聖櫃に抱かれた子どもたち   作:佐伯寿和2

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拳に刻まれた歴史 その十二

一年前、入れ替わった大僧正によって荒らされたこの頂きで、俺たちは地の精霊と出会った。

中央には永い年月を経てきたであろう(おごそ)かな祭壇が変わらずそこにあった。

本来ならそこで祝詞(のりと)をあげ、神楽を舞い精霊を祀るであろう広さの祭壇に、今はたった一本の巻物だけが置かれている。

そして、その前でイーガは座禅を組み、合掌し、経典に念じて精霊に呼びかけている。

一年前、俺たちは「彼ら」に直接呼びかける特別な石を持っていたが、今回はイーガの信心がそれに代わっている。

俺の力を使えば簡単に「彼ら」を引きずり出せるかもしれない。

だけどそんなことをしても「彼ら」がイーガを経典の継承者と認める訳がない。(きび)しい修練を積んだ僧兵だけが体得できるそれを俺なんかに担えるとも思えない。

だからここばっかりはイーガ一人に任せるしかなかった。

 

祭壇の前で瞑想する彼の表情はいつもと変わらない。人を寄せ付けない(いかめ)しい面構えで、開いているのかどうかもわからない視線を合掌した自分の両手に注ぎ続けている。

「彼ら」と世間話をしに来た訳じゃない。これは列記とした試練なのだから、結果が現れるまでに少なくとも一時間、下手をすれば半日以上はかかると思っていた。それなのに、数分もしない内に「彼」は現れた。

吹き荒れていた風が止み、時が止まったかのように全てが静まり返った。

 

気温が下がり、乾燥した大気が登頂者たちを取り巻いた。それは呪術師の少女にバルバラード国の、夜の砂漠を思い起こさせた。

その直感は、現れた「彼」を見てさらに確信に近づいた。

『……イーガ、アーク。願わくば、お前たちには二度とこの地に足を踏み入れて欲しくはなかったのだがな』

ターゲットに襲い掛かる邪霊とその遣いたちの姿を何度となく目にしてきた。彼らは一様に血色が悪く、この世への未練や憎しみを込めた視線でターゲットを死地へと追い立てる。

祭壇に現れた、木製の甲冑を着込んだ足のないドワーフ。緑色の肌をしたソレの目は、彼らとよく似ていた。

これは私の目が濁っているからそう見えているだけなのか。それとも――――。

 

「地の精霊様……」

『イーガよ、なぜ経典を持ち出した。私がそれをお前たちに許したか?お前の師でさえ私はその拳を持つに値しないと判断した。ゆえに経典は長きに渡り、口を閉ざしてきた』

イーガいわく、経典はもう1000年もの間、そこに綴られたものを目にした者はいないらしい。

『過ぎた知恵は悪だ。優れた精神と肉体があって初めて技は支えられる。もしも技と知恵に溺れたなら、我々は其奴に刺客を差し向けるだろう。今のお前たちが“勇者”と呼ばれるようにな』

精霊が懸念している「知恵」というのは経典に記された武術の奥義で、それを体得することでラマダ僧兵は無我の境地に達するのだという。

殺意、憎しみ、私利私欲のない純粋な「力」は、どんな障壁も防ぐことができず「命」そのものを攻撃する。

それは、最強の矛でさえも弾くという最強の盾であっても変わらない。

世界の(ことわり)を乱す者を、理の中に還すために使われる力。

「精霊」の仕事を代行する技と言い換えてもいい。

『答えよ。今のお前たちの中の誰が、かの業深き技を使うに足る心体を持つと言うのだ』

「精霊殿、不遜ながらこのイーガ・ラマダギアがその役目を務める覚悟で参りました」

『アークっ!!』

精霊の叫びは雷鳴のごとく轟き、山を揺らした。それでも一羽の鳥も逃げ惑うことはなく、山は死んだように静まり返っている。

『確かに我々はお前に困難な道を示したかもしれん。だが!そのためだからとお前に託した力では飽き足らず、ラマダの掟まで歪めるつもりか?!少し功を成したからと思い上がりおったな!』

アークは動じなかった。残りの全員が腰を抜かしてしまうような「彼」を前にしても、堂々とそれと対峙していた。

そして、未だ自分の出番でないことも(わき)えていた。

額を地に着け、主張する彼の姿を見守っていた。

「精霊殿、私のこの傷を!この傷が、貴方の信頼を裏切らぬ何よりの証拠でございます!」

イーガが頭を垂れて見せた肩の古傷。それは今も彼の背後で見守っている戦友が付けたもの。勝利のために負った信頼の痕。

「精霊殿、貴方はいつ何時(なんどき)も我々を見ておられる。そう仰られました。であればこの傷の経緯もご存知のはず」

『…イーガ、理解しろ。掟とは守ればこそ真の力を持つのだ。情や誠意を介入させれば掟もまた悪に染まるばかり。ラマダはこの理を守護する存在でなければならない』

「バカじゃない?!」

おおよそ部外者であるべき少女が、堪らず彼らの禅問答に割り込んだ。地の精霊が威勢ばかりの小娘にギロリと視線を向けた。

けれども、少女はアークを真似るように「彼」を睨みつけた。

 

「そこにある力を使って民を護ることの何が悪だって言うの?お前たちのその堅苦しい教えのせいでコイツは民を見殺しにしようとしたのよ?!掟のためなら民を殺してもいいの?だとしたら悪はお前自身よ!!」

年若い呪術師は己の醜い姿を見るかのように力一杯「彼」を睨みつけた。護るべき者を護らなかった者全てが自分と同じ顔をしているとでも言うように。

『王女サニア、恵みの精霊を護りきれなかった憐れなミルマーナの王族よ。お前は自分の姿を見つめたことがあるか?敵を滅ぼすために力を求めたその成れの果てが今のお前の姿でないか』

「逆でしょ?!すべき役目を果たせなかったから、その力がなかったから今の私がいるの!お前はそれが分からなくなるくらい信じる者たちを見捨ててきたってことでしょ?!お前は私たち以上の愚かな王よ!」

『グッ……』

少女はその場の誰よりも怒り狂っていた。目的のために隠し続けていた素性が曝されても気づかないほどに。

『人間は世界の理の一部に過ぎない。お前たちのために世界があるのではない。世界があるからこそお前たちがあるのだ』

「お前たちが立派なのはその口先だけなの?その人間に護られなきゃ今にも滅んでしまうくせに。そうよ、お前らも一度滅んでみればいいのよ!そうすれば私たちの気持ちがわかるわ。悪かったのは自分たちだったってね!」

『な、なにを……!?』

まさに怒涛の勢いというような()()に言葉を返そうとした瞬間、自分もまた「愚かな人間」と同じ言葉で責任を転嫁しようとしていることに気づき、「彼」は思わず言葉を詰まらせてしまった。

「精霊殿、どうか私たちを信じて頂きたい」

『……』

「私は、この戦に勝利した暁には奥義とともにこの身を経典にお返しする所存です。今、貴方の前にあるのは理を正す拳に過ぎないのです」

この地の民に氣功(ラマダ)を授けた精霊は、それを管理するために経典を創り出した。道を踏み外した者から全てのラマダを奪うために。

知り過ぎた肉体もろとも経典に封印されても構わない。イーガは「彼」を説得するために自らその代償を高めた。

 

永い沈黙だった。一塊の雲海が通り過ぎ、すっかり祭壇を濡らしてしまうほどに。

その間にも呪術師の王女は怒りで拳を真っ赤に染め、「彼」の信徒は地に伏して許しを乞い続けた。

 

『…イーガよ、私は過ちを犯していたのかもしれん。…しかし一方では、やはりお前たちの(おご)りのように思えてならん』

「彼」の重い語り口調とともに、足下に置かれた経典が震え、固く閉ざされていた帯がゆっくりと(ほど)けていった。

『その答えをお前に託そうと思う。これはそのための譲歩だ』

解放された経典は宙に浮き、巻き収められた本紙を伸ばしていく。伸びた経典は地に伏した信者の頭を新たな「軸」とし、巻き付いていく。何重にも、何重にも。

そうして残された軸は「彼」の手に還り杖になると、信者の頭に巻き付いた経典は光となって彼の閉ざされた瞼の中へと流れ込んでいった。

 

――――過ぎた知識

 

精霊の言葉が物語るように、伏した信者は流れ込む経典の力に苦悶の呻きを漏らし、滝のような汗をかき、痙攣していたが、「忍耐」に秀でたイーガはこれを身じろがずに耐えてみせた。

それは、恩師の未練と王の苦悩を晴らすため。己の力こそが彼らの求めるものであるため。

彼は「生」への執念ではなく、これまでの修練の確かな「結果」を得るために歯を食い縛った。

そして彼は見事に経典を宿すに足る器であることを、自分自身に見せつけることができたのだった。

その過剰な教えの一言一句を、外界に漏らさないように、彼の瞼は一層固く結ばれた。

 

それは「彼」に対する一つの答えの現れでもあり、「彼」を驚かせる結果だった。

『……アーク、そして炎の御子エルクコワラピュール。お前たちもまた、我らと運命を共にするもの。我が子、イーガはまだまだ未熟。コヤツを、頼んだぞ』

たかが呪われた少女ごときにいいように罵られてしまった「彼」は、それだけを言い残すと祭壇から姿を消してしまった。

「偉そうに…。どれだけ長く存在していたって、体もない奴に私たち生きてる者の本当の気持ちなんかわかりっこないのよ」

「シャーヒ…、サニアよ、それは我々とて同じだ。我々は肉体があるからこそ命惜しさに大切なものを見失う。誰かが正しいということはないのだ」

「…説教なんてまっぴらよ。私は自分の手で答えを探さない奴の言葉なんか信じないわ」

「であれば、我々の言葉は信じてくれる。そう思っていいのだな?」

その「僧兵」らしい悟りきった態度も彼女の癪に障った。けれど……、

「アークといい、お前といい。お人好しが過ぎるといつか痛い目を見るわよ」

「かまわんさ。それが我々の答えなのだからな」

「……」

少女は思った。力がなかったから自分の国は滅んだのか。それとも、彼らのように答えに忠実であろうとする勇気がなかったから滅んだのか。

だからこその「勇者」なのか。

……知る必要があるのかもしれない。もしも、復讐がまだこの命を喰い尽くさないでいてくれるというのなら。

「さあ、勝負はここからだ!」

青年の赤い鉢巻が、百万の兵を率いる戦旗のように力強く風になびいた。

『おぉ!』

寄せ集めでしかないはずの彼らが、たった一人の青年の号令に息を合わせて雄叫びを上げた。

 

……彼らなら、信用してもいいのかもしれない。

 

少女は見たことのない光を見ていた。触れたことのない希望に頬を濡らしていた。




※木製の甲冑を着込んだ足のないドワーフ。緑色の肌をしたソレの目は、彼らとよく似ていた。

公式販売されたトレーディングカードに描かれた地の精霊がそんな容姿をしていました。
「アークザラッド 地の精霊」でググると出てきます。

※精霊殿、貴方はいつ何時も我々を見ておられる。そう仰られました。
「お前たちを見ている」
原作(アークⅠ)で地の精霊がアークたちに精霊の石を渡す時に言った言葉ですね。

※ようやく
シャーヒダさん……実は……
アークⅡのメインキャラ、サニアさんだったんですね!!
いやぁ、ビックリしたなぁ、わからなかったなぁ(笑)
地の精霊さん、解説ありがとうございます!m(_ _)m

※責め句(せめく)
造語です。「責め立てる」と「文句」の合成品です。
ちょうどいい語呂の言葉がなかったのでつくりました。
「責め苦」の間違いではありませんのであしからずm(_ _)m

※巻物の構造
書き記すための紙(本紙)が円柱状の棒(軸)に巻き付いて、端に紐を取り付けて縛られています。
「帯」は衣服を締め付けるためのものですが、なんとなく「紐」の代わりに使いました。

※そうして残された軸は「彼」の手に還り杖になると
原作の「地の精霊」の手には杖が握られています。それが「経典の軸」だったというオチにしています。

※ホンマのあとがき(久々(笑))
地の精霊さん、なんだかリュウゲン王と同じような扱いになってしまいました。
原作を見返している時、なんだかすごく上から目線なのが気になってしまいまして……
(当時の私たちの世界の時代背景というのもあるかもしれませんが、精霊さんは皆そんな感じですね)(;・∀・)
精霊さんは細かく描写されていないから見えてないだけで、「意思」があるならそこには必ずエゴがあると思います。
「全ての生き物が平等に」みたいな語り口調をされますが、それは精霊様の力でも無理な話ですよね。
(かなり「ゲーム」というコンテンツを無視した個人的な意見ですが……)

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