「ところでエルク、一つ、聞いてもいい?」
「何だ?」
リーザは言いながらカリカリのベーコンと格闘していた。
「ビビガさんの言ってた『ヒエン』ってどんな船なの?」
ヒエン。女たらしのビビガが、
予算がない訳でもないのに、『男のロマン』がどうのこうのと訳の分からないこだわりが理由で
それでも機動性は申し分なく、俺たちはそれで十分満足している。
もともとはシュウの船だったのだが、付き合いが長く趣味が機械いじりということもあって、今はビビガが管理メンテナンスを受け持っている。
仕事の都合上、アルディアの外に出ることも少なくない。その度に世話になっている。だからビビガほどじゃないが、俺にだって
ガス袋の頭にはデフォルメされたサメの顔のようなペイントがあり、その
「へえ、それって速そうね。」
実際に速い。現在
「
「そうだな。仕事がない時は日がな一日ヒエンをいじってるからな。まあ、独身男の心の悲しい恋人ってやつだな。」
「じゃあ、エルクも何かに
それはつまり俺とビビガが同類ってことか?リーザはニヤニヤと
「……
すると、出会って初めて、リーザは子どものように笑った。
食後、俺たちはすぐに町に出た。もちろんパンディットはアパートに置いて。俺たちも不自然でない程度に変装をすることにした。
「エルク、別人みたい。」
俺はバンダナで上げていた髪を下ろし、後ろでくくればそれだけで十分な変装になった。常に巻いている赤いバンダナとツンツン頭が良い意味でトレードマークになっているお陰だ。
店で服を
「エルクって、何気に失礼よね。」
「
「『なんとか』って……。」
『女の子扱い』や『紳士的な振る舞い』なんてのは俺の
「珍しいわね。エルクが私の部屋を訪ねて来るなんて。」
出迎えたミーナは、ついさっき寝付いたばかりというような顔をしていた。もっぱら夜に動く彼女だから、朝方は
「あんまり『商売』っぽくするなよ。」
「分かってるわよ。女の子のことは女の子に任せて、アンタは出てなさい。女の化粧は着替えと一緒なんだから。」
「まったく面倒だ」特別扱いも、待たされるのも、考えるだけで面倒臭い。
認めてしまうと
「独身男の悲しい恋人……。」
リーザの冗談がなんだか真実味を帯びてきた気がして背筋が寒くなった。
そうして待たされること約20分。
「エルク、お待たせ。」
そこに俺の知っているリーザはいなかった。ミーナの背後からおずおずと出てきた彼女はまさに別人にしか見えない。
これでもまだ田舎娘とバカにする奴がいるのならそいつは
まず、象徴的だった鼻や
青いハイウエストのロングスカートに白いシャツ、
「エルク、だらしない口が開きっぱなしになってるわよ。」
「どう、オカシクない?」
確かにこれなら町中にいても必要以上に目立つことはないだろうけど、俺としてはちょっとばかし居心地が悪くなってしまったかもしれない。
「どう?
「ああ。」
「そうなったら今度はアンタが
何を張り切っているのか、ミーナはその後も行きつけの店に立ち寄り、俺の服まで
「ミーナ、やり過ぎだ。」
結果的に、俺たちは都会の『
「いいじゃない。どうせ『変装』のつもりだったんでしょ?これなら地元の人間でも、まず間違いなく『エルク』だって分からないわよ。」
普段、町を歩く時はジーンズのパンツにTシャツ一枚だし、髪だって立てている。それが今は高級な綿パンツにボーダーのシャツ、タイトなカーディガン。頭は綺麗に
俺自身、鏡の中の男が誰なのか分からないくらいの変身っぷりなのだから当然だ。
「どうせだったら名前も変えちゃいなよ。」
「はあ?」
「そうね……、エナートとリザベラってどう?」
「あのなあ、俺たちゃ遊んでんじゃねえんだぞ。」
「ついでよ。用意あれば何とやらって言うでしょ。」
ここ最近、ろくに顔を合わせてなかったからなのかもしれない。俺が頼ってきたのがよっぽど嬉しかったらしい。
「エルク、せっかく考えてくれたんだから良いじゃない。」
「エナート……、ねえ。」
『エルク』がそもそもが
「そうよ、私だって商売上の都合で偽名を使ったりするのよ。意外とこういう小さなことが面倒事をなくしてくれるものよ。」
「賞金稼ぎと水商売は別だろうよ。」
「そんなこと言ってるからまだまだ子どもなのよ。」
……そんなもんなのか?……そんなもんなのかもしれない。
どっちにしたって俺はまだ、自分一人で答えを見つけることもできない。
「似合ってるわよ、エナート。」
言い返す理由もなく、俺は自分の中の『不満』を溜め息として吐き出した。
二人がそれで満足するのなら乗っておいて損はないのだし、とりあえず付き合うことにしても良いじゃないか。そう自分に納得させることにした。
「そうだな、リザベラ。」
リーザはまた、あの子ども子どもした笑みを浮かべるのだけれど、小綺麗にお洒落をした今の彼女のそれは、以前のそれよりも俺の脈を何倍にも加速させた。
「楽しいデートになるといいわね。」
「用は済んだんだから早くどっか行ってくれ。」
ミーナの
「エルク。リーザちゃん、キチッと護ってあげてね。」
別れ際、ミーナは俺にボソリと耳打ちした。
俺たちはまず昼食をとることにした。動く前に、彼女を
すると、さっきとは打って変わって大人しくなった彼女がおずおずと口を開いた。
「エルク、私、お洒落って初めてだったから。ちょっと調子に乗っちゃったの。ゴメンね。」
「……謝るなよ。情けなくなっちまう。」
やっぱり不公平だ。俺だけリーザの気持ちが分からないなんて。
俺は読まれまいと必死に違うことを考えようとするが、顔を上げる度に考えが乱れて落ち着かない。
俺は少し
「エルク……、」
彼女もまた
「どうした。」
できるだけ平静を
『クソッ』自分自身に悪態をつきたくても言葉すら浮かばない。でも―――、
嫌いなんかじゃない。ただ、落ち着かないだけなんだ。
そんな気持ちも読んでいるに違いない。彼女はなかなか
それでも彼女なりに言葉を選び、その
「……まだ、一緒にいさせてね。」
「何だよそれ。」
「私、まだエルクのそばにいないと不安だから。」
その言葉は俺をいくらか楽にさせてくれた。
「まだ……ね。」
彼女は俺に護られるために俺の
『お互いの利益のため』そう考えると、少しだけ彼女を客観視することができた。
「お願いします。」
言い終えると彼女はカチャカチャと、少しわざとらしく食器を鳴らし始めた。
そして俺は、彼女の言葉を最後まで聞き届けた俺は、あの『笑顔』が
※ノットは速度の単位です。
10ノット=18.5km/h
60ノット=111km/h
80ノット=148.2km/hです。