聖櫃に抱かれた子どもたち   作:佐伯寿和2

25 / 235
義母の愛、娘の恋

「ところでエルク、一つ、聞いてもいい?」

「何だ?」

リーザは言いながらカリカリのベーコンと格闘していた。

「ビビガさんの言ってた『ヒエン』ってどんな船なの?」

ヒエン。女たらしのビビガが、唯一(ゆいいつ)女よりも愛して止まない小型飛行船。

予算がない訳でもないのに、『男のロマン』がどうのこうのと訳の分からないこだわりが理由で操舵室(ゴンドラ)以外の外装(がいそう)は革製。一応、機関銃(きかんじゅう)を積んではいるものの、この外装で銃撃戦に対応できる訳もなく、もっぱら移動手段としての用途(ようと)に限られている。

それでも機動性は申し分なく、俺たちはそれで十分満足している。

もともとはシュウの船だったのだが、付き合いが長く趣味が機械いじりということもあって、今はビビガが管理メンテナンスを受け持っている。

仕事の都合上、アルディアの外に出ることも少なくない。その度に世話になっている。だからビビガほどじゃないが、俺にだって愛着(あいちゃく)はある。

ガス袋の頭にはデフォルメされたサメの顔のようなペイントがあり、その愛嬌(あいきょう)のある顔も俺は気に入っていた。

「へえ、それって速そうね。」

実際に速い。現在製造(せいぞう)されている飛行船の平均時速が60ノットである中で、ヒエンは80ノットをマークしている。操縦(そうじゅう)の腕や天候次第ではもっと速度がでるらしいが、そこまでの速度を必要とする機会がないので実際のところどうなのかは分からない。

(すご)いのね。それもビビガさんのお(かげ)なの?」

「そうだな。仕事がない時は日がな一日ヒエンをいじってるからな。まあ、独身男の心の悲しい恋人ってやつだな。」

「じゃあ、エルクも何かに没頭(ぼっとう)してたりするの?」

それはつまり俺とビビガが同類ってことか?リーザはニヤニヤと冗談(じょうだん)のような笑みで俺を見ていた。

「……勘弁(かんべん)しろよ。」

すると、出会って初めて、リーザは子どものように笑った。

 

食後、俺たちはすぐに町に出た。もちろんパンディットはアパートに置いて。俺たちも不自然でない程度に変装をすることにした。

「エルク、別人みたい。」

俺はバンダナで上げていた髪を下ろし、後ろでくくればそれだけで十分な変装になった。常に巻いている赤いバンダナとツンツン頭が良い意味でトレードマークになっているお陰だ。

 

仕事柄(しごとがら)、変装は基本なのだが、さすがに女物の服を手元に置いておくのは抵抗があった。だからといってリーザの童顔(かお)で男物の服は(かえ)って目立ってしまう。

店で服を見繕(みつくろ)ってはみたが、それでも田舎(いなか)っぽい顔立ちが浮き立って、逆に目立ってしまった。

「エルクって、何気に失礼よね。」

(わり)い、(わり)い。次でなんとかなるからさ。」

「『なんとか』って……。」

『女の子扱い』や『紳士的な振る舞い』なんてのは俺の(しょう)に合わなくて遠ざけてきたが、今はそんな甘ったれた自分の根性が(にく)らしい。

 

「珍しいわね。エルクが私の部屋を訪ねて来るなんて。」

出迎えたミーナは、ついさっき寝付いたばかりというような顔をしていた。もっぱら夜に動く彼女だから、朝方は機嫌(きげん)が悪いものと覚悟(かくご)していたが、意外にも(おだ)やかで安心した。

「あんまり『商売』っぽくするなよ。」

「分かってるわよ。女の子のことは女の子に任せて、アンタは出てなさい。女の化粧は着替えと一緒なんだから。」

 

「まったく面倒だ」特別扱いも、待たされるのも、考えるだけで面倒臭い。

認めてしまうと(つら)いものもあるが、ビビガのような悪態(あくたい)で会話するような相手の方が俺には丁度良(ちょうどい)い。

「独身男の悲しい恋人……。」

リーザの冗談がなんだか真実味を帯びてきた気がして背筋が寒くなった。

そうして待たされること約20分。

「エルク、お待たせ。」

 

そこに俺の知っているリーザはいなかった。ミーナの背後からおずおずと出てきた彼女はまさに別人にしか見えない。

これでもまだ田舎娘とバカにする奴がいるのならそいつは余程(よほど)女に見飽(みあ)きている奴だ。

 

まず、象徴的だった鼻や(ほお)のそばかすがない。それだけでもリーザは十分に()()()()。日焼けの(あと)もなくなり、白い肌にムラがなくなった。頬はピンクに染まっていて、目鼻立ちもハッキリとしている。視線が合わなくても思わずドキリとしてしまう。

青いハイウエストのロングスカートに白いシャツ、襟元(えりもと)にも鳥の形をしたピンなど、質素(しっそ)ながらも(ひん)がある。小麦色の長い髪は()い上げられ、今の彼女はどう見ても俺よりも年上の()()に見えた。

「エルク、だらしない口が開きっぱなしになってるわよ。」

「どう、オカシクない?」

確かにこれなら町中にいても必要以上に目立つことはないだろうけど、俺としてはちょっとばかし居心地が悪くなってしまったかもしれない。

「どう?綺麗(きれい)でしょ。」

「ああ。」

()め息を吐く以外に言葉が見つからなかった。

「そうなったら今度はアンタが不釣(ふつ)り合いよね。」

何を張り切っているのか、ミーナはその後も行きつけの店に立ち寄り、俺の服まで新調(しんちょう)した。

「ミーナ、やり過ぎだ。」

結果的に、俺たちは都会の『小洒落(こじゃれ)たカップル』みたいな格好になってしまった。

 

「いいじゃない。どうせ『変装』のつもりだったんでしょ?これなら地元の人間でも、まず間違いなく『エルク』だって分からないわよ。」

普段、町を歩く時はジーンズのパンツにTシャツ一枚だし、髪だって立てている。それが今は高級な綿パンツにボーダーのシャツ、タイトなカーディガン。頭は綺麗に()かした後、結んで肩から流し、ハンチング帽を(かぶ)っている。

俺自身、鏡の中の男が誰なのか分からないくらいの変身っぷりなのだから当然だ。

「どうせだったら名前も変えちゃいなよ。」

「はあ?」

「そうね……、エナートとリザベラってどう?」

「あのなあ、俺たちゃ遊んでんじゃねえんだぞ。」

「ついでよ。用意あれば何とやらって言うでしょ。」

ここ最近、ろくに顔を合わせてなかったからなのかもしれない。俺が頼ってきたのがよっぽど嬉しかったらしい。

「エルク、せっかく考えてくれたんだから良いじゃない。」

「エナート……、ねえ。」

『エルク』がそもそもが偽名(ぎめい)なのに、ややこしくてウッカリ忘れてしまった本名を思い出しちまいそうだぜ。

「そうよ、私だって商売上の都合で偽名を使ったりするのよ。意外とこういう小さなことが面倒事をなくしてくれるものよ。」

「賞金稼ぎと水商売は別だろうよ。」

「そんなこと言ってるからまだまだ子どもなのよ。」

……そんなもんなのか?……そんなもんなのかもしれない。

どっちにしたって俺はまだ、自分一人で答えを見つけることもできない。

「似合ってるわよ、エナート。」

言い返す理由もなく、俺は自分の中の『不満』を溜め息として吐き出した。

二人がそれで満足するのなら乗っておいて損はないのだし、とりあえず付き合うことにしても良いじゃないか。そう自分に納得させることにした。

「そうだな、リザベラ。」

リーザはまた、あの子ども子どもした笑みを浮かべるのだけれど、小綺麗にお洒落をした今の彼女のそれは、以前のそれよりも俺の脈を何倍にも加速させた。

「楽しいデートになるといいわね。」

「用は済んだんだから早くどっか行ってくれ。」

ミーナの失笑(しっしょう)は、ますます俺を(たかぶ)らせた。

「エルク。リーザちゃん、キチッと護ってあげてね。」

別れ際、ミーナは俺にボソリと耳打ちした。何故(なぜ)だかその言葉は、リーザを手当てした闇医者の意味あり気な言葉を思い出させた。

 

 

俺たちはまず昼食をとることにした。動く前に、彼女を()()()()()()必要があった。

すると、さっきとは打って変わって大人しくなった彼女がおずおずと口を開いた。

「エルク、私、お洒落って初めてだったから。ちょっと調子に乗っちゃったの。ゴメンね。」

「……謝るなよ。情けなくなっちまう。」

やっぱり不公平だ。俺だけリーザの気持ちが分からないなんて。

俺は読まれまいと必死に違うことを考えようとするが、顔を上げる度に考えが乱れて落ち着かない。

俺は少し苛立(いらだ)っていた。

「エルク……、」

彼女もまた動揺(どうよう)していた。俺の心は丸見えなのだからそれなりに『遠慮』や『緊張』を覚えているんだろう。

「どうした。」

できるだけ平静を(よそお)うとするのだけれど、どうしたって言葉少なになってしまう。

『クソッ』自分自身に悪態をつきたくても言葉すら浮かばない。でも―――、

嫌いなんかじゃない。ただ、落ち着かないだけなんだ。

そんな気持ちも読んでいるに違いない。彼女はなかなか()()()げずに、困り果てた顔で(うつむ)いている。

 

それでも彼女なりに言葉を選び、その(すえ)に出たものをポツリと(こぼ)した。

「……まだ、一緒にいさせてね。」

「何だよそれ。」

「私、まだエルクのそばにいないと不安だから。」

その言葉は俺をいくらか楽にさせてくれた。

「まだ……ね。」

彼女は俺に護られるために俺の(そば)にいるんだ。俺も彼女を護るために色々と世話を焼いている。

『お互いの利益のため』そう考えると、少しだけ彼女を客観視することができた。

 

「お願いします。」

言い終えると彼女はカチャカチャと、少しわざとらしく食器を鳴らし始めた。

そして俺は、彼女の言葉を最後まで聞き届けた俺は、あの『笑顔』が無性(むしょう)に恋しくなってしまった。




※ノットは速度の単位です。
10ノット=18.5km/h
60ノット=111km/h
80ノット=148.2km/hです。

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。