聖櫃に抱かれた子どもたち   作:佐伯寿和2

220 / 235
拳に刻まれた歴史 その七

剣士であるはずの青年は今、剣ではなく拳を構えていた。

まだまだ隙も多く、拳を支える筋肉も貧弱だ。見習いの僧でさえ返り討ちにあうだろう未熟な構え。そんな彼が師範代にまで上りつめた私の前に立ち塞がっている。

彼は愚かではない。拳では私に敵わないとわかっている。老師から授かった知恵を働かせているはずなのだ。

「……」

だが、私に一撃でも与えられると思っている。そんな目をしている。それが私の癇に障った。

「アークよ、いったい何の真似だ」

お前は今までどんな敵に対してもふてぶてしく笑ってきた。今、私に向けている表情がそれだ。その顔を正面から見るのはこれで二度目になる。…だが、なぜだ?

「お前は『ラマダ僧兵』としてのイーガを演じればいい。俺は俺の知っている『アーク一味』のイーガを演じるだけさ」

「なにを…、私は私、イーガ・ラマダギアただ一人だ」

前回、お前は私に完膚なきまでに叩きのめされた。ククルに助けられなければ、私はお主を殺していた。

…そうだ、あれから私たちは互いに学んだ。力も生き方も大きく変化した。

「イーガ殿、心苦しいかもしれないが彼を止めてはくれまいか?」

「…御意」

だが、アークよ。お主の拳はまだ私に届かない。そして私の拳には今、王の命が乗っている。マローヌ王の最期を看取ったお前になら、この意味がわかるはずだ。

「アークよ、いついつでも掛かってくるがいい。我々の苦悩を、ラマダの重みをその身に刻んで理解するがいい」

 

体格差においても格闘の経験においても、アークはイーガに遥かに劣っている。

だからこそ、一度組み合ってしまったなら勝ち目はない。

重心を下半身に置く、一撃必殺のイーガに対し、アークはフットワークを活かしたヒットアンドアウェイを狙っていた。

「……」

二人は睨み合ったまま、口を利かなかった。まったく同じ状況であるにも拘らず、一年前とはまるで様子が違っていた。

 

試合は当然、イーガ優勢から始まった。

互いの間合いを見極め、完璧なタイミングで仕掛けたはずのアークの拳は掠りもせず、カウンターを狙ったイーガの拳がアークの顔面を襲った。

寸前で体をひねってこれを躱すが、続いてやってくる連撃には体が追いつかなかった。

全身で振り下ろす拳の勢いを活かした蹴り上げがアークの脇腹を捉え、大人二人分の高さまで吹き飛ばした。

「グッゥ!」

その一撃は容赦なく青年の内蔵を潰した。

青年は痛みに悶えながらも、体に叩き込んだ教えを発揮して落下による致命傷を避けた。それでも高所からの落下は全身に大きなダメージを与えた。

「アークよ、このまま続けるか?わかってはいると思うが、その傷は浅くない。早めに治療した方がいい」

イーガは開始の位置から一步たりとも動いていない。大地と一体化した彼の言葉はまるで、寺全体を響かせるような重みを感じさせた。

だがアークはそんな彼の虚勢を鼻で笑った。

「俺の負け?おいおい、バカにしているのか?」

咳き込み、口から血が(あぶく)となって吹き出ていたが、その笑みは開始前と少しも変わらないふてぶてしさを(たた)えていた。

「俺は『勇者イーガ』だと言っただろう?そしてお前は『ラマダ僧兵イーガ』。お前が自分の意志を貫きたいなら、俺を殺せよ。その覚悟もないくせに正義面するなよな」

「正義だと?自惚れるな、お前はお前であって私ではない。お前こそ、自分の使命を忘れ、ここで私と決闘など…。自分をおろそかにする者に真の正義などない!」

今まで霊峰のごとき威厳を見せつけていた男が、猛虎となって青年に飛び掛かった。

辛うじて俊敏さで勝っていた青年は必殺の急襲こそ免れたがやはり、落下のダメージは大きく、頭では予測していた連撃に対応することができなかった。

流れを殺さず上段から振り下ろされた足は青年の肩を砕き、石畳に叩きつけた。

「うあぁぁっ!!」

まるで拷問のような悲鳴が道場に響き渡った。

叩きつけられる瞬間、顔をかばった青年の腕も肩も完全に砕けていた。

それでも青年は息を整えるとゾンビのように立ち上がって、笑った。

 

「…お前たち、どうかしているぞ。なぜアークを助けない!私が手を抜くと思うか?彼が死んでもいいのか!?」

イーガの叫びに赤髪の侍は大声で笑い返した。

「殺せるもんなら殺してみろよ!そしたらお望み通り、俺がテメエを殺してやるよ!」

あの男の気性は知っている。奴は殺すと言った相手は必ず殺す。それで何が解決する訳でもないとわかっていても。

…私とて、わかっている。アークには何か狙いがあるのだと。だから奴も堪えている。私もそちら側にいたなら同じことをするだろう。

だが、彼の傍を離れただけでこんなにも理解できなくなる。こんなにも、不安に駆られる。

……私は本当に、これでいいのか?

だから、問いかけずにはいられない。

「お主もそれでいいのか?こんな所で、これまで乗り越えてきたもの全てを投げ捨ててもいいのか?」

完全に破壊された利き腕はだらりと垂れ、鼻はひしゃげ、全身血に塗れている。それでも彼は勝利を確信して笑い続けた。

「それがお前の本音だよ」

「なに?」

「上に立つもののせいにするなよ。一年間、俺たちは何のために闘ってきたんだ?」

示し合わせた訳でもなく、私たちは『力』を使わなかった。拳だけで己の力を証明しようとしている。一年前のように。

だからこそ、一年前と同じ結末を迎えようとしている。

彼は今にも気絶してしまいそうなほどに朦朧としている。それでも彼は頑なに『力』を使わない。

……なぜだ、それでお前の正義が損なわれるとでも言うのか?

もっと、他に護るべきものがあるはずじゃないのか?!

「投げ捨ててるのはお前だろ?」

「…アーク、お主は…、アリバーシャの惨劇をもう一度繰り返してもいいと言うのか?!」

「させるかよ!」

青年の激昂した。あの日、目に焼き付いた廃都の怨念を代弁するように。

「だから闘うんだ。お前と一緒に!」

 

…愚かだ

 

ようやく理解できた。彼の『力』であればそんな怪我は立ち所に癒してしまう。これは情に訴えかける彼の小癪な罠だと。だが、それでも……、

一時の感情が盤面を覆した試しはない。戦争は常に戦力と戦略のせめぎ合い。

そして、我らは攻め手にこそ長けていても守りにはひどく弱い。

無理なのだ。初めから、これは負け戦なのだ。

 

「…何をしている」

なぜだ?なぜお前たちが私に立ちはだかる。

なぜ、その拳を私に向けている。

「何をしていると聞いている」

…正直、してやられたと言うほかない。

この男は初めからこれを狙っていたのだ。私ではなく、彼らを。

 

青年と師範代の間に、鍛え上げた肉体に血管を浮き立たせた未熟な僧兵たちが立ち塞がっていた。面が顔を覆い、表情こそわからないが、わななく彼らは今、歯を食い縛り、眉間にシワを寄せているに違いない。

「申し訳ありません。我らが貴方に背くことなどあってはならないことだとは承知しております」

「ですが、我らはまた同じ過ちを繰り返しているのではないでしょうか?」

「未熟な我らの目には、今の貴方の拳に大僧正様への誓いを見ることができないのです」

 

……愚かだ

 

我らの使命はなんだ?己の信念さえ満たされればそれでいいのか?

否。断じて否だ。

我らはラマダの「矛」であると同時に、矛を持たぬ者たちのための「盾」でなければならない。

盾、すなわち献身だ。その時が来たに過ぎない。なぜそれが理解できない。なぜ、ラマダに忠実でいられないのだ。

「お主ら、覚悟はあるのだろうな……」

 

彼の拳は「覚悟(ラマダ)」に忠実だった。一振りすれば石畳を割り、烈風を巻き起こした。一突きすれば砲弾を弾く衝撃波になった。

イーガ・ラマダギアの心と体は霊峰から力を借り、王の覚悟を護る無類の盾と化していた。

そう……、

 

――――これこそが”ラマダ”なのだ。

 

しかし、彼が力と正しさを証明するための拳を振るうたび、弟弟子をなぎ倒すほどに、一人、また一人と青年の隣に並び立つ同胞(はらから)が増えていった。

「…お前たち、何を考えている!僧兵がこんな安い情に流されていいと思っているのか!これまでの修練をなんだと思っている!」

ついには彼の兄弟子であったはずの僧正までもが彼に向ける矛へと成り代わっていた。

「情に価値なし。その(まなこ)をもって(しん)を見極めよ。お忘れか、師範代」

「……」

忘れる訳がない。否、忘れてはならない。

「修練は無に非ず。しかし(あやかし)の肥やしとなるなら、その拳を歴史に刻むべし。…すべて大僧正のお言葉です」

「……」

私が間違っているのか?ここまでなのか?私が追い求めた”ラマダの本質”はこの程なのか?

 

……恩師よ、私は貴方から何を学んできたというのだ

 

そうして彼の纏う覇気は多くの友の言葉に説き伏せられ、拳は形をもった張りぼてになろうとしていた。

 

 

イーガが意気消沈している最中、中心に立つアークは多くの僧兵に支えられ、あろうことかラマダの王に宣戦布告とも取れる暴言を吐いていた。

「リュウゲン王、俺たちはテロリストだ。使えるものは何でも使う悪党と呼んでくれてもかまわない」

今はもう治癒を済ませていて、そのふてぶてしい笑みはあの老師と見紛うばかりの憎々しさを(たた)えていた。

「だから貴方の言葉に従う義理もない。俺は俺の思う悪を討つだけだ。その代償がどれだけ大きなものになろうとな」

「……イーガ殿、答えてくれ。そなたの拳はもう、私を王とは認めていないのだろうか?」

「私は……」

言葉が返せなかった。

私は自分を育ててくださった恩師に報いる一人の弟子でなければならなかった。

であると同時に、師が師であるための法の(しもべ)でなければならない。

ならば私は……、

 

その沈黙がラマダの王に深い、深い溜め息を吐かせた。

「確かに、民衆に戦いを教えてこなかったのは私の怠慢と言えよう。だがそれには理由があったのだ」

密かに抱いていた(いいわけ)を吐き出させた。

「人は、今も人知れず進化している。武を下地とせずとも、人々の間に着実に『ラマダ』は根づいている。これは(きざ)しであるべきだったのだ。拳を必要とせず、命の遣り取りのない、全てが『ラマダ』に(のっと)った国を創るための」

拳を必要としない国。

無情にも、王の想う夢の国でもまた「矛と盾」を誇りとする彼らは完全に否定されていた。

王は常々感じていたのだ。ラマダを極めし至高の民にとって、拳は「邪」でしかないのだと。

「ゆえに今の優れたラマダの民を一人でも多く生かさねばならなかったのだ」

そのためならば二百の犠牲もやむを得まい。…いいや、むしろこれこそ『ラマダ』の導きに違いない。あろうことか、一国の王は襲い来る災厄に僥倖(ぎょうこう)を見ていたのだ。

「だが、民の言葉はラマダの言葉だ。それが私を追いやるというのなら、それは私のラマダへの理解が足りていなかったからなのだろう。…どちらにせよ、私は”王”失格のようだ」

しかし、一連の出来事を見届けた王はとうとう敗北を認めた。

「……すまない」

代弁者である民の憤怒によって破壊された石畳に膝を付き、王は地に(こうべ)を付けて謝罪していた。




※前回、お前は私に完膚なきまでに叩きのめされた
原作のアークⅠでは初め、イーガは敵として出てきて勝負を挑んできます。
私の話では一度目にアークで挑んで(拳で)負けています。その後、ククルが再挑戦して逆にボコボコにしています。

※マローヌ王
アークⅠで、城の崩壊にあわせてアンデルに殺されたスメリア国の王様です。
アークたちはアンデルによってその罪を着せられ、犯罪者、テロリストとして指名手配されています。

※情に価値なし
勘違いされるかもしれないので補足します。
「人と人の心の繋がりに価値を求めてはいけませんよ」という意味で書いたつもりです。

※その眼をもって心を見極めよ
この「心(しん)」は真実、真理の「真(しん)」と掛かっています。
ちなみに、イーガの技の一つに「心眼法」があるように、僧兵たちの「心の眼」を養う言葉でもあった……という今作った設定です(笑)

※僥倖(ぎょうこう)
思いがけない、予期せずやって来る幸運のこと。

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。