聖櫃に抱かれた子どもたち   作:佐伯寿和2

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誰がために鐘は鳴る その六

 幾人もの信徒を己の手足に変えてきた寺院の支配者が一歩、二歩、後退(あとずさ)った。その権威を脅かすありもしない奇跡を目の当たりにしてしまったのだ。

 彼は、大君より祝福を(たまわ)ったギーア神の福音を跳ねのけた。数多くの同胞、さらには将軍までも(わずら)わせる勇者(しゅくてき)たちの足を縛り付ける力を持った鐘の音を!

なんの力も持たない人間の小僧ごときが!

震える足が信仰心に陰を落とし、頬に刻まれた一筋の瞼からギーアの赤い涙が流れ落ちる。

「まさか……ありえん。洗脳が解けたと言うのか?そんな、バカな!」

抗うほどに群がる疑念の雲から、軍服を着た男の腕が一本伸びる。畏れ敬う将軍の、冷酷な銃口が彼の頭に鈍い音を立てて押し当てられる。

……違う。こんなはずない。こんなはずじゃないんだっ!

「勇気ある行動に人は()つ。愚かな教皇よ、そのさもしい御胸(みむね)に刻むがいい」

「なにをバカな……」

目の()かぬ異国の僧が語る「勇気」などという現実(こぶし)が、かの君の理想郷を打ち砕かんとしている。たかが偶然を味方につけただけの小僧をダシにして。

……不敬な…不敬なっ!!

「この、出来損ないめがっ!」

 

 大君は(おっしゃ)られた。

―――私はかの地の果実を(むさぼ)る権能のもの。無知な羊よ、滴る蜜を知りたければ従え。この声に抗うこと(あた)わず。この力に屈せぬもの(あらわ)ず。

 ならば今、私が目にしているものはなんなのだ?なぜかの福音に耳塞ぐことができる?

大君よ、貴方はまことの「大君」か?貴方もまた「信仰」などという他力本願で己を偽る「私」の一人なのではないか?

 

 心(まど)う教皇は疑問を抱き、葛藤し、顔を赤くした。鐘の音の下、律しきれない自分をごまかすかのように権杖(けんじょう)をかざし、怒りのままに裁きの雷を呼び寄せた。

 そうだ、次の瞬間にはこの雷が二匹の異教徒の命を刈り、現実を修正する。「勇気」を塵に還す。

大君より賜った力だけが全てを意のままに操ることを許されている。それこそがあるべき現実!それこそが悪魔(われ)らの象徴なのだ!

「リーザっ!」

ところが、悪魔の振り下ろした(きら)めく(ガベル)は少年少女を罪に問わなかった。まるで主の意に背くかのように、槌が裁くべき者を選んだ。

「おじいちゃん!」

男もまた、それを覚悟していた。

 自らの命をも(かえり)みず村の仲間を助けた少年の、本物の勇気を見せつけられたあの時から。ソレはいずれ自分に降りかかるのだろう。知らず知らず養っていたこの臆病(あくい)を、ソレは決して見逃さないのだろうと。

 憔悴(しょうすい)した老体は運命の指に弾かれ、少年少女を突き飛ばし、自らを処刑台の上に差し出した。

「ぬうぅぅうっ!!」

「イーガ!?」

ところが、間一髪、鐘の音を(はら)った異国の僧がソレに追いつき、老体に覆いかぶさった!

数億の電圧で罪人を焼くソレを『ラマダ』に変え、偽りの聖職者へと撃ち返した!

「な、なんだと!?」

しかし、雷はまたしても教皇を射抜かず、彼の背後へと駆け抜けていく。

 だが、それでいい。僧兵の怒りは初めから、人でも悪魔でもなく、ソレに向けられていたのだから。

ゴォォオンッ!

雷は釣り鐘を支える梁を焼き、地面に落ちたソレは最期に鈍い悲鳴を上げて完全に沈黙した。

「そ、そんな…鐘が…ギーアの鐘が……」

さらに一歩、二歩……ついには自らの体を支えることすら忘れ、教皇はその場に崩れ落ちた。

「あの御方の…ヤグン将軍の野望が……」

鐘が落ち、『束縛』から解放されたエルクたちは絶好のチャンスを逃さない!

逃げ場をなくし、信仰までも落とされてしまった彼にはもはや抗う意思もない。彼らの凶刃を止める者は誰もいない。

誰もがそう確信していた。

「待って!」

まさか、ソレを一番望んでいる彼女が阻むなど予想だにしなかった。

「鐘が、あの壁や床を支えていたみたいなの。すぐに全部壊れちゃう。その前に皆を逃がして!」

「き、君はどうするんだ」

「…すぐに追いかけます。私のすべきことをした後で」

魔女は真っ直ぐに立っていた。たった今起きた悲劇を振り返ることもなく。

霧散した修道女たちを従え、寺院を支えていた(むくろ)の軍勢を呼び起こし、赤く腫らした目に逆らって立っていた。

「……お願いします」

その瞬間、仲間の多くが彼女の声に、思考に染み込む『魔女の声』に怯えた。

抗わず、彼女の撫でつける手を受け入れてきた彼女の「化け物たち」を除いて。

「お前には言わなきゃならねえことが山ほどあるんだ。だから……頼むから、帰ってこいよ」

「……うん」

それが呪われた血の定めだとしても、魔女は生きる道を選んだ。自分のために戦ってくれる人がいる限り。

 

 

――――数分前、教皇が雷を放った直後

 

「おじいちゃん!」

リーザは横たわるヨーゼフに駆け寄り、離れゆく命を繋ぎ止めるようにすがりついた。

 イーガの武術によって雷の直撃を避けられはしたものの、その余波でさえ臆病者を裁くには十分過ぎたのだ。

 裁かれた老体にはもう、少女を安らがせるものは残っていない。

(ただ)れた肌に土をいじるゴツゴツとした手触りはなく、肉の焦げる臭いが野原を思い起こす牧草の香りを塗り潰した。

「…ああ、リーザ。そんな悲しい顔をしないでくれ」

焼け落ちた目が、臆病な羊を容赦なく陽の差さない棺桶に押し込んだ。

それでも辛うじて感覚のある手でそこにある顔に触れれば、幾度となく共に冬を過ごしてきた少女の表情が手に取るようにわかった。

「わしは気づけなかった。呪われているのは村でも魔女の血でもない。わしら自身だと。臆病なわしらは、悪魔たちに言われるまま自らに呪いをかけておったんだよ」

「そんな……」

震える手を握り返せば、祖父の無念と恐怖、そして怒りが伝わってくる。

「わしはフォーリアを、この国を信じることができなかった」

たった一度の命を、祝福すべきだったものを呪ってしまった自分を。

「リーザ、強く生きなさい……わしの、大事な…大事な……」

老体は今さら祈り、許しを請う。たった一つの命を。

「おじいちゃん、私は――――」

少女は祖父の言葉を聞き届け、立ち上がった。

(かお)る金髪が燭台に照らし出され、首から下げた碧の意志を握り締めながら。

 

 

 

 

 修道女たちから人質の居場所を聞き出すやエルクたちは放たれた鳥のように部屋を飛び出し、部屋には教皇と死者の群れ、そして一人の魔女だけが残された。

 彼女に並び立つ死者もまた、かつては悪魔の言葉に耳を傾け、魔女の滅びを願った者たち。しかし彼らはその身を滅ぼして初めて物語に隠された(ギーア)の裏の顔を知った。

彼らは悔いた。己の愚かさを。たった一つの命を。

そして今、彼らは仮初の命を与えられ、自分たちを貶めたものを囲み、見下している。

魔女は言う。

「アナタに人は操れない。それなのにアナタは鐘を鳴らした。私たちがその音を嫌うと知っていたのに」

「……鐘はまた吊される。キサマらが嫌おうと嫌うまいとな」

体を真っすぐに支えられず揺れ動く死者どもの虚ろな視線に奥歯を鳴らし、悔し紛れの笑みを浮かべながら教皇はゆっくりと立ち上がる。

「だが勘違いをしてくれるな。鐘はあくまで鐘だ。世界にあの方の復権を告げる祝砲でしかない」

背中が膨らみ、厳かな祭服を引き裂き現れたのは彼らの空を覆う黒翼。肌は深緑に濁り、硬質化した口からは無数の牙が生える。

「さあ、心して答えろ。キサマは何者だ。愚かな人間どもの奴隷か?道を踏み外した勇者の末裔か?…それとも、我が大君に愛されし支配者の一人か?」

絵にかいたような悪魔が、一本の大鎌を少女に向かって振りかぶり、問いただした。裁く者と裁かれる者を。

 少女は鈍い光を放つ鎌を見上げ、村に現れた黒い船を思う。追い回され、殺され、麻袋を被ってすすり泣く知人友人を無感動に見送ったあの日を。

通報され、憲兵に町中を引きずられた時、浴びせかけられたあの声を。

……おじいちゃん、私は――――

「その、どれでもないわ」

無数の口なき死者に見守られる中、少女は(ひざまず)き、合わせた拳を胸に当てて目を閉じる。

「私たちはフォーリア、友人を祈り支え合う野花の民よ」

「呪われた魔女風情が…うぐっ……」

死者の無念と恐怖、そして怒りが少女の声に乗り、彼らの目に光が灯る。悪魔の振りかざした鎌よりも黒く、鈍い光を。醜い呻きと穢れた涙を携え、裁かれる者を連れ去っていく。

裁かれる者たちが消え、一人残されても少女は祈り続ける。呪われた塚から解放される人々を一人ひとりを見送るために。

 スンスン、ポツリと匂い漂わせる花の肩に、少し湿った鼻が押し付けられた。

 

リリー……

 

「パンディット……」

少女は狼の背に乗って走り去った。崩れゆく瓦礫の中にたった一人、孫娘の開花を見届けられなかった老人を残して。

 

 

 鐘の支えを失ってから寺院の崩落まで、塔の上層部にいたアークたちが悪路を引き返し、百人以上の人々を避難させるには明らかに時間が足りなかった。

ところがいざ一階の講堂に戻ってみると、すでにほとんどの避難が完了していた。

「よお、惜しかったな。これが最後のひと瓶だぜ?」

赤毛の猿が呑気に酒瓶を(あお)り、彼らの勝利を皮肉った。そこへ、猿の言葉をフォローするように小太りの少年が駆け寄ってきた。

「ア、アーク!こっちは大丈夫だよ!トッシュやモフリーが頑張ってくれたお陰でホルンの人たちも解放できたし、落石でケガ人が出ることもなかったよ。そっちは?」

ホラーハウスに怯えていた臆病者はいずこへやら。自分の使命を果たし、溌剌(はつらつ)とした顔に青年は思わず顔を綻ばせ、彼の頭を撫でた。

「……よく、頑張ったな。ありがとう」

 

 町の人も、ホルンの村人も、助けられる人は全員助けることができ、洗脳装置の破壊も無事達成した。なのに、寺院の上階へと昇った一行はとても祝杯を傾ける気分にはなれなかった。

特に、たった一人の肉親との別れをすませたばかりの少女には。

 夜は明け、昇る朝陽は幾千幾万の魂を寄せ集めたような輝きを放ち、少女の目の届く隅々までを明るく照らし出した。

村でひとつ小高く見晴らしのいい場所にある家、その脇に築かれた小さな盛り土。少女は彼らに見守られる中、大切な人へ白い花を贈る。

「おじいちゃん、私、少しだけだけど自分がしなきゃいけないことがわかった気がするの」

手を合わせる少女の背後にはラムールの人々に荒らされた村を建て直す仲間たちの姿があった。

彼らの中には何度目になるかわからない「やり直し」にくたびれている者もいる。それでも彼らは焼け落ちた屋根を打ち直し、破れた風車に新たな羽を張る。

 なぜなら、彼らには暗闇の中でも煌々と光り続ける小さな友人がいるからだ。

「お姉ちゃん!」

少女は振り返る。町からやって来た大勢の応援の中からたった一人の友人を見つけ、抱きしめる。

「リッツ!!」

町に陽の光を遮る高塔はもうない。あの鐘は二度と鳴らない。これから彼らはこの村の人間と同じように太陽を見つめ、耳を傾け、多くの友人を祈る日がやってくるだろう。

リーザという名の若き「魔女(フォーリア)」は、その「勇気」を抱きしめていた。




※まずは一言
……最終回か?(笑)

※勇気ある行動に人は起つ
原作の「勇気ある行動は人を変える」という名言を文字ったものです。

※目の開かぬ、異国の僧
原作をプレイしたことのない人にはとても不親切な表現でしたが、イーガというキャラクターはいわゆる「キツネ目」のような(それの(いか)ついバージョン)、目が開いてるか開いてないかわからないようなキャラデザインなのです。
深い意味はなかったのですが、なんとなく「(ラマダの)教え」にひた向きな印象があるように思えて使いました。

※権杖(けんじょう)
本来はキリスト教、正教会や東方諸教会の主教が儀礼の際に用いる杖のことです。
ここでは単に権力のある聖職者が持つ杖のような意味で取ってもらえればと思います。

※ガベル
裁判で裁判長が持つ木槌のことです。ちなみに、木槌が叩く板を「サウンドブロック(打撃板)」というそうです。

※フォーリア
原作にある設定で、正確には「フォーリア草」です。花言葉は「祈りをささげます」。また、セリフに「ラムールの街花」とあり直接的にはホルン(村)やフォーレス(国)には関係がないかもしれませんが、私的にどうしても使いたかったので無理やりくっつけました(笑)
 さらに、わざわざ「フォーリア草」と言っているので、もしかしたら花をつけない植物なのかもしれませんが、申し訳ありません。花、付けさせますm(__)m

※リリー
パンディットがリーザを呼ぶときの愛称です。(二次設定)

※誰がために鐘は鳴る
元はイギリスの詩人であり聖職者でもあるジョン・ダン氏の説教の一節。
「それが赤の他人であろうと、人の死は私の心を痛める。なぜなら私もまた彼と同じ人間であり、彼は私の一部も同然だからだ。だから、誰のために教会の鐘がなろうとわざわざ死者の名を問う必要はない。その鐘は常にあなたのために鳴っているのだから」
一部、誇張した解釈がありますが、大体こんな意味合いであっていると思います。

「誰がために鐘は鳴る その一」のあとがきにも載せましたが、なんとなく再掲しておきます。

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