聖櫃に抱かれた子どもたち   作:佐伯寿和2

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捕食者たちの私室 紅 その一

「歌姫は無事、実験体と接触しました。」

その部屋には、『赤』を基調(きちょう)とした『権威』を示す色が――主人の性格を反映(はんえい)するように――、無遠慮(ぶえんりょ)なまでに使われていた。

「そうか。」

革張りの椅子に深く腰掛けた男は、山積みになった書類に目を通しながら、聞き流すように聞いていた。

「式典も抜かりはないな?」

「進行、警備ともに問題ありません。」

服装、頭髪、一通りの身嗜(みだしな)みは整っており、口調には気位(きぐらい)の高さが伺えた。要領(ようりょう)の良い動きや、(わず)かに(ふく)らんだ体格にさえ統率者の威厳を感じさせる。

ワインレッドのスーツに身を包んだ中年の男は、息をするように人の上に立つことができる人物だった。

「……フン、問題なし、か。」

「何か不備でも?」

秘書は手元の資料に目を落とし、頭の中で関連する全てのシミュレーションを行った。

しかし、秘書の問いに主人は答えない。

 

秘書の疑問の視線が()べられても(あか)い主人は見向きもしない。デスク上の片隅に置かれた赤ワインに手を伸ばし、含む程度に口の中へ流し込むとまた、紙上(しじょう)の情報体へと目を走らせる。

「例のハイジャック以降、アンデルからの勧告(かんこく)はないんだな?」

「はい。施設内を視察(しさつ)されるばかりで、こちらへは何も。」

主人はグラスを置き、引き出しから年季の入ったシガーケースを取り出す。

「フン、ここは自分の管轄(かんかつ)ではないと、言いたげだな。」

「こちらのを手際(てぎわ)を見ておられるのではないかと。」

「くだらん。今さらワシの力量を計って何になる。ワシの計画はほぼ完遂(かんすい)しているではないか。」

「ですから手透(てす)きになった()()()『アーク討伐』、おそらくは一任されるのではないかと思われます。」

耳に届いた、ただならぬ情報に主人の目はようやく文字を追うことを止めた。『ギロリ』と持ち上げられた眼光は暗く重たい熱を(はら)み、(から)め取った秘書の視線を焼きに掛かる。

 

彼は数々の実績を持ってそこに座っていた。武力もさることながら、知略謀略にも()けていた。(ゆえ)の『プロディアス市長』の座なのだ。

いくら一国の大臣とはいえ、彼にとって、()()()()()()()は『下知(げち)』にも似た『屈辱』を覚えさせるのだった。

 

「自分のケツも拭けんような男に品定めされる訳か。」

葉巻の首を落とし、火を点け、()()()()煙を流し込むと男は、()き込むように、不敵に笑った。

「……いいだろう。確かその小僧、ヤグンも出し抜いたんだったな。」

ジワジワと、ドライアイスのように男の口から(こぼ)れ出る煙が、男の一帯を(またた)く間に支配する。

「無能な他国の尻拭(しりぬぐ)いは、周辺国への良い()()()()になる。見出しは、そうだな……、」

男は揺蕩(たゆた)う煙に任せて思索(しさく)の枝を広げる。

「『故スメリア王の意志を受け()ぐは東アルディアの市長か?』……中々愉快な記事になりそうじゃないか。」

 

「こちらから先手を打ちますか?」

「必要ない。奴らのことだ。明日(あす)にでも顔を合わせることになる。」

秘書はすでに得ている情報で考察(こうさつ)し、難色(なんしょく)を示した。

「一味は先日、バルバラードで目撃されたばかりですが、そのように立て続けに行動を起こすものでしょうか?」

秘書は主人の目の色を伺っていた。秘書として何をすべきか、先回りすべき内容の有無(うむ)詮索(せんさく)していた。

「奴らは目敏(めざと)い。それに、あの自称『大賢者』がいるのだ。血気盛んな勇者どもを()()()()、この明らさまな『オープニングセレモニー(女神の晴れ舞台)』を潰しにやって来るだろうよ。」

「……女神像は『例の聖母(モルモット)の捕獲用』であると伺っておりましたが。」

「それも問題ない。また別のエサを用意する。」

(あか)い男はまた、グラスの中の『赤』を(すす)ると、書類に目を戻した。

「たかが大臣の手土産(女神像)()()。調子づいた勇者どもにくれてやればいい。その代償(だいしょう)が『ネズミ』と『連中』のデータなら安いものだ。アルディア(ここ)で暴れてくれたなら()()()()()逮捕の口実(こうじつ)にもなる。それにな―――、」

男は目で手元の紙片の一語一句を追いながら、口許(くちもと)では陰湿な笑みを浮かべていた。

「スメリアの大使ごときに()()()()()()式典なんぞ、(はな)からワシの予定にないわ。」

秘書は、主人の表情から彼の台本(シナリオ)が固まりつつあることを(さと)った。

 

(かしこ)まりました。では、計画に変更があれば伺います。」

男は煙を肺にたっぷりと溜め込み、一連の『台本(シナリオ)』をじっくりと製図しにかかる。そして必要なことだけを秘書に伝え始める。

アーク(奴ら)が姿を現し次第、市民の避難経路の確保を優先させろ。一人の死傷者も出すな。実験体の捕獲、尾行の段取り、後始末はお前に任せる。最重要事項は『情報収集(データ)』だ。いいな?」

「畏まりました。警戒態勢はレベル3でよろしいですか?」

「構わん。」

東アルディア、正式名『アルディコ連邦』での軍事警戒態勢のレベル3は、高度な防衛準備状態を指す。本土におけるテロ行為に対し、(すみ)やかに対処できる程度の戦闘配備、情報戦のこと。

その国家レベルの命令を、いち()()が下した事実は、現プロディアス市長を除いて過去に事例がない。

「結局は逃げられるのだ。攻撃は『威嚇(いかく)』程度で構わん。」

 

国際テロ集団『アーク一味(いちみ)』。主犯である『アーク・エダ・リコルヌ』を含む構成員は、8名のみの少数であるにも(かか)わらず、総合的戦力は一国家(いちこっか)戦力にも匹敵(ひってき)すると(もく)されている。

白兵戦(はくへいせん)では一個中隊を軽く蹴散(けち)らす猛者(もさ)(ぞろ)い。

スメリア国から奪取(だっしゅ)した大型飛行船『シルバーノア』は、世界で製造されている飛行船の中でも上位に位置する機動力を持ち、独自の改造によって、客船でありながら戦艦としての機能も十分に果たす。また、魔法の支援(しえん)もあって、軍関係者の間では『移動要塞(ようさい)』とも呼ばれている。

さらに、構成員は全員が特殊な技能や経歴を(あわ)せ持っているため、過去、ただの一度も彼らの犯行を防ぐことができた国はない。

彼らの犯行(アプローチ)は、どのような状況であろうとも対応可能な変幻自在な性質を持っているのだ。

そして、彼らの『力』の中でも特に各国が頭を悩ませているのは、一味が(かか)える『魔導士』の使用する『魔法』である。

転移(てんい)不可視(ふかし)変化(へんげ)、多種多様な『魔法』を使い(こな)す。さらに、嘘か真かその『魔導士』は、かつて『悪』に(おか)された世界を『善』へと導いたという七勇者の一人でもある『()魔導士』、『()賢者』なのだという。その常人離れした知識が彼の魔法に、現代で使用されている魔法よりも複雑で強力な補正を掛けている。

そのため、彼らの魔法を妨害することはほぼ不可能とさえ言われている。

 

これらの『力』を持ってして、彼らは約一年間、世界中でその『活動』を続けているが、いまだに彼らへの痛手らしい痛手は与えられていない。

そんな彼らの最大の犯行であり、狼煙(のろし)となった罪状は『スメリア国、国王の暗殺』。『精霊の国』とも呼ばれた東方の島国は、その名の通り神にでも守られているかのような不思議な力で大国からの侵略を退(しりぞ)けてきた。その国の王の首をとった男は歴史の上においてアーク・エダ・リコルヌたった一人。

まさに前代未聞(ぜんだいみもん)の『テロリスト集団』。それが『アーク一味』である。

 

「今はまだ泳がせておいても構わん。本格的に始末するのは実験体が届いてからでも遅くはない。」

「承知致しました。」

これまで彼らに好き勝手を許してしまったのは、全てが後手に回っているからであると(あか)い男は考えていた。

だが、彼らの『火力』が(あなど)(がた)いのも事実。半端な攻撃では手痛いシッペ返しを受ける危険性がある。

しかし、いかに優秀な兵士連中といえど、勝ちが(かさ)めば必ずどこかで『(おご)り』が顔を覗かせる。『若い指導者』であればなおのこと。

その瞬間に、『傲り』ごと『内臓』を引き()り出してしまえば良い。身動きできなくなればあとは(たの)しく遊べば良い。

男はたった一度の勝利のために、二度や三度の苦渋(くじゅう)の敗北を(きっ)することには()()()()()

「アンデル様に何かお伝えすることはございますか?」

「ない。奴はあくまで『客』だ。舞台上のことは『役者』だけが知っていればいい。そうでないと、『客』の自然な表情が(おが)めんだろう?」

秘書は黙って男の所作を()()()()()()。その視線に気づいた男は(けむ)たそうに手を振る。

「分かっている。奴の計画は『王の復権』の(かなめ)だ。遂行の段取りは組んでおく。だがその前に、ワシが手懸(てが)けたショーを見せつけてからでも良いだろう。」

 

主人の側近(そっきん)は心得ていた。どうして『組織』の重要な作戦の一つを棒に振ってまで、男が『彼ら』の相手をしようとするのか。

「メスを()()()()()瞬間に見せるあの(みにく)()()()顔を見てこそ、支配の実感を覚えはせんか?」

各主要国に『研究所』の支部を置くと決まった時、主人の瞳は、百獣の王の肉をも貪欲(どんよく)に喰らう鬣犬(ハイエナ)のごとく、赤黒く狂人化していた。

彼は、()(るい)を見ない主人の『猟奇性(りょうきせい)』を心得ていた。

ギャンブル(駆け引き)を好み、苦悩の末に勝ち得た『殺人』に、この上ない(よろこ)びを覚える人種なのだ。

 

『狂人』と紙一重の性質を持ち併せながら、組織の上役(うわやく)(にな)っていられるのは、彼に『市長』としての堅実な二面性が備わっているからだ。

その両立は限りなく安定しており、彼が着手する作戦、その(ことごと)くが陰惨(いんさん)冷酷無比(れいこくむひ)を尽くし、『未遂』という言葉を寄せ付けない完遂度を誇っていた。

「それくらいの贅沢(ぜいたく)をさせてもらわんと、今後の張り合いにもならんわ。」

要するに、彼はその獰猛(どうもう)な『性格』を持て余していた。

 

 

 

「別件です。研究所より逃げ出したヴィルマー博士ですが、ヤゴス島で発見されたとの報告が入っております。」

所詮(しょせん)、『人間』という生き物の精神は『彼ら』と比べると軟弱なもののようだった。

()()()()において、研究者が実験体(モルモット)に感情移入してしまえば作業が(とどこお)ると分かっていながら、『人間』は容易(たやす)く『それ』に魅入(みい)られてしまう。

ヴィルマー・ヴィルト・コルトフスキーはそうした脱落者の一人である。

「ヤゴス島だと?……あの()()れはまた、小癪(こしゃく)な真似をする。」

(あか)い男は口許に(つば)(たたた)えた笑みを浮かべ、新しい『狂気』に身を(ゆだ)ね始めていた。

「あと数日、様子を見ろ。その間に博士がヂークベックに接触したなら、無理矢理にでもここへ()()ってこい。それ以外の場合は消してしまって構わん。」

「ヂークベックは、回収しますか?」

「……お前たちにそれができるのならな。」

(あるじ)のささやかな挑発に対し、秘書は涼しい顔で答える。

()()()()()()()()お持ちしましょう。」

しかし、仮面(ポーカーフェイス)の裏側では主と同じ、黒い笑みを浮かべていた。


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