聖櫃に抱かれた子どもたち   作:佐伯寿和2

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拳に刻まれた歴史 その九

――――ラマダ寺、本堂最奥の間

 

そこは僧正らが(つど)い、法を読み解き、己を見詰める会合の場。

そこに別の法を敷く大胆不敵な一つの影があった。

 

輪灯(りんとう)灯籠(とうろう)には火を(とも)さず、火鉢の前で座禅を組み、瞑想する少女は炎の揺らめきを肌で感じ、間もなく己に訪れる苦難を予見していた。

「お父様…、お母様……」

少女は亡霊を炎に()べ、燃え上る炎で牙を研いでいた。

ここに至るまで、それを幾度となく繰り返してきた。

 

「…何をしている。今からここで大事な話をするのだ。部屋を移ってくれないか」

現れた寺の住人たちは明かりを点けると、そこにいる邪教の少女に怪訝な眼差しを向けた。

だが、少女にとってその視線は特別なものではなく、むしろ牙をより鋭くさせる手助けになった。

「『仲間』、なんでしょ?」

少女は鼻で笑って応えた。

「…聞いていたのか」

「まぁ、そう言ってくれて助かったわ。これ以上揉めるようなことになったら誰かが後悔することになるから」

「そうだな、お前の情報とやらが俺たちにとって有益であることを心から願っているよ」

僧に代わり、笑みを浮かべながら言う青年を見遣ると、バルバラード国の呪術師は知らず知らず眉間にシワを寄せていた。

 

どこから手に入れたのか。敵軍の位置、数、兵種もろもろ。シャーヒダの情報はなんとも具体的かつ信憑性の高いものだった。

「それもその力で手に入れたものなのか?」

「だったら何?お前は他人のプライバシーを侵さないと気がすまないの?」

青年の問いかけに、少女は苛立たしげに答えた。

「どうだろうな。お前の答え次第だ」

「…っ、偉そうにっ!」

その小生意気な顔が憎く思えて仕方がなかった。

自分の居場所を失った訳でもなく、優秀な仲間に囲まれ、他人に与えられた力で勇者を気取っている。

彼らの掲げた手でできた日陰でしか生きられなかった少女にとって、自分を笑う人間はすべて「悪」でしかない。

「…いいわ、教えてあげる」

そこに真っ赤な道があることを、世間知らずなこの男に知らしめないことには腹の虫が収まらなくなっていた。

 

 

シャーヒダ、復讐と力を渇望する少女は(こころざし)を同じくする砂の国に迷い込んだ。

少女は憎悪と欲望で干上がった砂の地を歩き、戦う術を手に入れた。

「呪術」と呼ばれるその力は、生み出した国の性格を余すことなく受け継いでいた。

その力を使えば、剥き出しになった感情に首縄をかければ獲物を意のままに操ることができた。

しかしその間、術者は剥き出されたままの感情を感じ続けなければならない。剥き出しのナイフを握り続けていなければならない。

けれどもそれは決して居心地の悪いものではなかった。

心が露わであればあるほど、その手足は自在に動かせる。彼らの心を操る一番手っ取り早い方法が人を殺すことだった。

自分がそこに立つ者であるだけに、何をすればその人形が自分の思う通りに感じるか。手に取るように理解できた。

愛する者を殺せばいい。大事にしていたものを奪えばいい。それだけで欲しいものが手に入った。

『彼ら』がそれを肯定するように、少女の力はみるみる間に強くなっていった。

たった一つの情報を得るために、返り血で前が見えなくなることもあった。そしていつの間にか、それを洗い落とさなくても気にならなくなっている自分がいた。

 

「今、お前たちが手にしている情報は、お前たちの言う罪のない人間を殺して、殺して、殺し尽くして得たものよ。どう、とても信憑性のある情報でしょ?」

「……」

恐怖、憐憫、憎悪、悲壮……。

居合わせた全員が彼女にさまざまな感情を向けた。その目にも彼女は慣れきっていた。

「どうする?私を殺す?できるものならそうすればいいわ。それが本当に世のためだと思うのならね」

どうせ自分は殺されない。その自信があった。

彼らにそんな度胸などありはしないのだと知っていた。

「どうしたの?殺りなさいよ。それとも私まで『罪のない人間』扱いするつもり?…それでよくアイツらを相手にしようなんて考えられるわね」

彼女と彼らの違いは、目的に対する貪欲なまでの執着心だった。

彼女になら殺せる。切っ先が青年のその発展途上の喉元に当てられていたなら、迷わず横に掻っ切ることができる。それがバルバラード国の呪いを受け継いだものの絶対的な力だった。

 

だというのに、青年は呪術師の挑発に反応するどころか、涼しい顔で挑発し返していた。

「人を殺して、後悔したことはあるか?」

「お前にそれをどうこう言える資格があると思う?」

「何もお前を非難するつもりはないさ」

それが何より気に入らなかった。奥歯が(きし)み、運命(かみ)に愛された人間に対する憎しみが目を充血させていくのがわかった。

「ハッ、お前たちは何もかもが中途半端なのよ!確証のない正義になんの意味があるって言うの?」

彼女には自信があった。

自分が悪魔たちに「裁き」を下しているのだという確信に満ち溢れていた。

殺して、殺して、殺し尽くす。

あの日、自分のために命を落とした亡霊たちを嘲笑う人間どもを根絶やしにするまで。

少女は手始めに、つい先ほどチープな人情物語の悪役を演じた男の首に手をかけた。

「お前と、あのお飾りのような王はもっと酷いわ。たかだか200人程度の命でアイツらの機嫌を取れるなんて本気で思ってるの?そんなくだらないことしか考えられない奴が国の長だと言っているんだから、そもそも国の根っこから腐っているのかもしれないわね」

「口を慎め!妖しい術で人を惑わせる奸物(かんぶつ)風情が、国民を人質に取られた王の何がわかる!」

「ハッ、お前こそ何もわかってないわ」

だから私はコイツらが気に入らなかった。被害妄想に酔いしれて護れるものを護らないでいる傲慢さが気に喰わなかった。

そのくせ、体裁さえ保てれば「正義」を掲げられると思ってるクソみたいな奴ら。この場で殺せたらどれだけ胸のすく思いがするだろうか。だけど、今はまだその時じゃない。

「なり振り構ってられる場合かどうかも理解できないんだから、救えないクズよね。そこの猿の方がまだマシだわ」

ああ、殺してやりたい、殺してやりたい、殺してやりたい……。

 

情報を渡す代わりに復讐に協力する。それだけの関係であったはずが、シャーヒダは執拗にアークたちを(けな)すことを止めなかった。

「何をそんなにわぁわかわぁわか騒いでんのかねえ。テメエこそ、他人のことグチグチ言えた立場かよ。…ってか俺の顔ってそんなに猿顔か?」

「さ、さあ…」

どさくさに紛れてバカにされた赤毛は隣の楽士を小突いて尋ねてみるけれど、さすがに叱られるとわかっていて答えるほど楽士もバカではなく、曖昧に返した。

そんなことよりももっと重要な、気掛かりな人がそこにいるように思えてならなかった。

 

 

協力関係にあるはずが、彼らの遣り取りは噛み合わず、難航していた。そして遂には、イーガがシャーヒダの逆鱗に触れてしまうのだ。

「民に武器を持たせる訳にはいかん。それはラマダの掟に反する」

突然、シャーヒダは歴史ある本堂の床を血が滲むほどに殴りつけたかと思えば、悪鬼が顔に現れ、誰彼かまわず飛び掛からんばかりの剣幕で捲し立てた。

「なにが掟だ!民が戦って何が悪い!?戦えよ!テメエらの国だろうがっ!!」

説法を響かせるための本堂に、血生臭い、ことごとく礼を欠いた声が響き渡った。悪童の咆哮が輪灯や灯籠の火を揺らした。

「シャーヒダ、お前、もしかして…」

青年は鬼と人の間で揺れ動く彼女を落ち着かせようと、わななく肩に触れた。

「触るな!!」

覚悟のない手は嫌悪に(まみ)れている。少女はそれを激しく払いのけ、青年を突き飛ばした。

その力は思いのほか強く、青年は咳き込んでしまった。しかし、彼はそれぐらいで少女を手放すようなことはなかった。

「…教えてくれないか。君が何者で、奴らに何をされたのか」

なぜなら、剥き出しにした少女の目に見覚えがあったからだ。

それを見れば、全身が焼けるような想いを思い出すからだ。

 

 

 

 

――――あの日の空爆は、俺の中の理性の糸を焼き切った

 

目を焼くような閃光だった。

数度のそれが辺りを埋め尽くすと、助けを求める数百の手が触れ合う間もなくこの世から削ぎ落された。

爆音が、懇願も悲鳴も残さず喰らい尽くしてしまった。

 

そこから湧き上がる感情は閃光とは真逆の、見たこともない色をしていた。

爆音を押し返す狂気で、脳がはち切れていった。

 

――――殺してやる、殺してやる、殺してやるっ!!

 

あの瞬間、俺は自分が何者なのかわからなくなっていた。

制御の利かない濁流のような感情が血管を駆け巡り、手足が勝手に動いていた。

敵を見つける喜びに打ち震えて、がむしゃらに首を飛ばした。

赤い軌跡を描く「己の剣」だけが、俺の中の唯一の「正義」なんだと確信していた。

 

 

 

……忘れられるはずもない。俺はあの日、彼女に慰められた時、「アーク」であることを捨てる決心をしたんだ。

 

そんな彼の過去など知る由もない少女の怒りは止まることを知らない。

「弱みを見せた途端に優しくするの?お前は詐欺師の素質もあるみたいね。アタシはもう何も教えないわ。お前らはアタシに言われた通りに踊ってくたばってればいいのよ!!」

本来ならその罵声に、気弱な彼が立ち向かうことなどできるはずもなかった。

けれど、彼にもまた、少女に親友の面影が見えていたから。立ち向かわない訳にはいかなかったのだ。

「そ、そんなに恐がらなくていいんだよ。アークは初めっから君のことを助けようと思っていたんだから」

「――――!?」

「あ痛っ!ト、トッシュ、なんで殴るのさ!」

「ポコさんよぉ…、それを言っちゃあ、お終いだぜ」

彼の言葉の何が少女をそうさせたのかわからない。誰に何を言われようと牙を折らない自信のあったシャーヒダが、楽士の言葉で困惑し、怯えるように走り去っていった。

 

青年は彼女の背中を無言で見送った。あの日、怒り狂った鬼を立ち直らせたのが自分自身ではないことを思い出していた。

「ご、ごめんね。ボク、また余計なことを言ったのかな……」

「…そんなことないさ。お前がそう言ってくれたから俺は今も闘っていられるんだ」

親友の胸に笑顔で拳を当てながら、それとは真逆の気持ちに襲われていた。

「…不甲斐ない」そう思う青年の顔からは生気が抜けて見えた。

「大丈夫ですよ。絶望から簡単に這い上がれる人なんていませんから。アークさんの気持ちはあの人にちゃんと届いてますから」

他人を助けることに命を懸ける彼に心惹かれ、リーザはどうにか彼を励ますことができないかと知らず知らず声をかけていた。

「……だといいけどな」

そうして浮かべる彼の苦笑いは彼女の胸をきつく締め付けた。

 

 

敵を殺すのは簡単だ。

だけど、狂ってしまった自分は二度と自分の中から消えてくれない。

ソイツは一生、あれからずっと、俺の耳元で喚き続けている。

――――殺せ、殺せ、殺せ!

だけど、殺して終わる世界じゃないんだ。お前たちは、その先を生きていかなきゃいけないんだよ。

それを叶えることが、俺の中の一つの「勇者」の形なんだ。




※灯籠(とうろう)、輪灯(りんとう)
仏さまに明かりを供える仏具、照明器具の一つ。
煩悩を払う知恵の明かりみたいな意味もあるみたいです。
輪灯は灯篭の呼び名の一つで、天井から吊り下げる形のものを言います。


※奸物(かんぶつ)
奸知(かんち)、よこしまな知恵を持つ悪人。

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