聖櫃に抱かれた子どもたち   作:佐伯寿和2

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拳に刻まれた歴史 その五

シャーヒダという名の呪術師の出現により突発的な混乱がもたらされたが、アークの加勢によってそれはすぐに鎮められた。

その後、シャーヒダは尋問にこそ応じたものの、自身の素性を明かすような情報に関しては一切語らなかった。

「どうして?それがアナタたちの目的じゃないの?」

「悪いが俺たちは私怨で動いている訳じゃない。悪魔がもたらすだろう災害を未然に防ぐために戦っているんだ」

彼女はアークらにミルマーナへの報復に協力させる代わりにミルマーナ軍の内部情報の一部を提供すると申し出てきた。

「偽善を並べないで。虫唾が走るわ。その悪魔にアナタたちがどれだけの恨みを抱いているか。今ここで露呈させてあげてもいいのよ?」

アークもまた、僧兵たちが『怨念』を見たように、シャーヒダが並々ならない憎悪に取り憑かれていることには気付いていた。その瞳の輝きは、悪魔たちよりもよく血の海に映える色をしていた。

「否定はしない。だが俺の言葉もまるっきり偽善って訳じゃない。今、お前を受け入れればお前は必ず俺の仲間を道連れにする。すでにその用意もある。違うか?」

「…やるじゃない。だったらアタシがこの程度で諦めないこともわかっているんでしょ?」

「……」

呪術師の目は完全にアークの目を捕らえていた。どれだけ離れていようと、どれだけ拒もうと彼女は必ずアークを見つけ出し、彼と彼の周囲に望まない不幸をもたらすことができる。

アークの『力』をもってすればその呪いを解呪できるだろうが、問題は『力』の強弱ではない。その報復に対する執念が女をバルバラード国でも類を見ない呪術師へと育ててしまったことだった。

完成してしまった人間の信念は鍛え上げられた剣を折るよりも難しいことを、青年はよくよく理解していた。

「お前が俺たちを攻撃しない限り、俺もお前を攻撃しない。だが、俺が邪魔だと判断した時もまた、容赦なく斬り捨てる。それだけだ」

「バカね、見え見えなのよ。それとも自覚がないの?」

女は嘲笑った。それ自体が強力な呪いであるかのように饒舌に、ハッキリと発音してみせた。

「お前にそれはできない。なぜならお前はどうしようもないお人好しだから。そうして無駄な抵抗をするから無駄な犠牲を出してしまう。それを”偽善”というのよ。ホルンの魔女、アナタもそう思うでしょ?この男はまだ本当の“善と悪”を履き違えていることにも気づけないお子様なのよ」

「……」

青年の隣で頑なに『口』を抑え続ける金髪の少女を指して、やはり呪術師は嘲笑っていた。

「…たとえ偽善でも俺たちは間違いなく前に進んでいる。お前と同じさ」

ガシャンッ!

「私が、お前と一緒?!人を呪ったこともないお前が、私と?!殺されたいのかっ!?」

机を力一杯蹴り飛ばしたシャーヒダの顔に、僧兵たちを震え上がらせた悪鬼が現れていた。

「いいや、仲間を一人ずつ呪ってやる!キサマが信頼している人間もしょせん、その命を永らえさせるためだけにある肉の壁だってことを骨の髄にまで叩き込んでやる!」

いずれかの神を信奉する額の朱い印(ティラカ)が悪鬼の面に飲み込まれていた。

「…脆すぎる。その程度の覚悟でアイツらと対峙するつもりだったのか?良かったな、俺がヤグンの部下だったら間違いなくこの瞬間にお前の首を落としているぞ――」

瞬間、アークの頬をナイフが掠めて飛んだ。

…いいや、それは一枚の紙切れだった。黒い紙片に呪言を(したた)めた札が、矢のような速度で飛び、壁に突き刺さっていた。

「…良かったわね、アタシがアンデルの手下じゃなくて」

そう吐き捨てると、シャーヒダは青年を睨みつけたまま(しと)やかな物腰で席を立ち、アークらの前から去っていた。

 

「で、本当のところ、どう思ってるんだい?」

あんなにも血の臭いの充満する尋問を前にして、珍しく聞きに徹していたトッシュは労うようにアークの頭を軽く叩いた。

「悔しいが、アイツの言う通りさ。俺にはアイツを放っておくことはできない」

壁に刺さった札を引き抜くと、鋼鉄の強度だったそれは本来の効果を発揮することなく、書かれた呪言とともに力を失くしてただの紙切れに戻ってしまった。

「まあ、いいんじゃねえの?お前らしくてよ」

ただの紙切れになったそれを持て余したトッシュは、親友の額に貼り付けた。

「安心しろよ、俺らだって中途半端な覚悟でテメエに付いてる訳じゃねえんだ。今さら何があったって文句は言わねえさ」

そう言い残し、侍は酒を求めて部屋を出ていった。

 

残された青年は貼られた札を剥がし、「ただの紙切れ」を注意深く見詰めた。

「大丈夫ですよ、アークさん。あの人も根は悪い人じゃないみたいですから」

呪術師の圧力から解放されたからか。ようやく気を緩めることを許された少女は、せっつかれるように胸につかえていた気持ちを伝えていた。

「根は悪くない、か。それはそれで対処に困る選択なんだよな」

いざと言う時、判断が鈍ってしまう。護るべきか。斬り捨てるべきか。そもそも、根っから悪い奴はそうそういない。

それを知っていて、俺たちは今まで彼らを斬り伏せてきた。アイツの素性がどうあれ、身分がどうあれ、特別扱いする訳にはいかない。

「ご、ごめんなさい。私、まだ戦争には(うと)くて…」

「謝る必要はない。むしろ、君が思っていることを伝えてくれて嬉しいよ」

「アークさん…」

青年は優しかった。今までに溺れるほどの血を浴び、人間の善悪に弄ばれてきたにも拘らず、他人を護ることを忘れたことはない。

呪術師の前では謙遜していたが、彼は根っからの聖人であり、戦士だった。

 

そんな彼だから、仲間の癒えきってない傷口に触れることにはどうしても躊躇してしまうのだった。

「こんなことを君に聞くのは良くないことかもしれないが…」

「大丈夫ですよ。アナタが何を言ったとしても、アタシはアナタを信じていますから」

少女は青年に野花のように素朴で愛らしい笑顔を向けた。

礼を返した青年の顔も、知らず識らず笑っていた。

「君は、シャーヒダからどんな『声』が聞こえた?」

『聞こえていた』問いが改めて口にされ、少女は呪術師の『想い』を降霊(こうれい)させたかのように顔を曇らせた。

「私やエルクと同じです。復讐のことばかり」

復讐という性質にそれほど大きな違いはない。少女はこれまで会った人々の『声』からそれを学んでいた。

「ただ一つ違うことがあるとすれば、彼女のは私たちなんかよりよっぽど血生臭いです。受けた苦しみよりもより多くの血を求めようとしています」

「それはもう、復讐とは言えないな」

「はい。あの人は自分が悪魔になろうとしていることに気付いてるけど、理解はしてないんです。…だから、私もアークさんの意見に賛成です」

そして、少女は想い人にそうするように、自分の思いを相手の目を真っ直ぐに見て伝えた。

「…君は俺の思った以上に強い人なんだな」

青年は久しぶりに心が緩んだ。安らいだと言い換えてもいいかもしれない。

彼の想い人がそうであるように、目の前の少女はこの荒廃と混沌で塗りつぶされたかのような戦場の中でさえも身近な誰かを一人の「人」として想うことを忘れていない。それは青年にとって、とても素敵なことのように感じられた。

「ありがとう、リーザ」

その笑顔を介して、青年は改めて思い返した。

本当に、俺は仲間に恵まれている。青年はより微笑んだ。今もどこかで戦っているかもしれない皆の代わりに。

 

 

そうして1時間も経たない内にイーガと彼を補佐した仲間たちは町で起こった全てを解決させて寺に帰還を果たした。

「師範代、お待ちしておりました!」

笠を被り身分を伏せた師範代は門弟の歓迎を受けつつも、開け放たれた門の向こうを『見遣り』、歓迎の次に待ち受けるものを見抜いた。

「うむ…、誰ぞ道場破りでも現れたか」

イーガはそこに、寺にあるべきでない怨念の形跡を見た。

「はっ、シャーヒダと名乗る呪術師がアーク殿を狙って襲撃してきたのです」

「アークを?…お前たち、つけられたのか?」

あらゆる変装偽装を駆使して逃げ回るアークたちの正確な所在を知るには、もはや尾行する以外に手段はない。イーガは振り返り、変装を解いた仲間たちに尋ねた。

そしてその問いは一部の人間にとってはプライドに関わる発言だった。

「おいおい、俺たちがそんなヘマをするかよ!そんな鈍臭い真似する奴はどこぞのボケたクソジジイだけだって相場が決まってんだろうがよ!」

道中の険しさに対し、小さな愚痴を溢し続けていたゴーゲンと、それが(かん)(さわ)ったエルクは散々言い合いをしていた。キメラ研究所でそうしたように、イーガやシュウが二人の手綱を引かなければ寺にたどり着くのは数時間後になっていたかもしれない。

それほどにエルクは老魔導士の態度が気に入らなかった。

「なんともまあ、嘆かわしい。この類稀(たぐいまれ)なクソジジイを捕まえて、ただのクソジジイとは。最近の(わっぱ)は頭に金を詰め過ぎて光る物にしか興味を示さんらしい。ああ、嘆かわしい」

「ただのじゃねえよ、()()()っつってんだろうが!耳までボケてんのか?!」

一方のゴーゲンは新しい話し相手に恵まれ、終始ご機嫌な様子だった。

「二人とも、いい加減にしてよ。それどころじゃないでしょ?!」

そして楽隊の少年は二人に振り回され、一人無駄に体力を浪費していた。

 

結果的に撃退したこと。ミルマーナ軍に因縁があり、交換条件を求めているとの報告を受け、ひとまずアークの判断を仰ぐためにイーガらは彼らの待つ場所へと向かった。

「…シュウ、何か気になることでもあんのか?」

案内を受けている最中、エルクは相棒の顔が普段よりも強張っていることに気付いた。

それに対し、黒装束の男は「相手」に(さと)られないよう、エルクにだけ聞こえるように状況を説明した。

「見られている。おそらく例の呪術師だ」

「でも引っ捕まえてんだろ?」

「どうやら拘束はされていないようだな」

それは攻撃を受ける側からすれば十分な異常事態だった。であるにも拘わらず、黒装束が率先して動かない様子からまだ「その時」ではないと判断できた。

「どうする、何か仕掛けておくか?」

専用の道具を持ち合わせていなくとも、二人にとって相手の意表を突くトラップを設置することはそう難しいことではなかった。

しかし妙なことに、用心深いはずの相棒はそれも否定した。

「いいや、今のところ向こうから動く様子はない。先程の報告から察するに相当の手練れだ。下手に動かない方がいい」

「…オーケー」

「それと、もしもそうなった場合は素早く仕留めろ。仕掛ける隙を与えるな」

何か意図がある。長年の付き合いもある少年は多くを聞かず、相棒に任せることにした。

 

「それに、お迎えが来たようだぞ」

「あ?」

言われて視線を動かすと、通路の角から彼女が現れた。そして一目散に俺に向かって駆け寄ってきた。

「エルク!」

「お、おい、リーザ。わざわざ迎えに来なくても」

「迷惑?」

「いや、そういう訳じゃねえけどさ」

どこか、彼女の表情からは浮足立っているような雰囲気が感じ取れた。そんで――分かってはいたけれど――、その声は直ちに彼女に『聞かれてしまうのだった』。

「…ごめんなさい。なんだか私にとって嬉しいことが続いたからつい」

「いやいや、だから責めてねえって。いいじゃねえか、良いことがあったならよ!ほら、笑えって」

あたふたしていると、横からパターン的な野次が飛んできた。

「最近の若造は女の扱いもろくにできんのか。ああ、嘆かわしい」

「うるせえ、クソジジイ!!」

 

ようやくアークの待つ客間に到着し、今後の段取りを改めて話し合おうかというタイミングで、もう一人の待ち人はやって来た。

「リュウゲン王の到着です!」

連絡役が言うとイーガはアークに向き直り、言葉少なに念を押した。

「アーク、私はラマダ僧兵だ」

「…わかっているさ」

彼らは「勇者」という同じ使命を背負った仲間でありながら、一人の友人でもある。だからこそ、彼らにも故郷を愛する「国民」としての生き方があるのだという理解が求められていた。

そのどちらかを否定することなど、今の青年にできるはずもないのだ。




※ティラカ(サニアの額、眉間にある赤い点のこと)
信仰する宗教の宗派を示すもの。顔料を使って眉間に描くもので、宗派によって形が違う。
ちなみに、サンスクリット語でビンディー(「点」の意味)と呼ばれるものも、眉間に顔料を用いて描くものではありますが、こちらは原則、ヒンドゥー教徒で既婚の女性が施すものらしいです。

※あとがき?
すみません!投稿するのすっかり忘れてました( ノД`)シクシク…

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