聖櫃に抱かれた子どもたち   作:佐伯寿和2

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女神の奴隷たち その五

「じゃあ、シャンテ。俺たちは上で寝てるから、飲み終わったら自由に上がってくれ。」

一仕事終えた歌姫は小さな吊り下げ式の照明(ペンダントライト)を一つ点け、一人()()()()()()(のど)を焼いていた。

 

「小さい頃はさ、こんな『飲めない水』のために働かされてた自分がバカみたいだったよ。『コレ』買う金でもっとタラフク食べさせてくれりゃ、もっと働けるってのに。アイツらときたらさ……」

歌姫は独りになった店内で、誰にともなく語り始めた。

「今思えばね、アイツらを殺しときゃもっと楽に生きていけたかもしれないとは思うんだよ。でも、アタシたちは『こんなもん』を飲んでる奴らよりもバカだったからさ。」

グラスを傾けると流れ込んでくる極上の葡萄酒(ぶどうしゅ)は、ほんの少し、歌姫の(ほお)(あか)色に()めた。

「それに、恐いもんはどうしたって恐いんだ。『反抗する』って、頭では思ってても体が震えてナイフの一本も持てやしない。」

飲み干したグラスには、口紅(くちべに)と葡萄酒の(あと)が付き、混ざりあったそれはまるで、人の血にも映る。

口許(くちもと)(ぬぐ)った指先のそれを、()()()が見たなら、抑えられない『殺意』を感じ取ったかもしれない。

「なあ、教えてくれないかい?アンタだったら、そんな子どもをどうする?」

今夜は(くも)っていて月明かりもない。歌姫は真っ暗な店の一ヵ所を見つめ、問い掛けていた。

当然、答えは返ってこない。

 

「無口なんだね。嫌いじゃないよ。……アタシがお喋りってのもあるけどね。」

歌姫は腰を上げ、バーカウンターに入り、丸みのあるグラスを二つ手に取った。

「アンタも一杯やらないかい?アタシのお気に入りがあるんだよ。」

簡易(かんい)のワインセラーから取り出したのはやはり赤ワイン。

「なに、そのシケた(つら)(ほぐ)してやろうと思っただけさ。」

影は()()()()()()()()。ただ、ひたすらに『確かな証拠(キーワード)』を()()()()()

(かたく)なな態度に根負けした歌姫は、片方のグラスをカウンターに戻し、溜め息混じりに応える。

「なるほど、仕事熱心だ。少し(きょう)も冷めちまったし、イイよ。アンタの用件を聞いてやるさ。」

それでも影は動かない。

「……さしずめ、アタシの『後ろ楯(バック)』が気になってるクチかい?」

すると、()()()()歌姫のテーブルへ、一枚の硬貨が投げて寄越(よこ)された。

そして勿論(もちろん)、女はその『意味』を知っていた。

「随分と度胸のあることをするじゃないか。でもね、アタシはもう(すで)に奴らとは縁を切ってんだ。今じゃ追われる身さ。だから、こんなことをしても意味ないと思うけどね。」

すると、彼女のテーブルにもう一枚の硬貨が投げ込まれた。

(うたぐ)り深いのは仕事のせいかい?でもね、女の『ウソ』と『涙』に信憑性(しんぴょうせい)なんか求めても大損(おおぞん)するだけだよ。」

女は二枚のコインを指先で(はじ)きながら笑うように答えた。

「そんな時は賭けるしかないね。表か裏か。それを見極めるのも『仕事』の内だ。」

 

「もう十分だ」とでも言いたげに影は(きびす)を返し、立ち去ろうとしていた。

すると、それを待ちかねていたとでも言うように、今度は女の方から仕掛け始めた。

「アンタさ、インディゴスでもアタシのステージを見に来てたよね。」

影はピタリと足を止め、聞き耳を立てる。

「どうだった、今夜のアタシは。少しはアタシの『何か』を感じ取れたかい?」

女はワイングラスを手の平でクルリ、クルリと回し、一口含むと、少しずつ、少しずつ濾過(ろか)するように喉の奥へと(したた)らせる。

「不思議なんだろ?どうしてアタシみたいな汚れきった女が『あんな歌』を歌えるのか。」

女は紅潮(こうちょう)しつつも、その瞳はギラギラと獲物を狙う『狂気』を(はら)んでいた。

「教えてやろうかい?アタシみたいなクソッタレがそれでも『歌える』理由を。」

影は仕事に忠実な()だった。だが、彼にもまた、仕事よりも大事なものがあったのだ。

「そう、アンタはそんな風に分かり(やす)表情(かお)をする男だったよ。」

暗闇から明かりの(もと)へ、女の正体を見極めるために、『影』は境界線の向こう側へと足を踏み入れた。

 

女は現れた黒装束(くろしょうぞく)の男の出立(いでたち)に感想を述べるでもなく、椅子と酒を(すす)めたが、『影』である彼はそれらに応えなかった。

「まぁ、イイさ」と女は空いた自分のグラスに、()()と赤を流し込んだ。

「アタシにはね、弟がいるのさ。」

女は自慢でもするように黒装束の目を見ながら切り出す。

「アタシ以上にどうしようもないマヌケでね。アタシがいなきゃとっくにおっ()んじまってるようなガキのくせに……、妙に可愛(かわい)いんだ。」

指先で赤の水面(みなも)を突つく女はまた、頬を赤く染めていた。

「あぁ、これが『愛』なんだなって思った時には自然とあの『声』で歌えてたよ。……歌で初めて()められた時、やっぱり必要なんだって実感できたね。こんなアタシでも、それがなきゃ()()()()()()()()()()。」

 

沈黙。

 

『思い返す』作業は、女を全くの無防備にした。それは、命を奪いに来た敵を前にしても(ゆず)れない、今の彼女にとって唯一幸せを感じさせる時間だった。

 

「……それで、全部か?」

「あぁ……、全部だよ。あんまり長々と喋ったって、アンタがウンザリするだけだろ?」

二人は見つめ合った。

酔い()れる歌姫の瞳と、疑い続ける黒装束の瞳はお互いの生き方に自信があった。

そのために、黒装束は女の生き方を拒絶し、歌姫は男の生き方を馬鹿にした。

言葉を()わしても、心が通っても、『運命』に定められた二人の生き方が()じ曲げられることはなかった。

 

 

「アタシからも一つ聞いておきたいことがあるんだ。」

黒装束は一言もなく女を見下ろした。

「アンタは結局アタシをどうしたかったんだい?」

「これ以上、エルクに関わるな。」

黒装束に迷いはなかった。

反対に女は目を泳がせ、考え込んだ。黒装束の言う名前が誰だったか記憶を(さぐ)っていた。

そして、答えに辿(たど)り着いた女は若干(じゃっかん)の驚きを見せた。

「……なるほど、あの坊やの関係者だったんだ。アンタが()()()人間だったから結び付かなかったよ。」

黒装束は得意の沈黙と眼力で女を萎縮(いしゅく)させにかかったが、彼の読み通り、この女に効果は期待できなかった。

 

黒装束の残虐性(ざんぎゃくせい)()びた眼光に(さら)されながらも、女には葡萄酒の心地好い舌触りを楽しむ余裕があった。

「それで、なんだい。それは忠告なのかい?」

黒装束は『影』の本分を思い出したかのように『沈黙』の(やいば)を構えた。

「……なんでアタシの所に来るのさ。直接坊やに教えてやった方が手っ取り早いじゃないか。」

『影』は応えない。しかし、『沈黙』の刀身に(わず)かな(かげ)が落ちた。それは、本当に僅かな変化だった。

それでも、女はそれを見逃さなかった。

「クックッククク。」

女はグラスをテーブルに置き、口許を押さえて笑った。だが、それは失笑では抑えられず、瞬く間に高笑いへと豹変(ひょうへん)した。

 

黒装束は出口を目指した。「そもそも、『影』としての用を終えて(とど)まっていた『男』の判断が(あやま)りだったのだ」黒装束は犯した失態(しったい)(りっ)し、さらなる『影』を呼び込んだ。

 

女は、誰よりも強いはずの『狼』の、(あわ)れな背中を小突(こづ)く快感を覚えた。

「何に(おび)えているんだか知らないけれどね、アンタたち、賞金稼ぎなんだろ?金に見合うリスクも背負えないで一人前のつもりなのかい?……本当に笑わせてくれるよ。」

女の()()()耳には、答えのないことが『答え』のように聞こえて、(たま)らなく可笑(おか)しく思えてきた。

「それに、今、アタシの情報がなくて困るのはエルクだろ?どうしてアンタに止める権利があるっていうんだい?」

女は、自分の歌声の骨までをしゃぶり尽くすに十分な耳を持っていた。その耳が、声なき(ささや)きを拾った。

『噛みついてくるわよ。』

反射的に、歌姫はカウンターの椅子を()り倒し、地面を転がってテーブルの(かげ)に隠れた。

それは、一枚のティッシュを()く程度の音しかしなかった。けれども、カウンターには(まぎ)れもない弾痕(だんこん)穿(うが)たれ、黒装束からは(かす)かな硝煙(しょうえん)の臭いが(ただよ)っていた。

 

間隙(かんげき)、『影』の皮を脱ぎ捨てた黒装束に、『躊躇(ちゅうちょ)』の言葉はなかった。

そして、その決断に誤りがなかったことを確信する。

「忠告はした。それ以上に、お前に用はない。」

指の一本、落とすつもりだった。だが、女の動きは黒装束の『経験』を上回っていた。そしてその『動き』は、黒装束の『それ』に似通(にかよ)っていた。

感情に束縛されず、なおかつ機械よりも的確に本能に従った『動き』は、限りなく捕食者の『牙』を(にぶ)らせる。

二人の生き方は違えど、その『才覚(さいかく)』に魅入(みい)られた狼であることに間違いはなかった。

そして、狼は()()なくして『行動』することはない。

 

黒装束にとって、女は決して手強(てごわ)い相手ではなかった。だが、『コレ』をここで殺せば、さらなる強敵がエルクたちに差し向けられるのは必然。

むしろ、『コレ』はエルクたちを殺さない。『刺客(しかく)』ではなく、『首輪』として動いている。

女の忠告通りに見極めた黒装束は静かに、女に背を向けた。

しかし女は、さらに獣を刺激するような言葉を投げ込む。まるで自分を殺すように『仕向ける』がごとく。

「じゃあ、育児(いくじ)の苦手な殺し屋にアタシからもう一つ、忠告(アドバイス)しておいてあげるよ。」

 

「アンタのそれは手助けでも何でもない。ただの過保護(おせっかい)ってやつなんだよ。」

女は立ち上がり、弾丸を(まぬが)れた飲みかけのグラスを手に取った。

「子どもなんて『生き物』は、どうしたってアタシらの知らない内にデカくなってるもんなんだよ。アンタの望もうと、望むまいとね。」

女は失笑しつつ、残りの酒を一気に(あお)った。そして既に、そこに『影』の姿は何処(どこ)にもなかった。

 

女は消えた『影』にグラスを(かか)げ、高笑いとともに『赤』のボトルを空にした。


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