聖櫃に抱かれた子どもたち   作:佐伯寿和2

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誰がために鐘は鳴る その二

白雪のヴェールを被る山々の合間から、金色(こんじき)の目が昇る。かの目が大地にもたらすもので原野の民は健やかな体と心を育んできた。

ならばなぜこの清らかな土地に「魔女」などという(けが)れが生まれたのでしょう?

 

貴方は頭の中で描いた理想の世界を私たちにもたらしてくれたのかもしれない。

けれど、貴方はより美しい世界を描くことに夢中で私たちを注意深く観察しなかった。貴方はいつだって私たちの一面しか見ていない。貴方の死角に伸びる私たちの黒い隣人に見向きもしない。

貴方がそんなだから私たちの中で隣人の囁きが育ち、その清廉潔白な眼差しに堪えられなくなってしまいました。

貴方は知っていますか?私たちは、純白の光から言葉は聞き取れません。黒い影からでしか文字は読み取れません。

……貴方は本当に人間を愛していますか?

 

村を()ち町へ向かう私たちの背後から差す、かの眼差しへと振り返り、反省を知らない正義の光を私は憎々しげに睨み返した。

 

 

ラムールは不気味な静寂で満たされていた。

 

「…ホルンを……」「…ホルンを……」「…ホルンを……」「…ホルンを……」「…ホルンを……」「…ホルンを……」「…ホルンを……」「…ホルンを……」「…ホルンを……」

 

正確には静寂ではない。

元気な花屋の売り子、朗らかな新聞売り…、誰も彼もがその言葉にとり憑かれていた。鈍く延々と繰り返されるその声の連なりは、特定の人物に捧げられる呪いの賛歌。私が、その声に負ける訳にはいかなかった。

「ダメだ。どいつもこいつも、何を聞いても応えやがらねえ」

「な、なんだかお化け屋敷みたいで恐いよ……」

ポコさんの気持ちはよくわかる。『心』を抜かれた人間となんて、視線を合わせるだけでも(おぞ)ましい。できることなら今すぐ楽にしてあげたいとさえ思う。

「……手遅れだってのかよ?」

エルクは敗北の声を上げた。魔女(わたし)はそれを認めざるをえなかった。それなのに、異教の彼が町の人たちの『命』を代弁した。

深山幽谷(しんざんゆうこく)にさえ人の()あり。()止水(しすい)、声は明鏡(めいきょう)であるばかり。案ずるな、彼らの『氣』は紛れもなく息をしている」

グレイシーヌの僧侶は彼らの体に触れ、確かな『(ラマダ)』を感じていた。

「だとしてもよ、どうすりゃいいってんだ?一人ずつ正気に戻るまでぶん殴ればいいのかよ?」

もどかしく思ったトッシュが新聞売りの額をコンコンと拳で小突くと、仲間たちは――ヂークでさえも――彼に容赦のない白けた視線を向けた。

「…なんだよ、テメエらまで辛気臭い顔しやがるから和ませてやったんだろうがよ」

「なんにしても、ここまで大掛かりなことをしておいてこれで終わりということはないだろう」

「様子を見るということか?そんな猶予があるとは思えないが」

人々の『氣』を直に見た僧侶イーガはアークの案に顔をしかめた。

「まだ敵の視線は感じないが、俺たちの襲撃はヤグンが(しら)せているはずだ。だとすれば俺たちを牽制するための人質は簡単に殺せない。人質を救出するまでは敵を刺激するような行動は控えた方がいいと思う」

アークはわざと「人質」の名前を明らかにしなかった。彼は欲深くも「全て」を助けようとしているのだと仲間たちはなんとなく察していた。

「連中が牽制だとか生温いこと考えるか?」

「ヤグンはグレイシーヌで俺たちに敗北している。支配欲の強い奴にとって”電波塔の実験”よりも遥かに屈辱的だっただろう。だからここで、俺たちを確実に仕留めるように言い含めているはずだ」

その為に、より人質に厚みを持たせるために急遽(きゅうきょ)ホルンを襲ったのかもしれない。彼はそう言った。

確かに、村に立ち込めるあの焦げ臭さは襲われて間もないことを証明していた。

「それでいいか、リーザ」

私も他の皆も彼の意見に賛成した。

「そレマでハどこで一服スるんだ?」

「適度に身を隠せる場所ならどこでもいい。…そうだな、そこの宿屋に空きがあるならそこにしよう」

新聞屋の露店の裏手に、今の私たちには()()()()()()()()()()があった。

 

運命に導かれるまま中に入ると、いまだ傷の癒えきっていない痛々しい姿の小さな勇者が私たちを出迎えた。

「……リッツ…リッツ、どうして?!」

キレイな栗色の短髪、小さいくせにヤンチャばかりしてきた無骨な手。

間違いなく彼は私の大事な友だちのはずなのに。今の彼の目ははめ込まれただけのガラス玉のように虚ろで、私の『声』に少しも応えてくれない。

そのくせ、その他の町の人に倣うように呪いの歌だけは口から溢し続けている。

「でも、無事で良かった」

別れ際、彼が無茶をして自ら命を断ってしまわないか心配だった。

こうして私たちの前に置かれてるってことは、彼らには知られたんだろうけど。それでも……生きてて良かった。

 

とても理想的とは言えないものの、友人との感動の再会を果たした少女を、呪術師の少女は妬ましげに見つめていた。

 

「……勝手に部屋を使っちゃっていいのかなあ」

虚ろな店主の視線が気になって仕方ないポコが言うと、彼のポケットに隠れていた三匹の小人が彼をからかうように笑った。

「そ、そんなに笑わないでよ。だって、なんだか悪いことしてるみたいなんだもん!」

彼らの緊張感のない遣り取りを見た一行はようやく少しだけ肩の力を抜くことができた。そこへ(こら)(しょう)のないトッシュはこの雰囲気に便乗するようにさらに大胆なことをし始めた。

「ト、トッシュ、それじゃあ完全に泥棒だよ!」

彼は宿屋の調理場から数本の酒瓶を拝借していた。

「ちゃんと金は置いてきたんだからかまやあしねえって」

カウンターに目をやると、相場の倍以上の金貨が悪戯っぽくピラミッドを組んで置かれていた。

だが、彼の意地汚さは見習うべきところがある。アークは仲間たちにも適宜食事を、束の間の休息を取るように指示した。

 

 

―――林檎、赤い衣を纏った甘美な心臓。魔女は喉を潤し、呪いの文言(もんごん)を紡ぐ。

文言は無垢な風をたぶらかし、災いとなって町に降り注ぐ。ついに、お前は第二の林檎となるだろう。

汝はヘビなりや。呪われた果実に(どく)をもって誅裁(ちゅうさい)する聖なる牙。

汝は火なりや。太陽に代わり、災いの地にはびこる悪魔の影を焼き払う神の遣い。

汝は死なりや。魔より()でし醜女(しこめ)に苦痛と懺悔をもたらすこの世にただ一つの、絶対の正義なりや!

手心を加えるなかれ。その情が我が子を殺すだろう!

怒りを絶やすなかれ。刹那の怯えに悪魔は舌を絡めるだろう!

浄化せよ。林檎を、魔女を神の炎で焼き尽くした先に我らの楽園は訪れるだろう!

 

 

ゴーン……ゴーン……

 

真白な神の目が朱に濡れ、獣の牙のように白く研がれた山々の(あぎと)に呑まれて消える闇の刻。

巨人の体躯(たいく)が月光遮り影落ちる町に、巨人の重厚な天啓(てんけい)が鳴り響く。

 

ゴーン……ゴーン……

 

「不快」。その音を認識して最初に浮かんだ言葉。耳に響き、私はひどく、ひどく気分の悪い(まぶた)を持ち上げた。

「…何の音?」

胸を乱暴にまさぐるような、舌が全身を這い回るようなとても嫌悪感をそそる音だった。

「大寺院の鐘の音よ」

窓辺に立ち、外を見やるサニアが単調に返した。

これが?遠目にだけど鐘の音は今までに何度も聞いてきた。だけど、こんなに胸の悪くなる思いをするのは初めてだわ。それに今は0時なのよ?鐘なんて鳴るはずが……

「ギーア様……ギーア様……」

「リッツ!」

鐘の音に反応して、リッツが動き出してしまった。

反射的に、血溜まりの中に冷たく横たわる彼の姿が脳裏に浮かんだ。

私は彼を止めようと手を伸ばした。今度こそ、私が護ってみせる!だけど、そんな私の手をアークが掴んだ。

「は、放して!リッツが!」

リッツが、また私から遠ざかっていく……。それなのに脂汗を浮かべるアークからは私を決して放さない『声』しか返ってこない。

「この先に本当の悪の根がある。それを叩かないとこの胸糞悪いイタチごっこは止まらないんだ。…頼む、辛抱してくれ」

「……ごめんなさい、」

唇を噛み、彼に命令する『声』を抑えた。遠のく彼を、静かに見送った。

「このまま彼らに紛れて行ける所まで行く。潜伏が最優先、戦闘が起こった際は迅速に処理しろ。敵に俺たちの行動を知らせる隙を与えるな」

チラリと窓の外を見やるとそこには道を埋め尽くすほどの行列ができていた。魂の抜けた顔。たどたどしい行進。鐘の音に返すように口から漏れ出る、魔女を討つ神の名前。

呪いの人形たちは神を代弁する鐘の音に手繰(たぐ)り寄せられ、かの寺院を目指していた。

「市民には手を出すなよ。だからといって俺たちの中の誰かが催眠にかかっても容赦はしない。そのつもりでいろ」

「安心セイ。バレん程度のジャミングはシとるカラお前らガ洗脳されるコトハマずなイわ」

「…ヂークか……」

「な、ナンジゃ?どウした?」

アークはヂークを見つめ、一つ目の問題をどう解決するか考えた。

ヘモジーの『混乱』でヂークの足音も緩和されてはいるが、その耳につく機械的な音は敵に察知される有力候補でしかない。

「ワシ、カッコ悪い……」

深くは悩まなかった。ヘモジーにヂークを背負わせることで一つの「装置」にすればいいだけの話だ。

「いいじゃねえか。その方が武器っぽくて似合ってるぜ?」

言われてみれば、寸詰まりのロケットランチャーに見えないこともない。本人もそれで若干機嫌を良くしているようだった。

 

不気味なことに、目的地までにいくつも合流する横道から現れた市民たちも一様に「ギーア様……」という祈りの言葉を口ずさんでいた。それらが混ざり合い、一つの鐘の音ほどの響きを得るとそこに、隠し絵のようなありもしない声が浮かび上がってきたのだ。

 

―――リンゴにヘビを……災いに火を……魔女に死を……

 

謎の声が鮮明になるほどに制御できない不安が湧き上がってくる。

「…これは、呪術か?」

「難しいところね。確かに術者の力を感じないことはないけれど、呪術はそもそも個人を攻撃するものだから。こんなに広範囲な影響を与えるなんて呪術では考えられないわ」

「それこそ例の電波が関係してるってことじゃねえか?」

「おそらくそうだろうな。両方の特性をかけ合わせた新しい技術。だからこそ実験が必要なんだろう」

新技術か。人類が追い求める「知識」と「発展」の結晶が人類に牙を剥くなんて皮肉な話だな。

……技術での発展がこれだけの悪を生むのなら、そもそも人間の思考そのものが悪なのか?それこそが「悪の根」なのか?

俺はフォーレスの民の、魂のない顔を見ながら護っているものの善悪を疑った。

……違う!騙されるな!これこそ奴らの思う壺じゃないか!

「…皆、これから何度となく同じような光景を目の当たりにすると思う。それでも、俺だけは疑わないでくれ」

前を見据えたまま、青年は言った。

同じく敵の思惑に(はま)っていた仲間たちは目を覚まし、彼の言葉を強く胸に抱きしめ、彼の進む先を強く睨みつけた。




※深山幽谷(しんざんゆうこく)
「深山」は人里離れた奥深い山のことを指し、「幽谷」は静けさ漂う奥深い谷を指しています。
→人の気配を感じさせない静けさと奥深い自然を感じさせる場所のこと(だいたいそんな感じ(笑))

※深山幽谷にさえ人の気あり。気は止水、声は明鏡であるばかり
どんなに深い山奥にも人は訪れるもの。そこに至る人は、自然と言葉を交わすために心を水面のように平らにし、声を風と若葉の囁きのように同じ音で彩るだろう。
→動作や会話の豊かさで心の有無を決めてはいけません。動いている限り、話している限り、そこには必ず心があるのです。
……みたいな意味で取って頂ければ幸いですm(__)m
(少し不謹慎な言い方にすると、植物状態の人にも心はあるのです。みたいな)

※三匹の小人
ケラックのことです。

※誅裁(ちゅうさい)
造語です。罪人へ法に則った死を与えること。
それっぽい言葉があると思うんですが、思いつかなかったのでつくりましたm(__)m

※天啓(てんけい)
空の上におわします神様が地上の人間にアドバイスをすること(忠告もしくは真理を告げること)。

※リンゴにヘビを……
旧約聖書で語られる「禁断の果実」の話をなんとなく引用しています。
「ヘビ」はリンゴに対する「毒」的な意味で取ってもらえれば十分かと思います。
「リンゴ」はマザークレアがリーザに食べさせようとした魔女の力を増減させる果実のことです。
原作の「リンゴ」系統のアイテムを集約したようなものだと思ってください。

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