聖櫃に抱かれた子どもたち   作:佐伯寿和2

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女神の奴隷たち その四

俺たちがプロディアスに入って2日目、町中を(あや)しまれない程度に歩き回ってみたものの、敵も現れなければ(たず)ね人も現れない。

いつもなら、俺が()ぎ回ってると(うわさ)が立てば自分から姿を現してくれるのに。……ああ、今は()()()()()()()んだが。

それにしても見事にかち合わない。まるで()けられているような感じさえする。

「ちぇ、これが一番簡単なミッションだと思ったのにな。」

「ねえ、本当にシュウさんはまだこの町にいるの?」

「……多分な。」

 

昨夜、躊躇(ためら)いながらもリーザは約束通り、怪我(けが)の確認をさせてくれた。そして俺はまた、()りずに驚いてしまった。

傷痕(きずあと)が、ねえ。」

闇医者(ラド)が「完治に一月はかかる」と言っていた傷がキレイさっぱりなくなっている。傷痕どころか縫合(ほうごう)(あと)すら見当たらない。まるで空港での俺の記憶が嘘のように。

「エルク……、痛い。」

気づけば俺は、手品(マジック)のタネを(あば)くようにリーザの肩を乱暴に(あつか)っていた。

「ああ、(わり)い。でも……リーザ、これ、どうなってんだ?撃たれたってのは俺の勘違いか?」

リーザは顔を()せ、(くちびる)を固く(むす)んでいた。

それは俺たちの間に長い、長い沈黙を呼び込んだ。

 

「あ……、え……の」

ようやく口を開いたかと思えば、今度は告白の言葉が出てこない。

その間に落ち着きを取り戻した俺は、彼女の(ほお)(つか)んで顔を上げさせた。

 

リーザの目は、潤んでいた。

「リーザ。リーザは心を読めるかもしれないが、俺は目を見なきゃ、リーザが何を考えてるのか分からない。だから俺の目を見ながら答えてくれ。」

出会った当初(とうしょ)は、もっと気丈(きじょう)な子だと思っていた。でも本当は、恐いんだ。

まだ彼女は全てを俺に()かしていない。『それ』を俺に言った時、俺が彼女をどう『感じる』か不安で(たま)らないんだ。

それは俺がまだ彼女の『何もかも』を受け入れていないように、彼女もまた俺の中の『化け物』を信じきれていないんだ。

でも、俺は『この子』を(まも)る。

「リーザ、俺はお前を護る。確かに、俺はまだ恐いと思ってる。」

それがたとえ俺の中の『化け物』を(そそのか)し、『彼女』に牙を()いたとしても―――、

「でも、俺は、その……、お前が好きだから。」

「……本当?」

「ああ、だから言いたくないことは言わなくていい。俺もそうするから。」

「……うん。」

俺は彼女を優しく抱き()め、好きなだけ泣かせた。

「でもよ、本当に体調が悪くなったら言ってくれよな。一人で痛い思いすんのはなしだからな。」

彼女は高鳴る俺の胸に(こす)り付けるように(うなず)いた。

 

「…………」

俺はこれまでに2回、リーザを泣かせた。そして、生涯(しょうがい)で女を泣かせたのも2回目きりだった。

「ねえ、」

町を出歩く時、リーザはミーナのところで化粧(けしょう)をする。清楚(せいそ)で、(りん)とした『リザベラ』は、不安で一杯の『リーザ』でいる時よりも多くの『楽しさ』に包まれているような(きら)めきがあった。

「息抜き、しても大丈夫かな?」

今日も今日とて、すでに5時間は歩いていた。そろそろ引き上げないと不自然か。

「……そうだな。今日はどこかで(うま)い飯でも食って帰るか。」

奴らよりも先に尻尾を出したら元も子もない。だからといって遅れをとる訳にもいかない。明後日が『本番』とするなら明日の昼から、少し強引に動いてみなきゃならない。

「ん?どうした。」

リーザはまだまだ(にぎ)わう青空市場(マーケット)(うれ)いの目で見ていた。

「……もう少し、エルクとこうして歩いていたかった。」

それは俺だって同じ想いだ。

変装のために買い物や芝居(しばい)見物もしたが、時折、本当に二人でただ休日を楽しんでいるだけなんじゃないかと思ってしまうくらいに楽しかった。

「全部片付いたらまた、一緒に歩こう。」

 

彼女と出会えて良かった。言葉の変わりに返ってきた『それ』が俺にそう思わせてくれる。『それ』だけは、どんなに姿が変わっても彼女が『リーザ』だと俺に教えてくれた。

必ずリーザを護り切ってみせる。彼女の『笑顔』になら俺は何度だってそう叫べた。

 

 

 

「あら、心中(しんじゅう)、しなかったのね。」

()()に気づいたのはほぼ同時だった。そして(なさ)けなくも俺は、先制(せんせい)のチャンスを与えてしまった。

俺は失態(しったい)を取り戻すように、女の胸ぐらを(つか)んだ。その光景を目にした客の何人かが悲鳴を上げたが、俺は構わず女を(つる)し上げた。

『この女は邪魔だ』

『化け物』の(うな)り声が、俺の心臓を激しく(なぐ)る。この(たかぶ)りに身を任せてしまっていたら間違いなく、次の瞬間に俺はここでコイツを殺している。

「落ち着きなさいよ。()めてるのよ。ここまで無事に彼女を連れてきたことに。」

青髪の女は、俺の『暴力』に対して素直な降参の姿勢(ポーズ)を示したが、その余裕のある態度は少しも(かげ)る様子がない。

この、込み上げる『殺意』は本物だ。目も血走っているに違いない。その気になれば女一人、(まばた)く間も与えずに消し炭に変えられる。

それだけの『殺気』を当てられていてもこの女は、「自分は死なない」と(たか)(くく)っている。胸糞悪(むなくそわる)い野郎だ。

「エルク、落ち着いて。」

こんな時、『それ』がなんであれ、『化け物』の手綱(たづな)を取ってくれる彼女の存在はありがたかった。

俺は乱暴に放したつもりだったが、女はそれを嘲笑(あざわら)うかのように器用にバランスをとり、(あざ)やかに着地した。

こういう扱いに()()()()()()()動きだった。

「いきなり女に殴りかかろうなんてどうかしてるわよ。よく今まで事件を起こさずに生きてこれたものね。」

ここは食堂(けん)酒場。おそらく、この女は夜中にここで歌姫(仕事)をしているんだろう。

俺は辺りに『連れ』がいないか目を走らせた。

「言っただろう。アタシに仲間はいないって。」

この女の言葉は何一つ信用ならない。目を配ったリーザの表情も『分からない』と言っていた。

「テメエ、何で逃げねえ。」

すると青い稲妻(いなづま)の女は、魔女のような不敵(ふてき)な笑みを浮かべ、高笑いにも聞こえる声で答えた。

小僧(こぞう)相手にビビる程浅い人生送ってないんだよ。それよりどうだい。またアタシの話を聞いてかないかい?今回は後払いでも構わないよ。」

「フザケてんのか?殺すぞ。」

魔女は『堪らず』といった様子で失笑した。

「どうしたんだい。まるで『怪物』にでも変身しちまったようだよ。そんなにアタシの『お勉強』が気に入らなかったのかい?」

奥歯が、割れるような音を鳴らした。

「エルク、今日はもう帰ろう。」

俺の(すそ)を引く彼女の不安げな顔の向こうから、見守っていた数人の店員が行動に移そうとデッキブラシを片手に近づいてきた。

「まったく、アンタが悪いんだよ。」

魔女はあっさりと俺に背を向け、近づいてきた店員に弁解(べんかい)していた。

 

一先(ひとま)ず帰りな。そして明日の正午、ここにおいで。」

差し出してきた紙には、とある酒場の住所が書かれてあった。馬鹿にしてやがる。

「テメエに合わせる義理なんかあると思うか?」

せめて一発ブチかます。そう思っていた。その最高のタイミングを見計らっていた。

「おいおい、何のための『変装』なのさ。ここで何かしたらアンタの計画がパアになるんじゃないのかい?」

このタイミングで告げられた女のその言葉は、完全に俺の意表を突いた。怒りが先行(せんこう)していた俺は、それに気付くことができなかった。

 

結局はリーザに引っ張られる形でその場を後にした。

「クソッ!せめて顔にブチ込んで歌えなくしてやりたかったのに。」

「エルク、恐いから止めて。」

「……悪かったよ。」

それにしてもあの女、()()()()『俺たち』だと気づいたってのか?ギルドの連中だっていくらか言葉を()わした上で見破ったってのに。

町で()れ違ってはいない。監視(かんし)はされていたが、明らかにマフィア(連中)の視線だった。それは経験上、間違えようがない。だのに――――、

 

それは女が俺たちの『この顔』を()()()()知っていた理由になるのか?女が今もまだマフィア(連中)(つな)がっていて、俺たちを罠へと誘導しているという証拠(しょうこ)になるのか?

……それとも、ただの偶然か。

連中から接触してくることは予測していたが、(こと)この女に関しては特に用心が必要に思えた。

「エルク……、」

彼女はスッカリ『不安で一杯』のリーザに戻っていた。

「あの人に、会うつもりなの?」

「そのつもりはなかったんだがな。そうしなきゃならない『用事』ができちまったみたいだ。」

リーザのハの字に下がった(まゆ)が彼女の不安を十分に物語っていた。

「あの人、やっぱり危ないと思うの。」

「そりゃどういう意味だ?俺がケンカで負けるってことか?」

 

「……もしかしたら、そうかもしれない。」

バカバカしいと思えた。この5年の間で、町を騒然(そうぜん)とさせた手配犯も、同僚(どうりょう)10人掛かりでも(かな)わない化け物(モンスター)も、俺は()()で倒してきた。

天狗(てんぐ)になっているのかもしれない。それでも、槍や棍棒(ながもの)もろくに扱えなさそうな()()()に俺が負けるなんて考えられなかった。

……でも、リーザの忠告は一般人のそれとは違う。

俺は一度、深呼吸をして頭を働かせるように努めた。

そうだ。何も腕っぷしだけが『力』じゃない。あの女にしかない特殊な『能力』があったとしたら――――。

 

俺の性格上、経験したことのない(から)()に対応するのが(ひど)くヘタだというのは、確かにある。

それでも、俺が()()ごときにやられる()がどうしても()かなかった。

「どうしてだか、分かるか?」

リーザは弱々しく首を振った。

「ごめん。やっぱり見えないの。」

それもまた、不安要素の一つだった。なぜあの女はリーザの能力から(のが)れられているのか。

一番分かりやすいのは薬か何かを投与(とうよ)した場合(ケース)だ。そんな物があるとしたらそれは、まず一般で扱われることのない代物(しろもの)だ。マフィアと繋がっている可能性も()ね上がる。

はたまた、魔法か何かで(つく)られた『人形』なのかもしれない。これもまた、『研究所』という線を()くする。

「多分、それはないと思う。」

リーザは『人形』の選択肢(せんたくし)を否定した。

 

「『人の声』は聞こえるの。ただ、何を言ってるのか分からないだけ。」

リーザいわく、聞こえてくる『声』は遺伝子のように個々ハッキリとした違いが『色』や『触感』等の()()()()()として現れるらしい。人間には人間の声。人形には人形の声。犬には犬の声。

(くや)しいが間違いなく、あの女は『人間』ってことだ。

「それに、本当にボンヤリとだけど、あの人の心が見えたの。」

『俺よりも強い』らしい女の心。それへの関心は複雑だった。

()()を知って、何としてもあの女を退(しりぞ)けなければならないという責任感と、辛酸(しんさん)()めさせられた怨敵(おんてき)()()(にぎ)り、(はずか)しめたいという悪辣(あくらつ)な気持ちが()()ぜになって、()()()()正解なのか分からなくなってしまった。

するとリーザは、昨夜俺がしたように両手で頬を掴み、目を(のぞ)き込んできた。

「エルク。エルクには知っておいて欲しいの。」

リーザの声はいつもよりも低く沈んでいた。

 

俺は身構えていたが、リーザは何も言わない。そうしてしばらく見詰め合ったかと思えば、そのまま両手を背中に回し、強く抱き締めてきた。

「おい、リーザ。どうした、大丈夫か?」

返事はない。それに、少し震えている。まるで(いじ)めにあった子どものようだ。そして俺はその理由を(さと)った。

 

誰にも打ち明けられない他人(ひと)本音(ひみつ)を幾つも抱えなきゃ()()()()彼女が(ひど)不憫(ふびん)に思えた。

「……かったの。」

ようやくこぼした声は、耳許(みみもと)でもほとんど聞き取れなかった。

「え、何だって?」

 

「……エルクの夢よりも怖かった。」

 

不幸自慢(ふこうじまん)がしたい訳じゃない。だが少なくとも俺は、歌が歌えるような呑気(のんき)な奴よりは不幸な人生を送っていると信じていた。


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