聖櫃に抱かれた子どもたち   作:佐伯寿和2

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誰がために鐘は鳴る その五

 もはや感情が訴える「恐怖」など生温い。本能を侵し、狂わせる「恐怖」こそ神への供物に相応しい。そんな歌が聞こえてくるような空間に立ち、誰が「スイッチ」を踏まずにいられようか。

 仕掛けられた一つが起動すれば、隣り合うそれらが連鎖し、部屋の隅々にまで阿鼻叫喚が響き渡った。「恐怖」が彼らを()き立てる。

「取り乱すな、一旦下がるぞ!」

床として彼らを支えていた水晶が溶けて泉をつくり、閉じ込められていた無数の顎はたちまち凶悪な本能を宿して襲いかかる。

 スイッチを踏むとわかっていながら進んでしまったことが仇となり、白いピラニアの泉と化したフロアから逃げようと一歩下がる度に二十、三十のソレが足に喰らいついた。蹴り上げてもなお、宙に舞ったソレは軌道を変えて頭に、腕に、胸に牙を立てる。

 

「ぜ…全員無事か?」

自身を含め、これまで力で圧倒してきた仲間たちが、成す術もなく傷だらけにされている。そんな現実を前に青年は眩暈(めまい)と共に、知らず知らず、あってはならない未来を想像してしまった。

 彼は無我夢中で駆け抜けた道を恐る恐る振り返る。白い怪魚たちがひしめき、蠢く泉。そこに残した足跡のように、喰い千切られた髪や衣服の切れ端が点々と浮いている。心なしか透明だった水が少し濁っているようにも見える。

果たしてこんな狂った光景の中を『力』も使えない状態で突破なんてできるのか?

「ううっ……」

「少し横になってろ」

サニアの忠告していた恐怖のせいか、はたまた「ギーア」にそう指示されたのか。怪魚は執拗(しつよう)にリーザとヨーゼフへと群がった。

 奴らの噛みつく力が白骨兵ほどじゃなかったのは不幸中の幸いだった。でなければ最悪、あのフロアから逃げ切れず全滅の可能性すらあった。退(しりぞ)いたこの場所がわずかに『力』の使える空間でなければ即刻撤退を余儀なくされていた。

「どうするよ、アーク。マジで建物ごとブッ壊すしかねえんじゃねえか?」

ゴーゲンがいればそれもできたかもしれない。もしくはシルバーノアが戻ってきたなら空爆という手も考えられる。だがそれも人質がいなければの話だ。

 正直、ここまで対処が困難だとは思わなかった。おそらく外壁を伝ったても羽のある怪物たちの格好の的にされるだろう。中も外も無理となると、日を改めることも視野に入れなければならない。だが、そうなるとホルンの村人たちは……

 苦渋の決断を迫られたその時、意外な仲間が名乗りを上げた。

「ドウヤらいヨいよコのワシの出番のヨうだな」

ヘモジーの背中から下りたヂークが誰に言われるでもなく「試運転」を始めていた。

「何をするつもりだ?」

「……エルク、ワシの最強ノ武器はなんダ?」

「知るかよ」

「おい、オ前らワシに興味がナサスぎるぞ!」

頭から煙を出しながらガチャガチャと暴れる姿はどう見ても頼り甲斐があるとは言えない。けれど、この中で一番付き合いの長いエルクは彼の癇癪(かんしゃく)を経てようやく「彼にできること」を思い出したらしかった。

「まさか榴弾でも使おうってのか?さっきの数をちゃんと見たのかよ?焼け石に水に決まってんだろ」

「何を言ットル。お前、サッキ自分デ言っとッタこともモウ忘れたノか?」

「あ……」

ヂークは部屋にいくつも設置された石柱を榴弾で倒し、橋にしてあの泉を渡ろうと言い出した。

「あノ池ニサエ入らんかッたら能無シのお前らでモナントカナるダろ?」

確かに、全てを防ぐことはできなくとも、池の中を歩くよりは遥かに対処しやすい。榴弾の残弾も万全とは言えないが、試してみる価値はある。残る問題は……

「お願いです、私も連れて行ってください」

俺は段々とヨーゼフの忠告を聞き入れるべきかとも思い始めていた。

たとえ囮役として貢献できたとしても、この先に待ち構える彼女の「心の負担」はピラニアたちの比ではない予感がするからだ。

「行かせてやりゃあいいじゃねえか」

それでもエルクは頑なに彼女の味方に付いた。さっきの脱出も、エルクが奮闘したからこそ二人は生き延びられたとも言える。だが、この先もそれが通じるとは限らない。

「……いいんだな?」

「ナメてんのか?俺はそういう業界の中で今までやってきたんだ。炎が使えなくなったってジジイと女一人護るくらい訳あるかよ」

「そウだナ。コイツはバカだカラ言っタコトシかでキんが、その分、口にシタこトは必ズ護るバカだぞ」

「…この件が終わったら、テメエにはどっちが立場が上かハッキリ教えてやらねえといけねえらしいな」

「ふン、ソれはこッちのセリフだ」

……とことんタフな奴らだ。さっき地獄を見たばかりだっていうのにもう笑っている。それだけ何度となく同じ経験してきたということでもあるんだろうが。

 それでもその場違いな雰囲気のお陰で仲間たちの気持ちも落ち着き始めている。本来、それは俺の役目だってのに。……ふん、これじゃあどっちがリーダーなのかわからないな。

 

 作戦は上々だった。限られた足場ではあるが、そこが安全というだけでかなり心にも余裕が生まれた。

 だが、それも見越しているかのように内装の悪趣味は一層悪化していく。

顎の床を抜けると今度は壁一面に目玉が並び、俺たちの中にありもしない疑心暗鬼を生んだ。だがこれもヂークの火炎放射器が焼き払い、辛うじて仲間割れを避けられた。

 そうして遂には――単に未完成なのか――「建材」の要素もなくなり、内臓や肉片がそのまま床や壁を担い始める。

「なんて臭いだ、クソッ!」

(むせ)返るほどの鉄と脂の臭い。歩くたびに埋もれる肉の生温かさとスライムに包まれるような不快感が理性を奪っていく。

「おえ……っ」

ここまでくると、俺やリーザだけじゃなくエルクやイーガまでがそこらに胃酸を撒き散らすのを抑えられなくなっていた。

「はあ、はあ……ったく、どこまで続くのよ」

全員が精神的な限界を迎え始めていた。無意識に息が荒くなり、息をすれば悪臭が吐き気となって体力を奪う悪循環に陥っている。

 ふと、俺は思った。この寺院は、無知な信者たちに偽りの信仰を植え付けるためにこんなにも巨大さを強調しているんじゃない。目障りな背信者たちの墓場にしている内に、予期せずこんなにも巨大になってしまった。この寺院はこれからも巨大化し続け、その完全な姿を拝むことは未来永劫ないのだろうと。

 

「ほぉ、一人も欠けることなくここまで登ってくるとは。なるほどヤグン将軍が直々に命を下されるだけの器ではあるらしい。だが……」

いくつものスイッチに悩まされ長い階層を登り終えてたどり着いた一見真面(まとも)な部屋で、この寺院の主と高さ10mはあろうかという巨大な釣り鐘が俺たちを出迎えた。

「アレだ、アレが洗脳装置ダ!」

ヂークが教皇の背後にある釣り鐘を指して言ったが、俺たちは敵の存在が判然としないほどの吐き気のせいで目的すらも忘れかけていた。

 そんな俺たちを、教皇は体裁もなく大声で嘲笑った。

「不様だな、勇者とやら!キサマらがどれだけ恵まれた素質を持とうと所詮はその程度よ。我々の宿望(しゅくぼう)を形にしたこのギーア寺院の前には害虫同然」

教皇が手を上げると背後の鐘が、まるで意思でも持っているかのように独りでに揺れ始めた。

「…させるかよっ!……くっ!」

鐘の音に危機感を覚えたエルクが歯を食い縛り飛び出したが、両脇に控えていた修道女たちが体を蒸発させ、朱色の突風となって彼を殴り飛ばしてしまった。

「早まるな。いかに我々の思想が偉大であろうと、これまで将軍を愚弄してきたキサマらをただ踏み潰すのはあまりにも味気ない。そうは思わんか?」

直後、奥の扉が開き、三人の町民が現れるとたちまち彼女の顔が青褪めた。

「うそ……、リッツ…リッツっ!!」

この部屋までもが『呪い』の範疇なのか。彼らの虚ろな目は頑なに彼女の『声』を拒み続けている。しかし教皇が一声かければ彼らはそうプログラムされた機械のように、自分たちを取って食おうとする捕食者の傍へと自ら歩み寄るのだ。

「我々が築き上げた”至高の信仰心”は生命の掟さえも超越し、我々を祝福する。それを今、証明してやろう」

「なにを……」

二人の修道女が祭事用のナイフを老人と女性に渡すと、また鐘が独りでに鳴り、鼓膜を辿って脳にプログラムを囁きかける。そこに二人の意思はなく、よくよく磨き上げられたナイフは高々と掲げられ、ほくそ笑むようにギラリと光る。

「やめろっ!」

これを止めるために俺たちは死に物狂いでここまで登ってきた。それなのに……どうしてこの足はビクともしないんだっ!!

 唯一、奴らが執拗に絶やそうとしたホルンの血だけがそれに抗えていた。しかし、俺たち以上にこの寺院の洗礼を受け続けた二人にはもう、立ち上がるだけの体力も――――

「ああ……」

振り下ろされたナイフは、生者から死者へ移ろう儀式を()(おこな)うかのように肺に残った空気を押し出していく。

そうして胸を潜った穂先は真っ赤に濡れてバラの蕾のような生々しさを帯び、苗床は力なく倒れた。

「これが我らと一心同体となった正しい人間の姿だ。その肉は寺院の肥やしとなり、怨念は我らの魂の糧となる。どうだ、これほどに無駄のない家畜の幸福な死が他にあるか?家畜共にとって、我らこそが神そのものなのだよ!」

繁栄の未来へと続く先導者のごとく、教皇は杖を高らかに掲げ、鐘の音にも負けない大声で己を謳った。

 そこへ、彼が水を差した。

「神は人を求めない。ゆえに人は神を崇めるのだ」

「ふん、己の教えも満足に理解できず、我らの操り人形となったラマダの石頭ごときが知った風な口を。だが安心するがいい。キサマらが何と言おうと世界はすでに我々に傾き始めている。じきにそんな愚かしい苦悩も消してやろう」

イーガは何度も『(ラマダ)』を発して鐘の音に抗おうとしたが、鐘の呪いはまさにホルンの血を受け継ぐかのような猛威を振い、彼を縛り付けた。もはや、その呪われた力に抗う術はない。そう、思われた。

 

「アナタなんかに、人の心を操るなんてできないわ」

ホルンの少女は(うずくま)っていた。苗床となった二人の生と死の苦しみを抱きしめるように胸を押さえ、涙し、彼らの無念を瞳に宿して悪魔に投げかけた。魔女(かのじょ)らと対立する悪魔にとって、これ以上に滑稽(こっけい)な姿はない。大声で笑ってやる(ほか)ない!

「何を言い出すかと思えば!己の無力さに、もはや現実を見る理性も失くしたか?いいだろう、ならば私がキサマらに引導を渡してやろう。……キサマらホルンの滅びをな」

教皇は転がる苗床からナイフを引き抜き、もう一匹の家畜へと握らせた。そして小さな頭を撫で、至高の福音を授けるのだ。

「魔女を、殺せ」と。

福音は鐘の音に置き換えられ、小さな家畜の首輪を引いていく。

「う、あ……」

「リッツ……」

 鐘の一音一音が震える手足に、葛藤に、正義の祝福を投げかける。

 少年の一歩一歩が美しい音色に、呪われた信仰に、苦悶と悲鳴を投げかける。

相反する二つが小さな頭の中でせめぎ合い、自分が何者か。「家畜」か「人間」かを狂わせる。

「お…ね……ち……」

「リッツ!」

手足に鞭打ち、少女もまた一歩一歩、歩み寄った。もつれる足が「彼」に向かって倒れ込み、細い腕が遠のく「彼」を引き留めるように抱きしめた。

「リッツ、お願いだから帰ってきて。アナタは私の大事な友だちじゃないの?……お願い、お願いよ……」

目尻から溢れる懺悔は「彼」を愛するがゆえに。しかし、振りかぶるナイフもまた、首輪(あい)ゆえに……

「お、お姉ちゃん…は……」

「リッツ…リッツなの!?」

「お姉ちゃんは……僕が…護る……!」

友人を泣かせた悲鳴は雄叫びに変わり、怒れる「人間」の投げ放ったナイフは教皇の頬を(かす)めた。

「リッツ!?」

「お姉ちゃんに……手を出すなっ!」

頬を撫でる冷たい感覚に教皇は困惑した。拭った手に残る赤い背信の証に驚愕し、知らず知らず崇めていた。

「ゆ、勇者……」




※朱色の突風→原作のメイジスモッグのことです。

※宿望(しゅくぼう)
長年、抱き続けてきた願望。宿命や使命ともとれる、心からの願い。

※ヂークは部屋にいくつも設置された石柱を榴弾で倒し、橋にしてあの泉を渡ろうと言い出した
原作では柱のようなブロックを動かしてスイッチを押したり、穴を塞いでルートを確保するというパズル要素のある部分だったので、なんとか使えないかと苦心した結果がこれです(笑)

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