聖櫃に抱かれた子どもたち   作:佐伯寿和2

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巌窟姫 その二

 小柄な女の子は軽快に穴の中へ身を投げた。それは川に飛び込むような気軽さだったが、身を乗り出して覗く必要もなく、竪穴(たてあな)は太陽の手も届かない奈落を名乗っている。

「わしが術で衝撃をなくすからそんなに心配せんでよい」

「そうかい、それはありがたいね」

高さに恐怖がない訳ではない。ただ、シャンテはそこに居座る「闇」に恐怖ではない不快感を覚えていた。それが少女の分身に対するものか、はたまた二度と彼女の前に現れることのない無責任な父親に対するものか。

そこへ意気揚々と飛び込むちょこの姿を見て、シャンテは苛立ちが募るのを抑えられないでいた。

そんな彼女の背後に立つ老人がポツリと呟く。

「安心せい、ちょこは負けんさ」

「……いちいち人の頭ん中を覗くんじゃないよ」

「ホッホッホッ、じゃったらいつでも颯爽(さっそう)と振る舞うことじゃな。そんな顔で美人が突っ立っとれば軟派な言葉をかけるのはもはや男の義務じゃろうて。なぁ?」

同意を求められた浅黒い大男は言葉でこそ答えなかったものの、その視線には明らかに同情の色があった。

「どいつもこいつも。人の心配ができるほどできた人間かよ」

「同情とはそういうもんじゃよ」

「…だから世の中からバカな奴がいなくならないのさ」

そして、そういう奴から先に死んでいく。アタシを置き去りにして。

また、顔に出してしまっていたのか。ジジイはすぐにそれを否定した。

「言い換えれば、だから皆が助け合える」

「はっ、さすが勇者様の考えはご立派だね」

「それは自分に向かって言うておるのかな?」

「……」

私が?勇者?まったく、このジジイは何を言っているんだか。

 

それ以上言い返す覚悟はまだ彼女にない。シャンテは「私だって……バカの一人なんだ」そう自分に言い聞かせ、少女の後を追いかけた。

 

 果てしなく落ち続ける、日常ではまず体験することのない違和感。侵入者を頑なに押し返そうとする激しい風を感じ、ふと私は同じような目に遭ったことがあるのを思い出した。

ガルアーノを潰すために乗り込んだロマリア戦艦。そこから放り出された私は化け物に体を引き裂かれて気を失っていたけれど、その時の私は「あの子を護れなかった」という無力感よりも、「ようやく解放される」という安堵に身を(ゆだ)ねていた覚えがある。

 正直、苦しかったんだ。壊れないオモチャを検証しては大笑いするクソ共を睨み返すのにも。囮や暗殺、交渉人として使われ、寝ても覚めても血の臭いのする毎日にも。

どんな実験をされても何一つ影響を受けなかったはずの私から、少しずつ、少しずつアイツらと同じ臭いがするのを感じて……恐くなった。

この風は、そんな私を見透かしているように思えた。

 

「シャンテたち、遅いの!」

山を一つ二つ飛び降りたようにも感じられる落下を経て、三人はようやく「その場所」に降り立った。自力で着地したちょこは当然のようにピンピンとしていて、そこにいる怪物たちと戯れている。

「あんなに長く落ちたのに、どうしてこんなに空気が澄んでるわけ?」

彼女たちは数百億年分の地層を突き抜け、地下深くに降り立ったはず。しかし、そこには「H.ルーシー」たちを体調不良に追い込むような息苦しさはまったく感じられなかったのだ。

 それどころかそこはまるで宮殿の一室を思わせる、賓客(ひんきゃく)をもてなす(きら)びやかな(しつら)えが施されていた。

床は一面レッドカーペットで覆われ、粛々と燃える鬼火は「燭台」としての役割を言い渡された召使いのように気配なくそこに浮いている。そして、空気と同じく地下深い遺跡とは思えないほどに滑らかに磨き上げられた石壁。

ごく僅かな腐敗臭を除けば、ここは確実に世界有数の権力者にこそ相応しい居心地の良さを誇っていた。

そして、この一室を守護する赤毛の狼と公爵のような出で立ちの屍は、主の帰還を喜ぶかのようにちょこを歓迎していた。

 そんな異様な光景を捨て置き、老魔導士は眉をひそめ、とあるものに近づいた。

「そう答えを急がんでも、すぐそこにそれあるじゃろうよ」

一室の壁際に据えられた玉座らしきもの。そこに残された汚れを指先でなぞり、不審な継ぎ目を見つけた彼はグルガを呼びつけ、こじ開けさせた。

「……階段だな」

座枠(ざわく)は苦も無く外れ、下からは古めかしくも厳かな階段が現れた。

すると、それまで老魔導士の行動には目もくれず狼と戯れていた少女が餌を嗅ぎつけた獣のようにピクリと反応し、彼の隣へ駆け寄り、一緒になって玉座の下に隠されたものを見つめた。

「あれ?おじいさん、そこにいたガイコツさんはどこに行ったの?それにまだ下に行けるなんてちょこ知らないよ?」

「…彼は、この先におるのだろうよ」

「じゃあ、会いに行くの!ちょこ、沢山冒険してきたからお話してあげなきゃ!」

その笑顔は疑いようもなく、狼や公爵と同様にそのガイコツもまた少女に愛されていた。

「……彼奴(あやつ)は、お前さんを待っておらんかもしれんぞ?」

「そうなの?でも、ちょこは会いたいな」

「なぜじゃ?」

「だってガイコツさん、ずっとそこに座ってばかりだから。ちょこがいっぱい外のお話してあげなきゃ、きっとガイコツさんも寂しいの」

「寂しい、か」

想いを聞き届けた老魔導士はおもむろに懐から取り出した小石を少女にかざし、ふうっと息を吹きかける。すると、少女は魂が抜けるようにパタリと倒れてしまった。

「眠らせたのかい?」

「…ああ、そうじゃよ」

そうして取ったシャンテの行動は、老魔導士にとってかなり意外なものだった。

彼女は少女が生きていることを確認するとソッと脇に寝かせ、二人を階段の先へと促したのだ。

「てっきりわしの行動に困惑し、突っかかってくるもんと思うとったがのう」

「そんなことをしてなんの意味があるのさ。それに、アタシにとってもアンタの行動は予想外だったよ。良い意味でね」

彼女が抱いていた老魔導士と黒竜の予感。それはちょこへではなく、彼女の分身に向いている可能性が出てきたからだ。

ちょこも、分身のアクラも被害者であることに変わりはないはずなのに。

それを思い出した彼女は自分の行動に言い訳を挟まずにはいられなくなった。

「正直に言えばアタシはちょこに直接解決させたかった。だけど、それでアンタと対立するくらいなら今はアンタに従う方を選ぶさ」

「今は、のう」

「ああ。今は、だよ」

 

 シルバーノアでこの国に送られる途中、彼女は「あのジジイは信用するな」と私に忠告した。そして「抵抗もするな」と警告した。

その時、私は彼女の言うような危険性を老師に感じることができなかった。なぜなら彼の謎めかしい空気は祖国(ブラキア)の祈祷師や占星術師に似ていたからだ。

彼らは我々の知らない多くのことを知っている。知り過ぎているがゆえに秘密を多く抱えていた。その時が来るまでただひたすらに沈黙を守り続けなければならないほどに。

だから私にはむしろ、老師の振る舞いは親しみのあるものに思えていた。

 しかし今ようやく、私は彼女の言葉の意味が理解できた。目の前の老人はもはや人ですらないのだ。

ちょこが人間でないことはこれまでの様子を見れば明らかだ。それも、ここの狼らはもちろんのこと、キメラ研究所のクローンたちからさえも受け入れらるほどに特別な存在。見た目にそぐわない怪力や魔術もそれを証明していた。

 しかし、老人はそんな彼女をいとも容易く眠らせた。謎の言語を用いてちょこの世話を言いつける彼に、公爵は(うやうや)しく頭を垂れたのだ。

ガルアーノしかり、アークの宿敵だというスメリアの大臣しかり。彼もそちら側の存在なのだ。ただ、こちら側と利害が一致しているというだけの。

 

二人の警戒心を一身に受け、ゴーゲンは再び先頭を歩き始めた。

 

 階下には無数の怪物たちが待ち構えていた。彼らは一行の姿を見つけるや襲いかかってきたが、ゴーゲンが再び謎の言語で何事かを叫ぶとたちまち大人しくなった。

内、ゴーレムを操っていた一体の怪物がさらに下の階層を目指すゴーゲンらの先導役を買い、怪物たちの無礼を収めて回った。

 初めの部屋も十分豪奢(ごうしゃ)ではあったが、隠し階段よりも下の階には煌びやかな装飾さえも霞むほどの金銀財宝で溢れ返っていた。

「ちょこの言ってたガイコツってのはこいつを守るためにあの部屋に居座ってたのかい?」

さらに階下へ進むと、金で(かたど)られた神像がいくつも目に入った。とある少女を模したその像を睨み、ゴーゲンは答えた。

「あの男はそんな器の小さな奴じゃあないさ。少なくとも、わしの知る限りではな」

そうしてさらにいくつ階段を下りたか。彼らはさらに驚くべきものを目にした。

「……植物ってこんな場所でも育つもんなの?」

彼らが新たに踏み込んだ世界、階層は強欲を掻き立てる赤と金の様式から一変して、格式高い様子をそのままに、一面に鮮やかな緑、その所々に色鮮やかな花をあしらった庭園のような空間が広がっていた。

「魔法などという(ことわり)(そむ)いた力が存在した時から、智恵を縛る科学などあってないようなもの。『不可能』という幼稚な枠組みはこの世から消えてしもうたんじゃよ」

そこにはもはや鬼火すらない。謎の明かりが部屋全体から溢れ返り、空気はさらに潤い、唯一不快だった腐敗臭までも消し去っていた。

さらに驚いたことに、それらの草花はそこに潜む怪物たちの手で管理されているのだ。ゴーレムがハサミを入れ、スライムが水を運び、マンドラゴラが土を(たがや)していた。

 

ここにも、アクラが……

 

庭園のような階層を進むと、シャンテは財宝のエリアで見たものよりもより、ちょこの分身に近い姿の像を見つけた。

 しかし、その像は分身だけが主役ではなかった。彼女を抱きかかえる大柄な男、ラルゴではない何者かと二人で一つの像だった。

二人の背中からは羽が生え、男の腕の中の少女は希望に溢れた眼差しで天に手をかざし、少女を抱く男は(いまし)めを求める面持ちで地に手をかざしている。

それが何を意味しているのかシャンテたちにはわからないが、二人からは異なる支配者の臭いが感じられた。

 

これが、アクラの父親?

 

そして、彼らは遂にその地へ踏み込む。かつて、怪物たちの王として君臨していた者の理想の地へと。




※赤毛の狼→原作のデスハウンドのことです。
※公爵のような出で立ちの屍→原作のウィザードのことです。
上記二種のモンスターは、原作で敵としてちょこと戦闘になった際、ちょこ側についていたモンスターです。
※鬼火→なんなんでしょうね?(笑)グラフィック的にモンスターではないようですけど。なんとなくモンスターとして書いてみました。

※座枠(ざわく)
椅子の座面(座る部分)、クッションを支える枠組みのこと。

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