聖櫃に抱かれた子どもたち   作:佐伯寿和2

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拳に刻まれた歴史 その十三

ラマダ山にてイーガたちがラマダ経典を解放している時分、ミルマーナ軍はグレイシーヌ国境付近ですでに敵と遭遇していた。

 

ラマダ僧兵を想定してか。ミルマーナ軍は彼らを近づかせないよう、攻撃的な戦線を築いていた。

グレイシーヌ側の森の切れ目に有刺鉄線を張り巡らせ、見張り台一棟ごとに重火器を設置し、敵を森ごと焼き払うのに十分な量のガソリンまで用意されていた。

さらには、拳相手には無用に思われる無数の塹壕(ざんごう)は、明らかに列車砲の使用を(ほの)めかしていた。

 

しかしミルマーナ軍はグレイシーヌに対し万全の火力差を見せつけていながら、その(おご)りから森に潜む敵をすでに見落としていた。

今、彼らが最も警戒すべきは面妖な技で弾幕を掻い潜る武闘集団ではなく、たった三人の大道芸人たちだということにまだ誰も気づいていなかった。

「うひゃあ…、相変わらずヤグンはやることが派手だね。一時的な戦線なのにここまで仕込んでるなんて……」

元軍人だった楽士は、その戦線を築くのにかけたであろう労力を想像すると、思わず溜め息を漏らしていた。

「あんな張りぼてごときで驚いておってどうする。これからワシらは列車と砲台をくっ付けた世にも珍妙な兵器を相手にするんじゃぞ?」

「だ、だって、あんなに沢山の銃が一遍に狙ってきたらって思うと生きた心地がしないよ」

「ホッホッホッ、お前さんなら避ける必要あるまい。日頃鍛えてきたその体は今日のためにあるんじゃないのか?」

ヨボヨボの手品師は楽士の弛んだ腹を杖で突いて笑った。

「…ゴーゲン、それはさすがに酷すぎない?」

彼はおおよそ100倍近い兵力差がそこにあろうと気に留める様子もなく、雑技の前の歓談とでも言うように、気弱な楽士をからかって暇を潰していた。

 

「…アイツら、ここにレールを敷くつもりなんじゃねえか?」

そんな中でただ一人、森にお似合いの猿だけが斥候の役目を忘れず、敵の思惑に目を光らせていた。

「レールって、列車砲の?」

「それ以外に何があるってんだよ」

「…ほう、つまりアヤツの勧告はハッタリだったと?」

「だろうな」

猿と手品師の間でだけ話が進み、理解できない楽士は二人の言葉を頭の中で反芻させ、敵の様子もじっくりと観察した。それでも、彼には何もわからなかった。

「え、えーと、つまりどういうこと?」

「……」

仕方ないとは知りつつも彼の間の抜けた声は手品師を笑わせ、猿は頭を抱えさせた。

「どうもこうもねえよ。今、移動できる範囲じゃ列車砲の弾はペイサスまで届かねえ。そのくせヤグンは列車砲で脅してきやがった。つまりどういうことだ?」

「……ウソ吐いてたってこと?」

「ああ。まあ、見たところ人手も物資も十分にある。俺たちがここで指を咥えてれば数日中にはウソじゃなくなるだろうけどな」

猿の言葉を証明するように、戦線内の兵士たちは今も(せわ)しなく動いており、物資を運搬しているらしいトラックも頻繁に出入りしているらしかった。

「…それってつまり、ここを落とせばグレイシーヌはやられないってこと?」

「取り敢えずは、な」

 

まさかそんなに単純なことだとは思わなかった。

ミルマーナ国はロマリア国とも繋がってるし、隣国も支配下に置いてグレイシーヌを包囲してるから。てっきりそれら全てをどうにかしなきゃならないものだとばかり思っていた。

なぜそうならないのかも彼には理解できなかった。

「ご自慢の武器さえ奪っちまえば結局のところ、物を言うのは兵隊の質ってことだ。その点、あのイーガもどき共は頭一つ飛び抜けてるのさ」

「でも相手は怪物も混じってるんだよ?」

「…ポコよぉ」猿はまたしても呆れ顔で言った。

「もしも俺がここで化け物に変身したらどう思うよ?」

「……それは、嫌かな」

そして、呆れ顔のまま後ろに倒れ込んでしまい、見かねた手品師が珍しく「やれやれ」と猿のフォローに回るのだった。

「ポコや、ロマリア兵といえど全員が全員、身内に化け物が潜んでいることを認知しておる訳ではないんじゃよ」

そのために進められた「キメラ化計画」であり、その間を繋ぐための「列車砲」だった。

「もしも突然、仲間が化け物になろうものなら、奴らの指揮系統はたちまち混乱するじゃろうな。だからこそヤグンは非効率と知りながらも列車砲の威力を世界に認識させようとしておるのよ。兵器を扱うだけなら何も化け物の力が必要になることもないからな」

「へぇ、そうだったんだ……」

楽士は複雑な気持ちで敵の戦線を眺めた。

 

今の僕ならおそらく彼らとも対等に戦える。

あの中にいたら経験できなかった濃密な一年間を、僕は生き残ったんだ。

だけど、あそこにいる彼らは皆、味方の本性を知らないのに、心から信頼し合えてないのに命令のために命をかけて戦う意思がある。

それだけであの頃の自分よりも何倍も「兵士」として優れているように見えてならなかった。

……だから僕は「兵士」をやめたんだ。

 

「それで、どうするんじゃ?このままアークが来るのを待つ……訳ないわな」

感慨に耽る楽士を放って、今にも飛び出そうとする猿に首輪を付けようと声をかけるも、手品師よりも一手先んじていた猿はすでに森の陰から飛び出していた。

「え、え、え?!あれも何かの作戦なの?ボク、また乗り遅れてる?」

「安心せい。猿にはあれしかできんというだけのことさ」

「いいの?アークの作戦とかに支障が出たりしない?」

「それは問題あるまい。さっきも言ったように、この土地が使()()()()()()()()ようにすればいいだけなんじゃから」

むしろ、こんな所に時間をかけている暇もない。

そう、あの猿は自分のスケジュールに合わせてくれたのだ。老手品師はそう思って重い腰を上げることにした。

 

「よお、テメエらこのクソ暑い中、酒も飲めずにイライラしてんじゃねえか?」

赤毛猿は鉄線の前で立ち止まると中であくせくしている彼らに向かって律儀に挨拶した。

すっかり油断していた彼らは一斉に猿を見やり、

「止まれ!キサマ、何者だ!」

「おいおい、俺の顔に見覚えがないって?そりゃあ、テメエら完全に頭にウジが湧き始めてるぜ?」

「待て、コイツまさか……!?全隊に通達!アーク一味が出現した!伝令兵はすぐに将軍に報告しろ!」

隊長格の男が命令するや、拠点に警報が鳴り響き、たちまち100人近くの兵士が所定の配置につき、全員の銃口が一匹の猿に向けられた。

「そうだよ、バカな賞金首にバカな兵隊。俺たちは丁度いい遊び相手だよな!」

戦争も博打もバカだけがやってれば誰も傷つかねえ。家族も仲間もいないようなバカだけで殺り合えば誰も傷つかねえ。そうだろ?

 

 

――――ミルマーナ軍本部

 

突如出現したトッシュによって国境作業チームが襲撃されるという情報は、すぐさまヤグン将軍へと伝えられた。

 

「なに?アークどもはまだラマダ山にいるのではないのか?!」

奴らの監視から報告を受けたのはつい数時間前だぞ?

奴らが国境に足を向けないよう、わざわざ監視に「見せしめ」まで指示したというのに?

「それが、アークに付けていた監視と連絡がつかなくなり、現在正確な位置は把握できていません。『見せしめ』に向かった部隊も同様で。おそらく、何者かの妨害を受けたかと……」

「クソッ、チュカチュエロだ!……よくもっ!」

ミルマーナ国の暗部はキメラだけで構成している。それこそ化け物染みた嗅覚がなければ存在にすら気づくこともないんだ!

「どうされますか」

「…国境に現れたのは誰だ」

「現在確認できているのはトッシュ・ヴァイア・モンジ一人です」

「一人だと?そんな訳がないだろ!クズ共め、状況確認すらまともにできんのか!?」

そうして怒りのままに重厚な机を凹ませ、窓ガラスにヒビを入れた時、彼の視界に愛猿の飛び回る姿が入った。植木をひっくり返し、アンティークの時計を投げ、トラの敷物に噛み付いてなお機嫌悪く喚き散らしている。

「……違う」

落ち着け、私は変わったんだ。本能のままに暴れる猿であってはならない!

ヤグン・デル・カ・トルは今や『王』に認められた男なのだぞ?!

 

……証明しなければ…

 

だがどうする、このままミルマーナに攻め込まれれば確実に油田の存在に気づかれ、私が直接対峙しなければならなくなる。

ガルアーノを落とした相手にか?…せめて何人か間引かなければ。

「フォーレスとブラキアの計画はどうなっている」

「滞りなく進行しています」

…『王』復権の遅延を招くかもしれんがやむを得まい。

「グラウノルンを使え」

それが憎き宿敵を返り討ちにする妙案でないことは一介の伝令兵にも理解できた。

「それはペイサスではなく、国境を狙えということでしょうか?」

「そうだ、アーク一味を狙う必要はない。あの一帯を焼き払えればそれでいい」

今のグレイシーヌにミルマーナを攻めるだけの器はない。ただ、攻略を少し先延ばしにしただけのことだ。…気に病む必要はない……。

「畏まりました。交戦中の兵に撤退命令は出しますか?」

「必要ない。あわよくば奴らを巻き込むよう指示しろ。それと、フォーレスとブラキアの電波塔の出力を上げて奴らを誘き寄せろ。後のことはレイガルたちに任せる」

伝令兵の退室を見送った将軍は、歯軋りした。それが悪手であると気づきながら、そうせざるを得ない強迫観念を抱いてしまっている自分に。

「アーク……、覚悟していろ。必ずやキサマを海の藻屑に変えてやる……っ!」

 

 

 

――――グレイシーヌ国境付近

 

「バカな!ちゃんと現状を伝えたのか?!」

「ハッ!ですが、応援が到着するまで耐えろとしか……」

戦況はミルマーナ軍にとって思わしくなかった。

あれからゴーゲンとポコが加わり、ほとんどの火器が役に立たなくなってしまっていた。

ゴーゲンは魔法であらゆる環境を操り、銃の照準を狂わせた。ポコの笛やシンバル、ラッパから放たれる音は兵士たちに精神的混乱を生じさせた。

そこへ刀を持った山猿が塹壕に飛び込んでは中の兵士を皆殺しにしていく。

もはやいくら応援が来たところで収拾のつくような状況じゃない。

……切り捨てられたか。

長年、ヤグンの下で戦ってきた彼はそれを受け入れなければならなかった。

「全隊のキメラに伝えろ。応戦の許可を与える。隊の連携よりも目の前の肉を一片でも食い千切ってみせろ!」

これは生き残るための作戦ではない。忠誠に命を捧げるための儀式だ。

 

「うわぁぁ!サミュエル、なんだその姿は!?」

指揮官の指示はすぐさま部隊の隅々まで行き渡り、並行して仲間たちの悲鳴があちこちで上がった。味方が味方でなくなる恐怖が伝播していった。

「バカが、自分たちからパニックを起こしやがって―――っ!?」

直後、地面を抉る破砕音が鳴り響いた。

 

「こ、これは、グラウノルンか!?」「なぜだ、何も聞いてないぞ!?」「撤退命令は!?」「誰か助けてくれ、足を、足をやられちまった!」「皆、どこだ?!どうすればいい?!」「畜生っ!こんなの聞いてないぞ!」「耳が、耳が……っ!」「撃つな、前が見えないっ!」

 

舞い上がる砂塵は混乱する兵士たちを極限状態へと追い込み、彼らの中の怪物も呼び起こすのだった。

アーク一味の実力に加え、化け物へと変化する仲間も目の当たりにし、今の彼らの頭の中にあるのは「自分の仲間など(はな)から一人もいなかったんだ」という絶望だけ。

 

ならば目に映ったものはすぐに殺せ!どんな手を使っても殺せ!奴らは森に潜む猛獣と同じだっ!

 

そこに至った者から気配を殺し、より激しく殺し合った。もう砲撃に怯む必要もない。

獣に殺されるか、鉄の塊に殺されるか。その違いでしかないのだから。

 

 

第一波の砲撃を受けてから、アーク一味はすでに戦線から離脱していた。今はただ、彼らの選択を見届けているだけ。

「コレ、ポコや。目を閉じてはならんよ。敵の弱点に怯えるようではいつまで経っても足手まといじゃぞ?」

「ううっ、だって……ウッ!」

「おい、ポコ。テメエもあの小娘を護るっつったんじゃねえのかよ?」

山猿はガシリと楽士の頭を掴むと未だ砂塵の中で阿鼻叫喚を上げながら殺し合う彼らを見せつけた。

「よく見ろ。これがあの小娘が首を突っ込もうとしてる戦場だ。人間も化け物も関係ねえ。敵も味方も関係ねえ。殺したい奴を殺した奴だけが勝者だ」

「……」

彼が、アークがいればこんなことにはならなかった。彼の精霊の力さえあれば少なくとも「人間」だけでも助けられたかもしれない。

……こんなの、アリバーシャの爆撃と何も変わらない……っ!

 

砂塵から転がり出た死体の首がただこちらをじっくりと見ていることに気づいた時、僕は抑えられない吐き気を覚えて森の中に逃げ込んでしまった。

 

……やっぱりいつまで経っても変わらない。戦争は、最悪だ……




※塹壕(ざんごう)
弾避け用の穴のこと。規模によっては交戦中の移動手段にも使える。

※チュカチュエロ
シュウを暗殺者に仕立て上げたロマリア軍の少佐のことです。名前はオリジナル設定です。

※シンバルの音
ポコのシンバル系の武器に「パニックウェーブ」というものがあって、相手に混乱を付与します。
アイテムの解説
「ドラのように太くて低い音が何重にも織り重なる。この音を直接耳に入れると全身がいうことをきかなくなる。連続した長時間の使用は自身の身体をもむしばむ。」
とあるので普段使いにはしませんが、私もよくお世話になったので一度くらい登場させてみました。

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