると、袖で俺の額を拭った。
「結局は夢をあてにして繋げたもんだから事実かどうかもわかんねえ。ただ、俺も、できることなら施設の皆は助けてえ。」
俺は嘘を吐いた。
本当は施設の人間で憶えてる奴なんて一人もいないのに。
「それなのに、いや、だからこそ、今でも夢を見るんだ。『思い出せ』って。肝心なことは何も教えちゃくれねえくせに。」
俺は彼女の手を払い、調理台の前に戻った。
「きっと、思い出せる。」
「胸糞悪い思い出なんか願い下げだけどな。」
「知らないでいるよりは、ずっとマシでしょ?」
言い方は違うが、シュウみたいなことを言う。
俺が悪夢に悩まされて嫌気が差した時、「明かりを点すことで、悪夢は悪夢でなくなるかもしれん。」そう言って彼は俺の松葉杖になってくれたんだ。
「…さあ、飯にしよう。」